試験最終日。
もし自分が犯人ならやはり今日決行するだろう。
ハーマイオニーの予想を信じて、夜中に寝室を抜け出す。
談話室には寝間着姿のパンジーがいた。
可愛らしいフリルつきのパジャマは、華奢な彼女によく似合っている。
暖炉の前に座りじっと考え込んでいる。
足音に気づいて振り返った。私を見て、ようやく察したようだ。
「スミレ、あんたやっぱり……」
いざ知られてしまうと妙に恥ずかしい。
少し俯いて「お恥ずかしながら」と答えた。
表情を見るのは、私には怖くて出来ない。警戒した声がすべてを物語っている。
「これからどうするの?」
「『賢者の石』を見に行きます」
「そうじゃない。私を襲うのかって聞いてるの」
なにをおかしな事を……。
確かにパンジーはあまり勉強が得意なタイプではない。しかしこれはちょっと……。
クィレル教授やケトルバーン教授が聞いたら泣いてしまう。
私も呆れた顔をしてしまうほど酷い発言だ。
「私もパンジーも女ですよ。女性の吸血鬼が対象にするのは男の血です」
「あれ? そうだっけ……うーん?」
「しっかりしてください。クィレル教授が必死に教えてくださったのに」
どうしてこう、パンジーと授業の話をするといつも締まらないんだろう。
ミリセントも大概だけど今回のミスは深刻だ。
私が教授だったならその発言だけでスリザリンから20点は減点している。
パンジーは必死に思い出そうとしているが難しそうだ。待っているだけで夜が明ける。
「でも血、飲まなきゃ大変じゃないの?」
「お腹は空いてます。でもいいんです、用が済んだら薬を飲むので」
「ふうん。そう、ならアタシもついて行く」
「ダメです。フィルチさんに見つかったらどうするんですか」
「隠れたらなんとかなる。ミセス・ノリスなら蹴っ飛ばしてやりましょうよ」
「それもダメですって……可哀想ですよ」
むしろ蹴っ飛ばしたい風に聞こえる。声が弾んでいますよパンジー。
……どれだけあの管理人さんとペットの猫は嫌われているんだろう。
校則違反しなければ、廊下ですれ違ったとき挨拶するくらいしか話す機会もないのに。
「ベッドに戻ってください。ちゃんと寝ないと……」
「もう授業もないでしょうがおバカ」
「そうでした……」
今日は試験最終日だった。
パンジーは頑として道を譲らない。こうなったら私の負けだ。
「アンタが戻るまで動かない」
「分かりました。じゃあ一緒に行きましょう」
――その代わり、少し血をもらいますよ。
嫌だったけれど、私も切羽詰まっている。
これで引き下がってくれるだろう。
だって吸血鬼に血を吸われるなんて、誰だって嫌だから。
なのにパンジーはいきなりパジャマのボタンを上数個だけ外し、首筋を露わにした。
吸えと。顔を上げると、真っ直ぐに私を見つめている。
「フィルチに捕まったあとで『お腹が空いてたから』なんて聞きたくないの。あのグレンジャーに一泡吹かせられるなら、ちょっとなんて言わず好きなだけ飲んでいいわ」
覚悟を決めるのは私の方。
少し痛いかもしれませんよ、と最後に一言。
このくらいで怖がるならとっくに寝室へ戻ってる。
腕を回り込ませて軽く抱き寄せる。ちょうどいい高さに真っ白なうなじが来た。
体温が冷たくなった私には、パンジーの身体は火傷しそうなほど熱い。この内には、真っ赤な血が脈々と流れている。けれど肌は透き通って白い。見蕩れるほどに柔らかい肌が、無防備に私の牙を待っていた。
「早くしなさいよ。アイツらのほうがあの廊下に近いのよ?」
「……いただきます」
こうするしか、私には出来ない。
今私の感じている香りがボディソープなのかシャンプーなのか、それともパンジー自身のものなのか。
判別出来ないまま、さらに顔を近づける。
†
ずっと考えていた。クィレル教授の隠し事とはなにか。
何故、口にすれば呪われるユニコーンの血をわざわざ求めたのか。
何故、数々の危険と不完全な不死しか得られないのに『賢者の石』を求めたのか。
もっとも欲しい情報……ヴォルデモートの生死は謎のまま。
マグル出身で学年最高の頭脳を持つハーマイオニーから得られなければ、他の生徒には期待できそうにない。まして私は嫌われ者のスリザリン、数少ない情報源が彼女しかいないのでこの情報は諦めざるを得なかったが。
しかし確かなことがある。
ヴォルデモートは姿を消した。すっかり見かけなくなったのだ。
11年前のあの日以降、誰も『闇の帝王』の死体を見ていない。
けれど姿を消してしまったから倒れたと。配下の『
