いつの時代だって、学生の活気溢れる声は変わらず心を躍らせる。
「どう? ハリー、ドラコ。あなたたちの時代とちがう箇所はあるかしら」
小声でリリーがささやく。イエスもノーもないが、返事のつもりでチョン、と指先だけで腕をつつけば、楽しそうにクスクス笑われた。
一日中付き合うという宣言通り、獲得した透明マントを抱えて戻ってきたリリーは残りの授業すべてをサボろうとしていた。それを、おとなしくマントをかぶって待っているから授業に出てほしい、僕らのために時間を無駄にしないでほしい、と説得して今に至るのだ。次はマクゴナガル先生の変身学の授業だ。
「それにしても、ほんとうにおもしろいわ。あのルシウスとジェームズの息子が仲良しだなんて!」
マントからうっかりかかとが出ているだなんて間抜けなことにならないよう、極限まで近付いてほとんど腕を組むような状態にあった僕らは無言で見つめあった。
残念ながら、真実この見た目の頃の僕らは犬猿も犬猿だったとも。その言葉はあなたの孫のアルバスとスコーピウスに向けられるべきだ。
「リリー! 探したわ、次の授業は出られるの?」
「メリー!」
親しげに女子生徒がリリーへと駆け寄る。間違ってもぶつかったりしないよう、そっと壁へドラコを押して寄りかかる。
「薬草学、どうしてこなかったの? 先生にはわたしからてきとうに言っておいたけど」
「ありがとう、メリー。あなたならそうしてくれるって信じてたわ。ちょっとトラブルがあったの。でも、もう大丈夫よ」
「だってリリーだもの。お騒がせなあいつらとちがって、リリーが意味もなくサボるだなんて思えないわ」
「嬉しいわ、メリー」
少女たちが華々しく語らう。……これって、僕ら、なんだか盗み聞きしてるみたいだ。そう、ドラコにアイコンタクトを送れば、ドラコもなんとも複雑そうにうなずいていた。彼の場合は、気まずさよりもプライドが邪魔をするのだろうが。
「あら、リリー? どうしてその道を通るの? こっちの方が近いじゃない」
「今日は遠回りをしたい気分なの。わたし、今、校舎案内をしているのよ」
「誰に?」
「目に見えない子供たちに」
茶目っ気たっぷりにリリーはうそぶく。まったくの偶然だとわかってはいるが、リリーの目がまっすぐに僕らへ向けられてドキリとした。リリーの友人、メリーは不思議そうにしながらも、「わたしは早く着きたいからこっちから行くわ」と道を替えてしまった。
「……いいのかい? リリー」
周囲の警戒はドラコに任せて、リリーへとささやく。リリーは人気者だ。ひとりでいればそれだけたくさんの友人に話しかけられた。そのすべてをリリーは断ってきたのだ。僕たちのために。
「いいの。ほんとうならあなたたちを連れて校舎を歩き回りたいくらいなのよ? せっかく未来から来てくれたんだもの。でも、それは明日にするわ。明日は土曜日ですからね」
「僕たち、あなたが思ってるほど子供じゃないよ」
たまらなくなって、噛み締めるように告げた。ほんとうは、とっくに大人なんだよ。──未来のあなたよりも。
「透明マントさえあればどうにでも──」
「だめよ。それで、仮に誰かに見つかったらどうするの? 誰もあなたたちを知らないのよ。かばえないのよ。──誰も、たったひとりだって」
ハッとした。透明マントを受け取り、生徒たちがいなくなる授業時間まで必要の部屋にこもろうとしていた僕らに、リリーが今の時代の校舎を案内するだなんて言い出したわけを、ここにきてようやく理解した。
「あなたたちからすればお節介でしょうけどね、あなたたちが──ほんとうはわたしの子供にあたいする歳と知って、それで誰一人と味方も知り合いもいないこの世界に放り出すほど、わたしはつめたい人間じゃないわ。たとえ歳が同じだとしても──あなたたちは、わたしたちの『子供』よ。先生方に相談するのだって慎重にならなくちゃ。あなたたちのことは──このリリー・エヴァンズが責任を持ちます」
