ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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なにがし法に触れるくらい

 いくら衣服を着込んでも身震いする寒さがつき纏う。

 大臣室上級次官秘書という大層な肩書きの為にロジャー・ディビースは土曜日になるとロンドンを離れ、遠く離れたホグワーツへ足を運ぶ暮らしを続けていた。シリウス・ブラックの再審問だか再‪々‬審問に証人への任意聴取が必要なのである。

 暖炉が備わった秘書室で書類仕事に忙殺されるよりは楽しい。

 校長室の扉をノックすると「お入り」と懐かしい声があった。

 自然体で「失礼します」と断りつつ、扉を開けて中へ入る。

 円形の部屋は変わりなく様々な品で溢れ返っていた。

 木製のレールを走る魔法仕掛けの汽車の玩具、マグルが読む編み物雑誌、魔法生物や宝石の写真集も数多い。玩具箱のように賑やかな室内でダンブルドアはにこやかに笑んでいる。デスクの傍には不死鳥のフォークスがいて来客を物珍しげに観察する。

 

「お忙しいでしょうに、貴重なお時間をありがとうございます先生」

 

「魔法省の要請とあらばいつ何時であれ、喜んで協力しましょうぞディビース秘書官」

 

「身に余るお言葉です。ただ、出来る事なら内密にお願いします。秘書官長に知れたらどんな顔をするか」

 

 イリス・マーク秘書官長はきっと粘着質な笑みのままだろう。

 表情とて生まれつきの地顔であるし、部下が上げて来たダンブルドアの発言を逐一報告する程、直属の上司に忠誠心を抱いてもいない。アンブリッジの失脚に巻き込まれぬよう布石を打つのが最優先事項となりつつある。職務を半ば放棄して自己保身に走るなど如何なものかと思う反面、ロジャーも似たような状況であった。

 我が身を顧みはしても恥じ入る気持ちは皆無である。

 ロジャー自身も職権乱用を咎められると不味い立場にある。

 こうして談笑している事すら背信行為に等しいのである。

 

 

「バブリング教授は君を大変気に入っておるようじゃのう」

 

 ダンブルドアは完全招待制の『食事会』について言及した。

 

「教授の手料理はそれはそれは見事なモノじゃと聞いておる。儂もフラメル氏がデヴォン州へ移住なさる以前――パリの工房が稼働しておった当時になる――幾度か晩餐に招待いただく機会があったのじゃが、あのとき食べたレアステーキが忘れられんでのう」

 

「本場フランスのステークフリットなんて絶品でしょう。僕も一度食べてみたいとは思っているのですが、なかなかまとまった休みがないものですから。最近はいっそ自分で作ってみるのも悪くない気がしていますよ」

 

「それは良い。手料理は作るのも振る舞うのも存外に心躍るものじゃよ。かく言う儂も昔から焼き菓子に凝っておってのう、とりわけラズベリージャムを使ったヴィクトリアンサンドケーキには一家言ある。これは屋敷しもべ妖精たちさえ知らぬ秘伝中の秘伝じゃ」

 

「先生が焼き菓子を自作していらっしゃるとは知りませんでした。もしかして、三大魔法学校対抗試合の際にも審査委員の方々に振る舞われたのですか?」

 

「なかなかに鋭いのう。じゃが、ここは敢えて語らず秘しておく事にするのが良かろう。想像の翼を羽ばたかせるのも人生をより楽しむ秘訣じゃからのう……あとは、熱いお茶と甘いお菓子があれば尚素晴らしい」

 

 純銀製の眩いカバーを持ち上げると、雪の積もった切り株とよく似たヴィクトリアンスポンジケーキが現れた。真っ赤なラズベリージャムをケーキ生地で挟み込み、上にはたっぷりの粉砂糖が振りかけられている。魔法仕掛けのポットがティーカップへお茶を注ぐ。もうもうと白い湯気がのぼる程度に熱されている。

 

「今日はこの寒さじゃ。魔法省へ戻る前にお茶で温まってはどうかのう、ちょうど焼きたてのケーキもある」

 

「助かりました。実を言うとバブリング教授の手料理を目当てにしていたので昼食を抜いて来たんですよ、そうしたら二日酔いだそうで」

 

「防衛術の教授と『ホッグズヘッド・イン』で酔い潰れるまでシェリー酒を呑まれたようじゃ。ハグリッドがお二人を()()で城まで連れ帰ったと小耳に挟んでおる」

 

 堅苦しいようで少し抜けている恩師につい笑みが浮かんだ。

 ダンブルドアに勧められるがままロジャーは来賓用のソファへ座った。ナイフで切り分けられたケーキとたっぷりの紅茶が目の前に並べられ、ダンブルドアも向かい側へ座る。みっちりとした食感と濃厚なバターの風味にラズベリージャムの酸味がよくあう。火傷するほど熱い紅茶の渋味がケーキを洗い流してくれるのでいくらでもフォークが進む。

 

「美味しいケーキですね。このレシピは世に公開すべきではありませんか?」

 

「そう思うかのう? 実を言うと儂も同意見なのじゃ……隠居したあとで本にしようと考えておる。キャラメルマフィンやバノフィーパイも掲載する予定じゃ」

 

