三人が大広間に着くとフリットウィック教授が組み分け帽子と三本脚の丸椅子を脇に片付けている最中だった。新入生の組み分け儀式がちょうど終わってしまったらしい。パンジーは悔しげに「ツイてないわ」と小さく呟いた。スミレはさしたる興味もなかったので一向に構わなかった。
バブリング教授は真っ赤なヒールを鳴らして教職員の席へと向かって行った。派手な装いが人目を引いてくれたおかげでパンジーとスミレはすんなりとスリザリン寮のテーブルに三人分の空席を見つけられた。フローラ・カローとヘスティア・カローがあらかじめ確保してくれていたのだ。
席につくまでに後ろを振り返ったり心配そうな顔をする生徒はいたが、指を差したり何か囁きあったりするようなことはなかった。体調について尋ねてくる上級生が数名いたぐらいのものである。それも親切心からのお節介であるから、スミレもいちいち答えるような真似はせずに曖昧な笑顔を作って応じた。
スリザリン寮も
もちろんフローラとヘスティアもある程度は知っているらしい。双子の姉妹はそれぞれスミレの手を握りしめた。
「スミレ姉様のお身体に何事かあったのかと不安で不安で……」
フローラは目尻に浮かぶ涙をローブの袖に染み込ませた。
「もしもお見えにならなければ医務室までお邪魔しようと……」
フローラは声を震わせて口元をローブの袖で覆い隠した。
そんなに慕っているなら素直に思いの丈を伝えればいいのに……なんだか知らないが退屈な芝居を見せつけられている気分で、パンジーは白けた表情を隠そうともせず頬杖をついた。さらに気に入らないのは自分のすぐ右隣もちゃっかり確保していることだ。アザミもここへ呼びつけるつもりなのだ。そんな余裕があるならドラコを……と思ったが、クラッブとゴイルもついて来ることを考えると、やはりこれで良かったのかもしれない。
アンニュイなため息と同時に勢いよく扉の開く音が響いた。
奥の扉から登場したスネイプがマクゴナガルの隣に座る。
教職員がようやく揃って、いよいよダンブルドアが壇上に立った。たったそれだけで大広間は一瞬のうちに静まりかえる。
齢百歳を超えてなお強烈なパワーを秘めている。
万人が認める規格外の天才であり、かつ多くの人々に慕われながら、隠者のように振る舞うことを好む偏屈者でもある。パンジーはこの老人がどうしても好きになれなかった。それは彼がマグル贔屓を公言し、事あるごとに純血主義を批判するだけではない。少なくとも今はこの老人を信用できない理由がもう一つある。
それというのも、スミレへの不自然な態度にある。
――どうして彼女をホグワーツに通わせるのだろう?
半吸血鬼になったからと言って、他に治療する手段はいくらでもあるはずだ。なにもホグワーツ魔法魔術学校でなければならない理屈があるとは思えないし、ダンブルドアほどの人物ならいくらでも選択肢を用意できるだろう。けれどこの老人は頑なにスミレを手元に置こうとしている。
そこには必ず何か理由がある。ダンブルドアはかつて不死鳥の騎士団を率いていたのだから、当然、アオイ家とヴォルデモート卿のつながりは知っているはず……。
考えても考えてもそれらしい可能性は思いつかなかった。
吸魂鬼がコンパートメントに入ってきて以来、ずっと心がざわめいて落ち着かない。
「おめでとう!」
ダンブルドアの象徴とも言える、半月形の眼鏡と白く長い顎髭だけが、蝋燭の灯りを反射してキラキラと光り輝いていた。
新学期の挨拶が耳を右から左へ通り抜けていく。今年で三度目になるということもあり、飽きてしまっているのも事実だった。
吸血鬼のこと、脱獄犯のこと、新しい教授のこと。なにもかもに関心が向かない。自分はずっとスミレのことを心配しているというのに、当のスミレはこちらの胸の内などまるで知らずフローラとヘスティアに囲まれて仲睦まじくやっている。これが馬鹿馬鹿しくなければいったい何なんだろう。
腹立たしくなってきたパンジーはダフネやミリセントがどこにいるのか探すことにした。
周囲に目を向けてみるとスリザリンのテーブルだけは険悪なムードに包まれている。よほどのことがあったのだろうと思ったが、あの忌々しい吸魂鬼がアズカバンを離れてそこらをうろついているよりも悪いことなんてあるなんて考えられなかった。
全校生徒の注目を一手に集めながらダンブルドアはにこやかに言った。
とても因縁を感じさせない雰囲気にみんな
