ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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努力 未来 a beautiful star

 流石のフローラとヘスティアも表情を曇らせた。

 魔法界に暮らしていれば厭でも耳にする名である。

 グルベイグ家の悪名を知らぬ者はいないと断言出来る。

 当然だ。高利貸しを好む市民がいるはずない。

 菫の髪の手入れを終えて、姉妹は悩ましげな声音で言った。

 

「ヘイズル・グルベイグを著名人と呼ぶには分不相応でしょうけれど。よく知られた名前ではあります」

 

「金融家を自称していますけれど、アレの本質は詐欺師ですわ。噂ではグリンゴッツの関与もあるとか」

 

 項垂れたい気持ちを押し堪えダフネも頷く。

 マイダスが家業を継ぐのは確実である。

 そも、魔法界における職業金融家は個人の投資家を除けば、例外なく高利貸しか詐欺師なのである。グルベイグ家は先祖代々の『両方』であった。魔法省の干渉を拒むグリンゴッツ銀行の関与を疑うのも、単なる非難や恨み節とは言い難くある。被害者をいくら積み上げようと然るべき裁きから逃れ続け存続できた理由として、事実上の治外法権を以て魔法界の経済を掌握する小鬼の援助があると考えるのは自然であった。

 本心がどうあれマイダスは菫の言葉を自らの意思として受け入れている。

 驚くべき事であるが、グリーングラス家だけでは不可能な計画に、朧気ながら輪郭が生まれつつあるように錯覚する。

 不鮮明極まりないのに現実だと誤認しそうになる。

 追い詰められた人間の思考ほど手に負えないモノはない。

 絶えず自戒しなくては空想に飲み込まれそうだ。

 ずっと項垂れていた薊が姿勢をそのままに呻いた。

 

「カネを武器にするのは良い。コネの代わりにするには他にねえ。で、そのカネはどこにあるんだ」

 

 理想的な計画案である。

 だが、理想論であり現実から乖離している。

 所詮は女学生五人による()()()だ。

 シリウス・ブラックの逮捕という非現実的な野望を掲げ、失敗した挙げ句に大人へ泣きついたのは一昨年の出来事なのだ。

 たまたま脱獄犯が冤罪であったと暴けたから良かった。

 そうでなければただの愚か者に過ぎない。

 だが菫の言葉が生まれて間もない空想を受肉させていく。

 

「資金は私の口座から。グリンゴッツ銀行に金庫がありますから……教科書と制服代のほかに使う予定のないオカネでしたし」

 

 薊は呻き声をあげながら後頭部を掻き毟った。

 

「グリンゴッツかあ。あそこなあ。うん、父さん働いてんだよなあ」

 

「記憶違いでなければ、アザミのお父様は魔法薬学の専門ではなかった?」

 

「だから顧問としてな。よく知らねえけど、投資部署がどうのこうの言ってたよ」

 

「でしたら、いえ、どうあれ口実がありませんわ。無礼を承知で申し上げると私たちは何の実績もない子供でしかありませんもの」

 

「より()()ある大人を味方として引き込みませんと。そうでなくてはゴブリンを懐柔するどころか、何も始めようがありません」

 

 議題は振り出しに戻る。

 あるいは暗礁に乗り上げる。

 全ての起点となる『中継役』が不在なのだ。

 魔法省にせよ、闇の軍勢にせよ、不死鳥の騎士団にせよ、それらは魔法界に多大なる影響力を有する――権威を承認された者たちによって創設された。対して組織名すら未だ定まらぬこの独自陣営の黒幕は無力な学生なのである。ダフネが指摘した通り『旗印』が必要不可欠であるのだが……そのためには何かしらの起爆剤が必要となる。矢面に立つだけの実績を示すか、あるいは誠心誠意に説き伏せるか。

 ダフネには何の実績もなかった。大冒険など、秘密の部屋の一度きりである。

 フローラとヘスティアに至っては『死喰い人』の肉親という罪業すら背負う。

 

 では薊は?

