ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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Apéritif(アペリティフ)

 スミレの真っ白な肌色に不快な感情が充満していく。

 表情は微動だにしないながら刺々しい気配はより鋭くなる。

 アーネスト・“アーニー”・マクミランは想像を絶する重圧に晒された。

 激昂されたり、あるいはいっそ無視されてしまった方がずっと気楽に違いなかった。

 その静けさは限りなく張りつめていて、けれど冷たい。先祖達が眠る地下埋葬所(カタコンベ)で感じたあの空気と同じだ。どこか“死”を連想させるような厭な沈黙を破ったのはスミレの方だった。

 

「……どちら様ですか?」

 

 拒絶とも困惑ともとれる声だった。

 アーニーはいまにも叫びそうになりながらも踏みとどまった。

 そもそも。彼女の不興を買うような真似をしたのは誰でもない自分自身である。

 

「ハッフルパフの、キミと同じ三年生で……」

 

「それじゃあコレが初対面ですね」

 

 とことん容赦ない口撃に思えてならなかった。

 スリザリンとハッフルパフで交流に乏しいのは分かるが、合同授業なりで顔を合わせたことは数えきれないはずなのだ。二年間を同じ学校で過ごしていながらごく自然にそんなことを言ってしまえるということは、つまり、スミレの中でアーニーの存在は認識されていなかったことになる。

 追い打ちをかけるように「スリザリン寮所属の三年生、アオイ・スミレです。はじめましてアーネスト(、、、、、)さん」と丁寧な自己紹介をされたところでアーニーの精神は限界に達しつつあった。

 

「それで、ご用件はなんでしょうマクミランさん?」

 

 心の底からこちらに関心がないと理解させられる問いだった。

 声をかけたときに「去年のことを謝らせてほしい」と前置きしている。たった数分のやり取りできれいさっぱり忘れ去ってしまっているなんて、よっぽど相手に対して無関心でなければできっこないことだろう。もしかすると周囲への関心を捨て去ることが『秘密の部屋』を巡る騒動に巻き込まれたスミレなりの、追い詰められた末の自衛手段だったのかもしれない。

 そう思えばアーニーはいっそう罪悪感に苛まれるのだった。

 

「アオイさん、ボクはキミを『スリザリンの継承者』だと誤解して、その、とても酷いことを……」

 

「ああ、そのことですか」

 

 小さくため息をついてスミレは続けた。少し驚いたように見えるのは気のせいだろうか。

 

「あのあと誰も謝りに来なかったので、すっかり忘れていました」

 

 いまも根に持っているし、恨み骨髄であった。

 そんなことはないと装って「忘れた」なんて言ってみても、謝罪がなかったことはしっかり覚えているのだから、今の今までアーニーへも怒りの矛先が向けられていたのだ。とぼけた風に「そんなこともありましたね」と口元だけで笑って、真っ黒な視線はじっとアーニーを捉えて離さない。

 

「今さらどうでもいいことです。お互い水に流し(、、、、)ましょう(、、、、)

 

 水に流そう――スミレはそう言ってゆるやかに微笑んだ。

 ホグワーツでほとんど見たことがない笑顔はどこまでも優しげで、幼い顔立ちながら品のある目鼻立ちからも育ちの良さがうかがえる。いままでそんな風に意識したことがなかったアーニーは、暗い印象を抱いていたスミレが実はかなり可愛らしい女の子なのだと気づいて、心臓が跳ね上がるあまり口から飛び出しそうに思えた。

 ひどく図々しいうえに恥ずかしいからけっして悟られるまいと平静を装う。

 一方、スミレはそれで用が済んだと判断したのかまた本棚と向き合っている。

 フローリッシュ&ブロッツ書店の照明もほとんど届かないような薄暗がりで、埃をかぶった古くさい本を手にとってはまたもとの位置に戻していく。

 スミレが最後に目次をあらためた一冊を見てみる。タイトルには『近代魔法史』とある。

 魔法史の課題レポートは中世における魔女狩りについてだったから、わざわざ読む必要があるとは思えなかった。奇妙に思いながらもアーニーは親切心から自分が参考にした文献がないかと背表紙の列を眺めてみたものの、どうにもこの本棚はここ数十年の魔法史について厚かった書籍しか置いていないらしかった。

 けれど話しかけるきっかけ欲しさからなんとか口実を見繕うのだった。

 

「アオイさんは魔法史に興味があるのかな。ずいぶん熱心に何か探しているらしいけれど、微力ながらボクにも手伝わせてくれるとうれしい」

 

 拒絶されやしないかと内心で怯えながら、もう一度あの微笑を期待している。

 話しかけられたスミレの方はいつもの血の気も凍りついたような無表情で「『生粋の貴族―魔法界家系図』です」と答えた。

 望んでいた反応でなく残念に思うよりも驚きが勝ってアーニーは下心が吹き飛んだ。

 

