ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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この翼に輪を付けるかは 僕ら次第ですから

 ロンとハリーは占い学の神秘的で暗示的な雰囲気に圧倒されてしまっている――ハーマイオニーは少なくとも自分はあの詐欺師ことシビル・トレローニーの術中に嵌っていないと考えていた。ネビルが二つティーカップを割ることや、ラベンダーが星占いをはじめとしたスピリチュアルな事柄に影響されやすいのは、その気になればいくらでも事前に把握出来る。所謂ホットリーディングと呼ばれる手法である。

 さらにあの露骨な演出の数々!

 ロンやパンジーは古くから魔法界に根差した家系の生まれだから様々な迷信に触れる機会が多い。さらにネビルは心理的なプレッシャーにあまり強くない。ディーン・トーマスや自分のようなマグル出身ならばいざ知らず、こうした性質を備えた生徒であれば、幾つかの仄めかしを用いることで望んだ方向へ誘導するのは難しくはないだろう。

 ……という自論を展開してロンを励まそうと試みたが成果は芳しくない。なかなか迷信深い気質(タチ)なのか、結局、ロンが昼休みのあいだに口にしたのはカボチャジュースをゴブレットに一杯分とミートパイを一齧りだけだった。

 ハリーはすっかり持ち直していた。

 たかだかお茶っ葉の残り滓がおかしな形をしているのに一喜一憂するなんて馬鹿馬鹿しいと気がついたのだ。そうすると占い学に対して批判的なマクゴナガル教授やハーマイオニーの態度はごく当然のものだと納得もできる。

 

「きっとアレは教授なりの“つかみ”のパフォーマンスなんだ。そりゃあエロイーズ・ミジョンに『明日の朝目が覚めたらニキビがもう一つ増えてます』なんてお告げをしたって誰も面白くないだろう?」

 

「言うまでもないさ。ニキビが一つ増えようが二つ増えようがアイツの顔ならどっちでも同じことだ。そんなモノをいちいち数えてたら髭が真っ白になって膝下まで伸びきっちゃうね」

 

 青空ばかりが気持ちいい昼下がりであった。

 昨夜の大雨はやんでくれた。しっとりと濡れた芝生の柔らかに弾む感触が心地良い。

 ロンとハーマイオニーが見解の不一致で喧嘩するのも慣れたものだ。

 どちらかがおかしなコトを言っているのではなく、ただ意地を張り合っているだけなのだ。

 

「本当に気をつけた方がいいよハリー。グリムってのはとにかく不吉なんだぜ、僕だってあんな茶葉で自分の将来が分かるなんてこれっぽっちも思っちゃいないけど……アレだけは本物だ。ビリウスおじさんだけじゃあないんだ……グリムはただの亡霊なんかじゃない、死神そのもの……魔法使いにとっては最悪中の最悪もいいところだ」

 

「三年連続で自分から厄介事へ首を突っ込むなんてバカな真似はしないよ。それにこう言っちゃあなんだけど、僕が例の大きな黒い犬を見たのはもう半月ちかく前だ。ビリウスおじさんはグリムを見て丸一日して亡くなったんだろう? だったらアレはグリムなんかじゃあなくってただの野良犬さ……それだって危なかったのは事実かもしれないけど」

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花って言うしな。偶然の一致ってのはどこにでもあるもんだ。それにポッターが見たのはそもそも心理的な原因で生まれた幻で、本当はそこに犬さえいなかったのかもしれない。在ると信じ込めば在り得べからざるモノさえ現実に受肉し此岸の側に在るモノとなる……先生は“虚妄(コモウ)”なんて言ってたっけか」

 

「コモールってのが何かは分からないけど、そう、偶然の一致だと思えばあんなお茶っ葉は怖くなくなった。ロンだっておかしいと思わない? 授業中にトレローニーが予言して的中したのはネビルがティーカップを二つも落っことして粉々にするだけ。あれくらいダドリーにだって言えるよ……なんだったらスネイプなんて今週ネビルがダメにする鍋の個数までピタリと当ててみせるに違いない」