 

 確かにシリウス・ブラックの無実を証明はした。だが、証拠がない。失われている。

 解へ到達するに必要不可欠となる途中式が抜け落ちていては、実績として誇るに不足である。しかも世間に向けては一連の功績はバスシバ・バブリング教授のモノとして公表されてしまっている。あの女性が世俗の名誉に固執するとは思えないが、やはり交渉材料として持ち出すには手間が多い。

 菫に交渉事を任せるのは論外だった。

 計画性がない。堪え性がない。感情的で、逆恨みもする。それにこの見た目で暴力的な性格でもあるからやはり渉外の窓口へ据えるには不適切だ。

 それにダンブルドアとの関係性も考慮しなくてはならない。

 アルバス・ダンブルドアが理想として思い描く人間像……善良で勇敢、正義心を備えた人物からは程遠い。敵と見做した相手への冷酷さ、不特定多数への無関心、自尊心の高さに起因する暴力性も目に余る。そして何よりもダンブルドアのお気に入りであるハリー・ポッターにとって葵菫は幾度も『敵』として立ちはだかった。

 もしもその菫が魔法界の著名人と接触を図ろうと動き始めれば、間違いなく妨害が入る。

 ダンブルドア自身が差配せずともセブルス・スネイプは嬉々として束縛する口実を捏造し、得意の職権乱用で以て手脚に枷を嵌める。

 では誰が誰に声を掛ければ良いか。

 ダフネの思考は意識の深い領域へ沈んでいく。

 泥濘にも似た温かな海にたゆたい始める。

 急がなくてはならない。時間的猶予は、一ヶ月――どのようにして。

 見知った顔を次々に思い浮かべる。

 

 消灯時間を僅かに過ぎた談話室で、暖炉を照明代わりに、五人は額を突き合わせている。

 

 互いの表情や動作は鮮明に映る。しかし輪郭の外は闇に呑まれ、渾然一体として外界と個人を隔てる境界が溶けていた。薊はぼう、としながら『無』の形をありありと示す暗闇へ目を向けた。熟考の迷路に入り込んだダフネやうつらうつらとしている菫、その左右に寄り添うカラー姉妹へ話し掛ける気にもなれなかった。

 現状、選択肢はダフネの提案が全てだ。

 父に頼るのはどうしても気乗りしなかった。

 根無草を好むのは理解に苦しむ。その稼ぎで学業に甘んじていられるので不平不満を口にするのは筋違いなのだが。どうしても反発心が生じる。

 もし母が生きていてくれればと、つい思ってしまう。

 もしその未来が現実であったなら、父も違う生き方を選ぶだろうか。

 分からない。起こり得ない可能性の世界である。

 貧相な想像力ではとても描き切れない。

 煩悶として自己の『内側』が渦巻き始めた薊の肩を、ダフネが掴む。

 けして強くない握力を振り払えなかった。

 

「お祖父様は」

 

「爺様? ウチの?」

 

 葵家の現当主でありマホウトコロ元校長、孫娘に言わせればどれほどの御利益があるか知らない肩書きである。

 しかしダフネにしてみれば『信頼』は十分に得られる。

 人生初の海外旅行が叶ったのも、そこが大きい。

 

「そうよ。魔法薬の大家なのでしょう」

 

「そうだ。古い薬も多い、市販されてないようなのも」

 

「もし既存の魔法薬では回復させられない症状を、回復とは言わず、安定させられるなら?」

 

「医者じゃねえんだぞウチは。薬屋で、薬草屋だ。それが診察なんて、ヤブ医者だよそんなもん。大切な妹をヤブの実験体にしようってのか」

 

「違う。そうではなくって。まず落ち着いて、順序があるのだから」

 

「お前が落ち着けよ。深呼吸しろ深呼吸」

 

 言われてようやくダフネの目が穏やかになる。

 見開かれた瞳の輝きは、暖炉が原因ではない。

 

「まず……まずは、魔法省の『カネのなる木』は話したと思う」

 

 コーバン・ヤックスリー、ドローレス・アンブリッジ、そしてグリンゴッツ銀行による遺産掠取スキーム。アンブリッジはあくまで戦費調達を御題目として、懐に収めた額は最小に思われる。魔法省はここから殉職した職員遺族への見舞金を捻出していた。

 だが、一般市民への支援は微々たるものであった。

 その反感を利用する者たちの一人がヘイズル・グルベイグ。マイダスの母であり、世に悪名を轟かせる高利貸しだ。

 ここまでで異論反論は無かった。

 

「グルベイグ家にはノウハウがある。先祖代々で蓄積してきた途方もない負債回収業の知識と技術を有してる」

 

「その為に、カンタンケラス・ノット一世から白眼視され『聖なる血族』から除かれたのでしたわね」

 

「高貴なる純血にありながら吸魂鬼の如く無辜を搾取す、悪徳によって栄えたる者と評されましたの」

 

