ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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And if you leave here,you leave me broke,shattered I lie

 「ブラック、ついに来ちゃったね」

 

 文庫本をパーカーのポケットに仕舞いながらスミレが言う。

 題名は『崑央(クン・ヤン)の女王』というらしい。作家の名前を聞いてみたが、アザミはまったく知らなかった。

 なんでもSF小説らしいが、それならバック・トゥ・ザ・フューチャーとかスターウォーズとか、もっと読みやすいタイトルがいくらでもあるだろうに。どうして怖がりのくせにホラー小説が好きなのか理解し難い。

 グリフィンドール塔で『太った貴婦人(レディ)』が襲われる事件のあとで、スリザリン寮の生徒に何か影響があったかといえば、もちろん皆無である。シリウス・ブラックがホグワーツに侵入したと言われてスミレはピンときていない様子だった。スリザリンで神経を尖らせているのはよほどの不安症を除くとアザミくらいだった。

 その後ろに続いて歩くアザミは「フン」と鼻を鳴らす。

 二人が進むのは『秘密の部屋』へと通じる地下通路。杖に光を灯して水に濡れた床をカツカツと鳴らす。

 ジメジメと湿って、しかも冷たい空間へ入る。

 アザミにとってあまり好ましい場所ではなかった。

 窓がないのは仕方ない。そこはさておくとして、スリザリンに関係すると決まって陰気なムードになるのは我慢ならない。

 脱獄犯の襲撃によってホグワーツの教授たちが捜索に加わった。

 城の門はすべて閉ざされ、あらゆる出入り口でアズカバンの吸魂鬼(ディメンター)が目を光らせている

 ゴーストまで総動員して鉄壁の監視体制が敷かれた現状、誰よりも先んじて見つけるには裏技に頼るほかなくなった。そのための『秘密の部屋』でありバジリスクだった。ただ、問題があるとすれば、このバジリスクは極めて獰猛な性格のうえサラザール・スリザリンの末裔でなくては従えられないことだった。

 

『何故この儂が犬畜生の真似をしなければならん……』

 

『吸魂鬼が城を取り囲んでいるのは知っているでしょう。アレを追い払うには、お尋ね者を探して見つけないと』

 

『血を裏切る者と穢れた血のくだらん都合だな』

 

『ですが……アレがいる限り“継承者”探しは進みません』

 

『貴様の怠慢に過ぎん、血反吐を撒き散らしてでも励め』

 

 スミレだけでなくアザミも蛇語を理解できるし、話せる。だからこそ目の前の巨大な毒蛇は()()だと直感していた。

 だいいち目があっただけで死ぬなんて危険生物だ。

 それも三〇メートル近い全長のバケモノである。

 生きた心地がしない。こちらが目を閉じているせいで、いつ頭から丸呑みにされるかと恐ろしい。

 なのにスミレときたら怪物相手に物怖じせず食い下がる。

 

『吸魂鬼はいずれ城に入って来ますよ。いくら校長が抵抗したって、見つからないのでは仕方がない』

 

『愚かなことを。ホグワーツを亡者の巣窟に……』

 

『そうです。いまも吸魂鬼は餓えている。獣のやることなど、想像するまでもありません』

 

 ダンブルドアが魔法省の要求に屈するなどあり得ない。

 そんなことアザミですら理解できる。

 ホグワーツの校長が魔法大臣に要求されるがまま、城に吸魂鬼を迎え入れるなんて妄言にしても酷い。だが、バジリスクは建築物としての()()()()()()について誰より熟知しているだけだ。ホグワーツの内情どころかアルバス・ダンブルドアという人物についてさえ何も知らない。

 狡猾なスミレの口車にあっさり乗せられる形となった。

 バジリスクはもたげた鎌首をゆっくり下ろした。それまで感じられなかった大蛇の吐息を間近に感じる。

 

『…………よかろう、だが忘れるなよ小娘。この儂の力、そう易々と意のままに出来るものではない』

 

『もちろん。心に刻んでいますよ』

 

 背に腹はかえられない。それはアザミも認める。

 けれど、そこまでしてブラックを見つける必要は?

 具体的にまだ何もしていない。図書館で何冊かの本を漁っただけだ。大人しく手を引いて、静観していればいいのに。

 あるいはスミレにとって意趣返しは遊びではないのかも。

 その可能性に気づいて、アザミはようやくスミレの鬱々とした雰囲気の原因を理解した。

 ただ不満なんじゃない。ストレスを抱え込んでいるのでも、悲しいからでもない。

 腹の奥底で怒りの感情が煮え滾っているのだ。

 そうと知らず、爆発寸前のマグマを溢れ出させてしまった。

 一年で数回しか会えない生活だったから、これまでのアザミは知る機会がほとんどなかっただけだ。

 自分の従妹が怒るとどんな反応をするのか。いまようやく理解できた。タイミングとしては完全に手遅れだ。

 けれどやることは変わらない。

 ホグワーツ特急の車内で言った通りのままだ。

 シリウス・ブラックを捕まえる。そして校長の前に引きずり出す。

 引き下がらないというならそれで結構。

 問題ないどころか、シンプルで好きなくらいだ。

 ひたすら突き進み一着でゴールインすればいいだけ。

 どんなバカでも分かる。ただのかけっこなのだから。

 追い詰められた気持ちを自ら奮い立たせ、凍りつきそうなほど冷たい『秘密の部屋』でアザミは一人、武者震いしたのだった。

 

 

 

 

