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──ハリー?
肩を揺すられ馴染みの声に起こされた。ハリーと呼びながら、なんだって僕の肩を揺するのか。ハリーはきっと隣だ。
「ハリー、こんなところでなにをしているんだ。起きろ、マリアはどうした」
「なに言ってるのさ……ドラコ」
せっかく心地よく芝生の柔らかさに包まれていたというのに、どうあってもまどろみから僕を引き上げたいらしいその人に渋々身を起こす。──鼻頭からなにかが落ちた。
「ん?」
目を開いた。だめだ。まだ脳が覚醒していない。目の前がずいぶんとぼやける。地面と同化してなにを落としたのかもわからない。
「おい、眼鏡が落ちたぞ。ハリー」
「だってさ、ハリー。君ってほんとうっかりして──る──」
ぼやけた視界に映った、眩しい光の色をしたその人──らしき輪郭と、はた、と見合わせていた。
「……ハリー?」
────声が。
……いや、いや、落ち着こう。三度目だ。三度目ともなればさすがの僕も慣れて────そんなわけないだろう!
「…………ドラコ、眼鏡、貸してくれる?」
「貸すもなにも君のものだ」
僕の代わりに眼鏡を拾ってくれていたドラコから受け取って、パッドを鼻に乗せ耳につるをかける。目の前がレンズを通してクリアになった。今度こそ輪郭まではっきりと見えたドラコは、柳眉を中央に寄せて怪訝に僕を覗き込んでいた。
……なつかしな、この感触。鼻根の違和感が顕著だ。マリアは幸運なことに父さんの目の悪さは受け継いでいなかったから、すっかり裸眼を謳歌していた。
「……ドラコ、僕の目の色って、なに?」
「今日の君はおかしいな。緑に決まってるだろう」
当たり前に言い切ったドラコに、僕は心を落ち着けて微笑んだ。
「──ドラコ、僕、分霊箱部屋のあのチェストは正直に言って趣味が悪いとずっと思ってたんだ」
「あのデザインの良さがわからないなんて君のセンスを疑うよ、マリ──」
再び、僕らは間抜けに顔を見合わせた。次に豆鉄砲を食らったハトの顔をさらすのはドラコのほうだった。
「…………君、まさか──マリア?」
「君以外にそう呼ばれているハリー・ポッターのことを指してるなら、僕だね」
意識が遠退いていくような心地で力なくうなずいた。ドラコも同様だった。
「……つまり、今、マリアの肉体には──?」
「……たぶん、
ヒュウ。と、僕らのあいだを乾いた風が通った。──そうだ、風。なぜ僕は外で眠っていたのか。
「ねえドラコ、君、ここで僕を見付けてくれたの?」
「いや……」
ドラコは途方にくれたと言わんばかりに周囲を見回して僕へと首を振った。
「僕もここで眠っていたんだ。もしくは倒れていたのかもしれない。それで、隣に君が寝ていたから──」
「つまり、先に起きたってだけで状況は把握できてないわけか」
僕も改めて見回す。ホグワーツの敷地内だ。湖が見える。普段となにも変わらないように思えた。
「ともかく、まずはハリー……ややこしいからマリアってことにしようか。マリアと合流しよう。あっちも今頃大パニックだぞ」
立ち上がれば、ドラコは校舎の方向を見て薄く笑っていた。
「──どうやら、こちらからおもむく必要はなさそうだぞ」
「え?」
艶やかでたっぷりとした深い赤毛を靡かせて、少女がこちらへ向かっていた。ああ、マリ────ん?
「ポッター! 次の薬草学は第二温室だって、先週スプラウト先生がおっしゃったでしょう! まさかまたサボる気じゃ──ミスターマルフォイ?」
腰に手をあて、目一杯胸をそらして怒鳴り込みに来たマリア──にそっくりの少女は、ドラコを見ておずおずと語気を静めた。少女と僕らのあいだになんともいえない沈黙が落ちた。
「卒業生のあなたがどうしてここに……それも、縮み薬を? ……ポッター、なにを企んでるの。内容によっては──いいえ、内容関係なく、このことはマクゴナガル先生にご報告させていただきます」
ハッと自分を取り戻し、地団駄でも踏み鳴らすようにしてきびすを返そうとする少女に、咄嗟に腕を掴んでいた。ふわっと踊った赤毛から花のにおいがした。気がした。
──まずい。よくわからないけど──なにかすごくまずいことになってる気がする!
「待って! 僕たち、」
「放して! ポッター、あなたのバカげたイタズラとやらに巻き込まれる気はないわ!」
「ちがうんだ、話を……あの、僕たちの話を、聞いてくれないかい?」
「…………あなた、なにか変なものでも食べたの? あなたが、わたしに、うかがいを立てるの?」
全身をもって疑わしいと、一言一言区切って問う少女に、僕は背中をなにか奇妙なものが滑り落ちていくような感覚に襲われていた。────うそ。
「わたしの意思なんてすべて無視で、わたしがどれだけ違反はダメ、彼へのイタズラをやめてとお願いしてもヘラヘラ笑ったあなたが、わたしにお願いをするの? あなたはそれが叶うと思うの? ずいぶん虫のいい話ね」
「え──ぁ」
うそだ。うそだろう。間近から見た彼女の瞳に心臓が音を立てる。
緑色の目で──
「失礼、ミス。乱暴をしようとしたわけではないのです。ただ……私たちはあなたを
ドラコが僕の手をやわくほどいて、彼女とのあいだに立った。片手は僕の背へと添えられていた。情けないくらい僕は動揺していた。
「……なんの冗談ですか? ミスター。ああ、わたしのような下賤な血は名前を覚えるにも値しないと?」
「いいやちがう。どうか落ち着いて──まず、私……僕はルシウス・マルフォイではない」
少女はとうとう正面から向き合って、宝石みたいなエメラルドの瞳で僕たちをねめ付けた。──きれいだ。
「もう一度聞きます。──なんの冗談なの?」
「あ……」
声が震える。背にある手がゆるりと撫ぜる。これ以上頭がぐちゃぐちゃになってしまわないよう、そこに意識を集中させる。やさしくて、きもちいい──落ち着く手だ。
「ハリー、僕が話す。……それでいいな?」
「う、ん」
「……ハリー?」
ああ──
「あなた、ジェームズではないの? ──ハリーというの?」
ああ、ああ──あなたの声が、ディメンターや誰かの記憶が見せるあなたじゃない、ほんとうのあなたが──僕の名前を──僕を──
「僕はドラコ・マルフォイ。そして彼は──ハリー・ポッター」
少女が片眉を跳ね上げる。ジロリと僕とドラコを見回す。そして一拍おいてから──続けた。
「リリーよ。──リリー・エヴァンズ」
二度と触れられないその人の過去に──僕は出逢った。