ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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この世に生まれた 君が悪い

 板張りの床も漆喰剥き出しの壁も変色している。『漏れ鍋』の客間は経年による劣化そのままの状態だった。

 案内されて薊は真っ先にフラーと菫を心配した。スリザリンの寝室は薄暗い色調だが年季を感じさせない。ボーバトン校の学生寮もあの制服や生徒の雰囲気からして骨董品のような有り様ではあるまい。その二人が反発すると思ったのだ。

 手荷物を天蓋つきベッドの足元へ置く。流石に四人部屋とあって広々としているが、同時に四人分の旅行鞄が室内スペースを占有する。実際に使える空間は体感よりも狭い。外套を背の高いハンガーラックへ片付けてしまうとやっと冬休みの実感が追いついて来た。

 暖炉のそばに置かれた安楽椅子に座り「ふう」と一息つく。

 結局、夕食は『漏れ鍋』の一階にあるパブで済ませる事になった。塩漬け豚のローストに玉ねぎのスープでパンを詰め込んだ。質素なモノだ。華やかさから掛け離れた最低限の食事である。父親の行きつけというのが屋台でなければ遅い夕食であれまた違ったのだろう。

 常識人ぶっているが根本がズレているのは誤魔化せない。

 それに比べれば、非常識である事を隠さない方がまだ可愛げがある。

 純白のファーコートを脱いだフラーが菫の髪を撫でた。

 柔らかな手つきを堪能するように菫も目を細める。

 気不味いのはむしろ自分の方だった。目の遣り場に困る。

 ホグワーツ特急の客室に長々と押し込められ、頭の痛くなるようなダフネの惚気話に付き合わされた後でこれだ。

 半日間、よく舌打ちを我慢したと思う。

 自動販売機で買ったセブンアップ缶のプルタブを開ける。レモンとライムの仄かに甘酸っぱい微炭酸を流し込む。

 疲れたときに飲む炭酸飲料ほど美味しいモノはない。

 小遣いはあるのだからペプシ・コーラも買っておけば良かった。寝起きに飲むなら強炭酸に限る。今から最寄りの自動販売機まで行くのは億劫だった。

 大人しく自分のベッドへ移り、靴紐を解く。ブーツを脱ぎ捨てて仰向けに寝そべる。黒っぽく変色した天蓋が視界を埋め尽くす。どろりとした睡魔に誘われるがまま目を閉じる。質量を有さないにも関わらず、薊の意識は重力に従って急降下していく。深海の底へ引き摺り込まれるような感覚を最後に眠りへ就く。

 菫の瞼も重々しくなりつつある。不意に漏れた欠伸を隠そうと小さな両手で口元を覆った。恥ずかしさのあまり目線が泳ぐ。

 

「ゆっくり休みましょう。明日はゆっくり支度すれば良いわ」

 

 眠気が滑舌を鈍らせる。辛うじて「はい」と聞き取れたが、そのあとは全く不明瞭だった。額に唇を触れさせると緩みきった表情が僅かに微笑んだ。どことなく猫を彷彿とさせる顔だった。とろんと蕩けたまま菫は枕へ頭を投げ出した。小さな振動にあわせてフラーも身体を倒す。向かい合ったまま、柔らかな掛け布団に包まれながら二人は静かに眠った。

 客室が寝静まり、照明ランプの蝋燭が消える。

 

 

 翌朝。目覚まし時計を掛け忘れた薊は正午過ぎに目覚めた。一日の予定が完全に崩壊してクリスマス休暇の幕が明けたのである。大慌てで身支度を整え、林檎を一玉胃袋に詰め込み朝食と昼食を片手間に済ませる。あとは午後六時まで課題に取り組むため、ガランとした一階の食堂に陣取って参考書と羊皮紙のメモを広げた。黙々と羽ペンを走らせて変身術の基礎理論に関する記述を書き進める。

 箒と塵取りが床を掃く音だけが聞こえる。

 人の気配がしない分、ホグワーツの大広間より快適だった。

 図書館に通い詰めて情報を収集した甲斐がある。現在のペースなら夕食前には最低限の記述量を確保出来る。寝坊で朝の数時間を失いはしたが、当日中にリカバリー出来る範囲に留まったのは幸いだ。

