ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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 ここから『秘密の部屋』は徐々に原作と違ってきます。


T・M・リドル

 トイレで拾った持ち主不明の日記帳。

 年季の入った黒革の表紙で、持ち主はT・M・リドル。

 ティファニー(Tiffany)トレイシー(Tracy)セルマ(Thelma)ティナ(Tina)……思いつく限りの名前を調べても、スリザリンはおろか他の寮にもT・Mに当てはまる生徒がいない。

 拾得物なのでフィルチに届け出るのが筋だが、ミセス・ノリスが石になって荒んでいることろへコリンが襲撃された。ハリーが医務室に押し込められている間の出来事である。自然と怒りの対象がスミレに移り、なんとなく話しかけづらい。

 日記帳は女子寮のベッドの下に置いて、同室の三人にも黙っていた。

 それから二週間が過ぎた。十一月も終わりが近い。

 スコットランドの容赦ない寒さが廊下で待ち構えている。

 正体不明の襲撃者よりよほど厄介だ。

 コリンの件はハリーやロックハートが「撮影を注意していただけだ」と証言したが、継承者騒動はまったく鎮静化しなかった。心ない、というよりハリーもロックハートも信用していない生徒の方が圧倒的に多いからだ。

 スミレ本人も彼らの言い分に納得している。

 なにせ昨年の寮対抗杯で、ダンブルドアが『サラザール・スリザリンの理想を体現してみせてくれた』と全校生徒を前にして讃えてしまったのだから。

 異国の出身だとかマグル趣味だとか、そんな理由はもはや通用しない。

 恐怖はそこかしこに蔓延し、内側へ忍び込んでいる。

 そうなっては反論も面倒なので好きに言わせている状況である。

 相手が聞く耳を持たないのなら言うだけ損だ。

 襲撃の恐怖冷めやらぬホグワーツでスミレの周囲は賑やかだった。

 マグル出身者は襲撃を恐れて恭順を示す。それで助かる可能性は変化しないのに。

 純血の生徒も家系の正当性を示そうと家系図の写しを見せる。

 当人はただ「次の襲撃があればみんな目が覚めますよ」と無関心である。

 周囲にいるのはみな純血、襲われるはずがないという余裕があった。

 恭順者の中には露骨に賄賂として食べ物や書物を献上する者もいる。

 どちらもスミレの趣味に合わないため、飲食物はスリザリンの談話室に、書物は寝室の隅に放置されている。

 今日だけで合計三箱の百味ビーンズを受け取った。

 それをクラッブとゴイルに渡し、スミレはため息をつく。

 魔法界のお菓子はほとんど嫌いだ。味か発想か、あるいは両方狂っている。

 二人を外で待たせ、ドラコたちはトロフィー・ルームにいた。創設以来、生徒に授与した色々なトロフィーを展示している。ハリーの父親も名前があるし、ロンの兄もいる。ドラコ、パンジー、ミリセント、ダフネ……スリザリンの家系の名前もだ。

