ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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バラバラんなる頭とこの身体

 腸詰め肉と林檎が一枚の皿に盛りつけられている。

 丁寧に焼かれたブーダン・ノワールと、赤ワインで煮詰めたコンポートの組み合わせは日本人にとってあまり馴染みがない。意外にもホグワーツ魔法魔術学校での生活によって所謂「ブラッド・ソーセージ」や「果物のワイン煮」それぞれは既に馴染み深いものとして認識出来るようになっていたが、それがワンセットで振る舞われると面食らう。

 夕食の一皿を前にして菫は首を傾げた。

 あどけない仕草である。年齢より幼く映る。

 意識的な振る舞いでないのが面白い。

 フラー・デラクールは微笑みながら応じた。

 

「これ、フランスのクリスマスなんですか」

 

「田舎ではよく見るわ。祖母の実家ではいつも」

 

 郷土料理と分かり菫は遠慮なくナイフを動かす。

 刃先から伝わる感触からして新鮮だ。弾力が違っている。

 確りと()()()()である。よく知るソーセージに近い。

 一口大に切り分けたものをフォークで舌へ載せる。

 以前、レア・ステーキを口にした記憶が蘇る。あの瑞々しくも芳醇な血の香り。『命』の味をより鮮明に感じる。「美味しい」という感覚に喜びを覚えるとともに吸血鬼(ヴァンパイア)としての味覚を意識させられ、物悲しい。世間一般における吸血鬼(ドラキュラ)にとって十字架と聖水は禁忌だ。それがイエス・キリストの誕生日を祝っているのだからおかしな話だが……魔法界においては事情が違っている。

 

 淡い紅色に染まった薄切りの林檎が濃厚な味をより引き立てる。

 これにグラスなみなみの葡萄酒が揃うまであと三年を要する。

 しかしもう自分の身体は朽ちている。アルコールの及ぼす未成年者の心身への悪影響について論じるならば、菫としてはむしろホグワーツの環境こそ()()の自分にとって致命的だったと反論するつもりだ。

 向かいを見れば、テーブルの上に吊るされた裸電球の照明がどうにかフラーの姿を闇の中に浮かび上がらせている。

 例えテーブルマナーと称すべき文化が存在しなかろうと彼女の所作にはあらゆる知的生命体が見惚れるだろう。

 全文明の限りなく最底辺に位置するホグワーツの生徒たちでさえ例外ではない。

 貧しい想像力でもフランスとワインは等記号で接続される。

 味が気にならないではない。いまこのタイミングならば最も料理に相応しい銘柄を選定してもらえるだろうけれど、しかしフラーの様を眺めていると葡萄酒への欲望もたちまち希釈された。

 屍と化した頬の筋肉が弛緩する。

 それを見てフラーも微笑み返した。

 心が踊っても身体が一致しない。冷たさを溶かしてくれるフラーの眼差しがなければ、この寒さに耐えられない。

 

「貴女に会えて良かった」

 

 思わず言葉が溢れた。

 死を超えて尚、この世に縛られている。

 その辛さをこの一時だけ忘れ去る。いまだけは悲嘆から意識を逸らしていられる。

 現実逃避の自覚はある。どうにかしなければという、問題意識も。

 いま手元にある幸福はいつか消えてしまう。

 自分だけが()()()の瞬間に在り続ける。そうして()()()()()()()モノたちを見送り続ける。甘美さに酔い痴れ縋れば縋るほどに離別の苦痛が増すだけだ。中毒になる。

 濃厚に血の香るブーダンノワールを切り分けながら、菫はどう切り出そうかと言葉を漁る。

 恋愛は未知の世界だった。

 創作物(フィクション)としても知らない。男女の情愛(ロマンス)はあくまで添え物に過ぎない。混乱(パニック)恐怖(スリラー)悲鳴(スクリーム)こそ醍醐味であってその他はただの引き立て役である。それに、ラブロマンスというカテゴリに心揺さぶられた経験がなく、これまで『退屈』以上の感想を持ち得なかった。自然と避けて来たのが裏目に出てしまったのだ。

 自省してみると、この迷いは躊躇いだと思う。

 自分でさえ否定する自分を肯定してくれる。

 甘えていると理解して、まだ言葉が出ない。

 別れの提案に踏み切れない菫であった。その煩悶は表情に浮かばず、ただ曖昧な雰囲気だけが滲む。薄暗くこぢんまりとした店内にあって蒼白い顔は困ったように微笑んだままである。箱庭のように狭い世界でさえ全容を掴めずにいる。隔壁の外へ放り出されて、胸中には困惑ばかりがあった。

 フラー・デラクールの計画は見事に菫の意表を突いた。

 絢爛豪華なものというフランスへの先入観は完全に裏切られている。華々しいどころか、田舎風の素朴な晩餐である。皿に盛りつけられた料理もどこか馴染みがある。曰く、クリスマス・イヴに贅沢をするものではないらしい。

