ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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美少女の花が 満開 全開

 冷たい横殴りの雨はついに止まなかった。

 それどころかホグズミード駅に着く頃にはより激しく降り始めた。

 狭いプラットホームはごった返しで、誰も彼もが風雨に叩かれながら、ひとりでに動く奇怪な()()()()()へと乗り込んでいく。いつもなら簡素な荷台にこれまた簡素な車輪が四つ取りつけられた、ひどく簡素な造りなのだが、今年は何やら豪勢に扉付きの四人乗りであった。

 ホグズミード駅は鬱蒼とした森の手前にある。ホグワーツ城へは森の中を突っ切るかたちで開かれた道を通るしかない。もちろんアスファルトで舗装されているようなことはない。よって今日のようにひとたび雨が降ればすぐに泥濘む。駅前の寂れようは、スミレとアザミの地元の比でなかった。なにせ石造りのとってつけたような駅舎と、こじんまりした駅前広場のほかに、まったく何もないのである。

 馬車に揺られているうちアザミの瞳はもとの険しさを取り戻した。

 顔色はまだいくらか青ざめているものの、列車を降りるまでのあの呆けた様子はちっとも見られない。それにスミレも血の気が失せたような白い顔をしているから、二人が並べばよく似た顔立ちの姉妹に見えなくもないだろう。

 実際は従姉妹であって、母親と父親の方が姉弟にあたるのだが。

 パンジーもようやく活力がもどり始めていた。彼女もやはり顔色は優れない。ブルネットのボブカットはすっかり雨に濡れてしまっている。

 そんな様子でさえも可愛らしいからスミレは目のやり場に困った。

 ホグワーツ特急で間近に迫られたときも本当に危なかった。

 彼女の一挙手一投足から愛嬌がとめどなくあふれ出ているのだ。

 美少女という神秘の存在にどうやって接すればよいのか。それこそホグワーツ魔法魔術学校で教えてくれればよいのに。

 まだ倦怠感が抜けきらないでいるアザミはぐったりとスミレにもたれかかる。

 それでも魔法省を罵倒するだけの気力は復活しているのだった。

「ナニ考えてんだよ魔法省は。よりにもよって吸魂鬼(ディメンター)を解き放ちやがって、死人が出たらどうすんだバカが」

 伝わってくる鼓動の速さはあえて気づいていないことにした。

 止まっているのでなければ問題ないだろう。体温の高さも。従姉の手を握るか握るまいか逡巡して挙動不審になっているのも。いちいち指摘するほど悪趣味な嗜好には目覚めていないし、なにより体力が惜しかった。

 ホグワーツ特急を停車させたのも吸魂鬼であった。

 シリウス・ブラックの捜索を口実に車内へ乗り込んできたのだ。

 結果的に数名の生徒が体調を悪くするだけに終わった。

 運よく新任の教師が数名乗り合わせていて、アザミは発車前に見かけた真紅のローブの魔女に気付け薬を手渡された。魔法薬学の教授はそれほど高齢でなく、薬草学の教授は年配に見えるが健康そのものというから、退職続きの闇の魔術に対する防衛術か、あるいは他の科目を受け持つのだろう。

 ブランデーの甘く芳醇な香りがする“気付け薬”を少しずつ舐めながら、アザミは小窓を開き外へと目を向ける。

 馬車の大行列は森を抜けていた。

 大きな湖の畔をゆっくりと進んでいる。

 大雨のせいで月明かりもない。雨粒のレースと夜闇のカーテンの向こう側にホグワーツ城のシルエットがぼんやりと浮かぶ。いくつもの立派な尖塔が空に向かって伸び、それらを擁する城郭は威風堂々として黒い湖と森とを見下ろす。

 巨大な鋼鉄の扉を過ぎる。目を凝らすと、左右にそれぞれ聳える門柱の上には有翼の猪の像が置かれているのが分かった。さらに門柱の前には一体ずつあの忌々しい吸魂鬼が控え、正門の警備を行なっている。ホグワーツ特急での一幕を思い出し、アザミの眉間に深々とシワが刻み込まれた