見えない僕らに向かって凛と宣言する少女は美しかった。まさしく白百合のごとき気高さと輝きを内から放っていた。
「ありがとう……リリー」
ずっと伝えるべき場所をうしなっていた言葉を、今、ようやく届ける。
ありがとう──僕の母さん。
変身学の教室の前でリリーを見送る。授業が終わるまで廊下で待つ約束をした僕らは、人影がなくなるのを待ってから口を開いた。
「君の母君は、」
「うん」
「美しい人だな」
「そうでしょう?」
照れ臭さから、わざとらしく大仰にうなずいてみせた。さらに羞恥が募った。失敗だ。
「もちろん、僕の母上だってすばらしい人だが」
「ウワ、相変わらず君って……はいはい、聞きますったら」
「母となる人はどうしてこうも……愛が深いのだろう」
思わず吹き出していた。だって──あのドラコ・マルフォイが、大真面目な顔で愛を語るだなんて。
「君って──どうして時々、そんなにかわいくなっちゃうんだい?」
「斬新な喧嘩の売り方じゃないか、ポッター」
ジロリと冷たいブルーとグレーの目で見られたので、さっさと降参のポーズを取った。
「そりゃあ……愛が深いから母になるんだよ」
呟いてから、言葉にすると軽薄だなあ、なんて苦笑する。思えば、母親の愛さえ実感できれば、トム・リドルだって────やめよう。こんなのは、不毛だ。
会話はなくなって、どこかから聞こえる生徒たちの声に耳をすませる。──平和だ。とても、これから闇の時代が深くなるだなんて思えない。
「普段の僕なら、今のうちに図書室だとかに行っておきたいところなんだけど」
「……ミスエヴァンズとの約束はたがえられそうにないな」
「困ったことにね」
胸に広がる切ない心地よさにゆるゆると笑う。まるで生徒も学校も変わらないのに──ここは『僕』だって知らない過去なんだ。
「……変な気分だ」
手慰みに透明マントを揺らした。向かいの壁が奇妙な模様を作った。
「だって僕、今、ハリー・ポッターなんだよ。……ロンとハーマイオニーが側にいないことが、すごく変だ」
もしも二人がいたなら、母さんの言い付けだって守らなかったかもしれない。ハーマイオニーは約束を取るか自分の時間を取るか悩んで、ロンはそのうち飽きててきとうを言ってハーマイオニーに叱られるんだ。それで、結局ハーマイオニーは図書室を取る。『僕』の親友たちだもの。目の前にいなくたってわかる。
「隣にいるのがドラコ・マルフォイで悪かったな」
不機嫌に吐き捨てられて、思わずドラコを見つめた。
「なに言ってるの。ロンとハーマイオニーが側にいることは当たり前だけど──君が前にいることだって当たり前じゃないか」
僕はドラコを見つめた。ドラコも僕を見つめた。
「ハリー・ポッターのライバルはドラコ・マルフォイ。そんなの──『僕』を知る人間なら誰だって知ってることだよ」
ドラコは僕を見つめた。見つめた──アイスグレーにたっぷりの感情を乗せて。
「君が近くにいるのだって当たり前のことだ。さんざん行く手を邪魔しておいて、なにを今さら」
負けじと目を合わせる。開心術を使うときだってここまで真剣にならないと、そう思えるくらい、心を閉ざす才能に特化している彼の感情を読もうと必死だった。──こんなにも、瞳が語っているから。
なんだって君が忘れるんだ。どこへ行くにも、なにをするにも君が現れて、僕に存在感を示して、とことんまで僕をイラつかせて──ドラコ・マルフォイという人間を刻んでいったくせに。
「今さらか」
「今さらだよ」
氷の溶けゆく熱い瞳にまぶたが落とされた。ドラコは僕を見ることをやめた。再び会話はなくなった。
沈黙。先ほどとちがうのはただひとつだけ──彼が僕の手に触れた。それだけだった。