 

「コモールってのは何だロシア語か? っかしネビルってヤツはえらく鈍臭いンだなあ。そのうち大ドジこいて医務室送りになったりしないだろうな、いちいち授業が止まるなんてまっぴらだぞこっちは」

 

「心配ないよ、ロングボトムは飛行訓練の最初の授業で手首の骨を折ったきり吹き出物や大きなコブを作ることはあっても医務室に担ぎ込まれたことは……待てよ、ハーマイオニーがどうしてそんなこと聞くんだ?」

 

 違和感に気づいたロンがハーマイオニーの方を振り返る。

 声のする方には誰もいない。自分が三人の中で一番後ろにいた。

 前を歩いていたらハリーとハーマイオニーは奇妙なモノを見る目でロンの様子を窺った。トレローニーの怪電波にやられてしまったのかもと不安を感じたのだ。

 

「ハリーもロンもさっきから誰と話してるの? 私さっきから『怪物的な怪物の本』をどうやって読めばいいのかずっと考えてたわ」

 

 靴紐で雁字搦めに縛り上げられた教科書が怒りの唸り声をあげた。

 

「そんなバカな! ま、まさか……シリウス――」

 

「ンなワケがあるか! オレだよ、アザミだよ! ちょっとした悪巫山戯のつもりだったのに、本気で引っかからないでくれ」

 

 脱獄犯の名前を言いきるより先にアザミが種明かしをした。

 三人の視線が動く方向と逆の方へ動き、常にみんなの視界に入らないよう立ち回っていたのだという。呆れるほどくだらない悪戯である。ロンは腹を立てる気力さえ湧いてこなかった。

 それでも相手がドラコ・マルフォイと同じスリザリン生であることは彼女を拒絶するに十分すぎる理由であった。

 

「キミはスリザリンだろう? わざわざ僕らの方に来なくたってすぐ先にマルフォイたちがいるじゃないか。留学してきてもう()()()なんてことはないはずだ」

 

「別にいいじゃないか。占い学じゃ一緒に呪いあった仲だろ」

 

「変な言い方しないで。私はただティーカップの茶葉の形からシンボルを読み取っただけ、どんな呪文も使ってないわ」

 

 アザミの言い様にハーマイオニーはすぐさま抗議した。

 まるで自分がところ構わず杖を抜いて暴力に訴える野蛮人のようだ。そんな表現をされるのはまったく不本意であり、不正確であり、不適切である。

 けれどアザミは鋭い反論を受けても目を細めて笑顔を浮かべた。

 笑うと蛇にそっくりだ。ハリーは不意に背筋が寒くなった。

 城の地下深くに巣食う“スリザリンの蛇”を思い出した。アレがもしも笑ったら、きっとこんな目をするのだろう。

 

「不確定の未来を言葉にするのも立派な呪いさ。誰かを呪うのに呪文なんか必要ない、今さっきポッターが言ったみたいに“思い込む”って心理にはとんでもないパワーがあるんだぜ。手口は……そう、トレローニー教授がやったのとおんなじだ。相手が信じやすい視点からゆっくり小刻みに情報を流し込んで、スムーズに消化させてやる。そうしてちゃんとした下地を作っちまえばあとはいくらでもどうとでも丸め込める」

 

 まさしくネビルはトレローニー教授の術に嵌ったのだ。

 ネビル・ロングボトムはけして臆病者ではないことはハリーたち三人ともよく知っている。けれど彼はひとなみはずれて迂闊なところがあり、それを自覚して注意深く振る舞っているのだが、可哀想に自己暗示に掛かって余計なプレッシャーを感じ冷静さを失ってしまう。まんまとこの性質を教授に利用されたと言えば、そういう見方も成り立つのだ。

