逃れられぬダンスパーティーの日がやって来た。シリウスからは「ドレスがないことをなぜ言わなかった! 今すぐ買いに行こう!」と吠えメールのごとく怒濤の手紙が送られてくるし、やっぱりロンとハーマイオニーはゴタゴタするし、ドビーの寝起きドッキリに心臓を驚かされるし、同室の女の子たちは昨夜から準備にバタバタしっぱなしだしで、朝からてんてこまいのクリスマスだった。
そうして周囲に巻き込まれているうちに時間は矢のごとくすぎて、現在。僕はハーマイオニーによって女子寮へと引っ張りこまれていた。三時間も前からいったい何の準備がいるというのか。女の子の仕度は甚だ謎だ。
「しゃんと立って。そう、きれいよ。──ほんとうに綺麗。あなた、緑がとっても似合うわ」
自分の仕度の前に済ませてしまいたいと僕の着付けへ入ったハーマイオニーは、例のドレスを鏡の前で合わせてうっとりした。
「さすがマルフォイね。わたし、あなたの髪と目は明るい色だから暖色のイメージが強かったんだけど──緑がこんなにも似合うのね」
ハーマイオニーが心から褒めてくれるので、素直にうなずいた。
母から譲られた緑の瞳は『僕』の象徴で誇りだった。そして今は──大切な弟の瞳だ。
「……ンン? 僕、ドラコからもらったって言ったっけ?」
「言われなくてもわかるくらいには、あなたたちに巻き込まれてるつもりです」
高飛車にハーマイオニーが顎を反らせる。目はニヤリとしている。……こんなときまでからかわないでくれよ。
「さあ、イヤリングと──ほんとうに素敵なイヤリング! ずっとしまってただなんて勿体ないことを!──ネックレスはマルフォイに任せようかしら。髪もね」
顔をブラシでくすぐったり、なにやら瞼に描いたりしていたハーマイオニーがポンッと肩を叩いた。終了の合図にドレッサーから立ち上がれば、贅沢なドレープがゆらゆらと流れた。
姿見の前へと誘導されて。
「──綺麗だ」
「ほんとうに」
ほんの少しのメイクと散りばめられた緑。つつましやかながらに存分に着飾った母さんが鏡の中で微笑んでいた。瞳には父さんがいた。
「──わたしね」
鏡にハーマイオニーが並んだ。ハッとした。彼女はこんなにも大人っぽかっただろうか。
「クラムと行くの。マリアのことだから、どうせ知ってるわね」
「……うん。知ってた」
鏡のハーマイオニーと目を合わせる。少年も、少女も、いつの間にか大人みたいな表情をするようになっていた。
「……なにも言わないのね」
「なにか言ってほしい?」
ハーマイオニーはやわらかく首を振った。
「わたし、ちゃんとわかってるわ。……なにも言わないのが、あなたの優しさ」
背中からそっと抱きしめられる。少女の体温はどこまでも優しかった。
さあ、マルフォイにさらにかわいくしてもらってらっしゃい。『僕』のハーマイオニーに近付いた顔で、姉のように慈愛の瞳で送り出してくれる。なんだか心がくすぐったかった。
談話室にはすでにジニーの姿があった。ジニーはオレンジに近い赤毛に合わせた淡いブルーのドレスで、パニエでふんわりと膨らませたシルエットが少女らしくてまるで妖精のようだった。
「ああ! ジニー、とってもかわいいよ」
僕自身もドレスだということを忘れて、駆け寄った勢いのまま彼女を持ち上げクルクルと回す。いわゆるリフトだ。こちらのジニーは軽くて小柄だからできる技だ。大きなジニーは……これ以上はよしておこう。
「マリア! あなたこそ……素敵だわ。キラキラしてる」
背中に愛の羽でも生えてるんじゃないかと錯覚する愛らしさでふわふわと舞ったジニーは、そしてニッコリ微笑んだ。なんてことだ。かわいさが留まるところを知らない。
「優勝だよ、ジニー。君が今夜で一番かわいい。そうに決まってる」
「……ほんとに? あたし、かわいいかしら? ほんとう?」
ジニーは髪を指に巻き付けたりして、ソワソワとドレスを握った。
「もちろんだよ! どうして?」
「ハ……ハリーも……そう、思ってくれるかしら。……ああ、だめだわ。あたし、きんちょうで頭がおかしくなっちゃいそうなの。だってハリーと踊るのよ? あのハリーと! あたしって実はとんでもなくブスだったりするんじゃないかしら。近くから見ると案外? そんなの──ああ、どうしよう」
「ありえない!」
ジニーの不安を大声でさえぎって、力いっぱい抱きしめる。
「ぜったいにハリーだって気に入るよ。だって僕がこんなに夢中なんだもの!」
こんなにも──愛しているもの。
「僕はハリーの姉さんだよ? ハリーのことならなんだってわかる。……ハリーは君のかわいさにびっくりするんだ」
冗談っぽく付け足せば、ジニーはようやく肩の力が抜けたようだった。
「そうよね、あたし、かわいいんだわ。マリアだって、ハーマイオニーだって、女の子はみんな! ドレスを着た女の子は世界一かわいいわ」
「その通り。その意気だ」
パチンッとハイタッチを交わす。自信を取り戻したジニーは溢れる笑顔で胸を張った。
「あたし、ここでハリーを待つわ。驚かせるんだから! マリアはスリザリンの彼と待ち合わせ?」
