ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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ばら撒く乱心 気づけば放蕩

「火」

 

 紙巻き煙草を咥えながら椿が呟いた。

 菖蒲は懐からジッポーライターを取り出す。

 金属製の蓋が高い音を立てて開いた。吹き抜ける風に小さな炎が揺れる。器用に押し当てられた煙草の先端から煙が上がるのを待って、再び「カチン」という音が鳴った。

 散切りの黒髪を弄ばれるのも構わず椿はもうもうと紫煙を吐き出した。

 透けて見える程に薄い白煙は一際強い風で掻き消された。

 寒々しい風に震えるでもなく姉弟もホームに並ぶ。

 九と四分の三番線でホグワーツ特急を待つ間、二人は手持ち無沙汰だった。それに揃って無口でもあった。周囲の保護者と会話もなくただざわめきの中に揉まれている。

 悲しいかな。異邦人の身でありながら、この国の言葉が分かる。

 周囲を飛び交う会話が意識のフィルターを通過して届く。

 

「……魔法省の言う事を真に受けるのがどうかしている……」

 

「……いまの大臣と来たら、毎年のように不祥事を……」

 

「……ダンブルドアもいい歳だ。衰えたんだよ……」

 

「……いっそ吸魂鬼を城の警備に就けるべきでは……」

 

 全てが全て他愛もない。耳に入れる価値に乏しく、虚しい。

 草臥れたダブルピーコートのポケットを漁り、椿は紙巻き煙草の箱を掴んだ。フィルターだけとなった吸い殻を捨てて靴底で踏み潰す。新しい煙草を咥えたまま使い捨てライターがないか衣服のポケットを探す。個包装のラムネ菓子や映画館の半券、よく分からない紙屑などが出て来た。

 

「ラムネ食う?」

 

「あんのかよ」

 

「出て来た」

 

 二個で一つの包装になった、タブレット型である。

 椿はさっさと片方を口に放り込んでいた。とろりと形が失われブドウ糖の甘さが広がる。

 

「美味えぞ」

 

「俺はいいよ」

 

 父譲りの長身を母譲りの背格好で見上げる。二個目のラムネ・タブレットを噛み砕く。雑音を遮るようになるべく派手に鳴らす。それもすぐに止んでしまった。ラムネはあっという間に無くなった。舌に残るほんのりしたした甘さの名残を味わいながら駅舎の外に広がる夜空を見上げた。

 鉄骨にガラスを嵌め込んだアーチ状の天井があり、黒々とした夜空がその向こう側に広がっている。

 その天井を支える壁は全て煉瓦造りなので奇抜に感じる。

 缶コーヒーが欲しくなる。だがホームには自動販売機がない。

 生まれ育った世界とは異なる法則が生きている。

 魔法界と呼ばれるところは、椿にとって異界だった。常識があまりに隔絶している。

 我が身の無力さから目を逸らすように呟きが溢れた。

 

「コーヒー欲しいな」

 

「紅茶じゃねえのか」

 

 意外そうな顔で菖蒲は振り返った。

 気難しかろうと、末っ子らしい朴訥とした所がある。

 自分や姉達には備わっていない気質だ。

 苛立たしく感じると同時に羨ましくもある。おそらく不快感の源泉は嫉妬なのだろう。未だ諦めきれない未練がましさに思わず苦笑する。

 

「ココアでも良い」

 

「俺チャイが良いなあ」

 

「なんじゃそら」

 

 そう言って冷笑を浮かべた。興味があるのか無いのか、曖昧な薄笑いだった。

 思考を鈍らせたい。それには煙草しかない。

 

「悪い火ィくれ」

 

「またかよ」

 

 愚痴と共に差し出されたライターの火で二本目の先端を炙る。

 肺から血管へ吸収されるニコチンの作用が、ゆっくりと頭の中に靄を広げてくれる。心地よい酩酊感を味わいながら口寂しさに襲われていた。

 

「グミか何かねえの」

 

「晩飯前だろ」

 

「いいじゃん」

 

「食細い癖しやがって」

 

 期待半分で尋ねた所、呆れ口調で嗜められた。

 事実なので何一つとして言い返せない。腹いせに肩をぶつけた。

 身長差のせいで上腕にしか届かなかった。

 

「キレんなよいい歳して」

 

「まだ三十六だぞ」

 

「中年じゃねえか」

 

「オメーだって中年だろ」

 

「だからトシ考えろってんだ」

 

「わーってるよ」

 