 甘味と紅茶でしばしの歓談を堪能したあと。ヴィクトリアンサンドが跡形もなくなり、紅茶の香りを楽しみつつ、ダンブルドアはようやく本題を切り出した。ロジャーもそのつもりであったから狼狽えるどころか落ち着き払って振る舞えた。

 

「小鬼連絡室長に働きかけた張本人が君じゃったとは思いもせなんだ。ドローレス・アンブリッジの仕業にしては、見返り(キックバック)の気配……不透明な予算の動きがないと不思議に思うておったのじゃよ」

 

「贈賄は世間一般の感覚として好ましくありませんからね。もちろん給与に不服がないではありませんが。だからと言って、職務外の相談であれ金品の授受があっては不要な疑いを持たれてしまいます」

 

「考えたのう。違和感の正体を暴くまでに予想しておったよりも時間を要してしもうた」

 

「如何に失点を回避するかが悩みのタネなんですよ。困った事に、入省して早々から上級次官の秘書官なんて大変な部署へ配属されてしまいましたから。うかうかしている暇がない」

 

 飄々としながらロジャーは紅茶を啜った。

 片端を吊り上げて気障に笑ってもみせる。

 大いなる憂いの表情でダンブルドアは言った。

 

「魔法省は常に人手不足じゃ。主席で監督生ともなれば是が非でも抱えておきたい。上級次官の考えとは異なるようじゃがのう」

 

「大臣閣下は全面的にボスを信頼していらっしゃいますよ? 下級補佐官たちを送ればいいのに懐刀ですからね、よほどダンブルドア先生とハリーを警戒しているのではありませんか」

 

 のらりくらりの逃げ方とは自覚している。だが、軽々しく割れる腹でもない。

 

「クレスウェル氏が魔法省内で()()()()()()()()()()()()()()()人物である事は儂も耳にしておる。その彼が闇祓い局との小競り合いを穏便に決着せず大臣室へ直訴に及ぼうとしたのは……実に不可思議とは思わんかのう」

 

「ルーファス・スクリムジョール局長は剛直な御方です。融通が利かないとも言えますね。御本人も自覚していらっしゃるから影響力を意図的に抑制されています。そういう方が動いたという事は、よほどの事態と推測します」

 

 自らの手札を切る事なく情報を得ようと試みる。

 ダンブルドアの思惑はこの話題の先にある。それを自ら先んじて明かした。

 手品におけるミスディレクション――認識の誘導だ。

 ロジャーは一瞬、誘惑された。この話術に乗せられてもいいのではあるまいか。

 

 だがすぐに冷静さを取り戻す。

 

 自分はまだ勤務時間中なのである。

 

「校長先生の懸念しておいでなのは、クレスウェル室長がマルフォイ氏やヤックスリー氏の影響を受けてグリーングラス氏をグリンゴッツ銀行へ接触させたのでは……そう仰りたいのでしょう」

 

 一分一秒を有意義に使わねば給料泥棒である。

 忠誠心の対象を問われるならそれは個人ではない。

 魔法界の為に尽くす、それが官吏の使命であろう。

 

「少なくともこの件、僕は全体像を知らない。お伝えできる事もない。しかし美味しいヴィクトリアンサンドでした、その返礼として一つだけ――」

 

 己を信じ託された秘密をここで言うべきではない。

 だが、全てを秘匿するのは事実上の敵対に等しい。

 新人風情の独断であるが裁量権なしに現場は成り立たない。

 

「マルフォイ邸でニューイヤーパーティーにはアオイ・シキミ氏も出席されます。これは確実な情報です。情報源については御容赦ください、信頼問題になりますので」

 

「ヴォルデモートは『第三の選択』を許さぬ。彼奴は視界にある全てを平伏させねばおれぬ男じゃ。如何に新陣営を立ち上げたとて、死喰い人は退けられようとヴォルデモートには効かぬ」

 

「ホグワーツを卒業したばかりの青二歳には分かりかねます。政治というのは複雑怪奇だ……先例に倣わなければならず、しかし時に独創性を求められ、法を絶対原則としながら例外にも対処する。おまけに絶対的な規範であるハズの()は様々な情勢と個々人の都合で『真似妖怪』のようにコロコロと姿を変える。この怪物を理解出来る日が来るとはとてもとても」

 

「君の深い洞察力には感嘆の念すら覚えるのうロジャー。ならば、儂からはこの言葉を差し上げるとしようかのう――『眠れるドラゴンを遮るべからず(DRACO DORMIENS NUNQUAM TITILLANDUS)』」

 

 知らぬハズがない。ホグワーツの標語(モットー)である。

 ロジャーの関心は『ドラゴン』が指し示す対象であった。

 

「聖なる二十八の血族たるグリーングラスは当代のゴールドフィンで潰えます。彼は世継ぎを残す事を拒否した……実弟ギャレス・グリーングラスもまた子を求めるべきか苦悩している。彼の一族は純血至上主義との訣別を選んだのです先生」

 