 フローラとヘスティアが注釈を挟む。

 ダフネは頷いて肯定した。これは伝説でなく、事実として記録された情報であった。

 

「グリンゴッツ銀行がもし本当にグルベイグ家と関係しているのなら、次の戦争で『投資』を加速させるチャンスよ」

 

「具体的にどうやるんだ」

 

「……焦らず聞いてアザミ。ビジネスと別に、グリンゴッツの小鬼たちは全く無関係のまま戦争をやり過ごせないハズ。少なくともダンブルドアが勝てば『沈黙』を罪として指弾するでしょう」

 

 魔法省が勝利してもそれは変わらない。結局、ダンブルドアはヴォルデモートの完全な破滅という目標だけを達成するだけで勝利を宣言出来る。二度目の裁判はより苛烈となるだろう。

 

「グリンゴッツは完全な治外法権を認められてる。ダンブルドアはその治外法権に楔を打ち込む事で()()()()と警告を送る。想像でしかないけれど……魔法省にも過去、そういう動きがあった。結局は流れてしまったのだけれど」

 

「つまり『善行』の為の喜捨を迫られていると?」

 

「そう。そこで重要になるのがアザミのお父様が顧問をなさっている『投資プロジェクト』なの」

 

 すうと居住まいを正すダフネ。

 眼差しは硬い。琥珀色の瞳は暖炉の炎を反射するが、何故か光を放たないように感じられた。

 

「グリーングラスと、それにお祖父様の名義にはなってしまうけれど、スミレも投資する。条件として……聖マンゴへの寄付を添えれば、体裁は整えられる。グルベイグ家は貧困層をリスト化してるわ。そこから魔法薬絡みの資産を持っている負債者をピックアップして……そう、銀行に……」

 

 言葉尻が萎み、最後は単語一つ一つを聞き取るのも難しくなる。

 思考を言葉にして伝えるのは意外と難しい。薊も失敗した時の厄介さは身に染みている。

 

「ダフネ以上の案はない。それで決まりだ。父さんにはオレから……爺さんにはスミレが話を通すとして、検閲されたら不味いよなコレ」

 

「ええ。しかし魔法省は近頃、ホグワーツを行き来するフクロウ便の全てに検閲を行おうと画策しているようです」

 

「ポッターの白フクロウも抵抗した際に負傷したとか。アザミ姉様とスミレ姉様も、狙われる可能性がありますわ」

 

「だよなあ。そりゃあそうだよ、父親が大臣に『クソ喰らえ』だもんなあ」

 

 連絡手段にも課題が発生する。

 個人でフクロウを飼育していない生徒用に、学校でもフクロウを提供している。

 ハリーの白フクロウほど目立たないにせよ魔法省の監視は想像出来る。重要情報を外部へ送るのにフクロウは使えない。

 腕組みして仰反る薊は、ふと()()()()()()()()

 

「こんな時間にコソコソコソコソ何を喋くってんの」

 

 寝巻き姿のミリセント・ブルストロードが、堂々たる仁王立ちで薊を見下ろしている。

 菫とカロー姉妹は白々しいほど平然としている。しかしダフネは慌て、暗闇の中へ逃げ込もうと腰を上げた。もちろん鋭い視線に射抜かれて動きを止めざるを得なくなったのだが。

 これでフェイスパックをしているから完全に白面の化け物だった。

 暗闇の中に白塗りの人面が浮かび上がる様が少し滑稽だった。

 年末年始によく見る、志村けんの『バカ殿様』を思い出し菫は思わずニヤついた。 

 

「ダフネ。そりゃあ発破掛けたのは私だけどね。だからって慣れない長演説なんかするもんじゃないわ、アンタ下手過ぎ」

 

「放っておいてミリセント。私は私なりに、考えてやっている事よ」

 

「あらそう? 折角この私が見返りナシの完全な親切心で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を紹介してあげようと思ったのだけど。なあんだ必要ないの、そう――」

 

 じゃあおやすみなさい――そう言いながら暗闇に消えようとするミリセントへ、五人掛かりで必死に縋りつく。

 

 結局、あとあとでパンジーに夜更かしを叱られた。

 

 どうあっても勝てない相手は存在するのだと、ダフネは再認識をする羽目になったのだった。

 

 

