事件は夕食後に起きた。さすがに女子寮で匿うのは無理だと、当然のことでしょんぼりしたリリーに送られながら八階へ向かう途中、窓から見えた光景に僕はドラコをつれて走り出していた。足音で気が付いたのだろう、リリーも驚愕しながら僕を追った。
「ハリー? どうしたの?」
はぐれるのも悪手かと改めてリリーの手を取りながら、頭の中に忍びの地図の図面をえがいて人目のない道を選ぶ。
見えた。──ああ、やっぱり。
「──セブ!」
卑怯にも、中庭から校庭へと続く渡り廊下の奥、木々と塀に囲まれ人目の届かないそこで緑ローブの少年に杖を向けるジェームズ・ポッターがいた。シリウスはニヤニヤしながら塀にもたれかかり、ペティグリューは瞳を輝かせて観戦態勢、ルーピン先生は我関せずと夜月を見上げていた。
「あなたたち──またこんなバカげたことを!」
「ああ……エヴァンズ。君っていつもタイミングが悪いよ。別に彼をいじめてるわけじゃないさ。一緒に遊んでるだけだ」
「ふざけないで! 一緒に? 彼で遊んでるの間違いでしょう!? そうやって──あなたたちみたいな弱いもの苛めの卑怯ものを見ると虫酸が走るのよ!」
「──弱くなんかない!!」
地面に尻餅をついてローブを汚していた少年が激昂した。リリーは面食らい、誰もが少年──若きセブルス・スネイプに注目した。特に──
「おーい、スニベリィー? お前、誰に向かって怒鳴ってるんだ?」
ジェームズの杖が振り上げられる。バチッと閃光が彼の足元に走りズボンを焦がした。
「ポッター!!」
「生ぬるいな、ジェームズ。エヴァンズの前だからって紳士面か?」
「そりゃあね、君。君みたいに立ってるだけで女の子が寄ってくるハンサムでもなければ、我ら凡人は好きな子のために涙ぐましい努力をしなくちゃならないのさ」
「クッ、言いやがる」
「ポッター、それ以上セブに悪さをしてごらんなさい。わたしがあなたを呪うわよ」
ジェームズがスネイプ少年に、そしてリリーがジェームズに杖を向ける図になる。僕もあわてて己の懐をまさぐって──あれ。ドラコを見れば、ドラコも両手を挙げて首を振っていた。僕たちの杖がない──?
目を前方に直せば、リリーにはシリウスが杖を向けていた。
「おいおい、やめてくれよ、我が友シリウス。エヴァンズは僕の想い人だって知ってるだろう?」
「エヴァンズよりジェーのほうが大切だからな」
「ワーォ、僕ってば貞操の危機?」
「ふざけるなと何度言わせるの! わたしは本気よ。さあ、セブ? こっちにいらっしゃい。寮まで送るわ」
リリーのやさしくて傲慢に満ちた気遣いに──ヒュウ。嘲笑たっぷりに口笛を吹いたのはシリウスだった。スネイプは惨めで堪らなかったのだろう。歯を食いしばって立ち上がると、リリーからも背を向け走り出していた。
「セブ!」
「スリザリンの根暗君はせっかちだなあ。──土産くらい持っていきなよ!」
再び、ジェームズがスネイプを狙い打つ──
「エクスペリアームス!」
ジェームズの杖が飛んだ。──僕の手元へと。リリーは己の手からなくなった杖に呆然として、すべての視線が僕へと集まっていた。目をネズミのようにキョロキョロさせていたペティグリューも、一歩引いて見ているだけだったルーピン先生も、すべてが。──これ以上、見ていられなかった。
「──なるほど? 君が透明人間なわけだ。──ハリー・ポッター?」
驚愕に、僕とリリーは同時にジェームズを見遣った。なんで──父さんが僕を──?
「ほら──おいで? ハリー」
ジェームズが腕を広げる。優しく微笑んで──まるで父親みたいに。
「ダメよ、ハリー!」
リリーの声が幕をへだてた一つ向こうのように遠く聞こえた。──僕はジェームズ・ポッターの腕の中に収まっていた。
「いいこだね、ハリー。さあ……顔をよく見せて?」
ジェームズが僕の頬を両手で包む。そして。
「ウッ!?」
──父さんに、僕は首を絞められていた。
「──ッなにをしてるの! やめなさい、今すぐやめて! ジェームズ・ポッター!!」
「いやあ、すごいな。ちゃんと体温があるし、苦しむ顔も完璧だ。ほんとうに生きてるみたいだ」
「ポッター! ハリーを放して!」
リリーの絶叫に、飽きたオモチャでも捨てるみたいにあっさりとジェームズは僕を解放した。だが、杖はジェームズに取り返され、シリウスの杖先がリリーから僕へと移動していた。
「……ポッター、あなた、ぜったいに後悔するわ。ハリーにそれ以上暴力を振るってみなさい。あとで死ぬほど後悔するのはあなたよ」
「ふぅん? そうなのかい? ハリー?」
再び、ジェームズの片手が僕の首へと伸びる。首筋を撫でて、頬に添わされる。──僕は、すっかり動けなくなっていた。
父さんが僕に危害を加えようとした。シリウスが僕に杖を向けている。大好きな二人に──敵として見られている。
「ポッター!」
「それで? 君はいったいなんなの? どうして僕のマントを使ってまでエヴァンズの側にいた?」
「あなたには関係のない話よ」
「ないわけないだろう。この顔をごらんよ、薄気味悪い。エヴァンズ、僕は君のことを想って言ってるんだよ。だってほら──僕の顔に君の目だなんて、まるで僕たちの子供みたいじゃないか」
「おぞましいことを言わないで!」
「ほぅら。だろう? つまりはこれは僕たちをからかうための誰かの悪意さ。闇の魔術だよ。あのスニベルスと同じで君は騙されてるんだ。だから僕が、こうして君を助けてやったのさ」
両親の声が左右から脳を殴る。薄気味悪いのか。おぞましいのか。僕は──父さんと母さんに望まれていないのか。
「いいえちがうわ。あなたはわたしのためなんかでは動かない。単純に自分が気に食わないってだけなのよ。わたしを所持品のように扱って──だから、あなたの許可なくあなたのお姫さまの近くに気に食わないものがあるのが許せないんだわ」
「わたしのことを想ってなんかじゃない。ほんとうにわたしを想ってくれるなら──こんなにもわたしの言葉を無視したりなんかしないわ!」
空気に腕を引かれた。不自然な姿勢でリリーの元へと戻る。──ドラコだ。
「あなたの好きって──羊皮紙一枚よりも薄っぺらくて中身がないのよ! あなたが好きなのはつれないリリー・エヴァンズを口説く自分よ!」
リリーは僕にも気付かず、艶やかな髪を振り乱して徹底的にジェームズを糾弾した。
「わたしを想うなら──わたしの言葉を聞いて、わたしのために動くべきよ!!」
──なんて、傲慢だ。父も、母も。
「リリー」
「あ──ああ、ハリー。大丈夫? ほんとうに、なんてひどいことを……。さあ、もう行きましょう。大丈夫、わたしが守るわ」
リリーに杖を優しく取られて、ドラコによってマントをかぶせ直される。ぼんやりする僕をリリーに続いてドラコが引いていく。
父さんたちは──誰もハリー・ポッターを追わなかった。