 わざとらしく音を立てて窓を閉めても相手は微動だにしない。

 いよいよ面白くないアザミはふんぞり返って脚を組んだ。

 眼を細めるといかにも気の短い粗暴な印象が強くなる。不機嫌な表情まで従妹とそっくりながら、やはり顔の作りは父親から受け継いでいるようだった。

「アザミはこのあと大丈夫? 新入生の組み分けの儀式だけでも時間がかかるし、晩餐会だってあるから今夜は長丁場になるけど」

「……吸魂鬼のせいで具合が悪いなんて言ったらマダム・ポンフリーにベッドに縛りつけられませんか?」

「だったら時差ボケですって言うさ。こんくらい、気合い入れて寝たら一晩で治る」

「スミレスミレ、それって気合いで治ったりするの?」

「パンジー、時差ボケが気合いで治るわけありませんよ」

「治したんだよアタシは。経験者なんだって」

「どうなってるのよアンタの姉さん。いつもこんな調子?」

「うーん、ちょっとはしゃいでると思います。はじめて海外に来たから」

「イラんこと言うなや。生まれてはじめてなんだからしょうがねえだろ」

 いまにも額に青筋を浮かべそうな笑顔でアザミは応じた。

 八重歯を覗かせるギラギラした表情は威圧感たっぷりだったが、スミレもパンジーもそれよりずっと気がかりなことがあった。

 蓋が開けっ放しになった金属製のスキットル。ホグワーツ特急で新任教師を名乗った魔女がアザミに押しつけたものである。中身は気付け薬であるらしい。最初こそ舌先でおそるおそる舐めるようにしていたのだが、いまやグイと煽るたびにアルコールの香りが漂ってくる。ゴクリと喉を鳴らしながら胃へと流し込んでいる。悲しいかなパンジー・パーキンソンは魔法薬の知識に乏しい。よって自然とスミレへ責任がのしかかる。

 数十分前まで血色不良が抜けきらないでいたアザミは、気づけばすっかり紅潮し耳の先まで赤くしているのだった。顔を見合わせる気力さえ湧いてこない。この有り様を見た教授たちになんと言い訳すればよいのか。まさか、新学期当日にこんな課題が襲いかかってくるとは想像だに出来なかった。

「カンペキに酔ってますよね」

「うん。どう見ても酔っ払ってる」

「フザけんな、素面に決まってンだろ」

 呂律も怪しげな状態を“素面”と言わないのは魔法界も非魔法界も同じだ。

 どんどんテンションが異次元の高まりを見せるアザミをわきに、スミレとパンジーはアルコールを一滴たりとも摂取していないにもかかわらず頭が痛かった。

 坂道で馬車はいっきに加速する。そのまま勢いよく急勾配を登りきると今度はなめらかに停車して、やはり独りでに扉が開いたのだった。

 雨足はホグズミード駅に着いたときと比べていくらか落ち着いていた。

 スミレが真っ先に飛び降りて続くパンジーが雨に濡れないよう傘を差しだした。

「気持ちは嬉しいんだけど、肝心のアンタが濡れちゃったらダメじゃない」

「いいんです。ちょっと冷えたくらいで風邪を引くような身体じゃないので」

「アザミの方はいいから先に着替えてきなさい。荷物はクラッブかゴイルに運ばせるわ」

「そんな……あの二人に悪いですよ。姉さんの分は私が運ぶから大丈夫です」

「どうせ今年も教科書の読み方から教えないといけないんだから。このくらい授業料よ授業料」

「なるほど。そういうことなら、ザビニにでもお願いします。迷惑料の前払いということで」

「なによ、いい根性してるんだから。ふうん……ちょっとは打たれ強くなったみたいね」

 両手で大きな旅行鞄を引きずりながらパンジーもどうにか馬車を降りる。

 華奢な身体にはかなり重いらしい。三年生にもなると教科書の厚さが桁違いで、さらに選択科目も増えるので高貴な生まれの生徒たちには大変な重労働である。しかしアザミはほぼ同程度のサイズのキャリーケースを軽々と片手で従えながらなんの苦もなく馬車から降り立った。