 羽ペンの先端が羊皮紙を擦る。筆圧の強い薊である。木製のテーブルが低く唸る。

 日課の朝のストレッチを飛ばしてしまったのが少し気懸かりであった。

 こればかりは優先順位の問題だ。恨むべきは自分である。

 しかし、先に起きているなら声くらい掛けてくれても……と、クリスマス・イヴに浮かれきった菫とフラーへの恨み言が浮かぶ。

 的外れな愚痴を抱いてしまうのも不思議だった。これでは八つ当たりだ。

 旅行慣れしていないせいで予想以上に疲れていたのだろうか。

 だとしたら予定を変更して、今日一日休んだ方が効率的かも知れない。

 体調が万全である前提で考えていた。

 ペンを止める。参考書を閉じ、ゆっくり深呼吸をする。目を閉じて不必要な情報を可能な限りシャットアウトしながら課題の進捗を再計算する。現時点で四時間のロストがある。最終日にダイアゴン横丁の書店を訪ねようと思っていたが、そのプランを捨てればクリスマス・イヴを棒に振っても冬休み全体の工程表に支障はない。

 日曜日の予定と交換すれば良い。

 予定していたサイクルが乱れるが仕方ない。

 寝坊した時点で気づくべきだった。疲れが抜けていれば自然と目覚めたはずなのだ。

 すべては己の無自覚さ、鈍感さの結果である。

 考え事を終えた薊が目を開く。眩しさに思わず目を細める。

 世間がクリスマス・イヴだろうと彼女には関係ない。

 手際よく参考書や羊皮紙を片付ける薊の元へ、マグカップが運ばれて来た。

 

「真面目だねえ薊は」

 

 寝起きらしい、間延びした声で椿が笑った。

 シワだらけのワイシャツを適当に着込んでいる。

 

「計画的にやんないと落ち着かないだけです」

 

「羨ましいなあ。誰に似たんだか……」

 

「父さんでしょ。根っから生真面目ですし」

 

「間違いない」

 

 ガラスコップの牛乳を飲み干す。年齢不詳の顔に薄笑いを張りつけ、片づけ途中の薊へ尋ねた。

 

「付き合ってる子、いないの?」

 

「いませんよ。遊びに行ったんじゃないです……そりゃ男子と全く関わりがないワケじゃありませんけど。話が合わないですね」

 

 話が合わない、それが最も実感に近い表現だった。

 好意を抱く以前の段階である。価値観の乖離が著しい。

 無論、菫の友人たちへの印象は良い。

 それは初対面から現在まで一貫している。ただ……もし仮に、自分と彼女らがより直接的な、友人という関係性へ発展しうるかと問われると正直言ってかなり難しい。

 女子たちですらこの調子である。

 男子はみな論外だった。アーニー・マクミランさえ会話した事はほとんどなかった。

 椿は「ふうん」と気の抜けた声を発した。

 

「マキガミくんは? 年賀状とか暑中見舞いとか、必ず手書きで送って来る子。イマドキいないぜあんなマメな男子」

 

「婿入りなら考えますけど。嫁入りは……北海道のド田舎ですからねアイツの実家」

 

「マジで?」

 

 気怠い目が驚きで見開かれた。

 薊はさも当然という風に「はい」と答えた。

 

「函館からバスで一時間半も掛かるらしくって。ウチより酷い」

 

「檀家のいる寺じゃ跡継ぎも要るだろうけどさ。いいのかね坊主が女抱いて」

 

「知りませんよそんなの。けど、秘境のボロ寺の嫁さんなんて厭でしょう?」

 

 少なくとも、地元では()()()を感じずに暮らせた。

 しかし田舎というのは一般に人間関係が緊密になる。

 函館は都会かも知れないが北海道がそもそも僻地である。その北海道の主要都市から片道一時間半も離れた村落、あるいは寒村ともなれば、事実上の陸の孤島である。

 

「横溝正史の世界ですよきっと。『悪魔が来たりて首縊り』みたいな」

 

 散々な言い様に椿は少し面白がった。

 薄笑いと共に肩を揺らし「ひっでぇ」と言った。

 甘く濃厚なココアを啜りながら付け加えた。

 

「それに北海道にはヒグマが出て物騒だ。最悪ですよ」

 

「ああ、クマは困るな。なんか不味そうだし」

 

「美味いは美味いです。でも牛肉のがいいです」

 

「坊さんが猟師もやってんのか。獣殺してんじゃん」

 

「人間食わせるわけに行かないでしょう」

 

「そりゃそうか。バラして捨てるよかマシだわな」

 

「でしょう? けどアレは……珍味でした」

 