そうしてハリー・ポッターの名は伝説となる。
生き残った男の子は死後も永遠に英雄として語り継がれる存在となった。
そのハリーはもうすぐ死ぬ。
ハリー・ポッターが生き残ったように、ヴォルデモートもまた生き延びていたから。
この結果は偶然の産物か、はたまた事前の準備が功を奏したのか。
いずれにせよ、私はまだ希望を失っていない。この学校にいる目的を見つけた。
「小娘……貴様、なぜここにいる」
そして私の予想は正しかった。
クィリナス・クィレル教授は『賢者の石』を探している。グリンゴッツに押し入り、学校にトロールを侵入させ、ハリーの箒を呪ってまで石を盗もうとしているのは彼だった。
ではスネイプ教授はやはり校長の側ということだ。ただし、ハリーの側かは微妙だが。
どもりも震えもない、冷静で低鋭い声の教授がこちらを向く。
あのピーブス以上に不愉快極まる鏡を背にして、しゃんと立っている。
先生からの質問に嘘偽りなく答えた。授業と同じく。真面目に。
「どちらが犯人か確かめようと」
ターバンをほどいた教授は肩を振るわせて笑い始める。
ウフフと弱気なものではなく、勝ち誇っているのが嫌でも分かる。
「好奇心で! たかが好奇心であの罠をくぐり抜けたのか!!」
ぜんぶ吸血鬼の力でごり押したことは黙っておこう。
仕方がないから嫌々でやっただけだ。出来ることなら、頼りたくはなかった。
どうやらクィレル教授は興奮しすぎて気づいていないようだし。
「馬鹿者め……小娘1人に乗り越えられるものか……」
鏡に映った青白い蛇のような顔が喋った。声は今にも死にそうである。
あちらの顔はやはりお見通しだった。
叱られた教授は「なんと、ではヤツは今まさに吸血鬼なのですか」と驚いている。
それが一人芝居か二重人格のようでコミカルだ。つい口元が緩む。
鋭くなった犬歯がにょっきりと上唇から顔を見せているだろう。それだけで答えになる。
教授は杖を手にして一歩踏み出した。
顔から笑顔は消えていた。
「この場を見てしまったからには生かしておけない。お分かりだろうアオイくん」
「その前に教えて欲しいことがあります」
「時間稼ぎかね? まあ構わん、どのみち血を吸えぬ吸血鬼など取るに足りん」
「ヴォルデモート卿を復活させてどうするんですか?」
血を吸えないのではなく吸わないんだ。
私は怪物になったつもりはない、ちゃんと人間に戻るためにこの学校へ通うと決めた。
用が済めばこの忌々しい杖も制服もみんな焼き捨てて家に帰る。
ただ、それは心の内に秘めたまま教授の爆笑を聞く。
身体をくの字に折ってゲラゲラとお腹を抱えている。
「主の復活を望まぬ僕がいるか!? お勉強はできても常識は持ち合わせていないなァ!!」
「そうですね。ではあなた、復活してどうするんですか?」
喋るのも一苦労。一言一言で寿命が削れているようだったが、石があれば問題ないだろう。
「わしは再びこの世界を、あるべき姿へ戻す……魔法は純血にのみ……」
あの喋る後頭部はまだ初心を失っていないらしい。
初心に囚われている風でもない。ちゃんと意思疎通出来ている。
私が知る限り幽霊と言うのは生前の記憶も人格もほとんど失い、残滓だけでこの世にしがみついているものだった。イギリスではどうもその辺の勝手が違う。我が強いのかなんなのか、彼らはみなボケていない。
それならば……賭けてみる価値はある。
「なら、それを見せてください」
「ほう……」
教授から私のことは聞いているはずだ。
呪われた街で吸血鬼に襲われ、血に飢えるようになった日本人。
人間の血を残しながら人間の生き血を欲する、病める血の少女だと。
ヴォルデモート卿の笑い声は咳かなにかと大差ない。相当弱っている。
だが意思はしっかりしているなら大丈夫だ。
「我が君、如何なさいますか」
床に転がったハリー・ポッターと私を交互に見比べて、クィレル教授は迷っている。
石か目撃者か。どちらを優先するか判断を主君の仰いだ。
パンジーを連れて来なくてよかった。もしこの場にいたらどうなっていたか。
ヴォルデモート卿は純血の魔法使いに寛大だ。
けど本体は……クィレル教授は慎重だ。臆病だから目撃者を消したがる。
「娘は捨て置け……石を奪うのだ……」
教授は杖をしまってハリーへ近づいた。
頭を打っても血は流れていない。眼鏡は割れているが、それは魔法で直せる。
可哀相に。だが親に会えるなら、そう悪くもないだろう。