「新しい先生方のほかにもう一人、みなに紹介せねばならん」
そう前置きすると「もうとっくに知ってるんじゃないか?」と耳元に囁く声がした。
驚いて振り返ったパンジーの隣で、ホグワーツの制服を着たアザミが冷笑を浮かべている。
「いつ来たのよ!?」
「さっきだ。いちいち驚くなよ」
「ムチャ言わないで……って、なんでもう座ってるワケ?」
「騒々しいお嬢様だな。どうだっていいだろそんなの」
髪も瞳もスミレと同じで底なしの真っ黒。
見つめていると吸い込まれそうになる。だけれど、シニカルに歪んだ唇や切れ長の瞳は覗き込まれることを拒絶しているようで、そこが決定的にスミレとは違っている。
やはり実家育ちと寮生活を経験しているのとではいくら親戚仲がよくっても対称的な性格になるのだろうか。
スミレも目の前にアザミがいることに気づいてさらに明るい表情になった。
「あ、姉さん。もう組み分け終わったんですね」
「そんなわけあるか。立ってるのに疲れたんだ」
「革靴って履き心地よくないですもんね。むくみません?」
「最悪だよ最悪。明日からスニーカーじゃあダメなのか?」
「いいワケないでしょ。堂々と校則違反なんてしないでくれる?」
「「まだスリザリンに入るって決まってないのに?」」
示し合わせたようにキョトンとした顔をする二人。自制心を働かせてなんとか姿勢を保った。少しでも油断していたら今ごろはテーブルに突っ伏しているところだった。スミレは心底不思議そうにしているし、アザミはからかい甲斐のある相手を見つけて満足げにしている。一人でも手に余る問題児がさらにもう一人現れ、パンジーはため息を我慢するのに苦労させられた。
――――先が思いやられる。
ダンブルドアはそんな懸念など素知らぬ顔をして、芝居がかった身振りで大扉の方を指し示した。
手筈通りにアーガス・フィルチはミセス・ノリスを抱きかかえて隅へ移っている。
全校生徒と教職員の視線の先には、当然ながら、誰も立ってはいない。
沈黙と困惑、そして衝撃がざわめきが広がる。みんな目の前で何が起きたのか分からず、たったいま自分が目の当たりにした出来事について、周囲に説明を求めている。教授たちはずいぶん落ち着き払ってなにやら話し合っている。
アザミはいかにも底意地の悪い笑顔を浮かべた。薄い唇が歪んで、隙間からは真っ白な八重歯が覗く。生徒たちが困り果てている様子をしばらく観察してようやくアザミは口を開いた。ただし……言葉を発したのはダンブルドアのすぐ隣に現れた
スミレも一緒になって周囲の混乱を面白がっている。
流石は血縁というべきか、意地悪な笑顔がよく似ている。
「みなさん誰をお捜しなのやら。自分のほかにも留学生がいるようですが」
皮肉たっぷりの台詞にみんなが声のした方へ向き直る。
そこにはいかにもスマートな雰囲気の女子生徒が立っている。
引き締まった筋肉質な脚は陸上競技のアスリートを思わせる。背丈はそれほど高くないし、体格もやはり男子に比べればずっと華奢で繊細なのに、その佇まいからは競走馬や野生の鹿のような俊敏さと機能美に溢れた印象を受ける。ただ……何故か妙に存在感が薄いような気がするのは全員に共通する疑問であった。
挨拶らしい挨拶もなければ自己紹介もない。
無言でじっと立ち尽くしている。みんなが続く言葉を待っていると、スリザリンのテーブルから一人目のアザミが勢いよく立ち上がった。物音を耳にした何人かがまず最初に気づいて、そこからみるみる驚きの声が大きさを増していく。
それを無視してアザミは颯爽と壇上へ向かっていった。
もう一人の自分に並ぶと肩をかるく叩いた。
すると、先に壇上で立っていたアザミが白煙に包まれる。
その中から一羽の大きな烏が飛び立って、笑顔を浮かべたアザミの左肩にとまる。
「まずはつまらない手品によるお目汚し、失礼しました」
つらつらと澱みない口上がはじまる。
表情はごく穏やかなものに変わり、この場しか知らなければごく大人しそうな女子生徒に見えることだろう。
「国立小笠原高等学校南硫黄島分校中等部三年七組、葵薊です。ダンブルドア校長並びに魔法省の多大なるご尽力と寛大なるご配慮により、今年度からホグワーツ魔法魔術学校で魔法を学ぶこととなりました。そちらの従妹である葵菫ともども、どうぞよろしくお願いします」