 改めてハーマイオニーは占い学への不快感を強めた。

 なにせ学問としては極めて不正確なのだ。マクゴナガル教授が指摘した通り、およそ体系的な研究などほとんど行われて来なかった歴史がある。さらにその知識はまったく主観的かつ属人的で、にも関わらず知識を()()する手段だけは多様かつ体系化されている。

 こんなものを授業として扱うこと自体そもそも如何なものだろう。

 流石にそこまでの批判を口にするのは自制心がゆるさなかった。

 けれどもようやくロンも――相手の経歴はさておき――新しい視点から教えられて、いくらか恐怖心が和らいだ気がした。

 不思議とアザミの言葉はすんなり馴染む。

 気取らない男勝りな口調がそうさせるのかもしれない。

 

「ま、肩肘張らずリラックスできるんだから、気分転換と思えばそう悪い時間でもねえだろ。けどあのお香はマジでどうにかならねえかなあ……臭えよな、アレ。服に染みつきやしねえか心配だったもん」

 

 涼やかな風に吹かれながらゆるやかな坂道を下る。

 遠くに見える暴れ柳ものんびりとしているようだった。

 森番小屋の前に着くとハグリッドが生徒を待っていた。

 足下には年老いたボアハウンド犬のファングが寝そべっている。爺さんにしては鋭い勘を持っているが、ここ一番でイマイチ頼りにならない番犬である。一年生、二年生と立て続けに禁じられた森で置いてきぼりを喰らったハリーにはどうしてもその記憶が先に来てしまう。ファングの方は素知らぬ顔で日向ぼっこをしている。

 集ってくる生徒は予想していたよりずっと大勢であった。ハリーはざっと周囲を見渡してみるが、グリフィンドールなんてほぼ全員いるように思えた。ハッフルパフも出席率はほぼ同じで、レイブンクローがそれよりやや少なく、スリザリンでさえ過半数が来ている。森番小屋の前はいつになく大賑わいなのだった。それどころか溢れた生徒はカボチャ畑の前にまで並んでいる。

 ハグリッドの胴間声は集った全員によく聞こえた。

 

「ええかみんな、こっちゃ来いや。今日はみんなに見せたいモンがある――スゴイ授業だぞ! ついて来いや!」

 

 一瞬、三人の心臓はまったく同じタイミングで跳びはねた。まさか今から禁じられた森に入るのではと不安になったのだ。あの森の中でいったいどれほど寿命が縮んだか。授業のアシスタントにアラゴグを紹介された日にはロンなんて恐怖のあまり死んでしまいそうだ。ドラコもユニコーンの生き血を啜る“影”を思い出して冷や汗をかいた。

 ハグリッドは大勢を引き連れて森の縁にそってどんどん進んで行く。

 五分ほど歩いて辿り着いたのは低い石垣で囲まれただけの放牧場だった。中は空っぽで、小鳥さえとまっていない。

 

「そんじゃまずはその辺に集れや。さあて、イッチ番最初にやるこたぁ教科書を開くこった。四十九ページだな」

 

 すかさずドラコが陰湿な声を発した。この瞬間を待ち構えていたと言わんばかりにハグリッドを睨みつけている。

 教科書如きに悪戦苦闘させられた恨みもある。それ以上に恋人(パンジー)の前で見栄を張りたいのだ。

 

「どうやって開けと?」

 

「あ?」

 

 思わず聞き返したハグリッドにドラコは嘲笑を浮かべた。

 

「どうやってこの教科書を開けばいいと仰るんです、()()

 

 わざとらしく「教授」の部分だけを強調する。

 ドラコの教科書は分厚い鎖で封印されていた。他の生徒も丈夫なベルトで締め上げたり、大きな袋に閉じ込めて本を押さえつけていた。そうでもしなければこの恐るべき怪物に指や鼻を食いちぎられてしまう。