 ほぼ同じタイミングで少し離れたところからいかにも腹立たしげな声が聞こえた。

「おいおい、なんだいアイツ。どの面下げてまたホグワーツへ来たんだ?」

「向こうには恥知らずって言葉がないんだろ。きっと」

「それは知らなかったよ。ハーマイオニー、キミわざわざ日本語まで勉強してるんだから、そうと知ってるなら教えてくれたってよかったじゃないか!」

 スミレははじめから聞こえていないよう振る舞った。もし自分がその気になれば、いつでも彼らをバジリスクの餌にできるのだ。ネズミの鳴き声だと思えばむしろ怒る方がみっともない気がする。パンジーが反射的に杖を抜こうとするよりも、揶揄の声を聞きつけたドラコの加勢が先だった。

「これはこれはご機嫌ようハリー・ポッター。いい夏期休暇だっ…………おやおや、しばらく見ないうちに随分やつれたみたいだね。まさかとは思うが、夏休みのあいだどこかに監禁でもされていたのかい? 例えばそうだな――()()()()()()()()()()()()、とか」

 タイミングを見計らったようにクラッブとゴイルが豚のような笑い声をあげた。

 ロン・ウィーズリーの鼻の穴がさらに大きくなった。ドラコは何も言い返せずにいるハーマイオニーを肘で押し退け、石階段の半ばで振り返った。グリフィンドールの三人組と城との間に立ちはだかる位置から、ハリーたちを嘲笑った。

「まったく君たちは()()()が……いや違うな。ああそうだ、こう言うべきかな――――()()()()()のだけは得意らしいね」

「ご丁寧な挨拶に身の上の心配までわざわざどうも。けど大丈夫だよ、なにせあのダーズリーも君たち親子ほど堕落してなければ腐ってもいない。流石は名誉あるスリザリンの家系らしい邪悪な魂の持ち主だよ」

「これは驚いた……英雄ともあろうハリー・ポッターが犬畜生に育てられていたなんて。そりゃあ礼儀作法なんて知りようもない、むしろ咎めた方が不躾なくらいだ。世の中どうなっているんだろうねェ、これじゃあいよいよご両親が報われないじゃないか、なぁ?」

 スミレはこういう舌戦が苦手だった。まず言葉が思うように出てこない。それに相手の境遇を揶揄するのも心苦しいものがある。だからではないけれど、やはりドラコ・マルフォイのことを好きにはなれないし、ロン・ウィーズリーも根本的には彼と同類であると認識している。結局は口ばかりなのだ。我慢できるなら黙っていればいいし、聞き捨てならないなら黙らせてしまえばそれでよい。スミレは基本的に前者の対応をとる。喧嘩をすれば親に迷惑がかかるからだ。

「それはそうとポッター、吸魂鬼が恐ろしいあまり気絶したんだって? ロングボトムの言うことなんて信じたくもないがその顔色はどうやら本当らしいな」

「黙ってろよマルフォイ。どうせ君の父親の差し金だろう? 闇の連中とは長い付き合いなんだ、吸魂鬼なんていくらでも好きに出来るじゃないか」

「どうしたんだウィーズリー。そんなに髪まで真っ赤にした怒るなんて、さては君もおっかなくてネズミみたいに震え上がっていたのかな?」

 端正な顔立ちが底意地の悪い笑みで歪んでいく。

 格好の獲物を前にして翡翠色の瞳は冷酷に輝きを放つ。

 こと口喧嘩に限ればドラコは向かうところ敵無しだろう。

 限界まで膨れ上がった怒気を鎮めたのは穏やかな男性の声だった。

「どうかしたかな?」

 馬車からゆっくり降りてきたのはスミレの見知らぬ人物だった。

 けれどその後に続いてあの真紅の魔女が現れたので、この酷くやつれた男も新しい教授なのだと分かった。鳶色のコートは継ぎ接ぎだらけ。手元の鞄もずいぶん古いうえに傷んでいる。とてもではないが教授には見えない。だとするとアーガス・フィルチの後任なのかもしれない。

