あなたと踊った話
差し出された手に少女はそれはげんなりとした。
「君もなの? ──セドリック」
「僕とは踊ってくれないのかい? マリア」
いいかげん壁の花を決め込もうとしていた少女へ、ハンサムな顔立ちをふんわりと笑ませて彼は手のひらを差し出し続けた。
「また僕がチョウに睨まれるんだけど?」
「睨む彼女って素敵だと思わない?」
「つまり僕は当て馬ってことだね」
「冗談。彼女にはちゃんと断ってるよ」
セドリックの弁解通り、彼の恋人でありダンスパートナーのチョウ・チャンは友人マリエッタと楽しそうに談笑していた。──チラリチラリと壁の二人を気にしながら。
絶対に大丈夫じゃないぞ……。マリアは思ったが、純粋にマリアとのダンスを楽しみたいと期待に瞳を輝かせているセドリックを断れるほど、マリアはチョウに心を寄せているわけではなかった。セドリックがチョウに首ったけなのは、散々のろけを聞かされてきたマリア自身がよく知っている。彼は本当になんの下心もなく、誠実そのままに妹分としてかわいがるマリアと踊りたいだけなのだ。まったく、罪な男である。
マリアは嘆息した。
「君でラストだからね」
「どうだろう。マリアは人気だから、まだまだ君とのダンスを諦めきれない諸兄がいるかもしれないよ」
「穴熊の貴公子がそれを言うのかい?」
「獅子の姫君に夢中な生徒がうちの寮にもいるってことだ」
顔を見合わせて、ニ拍ほどおいてくふくふと二人は笑い合った。
「しかたないな。完璧にリードしてくださいね、ミスター?」
「レディに恥をかかせないよう、努力するよ」
セドリックの手を取って、マリアはふわりとドレスをひるがえした。タイミングよく曲がスローテンポに替わる。見目麗しい少年少女は手を取り合って中央へと躍り出た。
「それで? ほんとうはどういう用件だったんだい? セドリック」
「かなわないな、マリアには」
体を揺らしながら、セドリックは苦笑した。マリアの猫のような勝ち気な瞳は得意気にニンマリとしていた。そんなところもかわいいと、セドリックは慈しみを込めて思うのだ。
「──君は、僕の父に会っただろう?」
小声で、ためらいつつもセドリックは切り出した。
「ああ、うん。ワールドカップでのこと?」
「そう。率直に聞かせてほしいんだけど……どう思った?」
セドリックの率直という言葉に甘えたからではない。ただただ顔に出てしまったのだ。──あの人は苦手だ、と。
予想していたのだろう、セドリックは苦々しい顔を慌てて取り繕おうとしたマリアにやんわりと微笑んだ。
「やっぱり、いい気持ちはしなかったろうね」
「いや、まあ、ウーン……」
感情を誤魔化すことが得意でないマリアは、結局うなずくしかなかった。彼──エイモス・ディゴリーの息子を取り戻したい切実な願いからとある大事件へと発展した記憶を持つマリアだ。なにより、マリアはハリーであった頃に彼から手酷く現実を突きつけられた。──お前のせいでどれだけが死んだ。……と。苦く思うのも無理はない。
「どうしてそんなことを?」
ドラコとの地獄のダンスレッスンを経て、意識を別に飛ばしながらも完璧なフォローステップを取れるようになったマリアは──マリアもハリーも座学や理論よりも実践型だ──リボンを愛らしく揺らしながら小首をかしげた。やっぱりかわいいなあ、とセドリックは思うのだ。恋人に向けるものとはちがう──じゃれつく仔猫をかまうような気持ちだ。
「マリアには色々と相談してるからね」
「……チョウのこと?」
幸せをにじませながらもほんのり複雑そうにセドリックはうなずいた。
「僕はあと一年で卒業だ。そうすれば、彼女を一年、ホグワーツに置いていくことになる」
「うん」
相槌を打ちながらも、マリアはその続きがわかった気がした。
「──彼女を、家に呼んで両親に紹介しようと思うんだ」
セドリックはそれまでの不安げな声色を捨ててはっきりと言い切った。
「おめでとう」
マリアは破顔した。猫に似たぱっちりとした丸いアーモンドアイを細めて、やわらかな陽射しにまどろむように口元をゆるめた。──こんな時ばかり、大人のような顔をする。セドリックは目の前の少女の、子供のようでいて大人の顔を持つアンバランスさこそが彼女の魅力なのだと実感していた。
「気が早いよ。まずは僕が卒業しなくちゃ」
「でも、そういうことでしょう?」
「……たとえば、挙式に呼んだなら君は来てくれるかい?」
「もちろん!」
今度は弾けるように笑ってマリアは幼げに声をあげた。隣を踊りながら通り過ぎた上級生の男子がマリアを見て微笑ましげに目尻を下げた。
「それで、挙式の前に両親の説得が難関点ってわけだ」
「ああ。彼女は東洋人で、はっきり言って父が彼女を傷付けないとは断言できない」
マリアは再びエイモス・ディゴリーの顔を思い浮かべた。悪気なくチョウを侮辱したりは……してしまいそうだ。本人はあくまでも善性で、そこに悪意がないことがなおさら手に負えない。
「どうすれば彼女を傷付けずにいられるか……」
「そんなのはさ、方法はひとつだけだよ。セドリック」
繋いでいた手を引き寄せ、マリアは内緒話をするように彼の耳へと唇を寄せる。
「──なにがあってもチョウの味方をするんだ」
囁かれたセドリックは灰色の瞳をパチリとさせた。
「……それだけ?」
「それだけ」
悪戯っぽくウィンクを送ったマリアに、ますますセドリックはきょとりとした。
「それだけでいいんだよ。──僕は、そうして世界中のなによりも尊敬していた両親に歯向かい、妻と子を守りきった男を知ってるんだ」
たとえ妻を亡くそうとも──愛を貫き通したどうしようもなく不器用な男がいたのだ。
「セドリックもご両親のことが好きみたいだから、むずかしいかもしれないけど」
「そうでもないよ、きっと。もちろん、両親のことは好きだけどね」
セドリックは粛然と目を閉じた。マリアの言葉を噛み締めていた。
「……かっこいいな、その人」
「ほんとうに」
最愛の人──彼にとっての光と談笑する噂の不器用な男を横目で確認する。ほら、あんなにも──二人は幸せそうだ。
曲の終わりと共に手を離し、大袈裟に礼をしてセドリックと等身大に顔を見合わせる。ニッと二人同時に企むような笑みを作る。
誰にも、まだ、秘密。──これは二人だけの秘密だ。
「おめでとう、セドリック」
マリアは繰り返した。セドリックはくしゃくしゃに笑った。
どうか、あなたたちの未来に──幸が多からんことを。