 中には現在教授職にある人物、例えばミネルバ・マクゴナガルなども在籍中に表彰を受けている。ここには先人たちの勝ち取った『栄光』があるのだ。

「こっちに来い、これが父上のトロフィーだ、七年生のときスリザリンの主席に選ばれたことを讃えるものさ」

 ドラコが示す金の盾には、確かにルシウス・マルフォイの名前が刻まれている。

 他の監督生より大きいのは寮内最優秀の証しである主席であったからだろう。

 魔法界における彼の権力は絶大だが、在籍中も生徒に対して並々ならぬ影響力を持っていたに違いない。

 マルフォイ家の当主に相応しい実績と名声を若くして手中にしていた。

 さらに昔の監督生の中にもマルフォイ姓がある。ドラコはそれを延々と自慢している。

 監督生やクィディッチのエース、そして特別功労賞……学校のあらゆる賞や実績に彼の先祖や親戚が連なっているのだ。

 確かに誇らしいのだろうが、スミレはあまり興味がなかった。

 自分の親戚が見つかるはずがないのだから尚更だ。主席よりもさらに大きな盾を見て、ぽつりと呟いた。

「この特別功労賞というのは、毎年いるわけではないのですね」

「そうだ。そこに名前があるだろう、その方は僕の先祖の一人さ。父上から見て五代前の御当主だよ」

「とても古い血筋なんですね……では一番新しいのはどれでしょう」

「もう何十年も出てないみたい。あ、これじゃない?」

「それだけ貴重な賞なんだ。これは学校の危機を救ったとか、そういう英雄的な行いをした生徒だけが授与される。ソイツは……トム・マールヴォロ・リドル? 聞いたこともないな」

 ドラコの顔が険しくなる。

 らんらんと輝いていた目に陰険な光が宿った。彼の知る限り、純血の家系に『リドル』という一族はいなかった。下等な『穢れた血』か、半純血の雑種だと判断した。パンジーも同じで、『生粋の貴族-魔法界家系図』にそんな姓はなかったと口にする。

 だがダフネは黙っていた。

 どこかで聞いたような。しかし思い出せない。

「うーん、トム・マールヴォロ……トムはマグルですけど、マールヴォロはどうなんです?」

 日本人でも知っているほどメジャーなファーストネームに対し、ミドルネームは馴染みがない。自分には調べようがないと早々に尋ねると、ドラコは神妙な態度に変わる。

「待て。トムはマグルの名前? そうなのか?」

「ええ。略称ですね、トマスとかトーマスとか」

「つまりコイツは半純血の紛い物だ。アオイは知らないだろうから教えてやるが……マールヴォロは僕たち『聖28一族』でもっとも高貴な家系の当主の名だ。ソイツが死んで、ゴーント家は途絶えた」

「ダフネが前に言ってましたね。サラザール・スリザリンの末裔、でしたっけ」

 ドラコもダフネも頷く。

 奇妙な一致の理由は色々と考えられた。

 偶然だと片付けることも容易い。

 ゴーント家に恩を受けたリドル氏が息子に当主の名をつけた可能性もある。

 だが今、四人はあることを確信していた。

 トム・マールヴォロ・リドルは正しい意味で純血ではない。

 純血の家はどこもその事を主張する。

 だがリドル家という名は聞いたことも見たこともない。マグルの血筋と考えるのが自然だ。

 西暦一九四三年……およそ五〇年前、前回『秘密の部屋』が開かれた年である。

 その年度に特別功労賞を授与された、彼の英雄的な行いでホグワーツは窮地を脱したのだ。

 

 彼が犯人を突き止めたことで、かつての継承者はサラザール・スリザリンの崇高な理想を果たし損ねた……それも、スリザリンの血を引く最後の魔法使いと同じ名前を与えられた者の手で――

 

 四人には、最も新しい特別功労賞のトロフィーを苦々しく見つめるしか出来なかった。

 

 

 その日の夜。

 スミレは談話室に下りて自習していた。

 表向きは苦手な天文学の復習である。

 実際は五〇年前の『秘密の部屋』事件を整理するためだ。

 マートルは巨大な目を見て死んだ。

 問題は遺体がどうなっていたか。

 石化していたなら恐怖の正体は間違いなく『毒蛇の王(バジリスク)』である。

 どの程度のサイズかは掴みきれていないが、おそらく壁の中にあるパイプを這っていたのだ。

 だからパーセルマウスの自分と蛇のザクロには声が聞こえた。

 コリンはカメラ越しに目を見たのだろう。

 だからカメラは壊れたが、コリンは石になって済んだ。

 ミセス・ノリスは床の水を鏡にして目を見た。

 直接的に見ていないからやはり死なずに石になった。

《楽しそうだな》

 ザクロがスミレの顔を覗き込む。

 言っている本人は面白く無さそうだ。

《怪物を疎んでいると思っていたが》

《そうだよ。怪物は嫌い、けどこれはチャンスなの》

《ウチに帰る、か》

 