 その週の土曜日、薊と菫は校長室へと呼び出しを受けた。

 ダンブルドアは校長のデスク越しに留学生二人を出迎える。

 大きな背もたれの椅子に腰掛け、立派な鷲鼻に小さな眼鏡が乗っている。

 表情はとても穏やかである。微笑みながら「よう来てくれた」と語りかけた。

 壁に飾られた肖像画は留守にしているモノもあれば、あるいは隣同士で雑談に興じたり、勝手気儘にしている。フィニアス・ナイジェラス・ブラックは大きな安楽椅子に腰掛けて寝息を立てている。黒々とした豊かな髪と手入れされた口髭の高貴な印象は、シリウス・ブラックにも遺伝しているように思えた。

 薊はあまり髭面が好きではなかった。

 つい、剃ればいいのにと思ってしまう。

 シリウスもあの御大層な髭を剃ればさぞハンサムだろうに。ジャン・レノやクリント・イーストウッドには譲るだろうが、リュン・ベッソンの『レオン』に登場した悪党、ノーマン・スタンスフィールドに比べればずっと爽やかだ。

 菫はダンブルドアの私物に興味を示さずいる。

 関心の対象はダークブルーのスリーピースを着こなす、ロジャー・ディビースだった。

 学生時代の豊かにカールした髪をワックスで撫でつけ如何にも社会人らしい。

 

「おお、スミレもアザミもよう来てくれたのう。早速じゃが紹介しよう、こちらはディビース秘書室長官殿じゃ」

 

 秘書室長官という仰々しい肩書きにロジャーは照れた。

 

「よしてください校長、僕は秘書室の新入りも新入りですよ僕は」

 

「いやいや。儂の見立てによれば出世は秒読みと出ておる。老人というヤツは知識ばかり蓄えておってのう、これを如何にして思い出すかが近頃は課題になりつつあるのじゃ――奇しくも日刊予言者新聞がご指摘くださっておるように」

 

「あれこそ無礼千万というモノです。魔法省には取り締まる権限がありませんから、野放しにしておく他ないのが口惜しいと先輩方も歯痒んでいますよ」

 

「この老骨に寄せられる期待がある限りは、せめて惚けておらぬフリをせねばなるまい」

 

 老校長と青年官吏は取り留めもない世間話に花を咲かせる。

 意図的な振る舞いなのか、嗜好であるのかは想像の範疇に留まる。

 薊が割って入るように「お久しぶりです」とだけ挨拶を返した。

 無愛想だったが、ロジャーも気に留めずにこやかに応じた。

 

「うん、久しぶりだ。四ヶ月と少しになるね」

 

「もうそんなに経つ、というには少し微妙ですが」

 

「全くだ。それも仕事で舞い戻るとは予想外だった」

 

 寮も異なるうえ三学年の隔たりもある。

 しかしロジャーとは少なからず交流があった。

 

「思い出話はあとの楽しみにしよう。一応、いまは勤務中だから……」

 

「大変そうだな役所の仕事は」

 

「分かるかい? なかなか手紙を書く暇もないよ」

 

「魔法省への就職はやめとくか。身体が持ちそうにねえ」

 

「アザミなら間違いなくエースさ。それではダンブルドア先生、また後ほど伺います」

 

 ダンブルドアはゆったり頷く。

 三人はそれぞれ挨拶をして校長室を辞した。

 連れだって石造りの螺旋階段を降りきる。

 その足で閑散とした廊下を選び、古代ルーン文字学の教室へ向かう。バブリング手製の看板が『在室中』を訪問者に告げている。ロジャーが代表してノックを試みると独りでに扉が開いた。中では赤いワイシャツに赤いスラックスのバブリング教授がテーブルへ食器を並べているところだった。

 真ん中には色々な魚介が押し込まれた大鍋が鎮座している。

 

「ああ、来たかロジャー。すぐにも始められる」

 

「ご無沙汰してました教授。こんなに手の込んだ歓迎まで」

 

「簡単な煮込みだ。気にしなくていい」

 

 しかし、バブリング教授の手料理が仕込みも含め、一品に途方もない時間を要する重労働であるのは食事会の参加者なら皆知っている。簡単と言い表したなら三時間か四時間くらいだろうか……一般家庭なら調理どころか食後の片づけまで終えられる。

 勧められるままに三人は席へ座った。

 バブリング教授も揃うと卒業生の為の、特別な昼食が始まった。

 学生二人には白葡萄のジュースが用意されていた。大人二人は白昼から白ワインとスパークリングを開栓した。。

 豪快に殻つきのまま鍋へ放り込まれた海老を剥きつつロジャーが言う。

 