 ちなみにハリーは靴下とスニーカーを一足ダメにした。

 流石のハグリッドも大きな両肩をガックリ落とした。

 きっと生徒は喜んでくれると、本気でそう思っていたのだろう。

 いつだって彼に悪気はない。

 ただ感性が致命的にズレている。

 

「だ、だーれもまだ教科書を開けなんだのか――」

 

 みんなが頷いた。学年一の秀才、ハーマイオニー・グレンジャーさえ匙を投げたのではどうしようもない。怪我をしないよう対策するのが精一杯だった。誰も鼻や指が欠けていないのが奇跡のように思える。それは同時にハグリッドの落胆をより大きなものにした。

 

「背表紙を撫ぜりゃーええんだ」

 

 たったそれだけで本当にこの怒り狂った怪物を鎮められた。

 いよいよ馬鹿馬鹿しさのあまり溜め息が漏れ聞こえた。幸いにもハグリッドは“見せたいモン”を呼びに行ったのでその場にいなかった。またもドラコの自己主張が始まると矛先はいつもの如くハリーに向けられた。

 

「まったくホグワーツはどうなってしまうのやら。あんな木偶の坊が教授だなんて、もし父上の耳に入ったらなんと仰るか……!」

 

「口を閉じろマルフォイ。その本みたいに行儀良くしていたらどうだ」

 

「それは君の御友人に言ってやり給えポッター。そんなにポカンと開けていたんじゃ羽虫が飛び込んで来てしまうからね」

 

 クラッブとゴイルが大袈裟に吹き出した笑う。細い顎に生白い指を当てて陰険な笑みを浮かべるドラコ。沸き立つ怒りに任せて杖を抜いてしまいそうになる自分を抑えつけ、ハリーは両眼にありったけの憎しみを注ぎ込んでスリザリンの三人組を睨みつけた。

 しかしドラコはハリーの胸中さえ見透かすように嘲笑した。

 

「おや、僕は吸魂鬼たちのことを言ったつもりだったんだが。おいおいポッター……君というヤツは、まさかこともあろうにウィーズリーやロングボトムへの侮辱と履き違えたんじゃないだろうね?」

 

 もしもハグリッドの戻りがあと数秒遅ければ、間違いなく杖を抜き放っていた。それはハリー自身だけでなくロンやハーマイオニーを含め、彼の性格をよく知る者は誰もが確信を持って証言できた。それくらいドラコの口撃はかつてなく苛烈だった。

 ハリー・ポッターが臨界点を超えたことはドラコも認識している。

 ただし自分の側にはアザミという保険がある。教科書から目を離そうとしない彼女だが、右手はずっと杖に触れているのだ。であれば想像し得ないような事態には陥るまい。己の運とアザミの腕が良ければ夕食前にも医務室を追い出されるだろう……そんな算段があって、さらに追い討ちを掛けたのだ。

 ラベンダー・ブラウンの悲鳴が張り詰めた空気をぶち壊した。

 不意を突かれたハリーとドラコはよろめいてしまった。

 ハグリッドは十数頭もの魔法生物を連れてきた。

 胴体の後ろ半分は馬、前半分と大きな翼は猛禽の身体である。嘴や前脚の爪は鋼鉄も容易く切り裂けそうな鋭さで、人間などはひとたまりもないだろう。見るからに凶暴なようでいて鷲そっくりの瞳はただ獰猛なだけでなく底知れない気品を感じさせる。

 それぞれ首に分厚い革の首輪をつけ、それをつなぐ太い鎖の先をハグリッドの大きな手が一まとめに束ねている。

 猛々しいながら美しいその生き物を、ハグリッドは「ヒッポグリフ」と呼んだ。

 眼光の険しさに後退りしつつも不思議と目が離せない。

 珍妙奇天烈な教科書のことなどすっかり忘れてしまうほど、みんなヒッポグリフに魅了されてしまった。

 