 ――ここは寒すぎるかもな

 

 ザクロも乗り気では無いが止める様子もない。

 蛇語で会話しながら情報をまとめる。

 問題は二つ。トム・リドルが本当にマールヴォロ・ゴーントの血を引いているのか。

 そしてトムが五〇年前に事態を収束させたのかどうか。

《その日記に聞くしかない》

《だよね》

 羽ペンの先を黒いインクにひたす。

 十分にインクを吸わせて、適当なページへ書き込んだ。

 案の定、紙に留まるはずのインクは吸い込まれるように消えていく。

 

『初めまして日記さん』

 

 しばらくして、返答が浮き上がってきた。

 

『初めまして。僕は日記ではなく、トム・リドルです』

 

《面白いこともある》

《マートルには感謝しなきゃ》

 

『失礼しましたリドルさん。私はアオイ・スミレです』

 

『初めましてアオイ・スミレ。僕のことはトムで構いません。早速ですが、君はどうやってこの日記を拾ったのですか?』

 

『トイレに落ちていました。誰かが落としたのでしょう』

 

 返事はゆっくりだった。

 わざと焦らしているような気配すらある。

 スミレも羽ペンで字を書くのは苦手なので気長に待った。

 

『この日記は今、ジニー・ウィーズリーが使っています。もしお願いできるのなら、彼女に返してあげてはくれないでしょうか』

 

『分かりました。明日にも届けます』

 

『ありがとう。優しい人に拾ってもらえてよかった』

 

 大昔に卒業した生徒を名乗り、こうして人間と受け答えできる日記帳だ。

 そんな胡散臭い物を素直に返すつもりはサラサラない。

 ウィーズリーという姓からしてロンの妹だろう。

 あの強情そうな赤毛の一家に目をつけられるのも困る。

 

『実は、あなたの名前を知っています。五〇年前、特別功労賞を授与された方ですね』

 

 返事はなかなか来なかった。

 マグルの生徒から献上された普通のグミをつまみながらのんびり構えている。

 

『そうです。当時の、ディペットという校長からいただきました。まだ僕のトロフィーが展示されているのですね』

 

『はい。あなたはどんなことをして、授与されたのでしょうか。参考にしたいです』

 

『話せば長くなります、それにとても恐ろしい記憶です。知ればきっと後悔するでしょう』

 

『それは“秘密の部屋”ですか?』

 

 トムの答えは『はい(YES)』だった。

 スミレはゆっくりと、しかし迷いなく質問を書き込んだ。

 相手が何者だろうと構わない。真実を知らねば。

 もしも怪物が予想の通りなら、絶対に手に入れてやるんだ――

 

『今、五〇年ぶりに秘密の部屋が開かれました。生徒が一人襲われ、校長も打つ手無しの状況です。あなたが部屋についてご存じのことを、教えてもらえないでしょうか』

 

『この日記帳には僕の記憶が封印されています。かつて、その部屋は伝説だとして誰もが存在を否定していた。虚構だと思われていた古い言い伝えが現実となり、ホグワーツ魔法魔術学校で悲劇が起きた。数人の生徒が襲われ、一人の死者が出てしまったのです。僕は当時、思い違いをしていたのです。罪のない生徒を犯人として捕らえ、学校に突きだした』

 

《どこまで本当なんだかな》

 

『その生徒は杖を奪われ、学校を追放された。僕は偶然にも部屋を閉じる手段を持っていたから、隙を見て扉を閉めました。怪物の正体も部屋を開けた犯人も曖昧なまま、ディペット校長は終息を宣言した。死者が出て、魔法省がホグワーツの閉鎖に乗り出そうとしていたためです。終息宣言が嘘だと知っていた僕に校長は輝かしい特別功労賞を与え、このことを誰にも話さないよう約束させました。だから、この記憶はとても恐ろしく、そして恥ずべきものなのです』

 