「報告書はこちらで適当に仕上げます。ホグワーツなら上司(ボス)のサインも得られますし、この方が都合が良いので助かりました」

 

「魔法省というのは随分大雑把だな。よくそれで小鬼相手にやれる」

 

「クレスウェル室長は優秀です。部署は違いますが、あの人から学ぶ事は多い」

 

「ああ。アレか。スラグホーン教授のお気に入りだった」

 

「例の『ナメクジ倶楽部』ですか? スラグホーン教授というのはね、スネイプ教授の前任、先の魔法薬学教授でスリザリンの寮監だった先生だよ。退職されてもう何年も経つ」

 

 ホラス・スラグホーン元教授は長くホグワーツに務めていたが、十数年前に引退し元教え子のスネイプが職務を引き継いだという。ロジャーがホグワーツに入学する数年前の出来事で、スラグ(ナメクジ)爺さんと親しまれた在りし日の姿を知るのはバブリング教授だけだった。

 

「あの教授は()()()()な生徒を囲い込んでいた。生徒は卒業前から『倶楽部』の人脈を伝手として利用し、教授は出世したお気に入りたちからささやかな恩返しを受け取る。私は……あまり気に入られなかったな」

 

「グリンゴッツ銀行と専属契約を結んだ、史上最年少の『呪い破り』なのでしょう? 才能なんて溢れかえっているじゃありませんか」

 

「昔はもっと無口だった。人と話すのが不得手な時期が長すぎた」

 

 スラグホーン氏を喜ばせるような事を言えなかったそうである。

 入学当時、英語は最低限の読み書きしか出来なかったらしい。

 曰く「ロンドン生まれフィレンツェ育ち」なのだと、バブリング教授は明かした。

 

「読み書きに支障はなかったが、どうしても訛りを揶揄かられるのが厭でね」

 

「笑いの種を探すのに余念のない学校ですからねホグワーツは」

 

「開き直れるほどの精神力もなかった。それで口を閉ざすのが楽だった……まあ、それも学生のうちに修正出来たから良かった」

 

 これまで謎めいていた食事会への参加資格が、何となく分かった気がした。気がするというだけで完全に理解出来たのではないが……ともかく教授の学生時代の経験が根幹にある事は確実と思えた。

 ロジャーがバブリング教授のグラスへたっぷりと白ワインを注いだ。

 まだまだカタプラーナは残っている。濃厚な海鮮出汁の香りが漂う。

 

「教授はグリンゴッツの小鬼と十年の付き合いになるのでしたか」

 

「九年だ。今でも古い文献の解読を依頼される程度の付き合いはあるが、どうした」

 

「いえ。魔法法執行部が連絡室と一悶着あったようで。クレスウェル室長がファッジに直談判しかねない所まで発展したんですが、どうも衝突の原因はスクリムジョールではないか、と」

 

「闇祓いが小鬼連絡室にか。そうか。であれば十中八九、グルベイグ絡みだな」

 

 しばらく考えこみ、バブリング教授は白ワインを一息に飲み干した。

 

「例えばの話だが。『古代の財宝』が眠っている遺跡があったとして、その土地を放置しておく人間がいると思うか?」

 

「いない、と思います。自分の土地にすりゃそこで見つかったモンは全部自分のモンに出来ますから……よほど貴重な品ならまた変わるんでしょうけど」

 

「そうだ。大抵の場合、そうした土地は二束三文で買えてしまう。古い時代は聖域として、伝説が忘れられていくにつれ()()だけが残る。魔法族は何かと縁起を気にするから、曰く付きの土地などまず売れやしない」

 

「そういう土地を小鬼の代わりに買い占めていたのがグルベイグさん、という事ですか」

 

「いいや。手つかずの土地であれば魔法省に申請して、グリンゴッツから呪い破りを派遣できる。問題は『先住者』がいた場合だ」

 

 ()()すら忘れられた「何故だか安い土地」へ移住した魔法族がいた場合。こうなると小鬼は交渉を嫌う。グリンゴッツが狙うとなれば相応に価値があると察せられ、元の価格よりも遙かに高値で買い取る羽目になるからだ。

 

「そういうとき、グルベイグが投資を持ちかける。土地を担保にして……だが商売は必ず破綻する。そう仕向ける。そして負債の代わりに土地を取り上げ、それをグリンゴッツに売却する仕組みだ。スクリムジョールが矛先を向けるのも当然だ」

 