 言われると不意に思い出してしまう。椿も菫も十七歳になった。気づけばあっと言う間だし、自分はもうそんな年齢なのかとも驚かされる。二十代どころか十代の、セーラー服で学校に通っていた当時のまま月日だけが過ぎ去ってしまったように感じる。大人になるのはずっと先の事だと考えていたが……自分はいつ大人になったのか、まるで実感がない。

 周りばかりが老いている気がしてならない。

 腕時計を見るのも億劫だった。しかし現実逃避にはそれしかない。藁にも縋る思いで左手首に巻かれたそれを確かめる。デジタル表示のおかげでホグワーツ特急の到着が近いと理解出来たのが不幸中の幸いだ。

 

「晩飯どうすんの」

 

「近くの中華屋」

 

「炒飯は」

 

「桃饅頭もある」

 

 下調べを済ませているようだ。

 安堵した椿はゆったりと煙草を吐く。それきり会話は途絶える。

 話題の尽きぬ様子でいつまでも周囲はざわめく。

 いくら揺らごうと世相に影響するとは思えない。個々人が脅威の前に無力でないと言うのなら自分もそうであるはずなのだ。

 この現実を受け入れて良いのか椿自身すら判断が出来なかった。

 羨ましい。こうして目の届かない、雲の上の出来事にまで気を配る程、心に余裕があるのが妬ましい。

 気づけば二本目の煙草もフィルターだけを残していた。

 三本目に手を出すか、逡巡が始まる。

 箱を取ろうにも指先の震えが邪魔をする。

 カサカサと乾いた音が夜風に掻き消される。

 耐えきれなくなり菖蒲の袖を引こうとしたとき。保護者の誰かが「もう来るぞ」と喜びの声を挙げた。目を凝らせば遠くに小さな灯りが見える。それは徐々に徐々に、待ち構えているうち大きくなっていく。濃霧の向こうから力強い振動が伝わってくる……もうもうと白い蒸気を吐きながら鋼鉄の獣にも似た真紅の蒸気機関車がホームへ駆け込む。完全に停車するのを待って整然として列なる客車が開く。

 扉から降りてくる乗客たちはみな生徒である。

 厳寒に備えた厚着姿で、頬と耳を赤くしている。

 菫だけはどこまでも真っ白な肌で軽々とキャリーケースを運んでいた。

 その後ろから仏頂面の薊が続き、親しくしている友人たちの姿もある。

 不機嫌な従姉を宥めるような微笑みが間もなく驚きへ変わった。思い出したように咥えっぱなしの吸い殻をぽとりと足下へ転がしておく。薊すらも父親のみならず椿までいる状況を飲み込めず眉間のシワを失念していた。

 

「お、お母さん、どうしたの……? イギリスまで……」

 

「折角だから来ちゃった。長旅お疲れ、菫。薊も座りっぱなしで疲れたろ」

 

「疲れたってか、来てるなら教えて下さいよ。何にも手土産がない……」

 

「そんな気遣いしなくっていいさ。友達に挨拶済ませたら外に行こう」

 

 ダフネとミリセントは椿と面識があった。菖蒲は娘の友人相手にぎこちなく笑った。

 

「そこの跳ね返りの父親で……菖蒲と……」

 

「何を緊張してんだか。見合いでもしてんじゃねえぞ」

 

「見合いって椿さん」

 

 言葉選びの粗雑さに薊がつい声を挙げた。女学生に不慣れなあまり父親は緊張している。対して伯母は待ち草臥れ、外面を取り繕うのを失念している。菫は呆然のあまり言葉が出ず、カロー姉妹を紹介できる状態にない。またも自分が仲介しないとけないのかと思うとつい溜息が出る。

 

「ダフネとミリセントは去年ウチに来たから知ってるとして。そっちの双子がフローラ・カローとヘスティア・カロー、自分たちの一学年下」

 

 ケープコートの上からローブを羽織ったカロー姉妹が一礼する。

 如何にもお嬢様らしく優雅で、そこはかとなく愛嬌も漂う。

 

「御紹介に預かりました、フローラ・カローです。スミレ姉様には入学以来万事に宜しくご寛恕を賜っております」

 

「姉妹のヘスティア・カローです。アザミ姉様より日々勉学のみならず品行に於いても遍く領導を賜っております」

 

「……別に大した事は何にもしてないです。放課後や休日たまに喋ったりするくらいで……オレそんなに行儀良くしてないし」

 