「それは見つかりっこない!」

 

「それは絶版になった、ということでしょうか」

 

 否否、そうではないんだ――とアーニーはゆっくりと首を左右に振る。

 こういういちいち芝居がかった仕草から「鼻持ちならないヤツ」と少なからず煙たがられているし、スミレの視線にも苛立ちが滲んでくるのだが、自覚出来ていればそんなことにはならないのである。

 探し求めている書籍が如何なる素性であるのか。無自覚な気障ったらしさでアーニーが朗々と語り尽くすのをスミレはひたすらに待ち続け、長い講釈が終わるやいなやため息をつくのも惜しいと言わんばかりに「そうですか」と素っ気ない感想を述べた。それを置き土産に目にも止まらぬ速さでその場を去って行く。

 拍手までは求めないが賛辞の一つくらいあると踏んでいたアーニーは見事に置いてけぼりを喰らうかたちになった。

 

 

 ウィーズリー夫妻の口論を聞いてしまったハリーは今晩眠れる自信がなかった。

 いざ二階の客室へ戻ってベッドに寝転がっても、シリウス・ブラックのことが頭の中をぐるぐると彷徨って睡魔をどこかへ追いやってしまっていた。ホグズミードへ行ける見込みはまったくなくなってしまったし、あのウィーズリー氏があそこまで悪し様に言う“アズカバンの看守たち”とはいったいどんな連中なのだろう?

 考えれば考えるほど目が覚めてしまう。

 とにかく寝なければ。新学期は明日なんだ。

 荷物だって山のようにある。たとえ首尾よくホグワーツ特急に乗り込めたって、こんどは席を探さないといけないんだぞハリー。

 そう自分に言い聞かせても意識は覚醒したままだった。

 いっそこのまま朝まで起き続けてしまおうかな。

 眠るなら列車の中でも出来るんだから、と思い始めたそのとき。

 誰かがハリーの泊まっている客室をノックした。枕元に置いていたメガネをかけて扉の方へ目を向ける。

 

「誰?」

 

「僕だよハリー!」「私よハリー!」

 

 圧し殺した声で尋ねるとロンとハーマイオニーが同時に答えた。

 ホッとしたのが正直な気持ちだ。ハリーは鍵を開けて二人を迎え入れた。

 どうせ眠れないなら話し相手がいてくれた方がいい。それも親友の二人なら最高だ。

 ロンはすこし眠たげな目をしている。パジャマの胸ポケットが膨らんでいるのは、ついさっきハリーが食堂で見つけてあげたネズミドリンクの小瓶だった。ハーマイオニーの方は羊皮紙も教科書も持って来ていないけれど、思い悩んだように所在なさげにしている。

 

「えーっと……ハリー、ロンのご両親の話してたことなんだけど……」

 

「盗み聞きしようと思っちゃいなかったんだ。だけど、二人して声が大きいもんだから……」

 

 確かに『漏れ鍋』はずいぶん古い建物である。どこかで誰かが口論を始めればすぐにも二階に響いてしまう。それが一階の食堂でみんなが寝静まった時間におっ始めようものなら言わずもがなである。ロンは呆れた表情で肩をすくめて見せた。実際はそれほど大きな声ではなかったけれど、ハーマイオニーもたまたま目が覚めたときにでもうっかり聞いてしまったのだろう。

 

「スミレの祖父さんが『例のあの人』の支援者だったなんて信じられないね」

 

「それもだけど、正直タイミングがよすぎない? 『例のあの人』の信奉者で殺人鬼のシリウス・ブラックがアズカバンから脱獄したのと、『例のあの人』の支援者の孫娘がイギリスにやって来るのと……ああハリー、あなた今年こそは気をつけなきゃ」

 

「何に気をつけろって? またぞろ『骨生え薬(スケレ・グロ)』のお世話にならないように?」

 

 茶化すようなロンの口ぶりにハーマイオニーはイライラとした目で睨み返した。

 同じコトを言おうとしていたハリーは「気づかなかったよ!」という表情を作った。

 

「自分から飛び込んでいったりなんかしないさ……」

 

 怒りの矛先が自分の方へ向いたのに気づいてしおらしい態度をとった。

 

「いつもトラブルの方が飛び込んでくるんだ」

 

「相手はハリーの命を狙う狂人だぜ。自分からのこのこ会いに行くバカがいるかい?」

 

 そう笑い飛ばそうとするロンも表情は強張っている。

 ハリーが想像していたより二人は重く受け止めていた。二年連続でハリーが騒動の中心にいただけにシリウス・ブラックの脱獄をひどく恐れているようだった。

 古びたウッドチェアに座り直してロンは「それより」と言った。

 