「おそらく、闇の魔法使いを抱え込んでいるのを警戒しての判断とは思います。離脱して『例のあの人』に鞍替えされるのは嬉しくない」

 

「だが計画は失敗した。スクリムジョールが頭を下げられるかと言えば、あの御仁には無理だろう。クレスウェルも部下たちの手前、なし崩しとは行くまい。当面グルベイグは安泰という訳だな」

 

「そうなりますか、やはり」

 

「そうとしかなるまい」

 

 ロジャーのグラスも空になっていた。

 バブリング教授は遠慮なくワインを注ぐ。

 それで白ワインは最後の一滴が尽きた。スパークリングも残すところ半分を下回って、一杯ずつ飲めばなくなってしまう程度である。

 すっかり軽くなったボトルを気にして、教授が「あと一本冷やしてあるがどうする?」と尋ねた。

 

「三本目は流石に酔いますよ。このあとボスに会って飲酒がバレたら不味い」

 

「丸々ワイン一本空けてナニ言ってんだよロジャー。バケモンか?」

 

「白ワインならこのくらいはね。流石にシェリー酒はこうはいかないかな」

 

「ならそのボスとやらに土産でくれてやるといい。安物のデイリーワインだ」

 

「ボスはワインすらダメです。アンブリッジが大臣室に移された理由の一つが酒癖でして……『反人狼法』が施工されたのを祝う席でそれはもう酷く酔いつぶれたそうで。ボーンズ部長からの心証が大暴落したせいで、出世コースが変則したんですよ」

 

 だが、現状では却って好都合だろうとロジャーは肯定的である。

 

「魔法省の状況を報せるのに都合がいい。もちろん事前に承諾を戴くつもりですが、事後報告になったって小言程度で済みますよ」

 

「いくらなんでも大雑把過ぎませんか? 情報漏洩ってどこでも問題になっていると思いますけど……流石に楽観的過ぎるような……」

 

「そこが面白くてね。大臣室上級次官秘書長官が直属の上司なんだけれど、その人がバブリング教授とは知り合いなんだ」

 

「知らんな。誰だ」

 

「イリス・マークです」

 

 何気なく返された答えにバブリングが咽せ返る。

 猛烈に咳き込みながらハンカチで口元を覆う。

 事情を知らない薊と菫は驚けばいいやら困惑すればいいやら、反応に困る。混線して奇妙な表情を浮かべる後輩二人にロジャーは微笑みを向けた。

 

「とまあ、このように思い出深い女性でね。だからアンブリッジを利用して教授と連絡を取るくらい……というより長官からそのうち直接手紙が来るかも知れないな。必ず返送用の封筒もつけるから、もし大事な連絡があればそれを使って僕でも長官でも好きな方に寄越してくれ」

 

「ミリセントが言ってた……なんだ、長ったらしくて忘れちまった」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ。まさかロジャーだったんですね」

 

「イイ男か。それは嬉しい褒め言葉だ。冥利に尽きるというヤツだ」

 

 突如として表出した奇妙な人間関係について尋ねようとしたが、相手が一枚上手だった。それまで見向きもしなかった腕時計を検め、わざとらしく「ああ不味い。ボスに連絡していた時間が近いぞ」と大きな声で三文芝居を披露した。グラスになみなみ残った白ワインを派手に呷り、自分の取り皿を手早く胃袋へ押し込める。

 柔和な風貌に反した男子らしい豪快さである。

 咳が落ち着くのを待ってロジャーはバブリングと握手を交わす。

 

「久々に会えてよかった。またホグワーツを訪ねる事があれば事前に連絡しても?」

 

「ああ。うん、構わんよ。休日に来てくれるなら簡単なモノを用意しておく。ただし二度とあの女の名前は出すな。悪夢だアレは」

 

「随分ですね……承知しました。ではまた機会があれば……スミレとアザミも、無理のないようにね」

 

「そっちこそ働き過ぎて倒れるなよ。あと、ミリセントに会わなくていいのか」

 

「この時間なら談話室にいると思います。折角なら挨拶くらいなさっては?」

 

「お気遣いありがとう。けれど大丈夫、上手く手抜き息抜きをするのも仕事の内さ」

 

 全員と別れの握手を終えてロジャーは古代ルーン文字学の教室を辞した。

 その去り際、思い出したように振り返り、

 

「ああ、ミリセントにはちゃんと仕事が終わる時間を伝えてあるから。抜かりない」

 

 と茶目っ気たっぷりにウインクを残していった。

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