『でもあなたは今、私に話しました』

 

『その通りです。僕は怪物がまだ生きていて、学校に潜んでいることを知っていた。だからその記憶を日記帳に隠し、いつか再び部屋が開かれるときに備えようと思ったのです』

 

『今回は黒幕がまったく謎です。事態はなにもかも謎のまま。まだ生徒が襲われる。前はどんな状態だったのですか』

 

『お望みならばお見せしましょう』

 

 スミレはペンを持ったまま首を傾げた。

 この日記帳が言うことをすべて信じるつもりはない。

 だがトムという男子生徒はパーセルマウスで、その能力を使い部屋を閉じた

 部屋がどこにあるのか突き止めるには丁度いいか……かなり分の悪い賭けである。

 だがどのみち放っておいてもまた誰かが解決してしまうだろう。ならばその前に、学校も魔法省もぶち壊してやる。

 復讐心に駆られて、スミレは『お願いします』と綴った。

 

 日記のページが突如、強風に煽られたようにパラパラとめくられ、六月の中ほどのページで止まった。

 六月十三日と書かれた小さな枠が、小型テレビの画面のようなものに変わっていた。

 いきなりの事で反応できずにいたスミレの体が椅子を離れ、ページの小窓から真っ逆さまに投げ入れられる感覚に襲われた。

 そのまま意識が落ちていく――色と陰の渦巻く中へ。

 