 珍味が珍味として食道楽の関心を集める理由は、そもそも日常的に食するに不適切な事情がある為だ。材料の希少性や調理工程の煩雑さが主たる要因とされる。エゾヒグマの食用肉を得るに必要な労力を考えれば、少し奮発して黒毛和牛の霜降り肉を買う方が余程手っ取り早い。精肉店やスーパーマーケットを訪れるのに猟銃は必要ないのである。

 だから、撃ち殺したエゾヒグマの肉を食らうのは『供養』なのである。

 仏典の記述そのままに裁定するならば不殺生戒に背く行いに変わりはない。

 だが、ならば住民を、檀家たちを、みすみす人喰い熊に差し出すのは善行かと言えばそれもまた否定される。先代のマキガミ住職は自ら猟銃を担いで獣害に対峙したという。当代もまた猟友会に属し、必要とあらば率先して駆除に加わる。生活における最低限の安寧は時に信仰に優越するのだ。無論、破戒ではあるからせめてもの罪滅ぼしとして殺めた獣の肉を糧とする。無為でなかったと証明することで失われた命に弁明し、また裕福ならざる僻地の寒村にあって贅沢を楽しむ口実ともする。

 金銭的代価が発生しないのではその代替が必要となる。

 現代的な食生活に慣れ親しんだ跡継ぎへの、当代のマキガミ住職なりの指導なのだ。

 それを何年も目の当たりにしてきた薊はどうしても現代っことして拒否感が湧く。

 ぬるくなったココアを一息に呷って処理する。泥のような液体が喉粘膜を滑りながら胃袋の底へ流れ込んだ。

 他人事のように椿は冷笑した。笑うとそう見えるだけで、シニカルな思考をする女性でない事は薊もよく承知している。斜に構えている風なだけで音は穏やかなのだ。

 

「大変だなあどこも」

 

「田舎モンならではです」

 

「ウチに跡継ぎの心配なんかいるかよ」

 

「そうですね。神社あるって言っても廃れてますし」

 

「そうそう。どこにあるのか誰も知らないぞ」

 

 水神としての蛇を祀るなどと大層な事を言う。だが実際のところ、神事どころか神職が勤めるべき社もなければ鳥居もない。神職そのものが存在しないのでは御利益を望むどころか「祀っている」などと誇る時点で筋違いも甚だしい。

 菊を長姉とする楓、蘭、椿の四姉妹とも巫女服の袖を通した事がない。菖蒲もまた神職としての作法を教わっておらず、五人姉弟の子たちもやはり祭祀について樒から言及があった記憶は皆無だった。神職も氏子もおやず祝詞も途絶えた神社など廃れているのに等しい。少なくとも神を祀っているとは言えまい。

 どのような経緯で廃れたのかすら伝わっていない。

 失逸した信仰を回復しようという気配すらない。

 奇妙な家だと思う。誰も彼も忘れ去る事を恐れず、気にも留めず、ただ為るがまま時の流れに身を任せる。

 けれど()だ。汗水を垂れ流ず、労苦に塗れず、安穏と過ごせる。

 あの狭苦しい田舎町における権力を湯水として平穏を得る。

 椿と菫は樒の庇護なくして快適には暮らせない。人間(ホモ•サピエンス)とい存在が千差万別であるように、差別もまた色鮮やかな多様性を備えた()()()である。

 悲しいかな。薊は二人の苦難を分かち合えない。

 だから、気を紛らわせるのが精一杯の手助けだった。

 

「土産でも見に行きませんか」

 

 堅苦しい表情に椿は苦笑を浮かべながら返した。

 

「クリスマスのプレゼントじゃないのかよ」

 

「それは大丈夫です。父さんに『学費』って伝えてあります」

 

 片付けを終えた薊が鞄をテーブルに置く。

 その様子を眺めながら椿は頬杖をつく。

 父と娘の関係が冷え切っている。赤の他人より大きく隔たった距離を目の当たりにして、言葉を失う。

 

「もっとさ……欲しいモノ、あるだろ」

 

「別にありません。小遣いで買えるモノは揃えてるので」

 

「ワガママ言えるときに言っといた方がいいぞ」

 

「言っても伝わるか分かりませんし」

 

 諦観の籠った言葉だった。理解してくれていないという現実を目の当たりにして、ささやかなりとも反発する気力さえ失っている。十七歳の女子高生が男親と親密というのもそれはそれで奇妙な感性だけれど、経済的な依存だけを父娘の関係性と見做すのはあまりに虚しい。果てしない虚無感を垣間見た椿はゆっくり立ち上がった。