 しかし残念ながらハーマイオニーは男性を「ルーピン先生」と呼んだ。

 わざとらしく「先生」と呼ばれた理由はあちらも察していた。

 血色の悪い顔で力なく微笑んで、

「あまり連中の名前を呼ばない方がいい。アズカバンの看守などと言っても、闇の生物には違いないからね」

 初対面の教授を前にしてドラコはあっさり引き下がった。

 白髪混じりの頭髪や顔の大きな傷痕をジロジロと観察してから、

「肝に銘じておくことにしますよ――――先生」

 と嘲りを隠そうともせず皮肉を込めて言う。そのままクラッブとゴイルに目配せして三人ともども城への石階段を登っていった。

 ハーマイオニーは何事もなかったように――言いかえるなら、ドラコたちなど存在していなかったかのように――もう一人の女性についてルーピンに尋ねた。パンジーへの当てつけなのは明白である。

「ルーピン先生、そちらの方はどなたでしょうか」

「彼女かい? バスシバ・バブリングといって、えーと……史上最年少の“呪い破り”、でよかったのかな」

小鬼(グリンゴッツ)との契約は終了している。今はホグワーツ魔法魔術学校の古代ルーン文字学教授だ」

 呪い破り――ハリーとスミレにはどんな職業なのか分からなかったが、ハーマイオニーやロンの驚きようからどれほど凄いのか、なんとなく察せられた。どうやらただの研究家ではないらしい。初対面のスミレはさておきハリーはルーピンのことを完全に信頼しているから、その彼がわざわざ史上最年少と前置きしたことも聞き逃してはいなかった。

 バブリングはダークブロンドの髪を左右非対称(アシンメトリー)で小綺麗に整え、力強い眉や目元と合わさって舞台役者のような迫力がある。真紅のスーツはルビーを鋳溶かして染め上げたように鮮やかで、なにかの冗談みたいなファッションを完璧に着こなしている。しかし無機質な氷蒼(アイスブルー)の目がまったく情熱を感じさせない。

 突き放すような口調も酷薄な印象をさらに強くしている。

 視線はずっとアザミの方を向いて微動だにしない。その理由が気にならないではなかったが、生徒を乗せた馬車が次々にやってくる。周囲の目を気にしたロンとハーマイオニーに背中を押されたハリーは石階段を駆け上っていった。アザミは自分のコウモリ傘を広げていて、気づけばスミレはパンジーと二人で相合傘をする形になっていた。

 何もかも面白くないパンジーがスミレの手を引っ張って城へ向かう。

 その後ろをアザミがゆっくりとした大股で追いかける。いきなり手を掴まれたスミレは何がなんだか分からないまま顔を真っ赤にして、ブランデーを飲み過ぎたはずのアザミはけろりとしている。長い長い行列の流れに従って進んでいくうちに正面玄関――樫の木で造られたとても重厚で巨大な扉だ――を通り抜け、とてつもなく広い玄関ホールへと入った。松明で明るく照らされたホールの奥には上階へ通ずる大理石の階段がある。緻密な彫刻が施された階段をのぼって右を向くと大広間が待ち構えている。

 年代モノであろう扉のそばに薄暗い人影が見えた。

 近づいていくとそれは魔法薬学教授であるセブルス・スネイプその人と分かった。黒ずくめの服装に険悪な表情がいかにも陰気なスリザリンの寮監は、人混みの中にスミレの姿を見つけると「アオイ! ああ失敬、今年からは二人いるのだったな……両名とも我が輩の研究室へ来るように。今すぐだ」と低く湿った声で呼び止めた。