「彼奴の言う純血至上主義は半純血をも許容する。ロジャー、他ならぬ君が知らぬという事はあるまい」

 

 無論、よくよく承知はしている。それは当然だ。

 気掛かりなのはダンブルドアの思惑にある。

 何故そうまでして自分を引き込もうとするのかが読めない。ホグワーツ校長としても不死鳥の騎士団総長としても、あまりに謎めいている。

 理解するしないの次元ではない。

 ダンブルドアが何を求めていようと、それは()()()()()()()()の為に必要であるのだ。

 それはロジャー・ディビースを信じた者たちの願いとは異なる。

 彼女らにはそれぞれの理想があり、ダンブルドアの勝利だけでは実現し得ぬ未来なのだ。

 

「グリーングラスは純血至上主義への協力を辞めたのです。当代のブラックは世継ぎがなく、そのうえ自ら不死鳥の騎士団に参じている。どうあれイギリスの純血至上主義は次の時代を迎えます。『花嫁』が途絶えるのならば『花婿』もまた必要でなくなるでしょう」

 

 イギリスにおける反純血至上主義の根底にあるのは『格差』だ。

 マグル社会からの隠遁を決定する『国際魔法使い機密保持法』により、魔法界の経済は規模を縮小した。マグル社会との接続が齎した安定的な貨幣経済は完全にゴブリンの掌握する所となり、新たに創設された魔法族社会は旧来よりも限られた人口の元に運営されなければならず、これにより経済の発展は停滞を余儀なくされた。

 経済という小さなパイの分配を行ったのが古き純血たちであった。

 かつてマグルの王侯にその権威を保証され、大多数の魔法族には持ち得ぬ『果樹』を有していた。枝になる実は様々である。土地であり、資源であり、あるいは権利そのものであったかも知れぬ。権威の承認者を失った魔法界にあって純血氏族の持つ『特権』は抗い難く、またその恩恵は停滞した経済下ではむしろ奉仕の対価として求める対象ともなる。

 この『特権』を維持してきた者たちが純血至上主義の派閥である。

 差別主義そのものへの反感や当主間の不仲から対立する反純血至上主義派閥は、翻って魔法界に対し経済的恩恵に乏しい。限られたパイを分け合うほかにない者たちにとり庇護者として、利益供給者として、純血の価値は計り知れない。

 だが、ブラック家を主軸として形成されてきた『純血』という大樹は、来るべき新世紀を迎える事なく終焉する。

 

「ブラック家が無くなれば純血もまた無くなる。『花嫁』だけでは子は作れません。グリーングラスという『花婿』が……欧州中の純血によって構築された外来種の供給する『花婿』もまた途絶える。ダンブルドア先生、貴方が追い求めずとも純血至上主義の未来は変わりませんよ」

 

 シリウス・ブラックがアルバス・ダンブルドアの元に参じ、純血至上主義への全面対決に臨んでいる。仮にヴォルデモートが敗れブラック家の存続が為ったとして、その家名はかつての価値を自動的に喪失する。ヴォルデモートの勝利もまた即ちブラック家の滅亡を決定的とする。

 古きゴーントの血脈が途絶えたいまやブラック家のみが純血氏族を維持し得る。

 そのブラック家が純血の破滅を望んだ。古い時代が終わるのだ。

 グリーングラスのみでは……『血の呪い』を宿した花嫁たちによって純血の家系図を維持するならば、イギリスの純血は遠からず滅亡するだろう。

 

「あのミリセントがはじめて僕に『お願い』をしたんです。友達を助けて欲しい、貴方の力を貸して欲しいと言ったんです。ブルストロードがもはや純血でなくなり、ディビースの下に置かれる。僕たちの結婚はそういう契約なんですよ。せめて最後のブルストロードたろうとしている彼女が頭を下げたんです」

 

 旧来の純血氏族たちも逼塞したイギリス魔法界と共に没落しつつある。ブルストロードもまた時代の潮流に抗えず傾き始め、その打開策としてマグル経済の恩恵に預かるディビースとの統合を望んだ。屈辱的な政略結婚を強いられたミリセントが『頼み事』をしたのである。

 ロジャーの価値観でこれを無碍にする真似は不可能だった。

 

 だからこそ、ダンブルドアには別の提案を示して謝意に替えた。

 

「計画の首謀者は申し上げた通りです。いまあの方はロンドンの『漏れ鍋』に滞在しておいでです、手紙を差し上げればいつでもお越しになられるでしょう……魔法界の将来を案じておいでなら『妥協点』を見出す事も一つの策かと、()()()()()()

 

 ただそう感じただけである。

 思考の痕跡は認められない。

 一つの誠意として、自らの心情を打ち明けた。

 寄り添うも寄り添わぬもダンブルドアの自由である。

 もちろん結末がどうあれロジャーはミリセントへの至誠を貫く。そうあるべしと自らを規定し、行動をしている。

 傾けたカップの中身は冷め切って味が鈍っていた。

 

 心地よい渋味がひたすら重苦しく舌を麻痺させる。

 

 長居をし過ぎた、雪が止んでいればと思うが。

 夕方からの天気予報を確かめるのを失念していた。

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