 両足が固い地面に触れたような気がして、震えながら立ち上がった。

 すると周りのぼんやりした物影が、突然はっきり見えるようになった。

 自分がどこにいるのか、スミレにはまったく分からなかった。

 円形の部屋は壁中肖像画だらけで、どの絵もヒゲを生やした老人だった。みなうつらうつらと居眠りしている。 

 デスクで手紙を読んでいる人物も見たことがない。

 小柄で弱々しい雰囲気、禿げ上がった頭に僅かに残った白髪が薄ら寒い。

「あの、すみません」スミレはおそるおそる言った。

「失礼ですが、ここはどこでしょう?」

 魔法使いの反応は無い。

 あのスネイプ教授でも声を掛ければ目を向けるくらいはするのに、随分感じの悪い魔法使いだ。

 少しムッとしながら、部屋の様子を確かめる。

 やたらと分厚い本があちこちで山を作っている。

 グリンゴッツ銀行の口座を思い出す光景だった。

 それにしても広々した部屋だ。

 デスクの周囲をうろうろしても無視された。絵画の老人たちも気づいていない。

 それをいいことにあちこち歩き回っていると、誰かが扉をノックした。

「お入り」老人が弱々しい声で言った。

 ハンサムな少年が入ってきて、三角帽子を脱いだ。銀色の監督生バッジが胸に光っている。 ゾッとする白い肌に真っ黒の髪だった。役者のような美男子である。

「ああ、リドルか」

「ディペット校長、何かご用でしょうか?」

 男子生徒が日記の記憶の主で、魔法使いは当時の校長だった。

 なるほど。ドラコの父親と似たような、少し冷たい美形である。

 ローブの色からしてリドルもスリザリンだと分かる。どうも緊張しているらしい。

「お座りなさい。ちょうど君がくれた手紙を読んだところじゃ」

「はい」と言ってリドルは座った。両手を固く握り合わせている。

「リドル君」ディペット校長はやさしく言った。

「夏休みの間、学校に置いてあげることはできないんじゃよ。休暇には、家に帰りたいじゃろう?」

「いいえ」

 リドルは即答だった。

「僕はむしろホグワーツに残りたいんです。その――あそこに帰るより――」

「君は休暇中はマグルの孤児院で過ごすと聞いておるが?」

 ディペットはリドルの実家について興味深げだ。

 マグル出身と指摘されて、リドルは恥じ入るように顔を赤くした。

 いかにもスリザリンらしい反応で、スミレはドラコを思い出しクスリと笑った。

 気の短いドラコなら、ここであからさまに機嫌を悪くするのだろうなと思った。

「はい、先生」

「君はマグル出身かね?」

「ハーフです。父はマグルで、母が魔女です」

「それで――ご両親は?」

「母は僕が生まれて間もなく亡くなりました。僕に名前を付けるとすぐに。孤児院でそう聞きました。父の名を取ってトム、祖父の名を取ってマールヴォロです」

 ディペット先生はなんとも痛ましいというように領いた。

 祖父の名はマールヴォロ。その情報には重要な価値がある。

 母が魔女で、その祖父がマールヴォロという名前。

 つまりトムの実母次第でゴーント家の血筋が絶えていないと証明できる。

 証明してどうするか考えていないので、スミレのテンションはそこから一気に平静へ戻った。

「しかしじゃ、トム」先生はため息をついた。

「特別の措置を取ろうと思っておったが、しかし、今のこの状況では……」

「先生、襲撃事件のことでしょうか?」

 スミレは校長の言葉に耳を傾けた。

「その通りじゃ。君もわかるじゃろう? 今学期が終わったあと、生徒がこの城に残るのを許すのがいかに愚かしいことか。特に、先日のあの悲しい出来事を考えると……。痛ましいことに女子学生が一人死んでしもうた……。孤児院に戻っていた方がずっと安全なんじゃよ。実を言うと、魔法省はすぐにもホグワーツを閉鎖しようと考えておる。我々はこれら一連のおぞましい事件の怪――いや……――源を突き止めることができん……」

 リドルの反応は衝撃そのものだった。

 どうやら彼はスミレと逆で、ホグワーツに残りたいらしい。

 理解し難いが、帰った先が家庭と呼べるものでなければこうなるのかもしれない。

 自分にはリドルの反応をどうこう言えないと、己を戒めた。

「先生――もしその何者かが捕まったら……もし事件が起こらなくなったら……」

「どういう意味かね!」

 ディペット校長は居住まいを正し、小さな身を起こし上ずった声で言った。

「リドル、何かこの襲撃事件について知っているとでも言うのかね?」

「いいえ、先生」

 嘘だ。日記が正しければ、この時点でリドルは事件の全容を掴んでいる。

 どうも襲われた生徒そのものよりも自分の都合を優先して動いたようだ。

 どこまでもスリザリン的な性格である。スミレはまあそんなものかと考えた。

 失望の色を浮かべながら、ディペット先生はまた椅子に座り込んだ。

「トム、もう行ってよろしい……」

 校長に言われるがままトム・リドルは部屋を後にした。

 早足に、どこかへ急ぐように階段を駆け下りていく。その後を早歩きで追いかけながら夕暮れのホグワーツ城へ目を向ける。生徒がまったくいない。今回より多くの生徒が襲われ死者が出てしまい、放課後は談話室に待機しているらしい。

 なので玄関ホールまで誰にも会わなかったが、そこで、長いふさふさしたとび色の髪と髭を蓄えた背の高い魔法使いが、大理石の階段の上からリドルを呼び止めた。

「トム、こんな時間に歩き回って、何をしているのかね?」

 今より五十歳若いダンブルドアにまちがいない。

「はい、先生、校長先生に呼ばれましたので」

 校長の向こうでは教授が数名がかりで担架を運んでいた。

 盛り上がったシートのすき間から腕が垂れ下がっている。しかしその左腕は凍ったように動かない、石化していた。

「また生徒が襲われたのですか」

「そうじゃ。ディペット先生からも聞いたじゃろう。もはや一刻の猶予もならんというのが、魔法省の見解じゃ。君もすぐ寮に戻りなさい。明日の朝にも荷造りをせねばならん」

 ダンブルドアの声は震え、しかも厳しいものだった。

 怪物バジリスク……何者かが『秘密の部屋』から解き放ち、無差別にマグル出身者を襲わせている。これで五人目。もはや猶予はないと、生徒の安全を考える魔法省は非情な決断を下した。

 