「最悪なのは問題の“孫娘”が二人になることだよな。一人だけでも手に負えないっていうのに、なんだってもう一人寄こしてくるんだろう」

 

「少しでもスミレを落ち着かせようって考えなのかもしれないわ。あの子って、ウーン…………そう、繊細なのよ。すっごく繊細(、、、、、)だから、家族がそばにいれば少しは気持ちが楽になるかもしれないじゃない?」

 

「だからって『例のあの人』に協力してたようなヤツの身内を送り込んでくるなんて、無神経じゃないか。魔法省は誰も反対しなかったのかな」

 

「ルシウス・マルフォイが根回しなり恐喝して押し通したのかも」

 

 意外な人から意外な意見が飛び出した。

 ハーマイオニーの推測にロンだけでなくハリーも驚いて身を乗り出した。

 憶測や推論に否定的な彼女がそんな発言をするなんて予想だにしなかった。

 驚愕の反応に気づいたハーマイオニーは少し不機嫌そうに片方の眉を吊り上げた。

 

「なんの根拠もなく言ったんじゃないわ。スミレの叔父さんにショウブって人がいるの。魔法薬の研究家として最近注目されてるんだけど、彼のスポンサーがマルフォイ家なの」

 

「ウヘェ。キミの前じゃプライバシーなんてあったもんじゃないなぁ」

 

「なに言ってるのロン。日刊予言者新聞の独占インタビュー記事に書いてあったのよ」

 

 残念ながらハリーもそんなところまで読んだことがなかった。

 クィディッチのゲーム結果と新しい箒の広告に目を通すくらいである。

 

「つまり、マルフォイやブラックが仕えていた『例のあの人』にスミレの祖父さんがカネを渡してて、その祖父さんの息子に今度はマルフォイがカネを出してて、ついには祖父さんの息子の娘までホグワーツに来るってタイミングでブラックが脱獄? なんだい不気味な連中ばっかり関わってるじゃないか」

 

 改めてロンに言われるとハリーはさらに気持ちが深いところへ沈んでいくように思えた。

 ここまで来るともはや不気味なんてもんじゃない。マルフォイとアオイとブラックの三人が示し合わせて自分を狙っているかもしれないのだ。証拠のあるなしなんてこの際まったく関係なくなってしまった。

 何もかもが完ぺきなタイミングなのだ。

 いっそ完ぺきすぎるくらいで、むしろ偶然を疑いたくなる。

 どんどん不安が押し寄せてくるハリーをハーマイオニーは励ますように言った。

 ウィーズリー夫人も言っていたし、もしも両親が生きていれば同じコトを言っただろう。

 

 

「けれどホグワーツにはダンブルドアがいるわ。あの人がいる限り、ホグワーツはイギリスで一番安全な場所よ。そうでしょう?」

 

 けれどロンが抱いている不安はおそらく魔法界のみんなが共有しているはずだ。

 ウィーズリー氏だけじゃない。なんなら『漏れ鍋』の亭主であるトムだって薄々ながらでも感じているはずだ。

 そのくらい状況はよくない。ファッジ大臣がハリーの身を案じて『漏れ鍋』まで出向いていた理由もそこにある。

 

「ブラックがどうやって脱獄したのか誰も分かっちゃいない。これまで脱獄した者だっていない。しかもアイツは囚人の中で一番厳しい監視を受けていたんだ……」

 

 ロンはひどく落ち着かない様子で言った。まるで視察にでも行って来たような口ぶりだ。

 悲観論を退けるようにハーマイオニーの口調は力強かった。

 

「だけど、すぐ捕まるわ……マグルまで動員して大人数でブラックを捜索しているのよ」

 

「相手はアズカバンの看守の目をかいくぐったようなヤツだ。こう言っちゃあなんだけど、マグルを何人連れてきたって見つかりっこないよ……魔法省が総動員しても三週間かかって手がかりなしなんだから」

 

 ハリーは頷くこともできず、ただ黙って握りこぶしを見つめるだけだった。

 改めて自分の置かれている状況を再認識させられる。最悪中の最悪もいいところだ。世間にしてみればブラックは指名手配犯だが、ブラックの方にしてみればハリーこそ賞金首である。なにせ『闇の帝王』ヴォルデモート卿の失墜を招いた張本人である。闇の魔法使いたちにとってハリー・ポッターこそご主人様の仇なのだ。

 

「ハリー、キミ本当に今年は気をつけないといけないよ。ホグズミードに行くのだってマクゴナガルはいい顔しないぜきっと……」

 

 その心配だけはまったく必要ないのが殊更に悲しい。保護者(ダーズリ-)はサインをしてもらうどころじゃなくなってしまったし、ファッジ大臣やウィーズリー氏もダメだった。たとえこんな状況でなくたって、あの厳格なグリフィンドールの寮監がハリーにだけ例外を認めてくれるハズがない……。

 


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