 ただ二人だけは……ドラコとアザミだけは、心底醒めた暗い目で()()()()()()()()()()()を眺めている。

 

 

 

 

 ホグワーツの図書室は誰でも自由に閲覧できる一般書架と別に、教授の署名した許可証が必要な閲覧禁止の書架が存在している。少なくとも三年生のレポート課題で禁書指定された文献が必要になる可能性はゼロである。そもそも上級生でさえ教授のサインを得るのはそう簡単なことではないらしい……少なくともスミレが相談を持ちかけたダフネは、これまで何度か許可証にサインを求めたが、一度として叶わなかったという。

 スネイプ曰く「上級生でさえ易々と許可は出せん」らしい。

 つくづくギルデロイ・ロックハートの失職が惜しまれる。

 あれほど無思慮な人物は世に二人といないだろう。

 おかげでスミレは早くも行き詰まった。

 ヴォルデモートが縋った不死の秘術を突き止めようと試みたものの、闇の魔術について詳しい書籍を一般書架に置くほどダンブルドアは迂闊な性格ではあるまい。もしかすると自分の手元に……つまりは校長室に隠している可能性も考えられたが、まずは禁書指定の棚を確かめてみないことには始まらない。

 三年生風情には高嶺の花である。

 差し当たって一般書架を尋ねるしかなかった。

 図書室は閑散としている。生徒の姿はなく、ほとんど貸し切り状態に近い。司書のイルマ・ピンスが蔵書目録の羊皮紙を整理する微かな音、小さな窓ガラスから差し込む午後の日差し、無数の書籍から漂うほのかな埃と黴のにおい……不思議と居心地の良さを感じられる空間だった。

 羊皮紙の乾いた手触りを感じながらページをめくる。

 この感触はそれほど不快ではない。むしろ面白い。

 インクの色褪せ具合や滲み方まで千差万別である。工場の機械で均一に印刷、製版された書籍では味わえない。

 世の中には本棚を隙間なく埋めるため古書を探し求める風変わりな蒐集家もいるというが……今のスミレなら彼らの情熱に共感できる気がした。

 でもどうせならインテリアとして飾るだけでなく何度でも読み返したいのがスミレである。

 古代から中世にかけての伝説的な魔法使い、錬金術や黒魔術に取り憑かれたマグル、様々な発明に心血を注いだ賢者や天才……いくつかの書籍を流し読みして得たのは――どれほど優れた魔法使いも、完全な不老不死だけは実現出来なかった――そんな事実である。

 例えばニコラス・フラメル。彼が発明した賢者の石を触媒とする霊薬は、使用者の寿命を大きく伸ばすことは出来ても、不慮の事故や暴力による死を退ける力はない。また定期的に霊薬を摂取する必要もある。これでは完全からは程遠い。

 ユニコーンの血には延命効果が認められている。ただし、生きたユニコーンを殺めた者はその罪深さから永遠に呪われるという。この手段も一時的な延命でしかない。それでは賢者の石と同じだろう。また代償の存在も大きい。

 アーサー王伝説に登場する『聖杯』など実在性に疑問符がつく。

 少なくとも魔法界における“大魔法使い”マーリンとアーサー王伝説の“花の魔術師”マーリンが異なる人物であるように、“救世主の血を湛えた”聖杯と“命の窯”としての聖杯は元を辿れば同じものには違いないが、どちらも逸話と由来の後付けを繰り返した結果の産物に思われた。

 一息ついてメモ帳を読み返す。紀元前の時代から人々を魅了し続ける“永遠の生命”は様々なアプローチを通して非実在性ばかりが証明されてきた。単刀直入に言うなら“失敗の歴史”そのものだ。分かりきっていたことではある。再確認できただけ今日のところは十分な収穫だ。

 

 それにしても……彼らは何故諦めなかったのだろう?