 リドルにとって、ここが家なんですね……。

 

 部屋を閉じた時点で薄々気づいてはいた。

 彼が五〇年前の継承者であるにせよないにせよ、自分とは逆の人間だ。

 純血もマグルも関係ない。

 彼は大多数の生徒と同じく、ホグワーツは帰るべき場所の一つ。

 はっきり気づいてしまうと急に心が冷めていく。

 五人襲ってたかが一人なんてだらしないと、呆れてしまうほどだ。

 今やリドルへの関心は薄れていた。しかし彼の見せる過去は続く。

 寮に戻るフリをして廊下を歩くうち、人気のない一角へ辿り着いた。

 どこかからガタガタと物音がする。少し周囲を見渡し、リドルは杖を手にした。

 

 近くの鉄扉が軋みながら開き、中で誰かのしゃがれた囁き声が聞こえた。

「おいで……おまえさんをこっから出さなきゃなんねえ……さあ、こっちへ……この箱の中に……」

 聞き覚えがあるようなないような。

 どうにも思い出せないスミレの脇をすり抜けてリドルは部屋の中へ飛び込んだ。

 巨人のような体躯の男子が廊下へ暗い影を落としていた。

 大きな箱を傍らに置き、開け放したドアの前にしゃがみ込んでいる。

「こんばんは、ルビウス」

 リドルが鋭く言った。

 少年は重そうな鉄扉を片腕で閉めて立ち上がった。

 ルビウス。彼は学生時代のハグリッドだった。

 髭こそ生えていないが、今より少しスリムだ。

 もう少し痩せればボリス・カーロフの代役くらいはこなせそうだった。

「トム。こんなところでおめえ、なんしてる?」

 一歩近寄り「観念するんだ」とリドルが告げた。

「ルビウス、残念だが君を学校に引き渡すつもりだ。このまま襲撃事件が続けば、ホグワーツが閉鎖される。明日にも全校生徒は家に送り返される、校長もご存じのことだ」

「な、なんが言いてえのか――」

「僕だって君が誰かを意図して殺しただなんて思っていないさ。だけどルビウス、怪物はペットになれないんだ。君は運動させようとして、ちょっと放したんだろうが、それがミス・ワレンを――」

「こいつは誰も殺してねぇ!」

 若きハグリッドは先ほど閉めた扉の方へ後ずさりした。

 その少年の背後から何かが蠢く音がした。あの向こうにナニかがいる。

 この頃からタチの悪いバケモノを飼う趣味があったのかとずっこけそうだった。

 彼の悪趣味は筋金入りだ。ミリセントやハーマイオニーのロックハート熱病が軽く思える。

「さあ、ルビウス」リドルはさらに詰め寄った。顔は切羽詰まっていた。

「死んだ女子学生のご両親が、明日学校に来る。娘さんを殺した犯人を、確実に始末すること。学校として、少なくともそれだけはできる」

「こいつがやったんじゃねぇ!」

 悲痛な叫びだった。

 しかしやったかどうかなど、スミレには重要ではない。

 リドルとて監督生だ。ならばアクロマンチュラに石化の力がないことは知っていよう。

 飼い主であるハグリッドも……ならば、トムは自覚してこの大男を捕らえたことになる。

 スミレは目の前の美男子への仲間意識を失った。

 もしこの過去に干渉出来るなら、ハグリッドごと怪物を吹き飛ばしてしまいたかった。

 そんな強力な呪文は習得していないけれど。気持ちとして。

「こいつにできるはずねぇ! 絶対やっちゃいねぇ!」

「どいてくれ」リドルは杖を取り出した。

 リドルの呪文が燃えるような光で廊下を照らした。

 ハグリッドの背後で扉が突如として開き、彼は反対側の壁まで吹き飛ばされた。中から出てきた物を見た途端、スミレは思わず悲鳴をあげ廊下へ逃げ出した――誰にも聞こえない長い悲鳴を――。