 外は寒いが、ここよりはマシに思えた。

 コートの裾を叩いて整える。これも随分着古している。買い替えようにも値が張るのでなかなか手が出ず、もう十数年の付き合いだった。

 

「メシ食いに行こう。腹減った」

 

「ここでも食えますよ。シチューとか」

 

「土産のついでさ。中華でもカレーでもあんだろ」

 

 味覚は菫の母親らしく繊細だ。よく言えば飾り気のない、端的に田舎臭いブリテン島の食事に我慢ならないのは似ている。吐き捨てるように言い放てるのも母国語のおかげだ。不平不満をなかなか口にしないところまでよく似ている。それを奥ゆかしいと取るか根暗と取るかは個人差だが、気難しいのは同じだろう。

 足早にロンドン市街側の扉へ向かってしまう。

 先に出掛けようと言った手前、薊も従わざるを得ない。

 

「荷物を片付けて来ます。あとコート要るんで」

 

 客室へと続く階段を駆け登る薊を見送る。

 足音が聞こえなくなるのを待って、柱の影になった席へ向かう。奥まった薄暗い一画には白い総髪の魔女が一人でいる。老眼鏡越しに羊皮紙で刷られた日刊予言者新聞を読みつつ、カップの紅茶を啜っていた。椿の左手は長く櫛の入っていない白髪を鷲掴んだ。

 

「おい。さっきから薊のこと見てたろテメエ」

 

 力任せに左手を後ろへ引き、右手を魔女の腰へ伸ばす。

 ベルトに挟み込まれた杖を引き抜いて投げ捨てる。そのまま椅子に腰掛けた相手を見下ろす。最大の武器を奪われた魔女は動揺している。

 白濁した両目が変化する。椿の黒っぽい瞳は無感情だった。

 

「そこの食器棚の戸に嵌め込んである硝子、鏡にしてたよな。見え透いた真似しやがって。ババアの視力でんな真似出来るかよ」

 

 囁きかけるに飽き足らず、弛んだ皮膚が瑞々しい艶と弾力をを取り戻すのを見て舌舐めずりをした。動揺した若い魔女はあまり趣味ではなかったものの贅沢を言える身分でもない。掴み掛かろうと腕を伸ばした相手の手首を掴み返し、頭突きを加える。

 

「喧嘩慣れしてないなアンタ。ダメだぞそんなじゃ」

 

 衝撃と痛みに悶え、眩暈に襲われるのも構わず、椿の両手は魔女の後頭部と下顎を捕らえた。

 遠慮なく、無抵抗の()()の唇へ喰らいつく。

 唾液と粘膜を掻き混ぜながら舌を吸い出す。長く肉厚な舌を堪能したあとで、思い切り歯を食い込ませた。弾ける鉄の風味と大きく痙攣する身体を抑えつけ、唇の柔らかさを堪能し尽くしたあと名残り惜しそうな眼差しとともに解放する。悲鳴を押し殺す監視者のローブで口元の血を拭き取り終えた椿は、魔女の身体を抱き抱えながら優しく囁く。

 

「杖ですぐ治せる傷にしといたよ。ゆっくり休みな」

 

 放り投げた杖を脚で引き寄せる。泣き崩れる監視者の表情につい我慢を忘れ、また唇を重ね合う。

 椿が我に返ったのは薊の大きな咳払いだった。

 支度を整えて戻ったらこの様である。呆れ果てるしかない。

 再び血と唾液に塗れた口元を相手のローブで拭き取ると「へへっ」と間抜けに笑ってみせた。

 舌をぺろりと覗かせた伯母に、姪は「はあ」と大きく嘆息する。

 

「よくそれで刺されませんね」

 

「五股して刺されかけはした」

 

「言わなきゃ良かった……最悪だ」

 

 渋面を隠せない薊の隣で椿はケラケラと笑う。

 出発前から疲労困憊した顔である。若々しさが足りない。

 薊も薊で厭なところばかり親に似たのだと、椿も同じ事を考えながら昼下がりのロンドンへ繰り出して行く。

 

 クリスマス・イヴの活気とは裏腹に舌は血の味で塗り潰されていた。

 

 血塗れの祭日はむしろバレンタインデーである。

 

 薊にこの話題は通じないのだろうなと思うと、椿の胸中を一抹の寂しさが過るのだった。

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