 囁くような声量でもしっかり聞き取れるから妙に薄気味悪い。

 今度はアザミがスミレの手を掴んで引っ張った。力負けしたパンジーまで巻き込まれて、結局三人ともスネイプの前までやって来ると、呼びつけた張本人は眉ひとつ動かさず「ミス・パーキンソン、君を呼んだ覚えはないが。まあ差し支えあるまい」といやに寛大な態度を見せた。スリザリン生には一事が万事こんな調子で甘いのである。これがグリフィンドール生相手ならあからさまに眉間に皺を寄せ、露骨すぎるほど不快感を示して追い払うのである。

 だからスミレはこの教授のことを欠片も尊敬できずにいる。

 セブルス・スネイプが教職に相応しくないという一点において、グリフィンドール生たちの主張に共感すらしている。

 昨年()()()()()()()()()あのギルデロイ・ロックハートもさることながら、何故ダンブルドアはこんな人間を聖職者たる教員として置いているのかまったく理解できない。

 三人はまとめてスネイプの研究室へ通された。天井まで届くほど背の高い棚で壁が埋め尽くされ、無数の引き出しにはそれぞれ保管されている魔法薬の材料名が記載されていた。教室とはうってかわって整理整頓が行き届いているのも、先祖代々で魔法薬の研究を()()()()生業としてきた葵家に生まれていれば驚くには値しない。

 論文を執筆するためだけの簡素なデスクと、椅子や照明など必要最低限の調度品を除きあらゆる無駄を廃した室内はいかにも研究者らしい。スネイプに許可されて三人は来客用のソファに座った。座り心地など考慮されているはずがなく、低反発どころか無反発の代物だった。かえって腰に悪いような気がしてならない。

「バブリング教授から我が輩宛てにフクロウ便が届いている。しかも速達でだ。何故このようなものが送られてきたのか、諸君らもよく承知していることだろう」

 回りくどい前置きをしなければ他人と会話が出来ない体質らしい。

 これが同級生や後輩ならアザミはとっくに殴りかかっている。

「無論、列車内での一件について報せたものだ。我が輩としてはにわかに信じ難い事だが……吸魂鬼がコンパートメントへ侵入してきたというのは事実かね?」

 そう尋ねられ、パンジーが真っ先に頷いた。アザミもやや遅れて「はい」とだけ答えた。スミレは「あの奇妙な生き物が噂に聞く吸魂鬼(ディメンター)か」と納得するのが先になり、会話の流れに乗り損ねてしまった。

 土気色をしたスネイプの顔はますます陰気なものに変わる。

 生きているのか死んでいるのか。それさえ怪しげな顔色であった。

「ダンブルドア校長は本件を深く憂慮されている。後日、校長閣下直々に魔法省へ正式な抗議を行うとともに、父兄に対し謝罪の手紙を送付なされる」

 それはつまり、必要以上に騒ぎ立ててくれるなという要求であり、これで手打ちにして欲しいという要望でもあり、そしてスネイプの口ぶりはほとんど命令に等しかった。パンジーはもちろんのことアザミもわざわざ騒ぎを大きくするつもりはない。おそらくこの呼び出しもダンブルドアから火消しを指示されてのことだろう。新学期早々から気苦労の絶えない教授の心中を思えば、まさか約束を反故にするような真似は憚られた。

 吸魂鬼の一件はひとまず決着した。スネイプは「時間割について話がある」とだけ言ってアザミを残し、パンジーとスミレはそのまま解放された。結局、一度たりとも身を案じてくれるような言葉の類いは出てこなかった。セブルス・スネイプにそのような人間性を期待するのがそもそも誤りなのかもしれない。スミレは改めて魔法薬学教授に失望したのだった。