留学生とは思えないなめらかな口調だった。どれほど聞き辛いものかと身構えていた者も少なくない中で、アザミはまったく違和感なく挨拶と自己紹介とをやってのけた。夏休みのあいだ必死になって練習していたことはスミレだけが知っているのだった。
拍手が鳴り止むのを待ち、ダンブルドアは組み分け帽子を示した。
フリットウィック教授がもう一度、古びた帽子と地味な丸椅子を運んでくる。
幸いアザミはそれほど背丈に恵まれていなかった。おかげで教授もなんとかアザミの頭に組み分け帽子を載せることができた。それだって壇上で思い切り背伸びしてやっとである。転んでしまわないかと肝を冷やした生徒は少なくない。教授が無事にミッションを果たし終えたとき安堵の息が漏れ聞こえてきたのは幻聴でもなんでもない。
組み分け帽子は見た目にはただの古帽子である。しかし新入生の組み分けはこの古帽子がなければならないほど、ホグワーツにとって必要不可欠な存在なのである。
そんな組み分け帽子はほんの数秒ばかり考え込んで、すぐに結論を出した。
「よかろう――――スリザリン!!!!」
どの寮からも落胆の声はあがらなかった。
むしろこの結果に心から感謝したいくらいだった。
あの陰気で狂暴な蛇女の親戚といっしょにホグワーツで暮らすなんて考えられなかったし、極東の由緒ある血筋ならば自分たち純血の一族とともにホグワーツで多くを学ぶ
▽
▽
▽
「居心地のよさで言えばレイブンクローもそう悪くはなかった」
バブリングはフルーツビネガーを味わいながら言った。
ただ目立つだけの悪趣味なスーツも彼女が着ると何故か似合う。
一人掛けのソファでゆったりと脚を組むだけでも画になる。まったく不思議なことに、partⅠのマーロン・ブランドやpartⅡのアル・パチーノのような威圧感を放ちながら、凛とした顔立ちはヘップバーンにも似た気品を備えている。どれもパンジーには通じないだろうから、スミレもわざわざ口にはしなかったが。
ローマの街並みはさておきベスパは似合わないように思えた。
スーツにあわせるならやはりコブラ・マスタングだろう。
微炭酸の泡に包まれたミントの葉を眺めつつ、学生時代へ思いを馳せるように教授は呟いた。その表情はどこか寂しげに見える。ブロマイドに欲しくなる美しい横顔だった。スミレはただただ見惚れてしまっていた。意識すると頬がじわりと熱を帯びる。
「どの寮であれ人間関係の煩わしさからは逃れられないが……」
スミレは思わず頷きそうになった。パンジーの手前なんとか自重したものの、寮内での立場を守るためとはいえドラコやザビニとも付き合っていかなければならないのは、心理的に大きな負担であった。セオドール・ノットのような一匹狼が羨ましいくらいだ。
さもなければアザミのように気ままに振る舞ってみたい。
ここまで強気に生きられたらどれほど楽になれるだろうか……。
考えても仕方がないと分かっていてもつい想像してしまう。もっと自分の意思を強く主張できたなら――――少なくとも、ホグワーツで人間関係に悩まされることはなくなるはずだ。
それだけでも素晴らしい。しかし、それができれば苦労はない。
出来ないからこうして想像に耽るのが精一杯なので、つくづく自分の引っ込み思案でお人好しな性格が嫌になる。
パンジーはすっかりバブリングの学生時代のことに夢中だった。とりわけあのギルデロイ・ロックハートについて興味津々で、時間のことなどすっかり忘れていた。教授はロックハートと同級生であっただけでなく、スネイプやルーピンのことも少なからず知っているらしい。なるたけ色々聞き出そうとしているうちに掛け時計が大きな音を立てて時間を告げた。
教授はゆっくり掛け時計の方へ振り返り、
「今日はここまでにしよう。そろそろ晩餐会も終わっている頃だ」
名残惜しくはあったが明日の朝一番から授業が始まる。それも新教授による初の古代ルーン文字学である。まさか教授といっしょに夜更かしして寝不足なんてことがあってはいけない。三人は大人しくバブリングに促されるまま研究室を出てスリザリンの寮へと歩いていった。
いくつも廊下を曲がり、階段を下って地下牢に着くと、どんどん気温が低くなっていくような気がした。それでなくてもこの区画は湖の中に沈んでいるのだ。日の光どころか壁の向こう側は水中である。なにやら生きた心地がしないのは談話室も同じだった。真っ黒な石造りの壁とぼんやり灯る緑色の照明。窓ガラスの外はもう湖の中だ。