「えっと……うん、まあ、そんなところ」
誰と顔を合わせても──同室の女の子たちなんて筆頭だ──僕はドラコとパーティーへ行くのだと思い込んでいる友人たちに苦く笑う。アステリアの耳にまで届いていなければいいんだけど。
グリフィンドール塔を下りれば、みなさんご待望の彼が正装で待っていた。この時代の流行を的確に取り入れグレーと黒でまとめたドラコは、悔しいけれどセンス抜群だった。僕だって男として散々悩まされてきたのだから、彼がただしく着飾っていることくらいは一目でわかる。女性のドレスを吟味するよりよっぽど理解できる。
ドラコは僕を見つけると、涼やかな目元を限界まで開いた。
「──綺麗だ、マリア」
「知ってる。母さんの顔だもの」
照れくさくて、わざとらしく何ともないように返した。
「さっさと移動しよう。僕、まだ見世物にはなりたくないよ」
「ああ。僕も今くらいは君を独り占めでいたい」
当たり前のように手を差し出されエスコートを受け入れる。地獄のダンスレッスンの甲斐あって、受け身に慣れきってしまった自分になんだか失望感を覚える。
「はじめてのスカートのご感想は?」
「こんな心許ないものでなにを守るんだ」
「身も蓋もないな」
シニカルに笑ったドラコは、そしてどこかの教室を開いた。中には簡易な机と椅子と鏡があった。
「ホグワーツってよくわからない部屋がたくさんあるよね。たいていが用途不明」
「ホグワーツだからな」
「アステリアのサロンも、ハリーの頃はあんな場所があるだなんて知らなかった」
「あれは……スリザリン特有だ。スリザリンの何年かの先輩に教えられたんだろう。各々が贔屓にしてきた隠し部屋を気に入った後輩に譲る──ちょっとした伝統さ」
「ウヘェ……お貴族さまらしいや」
スリザリンにはスリザリンの秘密があること聞かされながら、ドラコの手に髪飾りとネックレスとイヤリングを渡して身を任せる。クルクルと魔法みたいに髪がまとまっていく。
「傷はどうしたんだ」
「マダム・ポンフリーが気にかけてくれてね。傷痕を目立たなくするストッキングをくれたんだ。背中だとか腕は魔法でちょいちょいっと。僕は気にしてないんだけど」
「ハリーが気にする」
「その通り」
緩やかなくせっ毛を利用して編み込まれたアレンジは、今までで一番複雑な形に見えた。トップにサテンリボンのなめらかな髪飾りが添えられる。イヤリングを取り付けるため触れられた耳がくすぐったくて肩が震えた。最後にほんのり温かいネックレスを留めれば──誰が見ても完璧な淑女の完成だ。
「美しいよ、マリア」
「知ってるよ。君だって……まあ、見れなくもないと思うよ。…………ウン、かっこいいんじゃない」
バカみたいに見つめ合って、どちらともなく吹き出す。まるでティーンの青臭いやり取りじゃないか。
「緑、似合うな。マリアの瞳に合わせることも考えたが──やはり、僕にとって『君』は翡翠だ」
エメラルドの髪飾りに触れて、ドラコはまぶしそうに目を細めた。
「……ありがとう」
再びドラコのエスコートで立ち上がる。廊下はすでにきらびやかなドレスとドレスローブで溢れていた。大広間前で別れて、アンソニーの姿を探す。
「マリア! こっちだ」
「アンソニー!」
存外早く彼は見つかった。レイブンクローらしい青柄のドレスローブが印象的だった。
「ウワァ……綺麗だよマリア。君、もっと普段からオシャレすべきなんじゃないか?」
「すると思う? 僕が?」
「その返しは卑怯だ。ノーしか与えてない」
軽やかに交わされる冗談にクスクス笑い合う。差し出されたアンソニーの腕を取れば、彼の目線は髪留めへと留まっていた。
「ポッター兄の目とおそろいかい?」
「そんなところ」
赤毛に埋もれることなく存在感を示してくれる緑が誇らしかった。頭の先から足の先までドラコの計算尽くめだったことは癪に障るが、リボンに関してはいい仕事をしてくれたと思う。
今日ばかりは寮も学校も関係なく席に着き、代表選手の入場を待つ。はじめにフラーのペア、次にクラムとハーマイオニー、セドリックにチョウ、そして最後にハリーとジニーが恥ずかしそうに列を進んだ。
最年少のジニーはまさしく妖精のごとき輝きだった。なんて愛らしいペアかとあたたかい目がハリーとジニーへと注がれた。……少し前まではハリーを卑怯ものだと野次っていたというのに。調子のいい。
食事が始まりみながドレスを窮屈にしない程度に堪能すると、ダンブルドアの杖の一振りで机も椅子も消え失せダンスホールへと様変わりした。代表選手たちが妖女シスターズの演奏に合わせて踊り出す。僕の目はすっかりハリーとジニーに奪われていて、ぎこちなくも楽しそうな二人に胸がいっぱいだった。
「マリア」
目の前に差し出された手のひらが僕の意識を引き戻す。いつの間にか周囲は色とりどりの回るドレスで溢れていた。
「お手をどうぞ、グリフィンドールの姫君。……足を踏んでしまっても許しておくれよ?」
形ばかりの誘いの礼を取って茶目っ気たっぷりにウィンクしてくるアンソニーに、笑いながら大きく一歩を踏み出した。