 二人がスネイプの研究室から出ると、古代ルーン文字学教授のバスシバ・バブリングが外で待ち構えていた。

「寮監殿の用事は済んだらしいね」

 先ほどとは別人のように柔らかな態度だった。あまりの豹変ぶりにパンジーは開いた口が塞がらないでいる。

「恥ずかしながら人見知りなんだ。大人数だと緊張してしまう」

 そう言って苦笑すると親しみやすい雰囲気がある。

 あのよく言えばスマートな、悪く言えば冷淡な第一印象が大きく裏切られた。

 しかし授業ともなれば少なくない人数の生徒が一度に集まるのだ。そうなるとこの気さくな人柄に触れられる機会はごく限られてくる。よほど生真面目な性格でもなければ授業のほかで教授と会うこともない。しかも今日は新学期、バブリングは赴任したばかりである。まだ他の誰も知ることがない新教授の意外な一面に触れられたのは、素直に嬉しいものがあった。それが同性でさえ憧れるほどの美人ともなれば尚更だ。

「もう一人はまだ時間がかかりそうだ。よければ大広間まで一緒にどうかな?」

「もちろん、是非お願いします」

「私も……せっかく待っていてくださったなら……」

 パンジーとスミレはすっかりこの若い女性教授を気に入っていた。

 三人で連れ立って歩いている途中も他愛ない雑談で盛り上がり、教授も愛嬌のある生徒と出会えたのが嬉しいらしく色々な思い出話を聞かせてくれた。その中にはあの悪名高いギルデロイ・ロックハートや悲惨な末路を辿ったクィリナス・クィレルも登場し、スミレは教授との奇妙な縁を感じさせられた。

 大広間の近くまで戻ってきたとき、バブリングはふと思い出したように「そうだった」と手を叩いた。

「……アオイくん、は二人いるんだったか」

「スミレで構いませんよ。ややこしいですから」

「ではお言葉に甘えて。スミレくんの叔父上から話は伺っている、君もホグワーツの食事は苦手だそうだね」

「それってショウブ叔父さんから?」

 スミレと血が繋がった()()は他にいない。本家五人姉弟のうちショウブを除けばみな婿養子である。もともと世界中を飛び回っているからどこに知り合いがいてもおかしくはないが、まさか教授がその一人とは思いもしなかった。

 そしてバブリングは頷いたあと「私もここの料理は学生時代からあわなくってね」とため息をついた。事実、スミレは日々の食事に散々悩まされていて、原因は繊細すぎる味覚と本人の頑固さにある。パンジーにはとても理解の及ばない世界である。

「もしよければ、このあと私の研究室で一緒に食事でもどうかな。前もって作り置きした簡単なものしかないが……ああ、もちろんパンジーとアザミもきてくれると嬉しい」

「是非ご一緒したいです、アザミ姉さんも辞退しないと思います。えっと、パンジーは……その、どうしますか?」

「んー…………お腹は空いてるけど、正直、今日はあんまりガッツリ食べたい気分じゃないのよね。ホラ、()()()()()があったあとだし」

「うんうん。玉葱のコンソメスープに、卵とほうれん草のキッシュなら胃にも優しいだろう。食べ足りないならチーズと果物もある」

 おそらくアザミはそれでも食べ足りないだろうけれど。きっと、本調子だったらスミレも満腹にはなれないけれど。しかしただ空腹を満たすだけが食事ではない。たまには美味しい物をつまみながらおしゃべりに花を咲かせるのも良いものだろう。少なくともこの二年間、心の底から美味しいと思えるような料理など、スミレの記憶の中にはほとんど存在していないのだ。




 本作におけるバスシバ・バブリングの容姿は映画『ジョン・ウィック2』より女暗殺者アレス(演:ルビー・ローズ)を参考に。服のデザインは“ルビー”に加え映画版ハリー・ポッターに登場するバスシバ・バブリングがしばしば赤い衣服を着用していることから。
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