()()()()()()()()いいんじゃねえの喧嘩くらい。四六時中ツラ付き合わせてるんだし、殴り合いぐらいフツーだよフツー」

 

 学生時代の失態を挙げられて菖蒲は沈黙した。独特な――良家の令嬢たちにとっては未知なる価値観を突きつけられた形だが、こと社交の場における振る舞い方は椿以上によく心得ていた。内心の驚きが薄かった事もあり、表情を保つ労力は微々たるものであった。

 立ち話に花を咲かせるにはホームはあまりに混雑していた。

 二人と四人は互いに「メリークリスマス」の挨拶をしてそれぞれ別れた。長身の菖蒲が先頭に立って人混みを押し除ける。その後ろを女性三人が追い掛ける。例の柱を通り抜けてキングズクロス駅九番線ホームと十番線ホームの間に出ると、やはり親子連れが目立った。菫は周囲に無頓着だったが、薊は行き交う駅利用者の中に魔法省の人間がいやしないかと気になり、しきりに左右へ目を走らせていた。

 そうでなくとも大臣は正気を失っている。薊はファッジをそう評していたから、尚更に不安であった。

 しかし父親はまるで構う事なく足早である。

 全員が早足なので不平不満は出なかった。駅舎の外は寒々として、強い風が吹きつける。ロンドンの街並みはどこを見ても褐色の煉瓦を積み上げたアパートメントばかりで、薊の目にはごく短調なモノに映る。

 菖蒲が立ち止まったのは黒く艶めく高級車の前だった。

 

「おい、中華じゃねえのかよ」

 

「んなわけあるか。良いから乗れ」

 

「乗れってコレどこ行くんだよ」

 

「中で話す。さっさとしてくれ寒い」

 

 震えながら助手席へ駆け込んだ菖蒲に椿も折れた。菫と薊を暖房の効いた車内へ乗せ、最後に椿が揃うと扉は一人でに閉まる。運転手が振り返ると薊と菫が飛び上がった。

 

「行き先はどちらへ」

 

「予定通りに。道は任せる」

 

 菖蒲の言葉通りに貸し切りタクシーが走り出す。

 運転手の男は遠慮なくアクセルを踏み抜く。爆発的な加速と共に五人を乗せたタクシーはロンドンの街へ飛び出して行った。

 

 

 午後八時を過ぎて尚、周囲は談笑の声で賑わっていた。

 ガラス張りの天井から降り注ぐ夜空の暗さが陰影を与え、異国情緒豊かなひとときを演出する。日中であれば白亜の内装と椰子の木とが常夏のコテージにも近しい開放感を体験させてくれるだろう。

 ラウンジは一階から天井まで貫くアトリウム構造となっている。

 全てが人工的にも関わらず自然を感じさせる、奇妙な空間である。

 降り注ぐ夏の日差しへの憧れがあるように思う。そうでなければ植物園のような設計を敢えて採用するだろうか。

 フラー・デラクールに英国人の感性と振る舞いは理解し難く映る。

 海峡を隔てるばかりの隣人たちだが、奇異なばかりだ。

 洗練とは対極の存在である。視野が狭く衝動的。共感性も低い。躾けをされていない野良犬を連想した経験は一度や二度ではない。バーティミウス・クラウチはさておき……ルードヴィッチ・バグマンのような人物を責任者に据えて三大魔法学校対抗試合を開催したのも、思慮の欠如と罵って良いだろう。

 何より度し難い点はスキャンダルへの寛容さにある。

 誤報も風評も自由自在の()()()()()()を体現したリータ・スキーターが、目の前で滝のような汗を流している。

 やや遅れて現れた葵樒はニコニコと笑みを浮かべながらゴシップ・ライターの名を読んだ。

 

「スキーター女史! そこにいるのはスキーター女史ではないか!」

 

 破顔する老翁がどっかりとスツールへ腰掛ける。そんな振る舞いにリータは歯軋り混じりの声で抗議した。

 

「よくも大声で名前を……! バレちまうじゃないか……!」

 

「心配せんでもバレとるよ。魔法省だってバカじゃあるまい、鼻先で()が飛んでおれば厭でも気づくわな。連中が動けば『不死鳥の騎士団』とて動くだろうよ」

 

 汗の止らぬリータの様子をニヤニヤと笑みながら面白がった。

 

「ロクな杖がないのでは稼ぎも得られんか。オリバンダー殿の技術力を考えればアレでも安すぎるのだがな、しかし額そのものは驚くべきモノがある」

 