苦痛を感じることもなく死ねて、あちらで再会できるなら、その2点だけは幸せだと思う。
少し離れた位置で様子を見守っていると、悲鳴が挙がった。
驚いてひっくり返った私の目に、皮膚の焼けただれた教授の右手が飛び込んだ。
「わ、我が君! 手が焼ける!! これでは触れられません!!」
……これが、赤ん坊を帝王から生き延びさせたカラクリなのか。
害意をもって触れると傷を与える、そういう呪いの一種。
泣き叫ぶ教授に後頭部から激怒の声が飛ぶ。
「杖を使え愚か者め! 小娘、貴様もだ!」
「そんな……私じゃとても無理です……」
馬鹿を言うなと叫びたい。
仮にも『闇の魔術に対する防衛術』の教授と、魔法を学び初めて1年目のひよっこ。
吸血鬼化して使える魔法が増えたからどうした。あんな呪い、私だって見たことがない。
知識そのものは変化していないのに。
教授はついに『死の呪い』を放とうと杖を構える。
だが、それも失敗に終わった。
突然意識を取り戻したハリーが教授の顔と右腕を掴んだ。
顔を焼かれる激痛で呪文どころではない。後頭部のヴォルデモート卿も絶叫している。
全身がズブズブとただれ始めた教授は悲鳴をあげた。
右腕がもげた時点でハリーはまた気絶し、こちらに気づいた様子もない。
だが闇の帝王も敗北した。
部屋中に木霊する二重の断末魔。
クィレル教授の身体は跡形もなく崩れ落ち、依り代を失った霊体は泣き叫ぶように声にならない声を放ちながら逃げ出した。
どす黒い煙が私の目の前で真っ直ぐに部屋の外へ消え、残ったのは惨めな吸血鬼だけ。
腰が抜けて立ち上がれず、這ってハリーへ近寄る。
息はしているし怪我もない。
本当に失神している。でも何故、一度復活できたのか……。
「なんなんでしょうね、あなたは」
ぽつりと呟く。
彼は英雄になった。だが、それは間違いのようだ。
ハリー・ポッターは英雄になる。
闇の帝王を本当に倒せるのは、この痩せた男の子だけ。そんな根拠のない確信があった。
――カラン
「?」
乾いた音に周囲を見渡す。
他に誰かいたのかと思ったが、違う。部屋の中には私だけだ。
なんだったんだと思いながらハリーの方を見ると、落ちていた。
ズボンのポケットにあった『賢者の石』が床に落ちた音だった。
赤くきらめく小さな鉱石、これが不老不死の源か。
なんとなく拾ってみたが、ありがたみはない。
これは金属を純金に変える力もある。では私の病んだ血も癒やしてくれるのだろうか。
そうであれば、この学校に留まる理由もない。
夏休みになればまたみんなには会えるんだから……手紙のやり取りだって出来る。
物は試しに使ってみたくなった。
しかしどう使えばいいのか分からず眺めているばかり。
錬金術の書籍を読めば良かった。勉強不足がこんなところで裏目に出るとは。
ハーマイオニーを少しは見習うべきだった。
「飲み込めばいいか……」
赤いし、そこまで酷い味じゃないはずだ。
やってやるかと口を大きく開く。
「これこれ、それを食べてもなんの足しにもならんよスミレや」
……ダンブルドア。
この人は苦手だ。前の『みぞの鏡』といい、来て欲しくないタイミングで現れる。
「それは友人からの預かり物でのう。そろそろ返そうと思っておったのじゃ。何者かが石を狙っているから安全な場所に隠してくれと頼まれておったのじゃが……やはりホグワーツより安全なところはないのう」
「……私は、なにもしていません。ただ見ていただけです」
隠しても意味がない。
彼には人の心が読める。
だから、最後の力を振り絞って心を閉ざす。
見せてたまるか。
私の心を、この学校を愛している人間に。
理解できるはずもないこの苦しみを、勝手に分かち合おうとなんてさせない。
「勇気にも色々あるのじゃよ。恐怖に立ち向かう勇気もあれば、正義を信じて友に立ち向かう勇気もある。そして誘惑を退ける勇気ものう……君もまた素晴らしい勇気を見せてくれた。それこそが勝利へとつながったのじゃ」
まだ隠しきれなかったのか。それともただ推理しただけなのか。
判断のしようもなく、確かなのは、この石を諦めるしかない現実。
今回は仕方がない……。
石を渡そうと思ったところで限界だった。
吸血鬼が貧血なんて間抜けだなあ。
暗い底へ意識が沈む直前、あの鏡が見せた光景を思い出した。
†
スミレ、vsクィレル&ヴォルデモート戦なにもせず。
スネイプの薬を飲まずわざと吸血鬼化してみたもののようガス欠で最後はダウン。
身体が治ることなく次回で『賢者の石』編が終わります。