 どこからネタを仕入れたのやら。

 菫は情報源について考える余裕を失っていた。

 そうでなくとも飢餓感が靄となって邪魔をする。

 真似事だと理解した上ですべてを飲み込む。一切合財を吐き出してしまえばいっそ楽になれるかもしれないが、それでは理想的な解決でなくなってしまう。

 曖昧(アルカイック)な微笑のままフラーからの問いに応じる。

 

「明日の予定は何も決めていないの」

 

 翌朝以降の工程について求められ、新たな困惑に襲われる。

 エッフェル塔のほかに観光名所なんて把握していない。

 僅かに表情筋が引き攣った。下調べなしにパリへ来てしまった。

 不用意な発言を避け、かつ無難な要望を――意外性の欠片もない退屈極まる手札から最善を選ばされる羽目に陥った。自業自得である。

 しばし逡巡して絞り出した言葉は葵菫の認識し得る極小の世界を表していた。

 

「映画に……映画館に行きたい」

 

 本屋よりはずっとマシだと確信している。

 おそらく、自分の恋人は読書家ではないから。

 本屋を巡ってもつまらないだろう。どころか道を知らない可能性もある。

 いまようやく菫はある事実を認識して物悲しくなった。

 

 恋人の事を何も知らないまま、一年以上も交際してきたのだ。

 

 そして一方的に別れようとさえしている。

 酷い不義理に感じる。罪悪感が小さな両肩にのし掛かり、表情がますます乏しくなる。

 顔は笑っているのに心はみるみる塞ぎ込む。

 寒々しいクリスマス・イヴの夜、身体が震え上がる思いがした。

 これまで受けてきたどんな授業よりも終わりが待ち遠しい。

 心を『無』にしようと意識すればするほど時の流れは菫を嘲笑う。自己と世界の乖離は際限がなく、ひたすらに責め苦が続いていくのだった。

 

 

「『エイリアン³』の監督と侮ってました。デビッド・ボゥイの主題歌も良かったですね」

 

「相変わらずスタンリー・キューブリック監督ファンでした。楽曲によるオマージュが『シャイニング』じゃなくて『博士の異常な愛情』なのは残念でしたけど」

 

「ディズニー作品にしては面白かった気がします。まあ宮崎駿監督にはとても及びませんけど……作画はオカネ掛ければどうにでもなりますしね」

 

「ティム・バートン監督の前作と前々作にはとても及びません。この程度の内容で二時間はほとんど拷問ですよ、トゥーフェイスとリドラーの無駄遣いです。犯罪的な駄作だ」

 

「スラッシャー映画って結局は一作目が最高傑作になっちゃうんですよね。原点回帰してクラシカルにやっても、それなら初代で良いし。シリーズはこれで打ち切りかも」

 

「『騙そう』という意図が露骨すぎてちょっと白けちゃいました。カットとか編集の技術はスゴいんですけど、脚本家の思惑が見え見えなのがなあ」

 

「銃撃シーン、スゴイ迫力でしたね。『刑事グラハム』もいいですけどコレも見応えがありました。ちょっと中毒性がありますね、もう一回見ましょう」

 

「ケネス・ブラナーはやっぱり安定してます。ヘレナ・ボナム=カーターもよかった。ミュージカルはよく分かりませんでした。フルカラーの視覚的な効果を狙ったんですかね」

 

 時間の許す限りあらゆる映画を鑑賞する――

 

 菫のデートプランは無計画の産物である。

 上映作品を片っ端から。合間に軽食を摂りつつ。

 パリの魔法界に対しても無関心なうえ、田舎暮らしながら都会への憧れが薄く、興味を惹かれるのは本屋と映画館くらいだ。

 気になっていた映画を手当たり次第に観る。十七歳の女学生として酷く偏った内容で、それは魔法界育ちのフラー・デラクールにとって『奇怪なマグルの文化』として解釈する他になかった。

 現実にはマグルだろうとデートと称して映画館に籠るなど映画愛好家としても異常で、売店の従業員の目つきが徐々に変化していくのに気づき、そしてクリスマス故、どの劇場も空席が目立つと気づいて、いよいよ理解せざるを得なくなった。

 日付が変わろうかというタイミングで解放され、ようやく生きた心地がした。

 軽食と言ってもホットドッグかハンバーガーである。粗食の部類だ。それを適当に意へ詰め込みつつ業務ノルマのように時間を費やしていく。流石のフラーも「精神修養が目的だ」と説明されたら信じてしまいそうだった。