 節張った指を飾る贋作(イミテーション)の宝石は一つもない。鮮やかなブロンドヘアも手入れ不足から枝毛が目立つうえ、整髪料も僅かなせいか安物であるのかほとんど寝癖同然である。コガネムシ色のスーツと角張ったフェイスラインだけが辛うじて昨年の面影を残すばかりだ。現状を端的に表すならば『落ちぶれた』と評すべきであろう。

 護身の手段が心許ない為に警戒心で精神を磨り減らしている。

 誹謗中傷と悪意ある暴露記事ばかりを執筆してきた報いだ。フラーの胸中には微塵の哀れみも湧かず、樒の慰めるような口調には反感すら抱いた。

 公然と菫を侮辱したこの女と相容れる事は未来永劫あるまい。

 そう思えばリータ・スキーターを呼び出した真意も謎めいている。

 

「儂としては女史の取材力と執筆能力を()()()()()()使()()選択肢を提示したい。無論、断ってくれても構わん。選ぶのはそちらの自由だ」

 

「……大臣の錯乱ぶりでも書けってのかい。それこそ命懸けじゃあないか、死んでも御免だね。アズカバン送りになるくらいなら毒を盛られる方がマシさ」

 

「いやいや、そんな記事をいくら売ったって誰も買わんだろう。みな読み飽きとるぞ」

 

 日刊予言者新聞による魔法省と大臣への誹謗中傷記事を率先して売り込んだのもリータ・スキーターであった。ミリセント・バグノールドの後任となったコーネリウス・ファッジを就任以来、十数年間に渡り攻撃し続けてきたのである。魔法省におけるあらゆる不祥事を槍玉に挙げてその責任を指摘してきた。

 読者の反応が鈍くなり、リータが大臣批判を書かなくなった後も方針は継続された。

 そして今、魔法省は日刊預言者新聞の統制に乗り出した。

 大臣への批判は許されない。大罪と化したのである。

 それをやれと言うのはアズカバンへ入るよう命じるのに等しい。

 リータの言葉にも樒はニヤニヤと悪戯好きな笑みで応じる。

 

「いや何、広報をやって欲しいのだ。無論必要なモノは全てこちらで用意しようじゃないか。これから誰を貶すでもない、純然たる社会貢献の記事を書いて欲しいのだが……どうかね」

 

 ペンと羊皮紙による宣伝をやれと言う。

 取材対象は自ずと限定される。自由な記事は書けない。

 過去の放埒さを振り切れず、リータは即答を躊躇った。

 提案者の意図を探ろうと切れ長の黒い目を睨む。その奥底はただ黒い。

 

「魔法薬のコマーシャルでもやろうって?」

 

「そうさな。まあ、コマーシャルと言やその通りだな。しかし一瓶いくらの魔法薬がこの特価、などとつまらんネタではないぞ。クライアントはグリンゴッツ銀行だ」

 

 打ち合わせ通り、フラーはハンドバッグから封筒を取り出す。

 グリンゴッツ銀行の刻印が目を引く封蝋で留められている。

 テーブルへ置かれたそれをリータが奪い取るように掴んだ。

 

「ここでは開いてくれるな? 監視の目がある事、忠告したばかりだからな。少なくとも給料と別に衣食住は保証しよう。それに()()()()もだ」

 

 身の安全――

 

 願っても無い言葉に表情が硬直する。

 白い老翁の笑顔は見透かすようだった。

 

「イギリスで最も安全な空間も提供する。しかし即答できるような事柄でもあるまいしな、これだけ監視の目がある場で全て話してしまってはつまらん。今日のところは適当な宿で休まれるがよかろう」

 

 痩せた手で樒はコンシェルジュへ合図を送る。手筈通りに金属製のアタッシュケースが運ばれる。テーブルに置かれたそれを示しながら、樒は「護身用品だ。そちらも差し上げよう」と言い、ゆっくりと立ち上がった。

 

「そろそろ迎えが来る。女史も、一晩と言わず三日三晩考えてくだすって結構だ。よければそこまで送るが、一人で構わなかったかな」

 

「宿って、ここがそうだろうに。何をボケた事を」

 

「んなカネあるかい。バカ言わんでくれ、儂のどこが富豪に見えるんだ」

 

 惚けるどころか本気で呆れたように樒は口を曲げた。

 その表情は薊に瓜二つで、血筋を感じさせる。

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