いかにも神秘的で、どこか秘密主義的な雰囲気を漂わせる談話室――アザミはもの珍しさに興奮していた。スミレはまさに地下牢のような閉塞感と狭苦しさに窒息しそうだった。
他学年の生徒はみんなアザミに興味津々だった。隣町からの転校生でさえ二人の地元ではとても珍しいのだから、留学生なんて上野動物園のパンダよりも注目を集めて当然だ。それでもぐるりと取り囲んで質問攻めにしないのは、ホグワーツ特急での一幕を知っているからである。それは吸魂鬼にも臆さない自己犠牲の精神と、不屈の闘争心へ敬意を表してのことである。
アザミの寝室は――ほかに空いているベッドがなかったこともあって――スミレと同じ部屋が割り当てられていた。ベッドの木材はすべて黒檀が用いられている。四本の柱に支えられた天蓋からはエメラルドグリーンのカーテンが、広い部屋の中央には細工が施された香炉があり、ほかにも上等なツイードのラウンジソファや、年季の入った学習机が人数分だけ用意されていた。運び込まれた荷物はそれぞれのベッド脇に置かれている。
アザミは真っ先に父親のお古のキャリーケースを開けた。
パジャマに着替えようとしていたパンジーは妙な寒気に身震いした。
「ねえちょっと、まさか今から予習しようなんて言わないでしょうね」
吸魂鬼の騒動に続き脳天気なアオイ従姉妹、なにやら訳ありな闇の魔術に対する防衛術の新教授、人当たりが良さそうで相当に偏屈そうな古代ルーン文字学教授……それでなくとも脱獄犯やら追加の選択科目やら、心労が絶えない一日で心身ともにヘトヘトだった。そこへ追い打ちを掛けるように勉強熱心なルームメイトなんて、いくらなんでも冗談では済まされない。
くたびれた声に振り返ったアザミは「何言ってるんだ?」と呆れた顔をした。
取り出したのは細長い桐箱だった。小豆色の紐で封印されている。
「何よそれ。ポスターなんて飾る気? やめてよ、去年だって散々見たのに……」
「ミリセントのロックハート
「一緒にするな。これはそれはそれは由緒ある掛け軸なんだぞ」
「
「いや、コレはそこまで古くねえよ。まだ描かれて百年経ってないはずだ」
花押かなにか入ってなかったけ、と言いながらアザミはバラバラの状態で持ち込んだ飾り台を手際よく組み立てていった。どんな絵なのか気になってパンジーは着替える手が止まってしまっていた。背の高い飾り台を完成させるとそのままベッド脇へ設置する。慣れた手つきで器用に掛け軸を開き、掛け紐をセットするとそのまま矢筈という道具を使って飾り台へ吊した。
描かれているのは左を向いた婦人の図である。
糸のように細い切れ長の瞳と真一文字に結ばれた薄い唇。
日本画と西洋画の技法がまぜこぜになった奇妙なタッチだ。
他に見るべきところのない退屈な人物画――そんな印象が強い。
「まあ悪くはないけど……なんで好きになれないのかしら……?」
パジャマに袖を通すのも忘れてパンジーは首をかしげた。ショッキングピンクの水玉模様が浮かぶ黒地のシャツの方が、アザミにはよっぽど不可解な趣味に思えた。正直にダサい。
紫色のジャージに着替え終えたスミレが掛け軸に気づき「あっ」と声を挙げた。
「姉さん、それってあの
「ああ。留学祝いが欲しいって爺さんに言ったらコレ持ってけって」
「うわ、どうしよ。去年みんなにその絵のハナシしちゃったんだよね」
「別にいいだろ。そうそう表情が変わるようなもんじゃなし」
ナイーブだなぁと笑い飛ばしてアザミは自分の寝間着を探し始める。
ローリング・ストーンズの鼻歌を聞きながらスミレはパンジーの方を見る。
意志の強そうなアーモンド形の瞳は限界まで見開かれ、白すぎず紅すぎない頬はまったく血の気が失せて青ざめている。呼吸を忘れたように口を痙攣させ、指を震わせながら、今さっき飾られたばかりの掛け軸をさして――――
「姉さん姉さん、ちょっと……」
「なんだよ。着替えたんなら寝ろよな」
「そんなことより。アレ、よく見て」
「ああ? 何が言い――た、い――あっ」
観察するまでもなく。つい先ほどまで婦人画は澄ました顔であったはず。
掛け軸とともに語り継がれ、葵家に伝わる怪談は想像の産物にあらず。
現実の怪異であると物語るように眼を細め、口を歪め、満面の笑みを湛えている。
小説『残穢』及び『残穢~住んではいけない部屋~』より“奥山家の掛け軸”が本格参戦。
ネタっちゃネタですが、せっかくスミレに語らせたんだし本物にお越し願おうかなって……そして早々にお顔が歪みあそばしました。ぜんぶ吸魂鬼が悪い。