 毛むくじゃらの巨大な胴体が、低い位置に吊り下げられている。

 絡み合った黒い脚、ギラギラ光るたくさんの眼、剃刀のように鋭い鋏。

 ボルネオ島の肉食蜘蛛、アクロマンチュラそのものだ。まさかこの年で法律違反とは。

 恐怖と怒りで涙がこぼれた。

「アラーニア・エグズメイ! 蜘蛛よ去れ!」

 最初の呪文は外れた。

 リドルがもう一度杖を振り上げたが、遅かった。その生物はリドルを突き転がし、八本の脚を走らせ廊の向こうへ姿を消した。リドルは素早く起き上がり、後ろ姿を目で追い、杖を振り上げた。

「やめろおおおおおおお!」

 巨体が細身のリドルに飛びかかり、杖を奪ってそのまま投げ飛ばした。

 そして、記憶の世界が渦を巻いて闇に溶ける。

 再び目覚めたとき、テーブルの上のザクロは窓の外を眺めていた。

 スミレはソファの上で眠るように姿勢を崩していた。

《戻ったか》

《うん……なんとか?》

 リドルの日記は最初に開いたページのままだ。

 トム・リドルはなんらかの理由でハグリッドを生贄に、ホグワーツの閉鎖を阻止した。

 そのためあの巨漢は杖を奪われ学校を追われた。だから森番なのだ。魔法は必要ない。

 ディペット校長も彼が継承者と思っていなかったのだろう。

 しかし怪物はアクロマンチュラで、学校にはもういない。飼い主は追放したから、もう『秘密の部屋』は開かれることもなかろう。

 そして、リドルがパーセルマウスで部屋を閉じ、襲撃事件は幕を下ろした。

 結果的にトムはホグワーツ閉鎖の危機を救った。

 だから特別功労賞を与え、この件について口を閉ざすよう頼んだのだ。

《どうだった》

《怪物はバジリスクだ……》

 ザクロは鼻で笑った。

 あのアクロマンチュラが恐れる蛇は一種だけ。毒蛇の王、バジリスクのみだ。

 スミレは興奮を抑えきれずペンを取った。

 挨拶も抜きに日記帳へ書き込む。

『怪物は蜘蛛ではなかった。バジリスクですね』

 

『よく気づきましたね。そう、あの蛇はまだ生きている』

 

『そしてあなたは継承者として解き放つ日をそこで待った』

 

 日記帳はそれまで以上に沈黙していた。

 五分ほどして、ようやく文字が浮かび上がった。

 

『なるほど、そこまで掴んでいたとは。どうだろう、君の目的を果たすのならばスリザリンの継承者は最良のパートナーではないかな?』

 

 共闘の申し入れだった。

 明確に受諾して変な呪いを掛けられたくない。

 スミレは遠回しに、そうとも取れる答えを返した。

 

『適当にマグル出身者を襲うのでは面白くありません。ジニー・ウィーズリーから生徒の目を逸らすためのスケープゴートを用意しましょう』

 

 だからそれまで襲撃は待って欲しい。

 リドルの日記はそれが誰か尋ねた。スミレは思いつく限り最善の案で答える。

 襲撃のタイミングはこちらに任せるよう申し出て、リドルの日記は受諾した。

 ジニー・ウィーズリーに返すのはいつでもよいと付け加えて。 

 

 浮かび上がった文章に微笑みかけて、スミレは日記帳を閉じた。

 これで全部を終わらせてしまおう。

 忌々しいファッジの権力も、彼を支えるダンブルドアも、私を苦しめる魔法界も。

 ちょうど今年は都合のいい駒もいることだ――

 

 この夜、スミレは久々に快眠できた。

 

 翌朝の目覚めは心地よく、心まで爽やかに晴れ渡っていた。




 時期的にはハリーの腕が治った頃です。
 原作で言うと『狂ったブラッジャー』と『決闘クラブ』の中間ですね。
 次回はお待ちかねの『決闘クラブ』です。
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