 

 これまで成功した者は一人としていない。

 途方もない時間とを膨大な労力を費やして、思い描いた夢は最後まで夢のまま。

 誰も代償に見合うだけの対価を得られなかった。

 にも関わらず、自分は同じ轍を踏まないと、先人たちよりも優れた存在なのだと、どうして確信してしまったのだろう? 

 冷静に考えれば――その言葉が思い浮かんだとき、スミレは気づいた。()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。とにかく短絡的なのだ。すぐに先入観で目を曇らせ、そもそも判断基準は著しく偏狭で独善的、そして万事に主体性を欠く。そんなだから軽々しく人生を棒に振る。

 真面目に考えれば考えるほど、彼らの一挙手一投足に神経を苛立たせている自分がひどく狭量で幼稚な人間に思えてくる。

 

「……………………………………」

 

 ――――――――不憫だ。

 

 魔法使いたちがではなく、自分自身(アオイ•スミレ)がである。

 ホグワーツ魔法魔術学校にいる限り逃げられない。やはりここは監獄に等しい。

 シリウス・ブラックがアズカバンを脱獄したのが羨ましい。

 彼は吸魂鬼たちさえ欺けばそれで済んだ。翻って自分はどうだ。仮にすべての目を欺き、城を脱したところで、遠く離れたロンドンまでの道のりを踏破する手段が分からない。キャッスルロックの四人組よろしく線路をとぼとぼ歩くにも体力の限界がある。

 思うにブラックの脱獄劇は協力者の存在が必要不可欠のはずだ。

 さもなければとっくに捕まっていなければ筋が通らない。

 だが現実は違う――未だに魔法省はブラックに関する情報提供を訴えているし、アズカバンの看守たちは遠く離れたホグワーツで警備の任に就いている。これで単独犯などあり得ない。いくら彼が天才であったと仮定しても、イギリス全土に及ぶ捜査網を掻い潜り、ダンブルドアの庇護下にあるハリー・ポッターを殺害するなど……。

 そんな無理難題に命を賭けるくらいなら大人しくクィリナス・クィレルの後塵を拝してヴォルデモートの復活を試みる方が、勝率で言えばよほどマシだ。

 あとはブラックにこの損得勘定が出来るだけの理性が残っていることを祈るしかない。

 悩みの種はいつまでも尽きず、どころか際限なく湧き出てくる。

 憂いの溜め息をついてみたところで……状況は何一つ改善しないが。

 それに妙に肩が凝る。

 疲れるほど本を読んだのかと首を傾げた。

 

 瞬間――――雄叫びのような、不気味で異様な風音が図書室に木霊した。

 

 完全に不意を突かれたスミレ。身体のバランスを崩し、椅子ごと後ろに大きく揺れた。その反動で勢いよく机に額を打ちつける。頭蓋骨を貫き脳へと叩きつけられる激痛と衝撃。あまりの長い髪を振り乱して仰け反ったまま、今度は椅子ごとひっくり返った。

 倒れた拍子に革靴が片方だけ投げてあらぬ方向へ飛んでいく。

 ほんの一瞬のあいだに天地が裏返り視界に火花が散る。何が起きたのかを理解することさえ出来ないまま、全身を板張りの床に打ちつけた身体が痛みを訴える。途絶えかけた意識が回復すると間もなく視界が涙でぼやけ、畳み掛けるように身体の節々がひどく痛んだ。

 

「い…………いた…………」

 

 呼吸も覚束ない中で無意識に手を伸ばす。

 指先が古書の背表紙に触れる。自分の置かれた状況を知ろうとして、けれど意識が混乱しているあまり正常な判断が出来ないでいる。立ちあがろうと手に力を込めた。

 古書を掴んでいるとは気がつかない。

 年代物の洋書である。結構な重量のあるそれが、そのまま引き寄せられる形でスミレの頭部へと落ちてきた。

 

 骨に響く鈍い音を最後に、スミレの意識はブツリと途絶える。

 

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