 カフェーの奥まった席で二人は項垂れている。

 コカ・コーラの入ったガラス製タンブラーを手に、菫は苦々しい表情で「史上最悪の映画でした」と呻いた。

 フラーは疲労困憊を隠さず「でしょうね」と溢した。

 カフェラテの甘さをこれほど優しく感じる事は未来永劫ないだろう。

 最後の最後に大ハズレが待ち構えていた。悪魔の取り憑いた業務用洗濯機が次々と殺戮を繰り広げ、犠牲者の悲鳴が木霊する……珍妙なスプラッタ映画なのだが、恐ろしく雑な出来栄えだった。

 

「殺人洗濯機……あまりに酷かったわ」

 

「発想は良いんですよ。問題は演出のワンパターンさというか、いえ洗濯機は動かないわけで、だったらそこまでの……洗濯機に殺されるまでの過程にもっと力を入れて欲しかったというか……」

 

「あの監督が伝えようとしたテーマがまったく分からないのよ」

 

「スプラッタにそんなモノありませんよ。まず怖がらせるのが一番で、主題とかそういう高尚なモノはオマケです」

 

 途方もない手間暇と莫大な予算を掛けて、中身はお化け屋敷の真似事だ。菫の言葉にフラーは「変わってるわ」とだけ呟く。

 得体の知れない殺人鬼が暴れる。

 たったそれだけの悪趣味な映像だ。

 電動ノコギリを振り翳しシーンは、殆ど無かった。しかし『テキサスチェーンソー大虐殺』という仰々しいタイトルを掲げていた。

 まして『来るべき創世記』などと間抜けな副題を添えている。

 菫がこれほどトビー・フーパーという監督に執着する理由が、フラーにはいまひとつ理解出来ない。

 

「観客の中に感情を沸き起こすのが創作の、映画の本懐です。ホラーはあらゆるジャンルで『虚構』である事に全力だから好きなんです……どんなに荒唐無稽だろうと『怖がらせてやる』という信念があるから」

 

「それは……恋愛だって同じでしょう? あの『アニメーション』という技術を使った映画はハッピーエンドでは無かったけれど、だから私は少し涙ぐんでしまったわ」

 

「恋愛の形は幾つも種類があるじゃないですか。恐怖は根源的です」

 

「それもあのフーパーという監督のモノ? 例の()()()()()()の監督」

 

「今日見た四作目は別の監督ですよ。フーパーが撮ったのは()()()の方ですね」

 

 同じシリーズなのに降板させられたのだろうか。

 確かに才覚を感じられる出来ではなかった。

 フラーは黙ってカフェラテを静かに啜り、続きを促した。菫は残り僅かなコカ・コーラを勢いよく飲み干した。

 

「ラヴクラフト。小説家です。あんまり有名じゃないですけど、私は気に入ってます」

 

 著名でない小説家との説明にフラーは納得した。

 察するに売れなかったのだ。菫が好むような物語は古典的な怪奇譚というより猟奇趣味に近い。

 だがラヴクラフト氏の作風を菫は「難しい」と評した。

 魔法界は『宇宙』を知らないからだと、そう説明した。

 

宇宙は空にある( The sky and cosmos are one )。私には驚くような事じゃありません」

 

「空の上にはまた異なる空間があるというの?」

 

「異なるというより、認識出来ない空間ですね。あまりに広すぎて」

 

 菫の語るラヴクラフトの世界観――あるいは“宇宙観”は、半ば宗教的で、確かに魔法界の常識を備えたフラーには理解及ばぬものだった。飛躍した想像力が踏み入ってはならない不可知であるべき領域へ達してしまったような……ともかく目眩を覚えたのは事実である。丸一日を映画鑑賞に費やした疲労を原因とする可能性も十分にあり得たが、それを考慮する気力はとうに尽きていた。

 パリの夜景は未だ光り輝いている。

 夜の暗がりを追い払おうとするように。

 気を許せば、空に漂う暗黒が降りてくるような予感がした。

 ふらりと菫が立ち上がった。長い長い黒髪の揺らぎにフラーの意識も現実へ呼び戻された。視界の先にいるのは仕事中と同じ仏頂面の上司であった。ライトグレーのスリーピースに黒いコートを羽織り、じっと佇んでいる。

 

「時間だ」

 

 菖蒲はごく短く門限を告げた。

 未成年には寛大すぎるくらいだ。

 菫は言われるがまま外套を着込む。古めかしいデザインのうえ、おそらく男性用と思われるせいでウエストラインが合っていなかった。年配の親戚から譲り受けた()()なのだろうか。記憶を辿ってみると彼女の母親もあまり服装に頓着していない雰囲気であったから、そういう家庭なのかと思っていたが、しかし菖蒲は小洒落ている。薊も同様にパンクロックの派手なファッションを好む。

 あるいは読書と映画鑑賞に夢中なのかもしれない。

 菫の私室は整理整頓がよく行き届いていた。

 あの狭い空間に菫の人生が詰まっている。

 別れ際。ありったけの()を伝えるべく抱きしめた身体は、あまりに細く、凍っていた。

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