 ハロウィンの事件の熱が冷めきらないうち、また事件が起きた。

 クィディッチ・トーナメントの季節が近づくにつれ天気はみるみる荒れはじめ、開幕戦当日にはとてつもない嵐に見舞われた。普通のスポーツならば試合を延期するだろうがこれはクィディッチである。魔法界で最も熱狂的な球技はたかだか嵐の一つや二つで妨げられやしないのだ。スミレもアザミも、クィディッチという競技の荒々しさに呆れて言葉を失った。

 そんな不文律とハリー・ポッターが数十メートルも落下した事故に関連性はない。

 原因はスタジアムへ侵入した吸魂鬼である。

 連中に襲われて箒から落ちたのは明白だった。

 あのダンブルドアが大激怒したことも、あの暴風雨に関わらずシーカーをキャッチしてのけたうえ、ハリーの遭難を理由に再試合を求めたセドリック・ディゴリーの卓越した技術と類稀な高潔さも、すべてが伝説的な光景であった。これが悲劇にならなかったのはハリーが生きているためだ。

 しかしハリーにとっては我が身を引き裂かれる思いがした。

 大事な初戦でハッフルパフに黒星をつけられたのも辛い。だがそれはチームの全員が辛い。しかも今年で卒業するキャプテンのオリバー・ウッドに比べればよっぽどマシだった。

 何より辛いのは、ニンバス2000が無惨に破壊されてしまったことだ。

 運悪く暴れ柳に突っ込んでしまったのだという。

 マダム・ポンフリーから一週間の絶対安静を言い渡されて素直に従ったが、この箒を捨てることだけは絶対に認めなかった。

 ただの感傷なのは分かっている。

 ニンバスがどうにもならないのは知っている。

 自分のしていることが愚かしいとは理解しているが、しかし、かけがえのない親友を失ったような気分がした。

 グリフィンドールのみならずハッフルパフからも見舞い客が来ては次々と土産を置いていった。みんなハリーを慰めようと一生懸命で、ロンとハーマイオニーなどは夜以外付きっきりでベッドの側を離れなかった。フレッドもジョージも、ジニーも、オリバー・ウッドすらやって訪ねてきた。

 けれど、真夜中に足音ひとつ立たず現れたダフネ・グリーングラスだけは少し様子が違っていた。

 こんなときでも制服姿のままでベッドの横に腰掛けている。

 マダム・ポンフリーの巡視をかいくぐって来たのだろうか。

 

「……いいのかい、寮を抜け出したりして」

 

「誰も気にしないわ。いつもだもの」

 

 そんな風には見えないが、突っ込んでも仕方がない。

 無感動な琥珀色の瞳はじっとハリーを見つめている。

 

「当ててあげようか。ショックの原因」

 

「君に僕の気持ちが分かるもんか」

 

「……見たんでしょう。試合中に」

 

 そのものズバリ、不安の種を暴き立ててきた。

 誰にも打ち明けなかったのに。ダンブルドアやマクゴナガルはおろか、ロンとハーマイオニーにすら黙っていた。ロンは我が事のように不安がるのが目に見えていた。マクゴナガルは迷信だ錯覚だと取り合ってくれないだろうし、ハーマイオニーも同じように笑って受け流すに決まっていた。

 けれど死神犬は事実、二度現れたのだ。

 その二度とも死ぬ思いがした。はじめは『夜の騎士バス』に轢かれそうになったし、今度は箒から何十メートルも下の地面まで落っこちた。

 このまま死ぬまで死神犬に取り憑かれるのだろうか? これからずっと犬の影に怯えながら暮らすのだろうか? 

 その上、吸魂鬼がいる。奴らのことを思い出すだけでハリーは深く傷つく。みんなも吸魂鬼を恐ろしいと言うが、ハリーのように両親の最期の声が頭の中で響いたりはしない。

 あの悲鳴が誰のものなのか、ハリーはもう気づいていた。

 どうして自分だけ……その思いを胸のうちに押しとどめた。

 そんなことばかり上手くなっていく自分が、情けなくて仕方ない。

 

「ねえ、ハリー・ポッター。あなたブラックを捕まえたらどうしたい?」

 

「どうしてそんなこと……君には何の関係もないじゃないか」

 

「ある、と言ったら?」

 

 囁くダフネの表情はいつもと変わらず冷たい。

 どこか作り物のような、ダーズリー家に飾られている磁器人形を彷彿とさせる無機質さを感じた。

 ハリーは沈黙せざるを得なかった。

 そうしてダフネに続きを促した。

 

「半分は冗談なのだけど、私もブラック家の遠縁なのは本当」

 

「私()?」

 

「何も知らないのね。自分のことなのに」

 

「よく知ってるよ。アイツが僕を殺したくて堪らないことくらい」

 

「ふうん。なら、もっといいコト、知りたい?」

 

 そこまで言って、ダフネはふと病室の扉の方へ目を向けた。

 規則正しい足音はマダム・ポンフリーなものだ。もう少しすればランタンを手に巡回に来る。脱獄犯が潜伏している状況でなくとも、消灯時間を過ぎて談話室の外を出歩けばどんな目に遭うか、ハリーはよく知っている。ダフネはゆらゆらと立ち上がり、去り際に「また機会があればね」とだけ言い残していった。

 透明マントもなしに不用心だと驚いたが、厳格な校医が夜間の無断外出を咎めることはなく、いつもの決まった手順で異常なしを確認したあと、またキビキビとした足取りで去っていった。

 つくづく得体の知れない少女だが、それもスミレに比べればずっと人間味がある。

 吸血鬼だからというのを差し引いても、あの東洋人は苦手だ。

 その理由について考えようとするより早くハリーは眠ってしまった。

 ダフネに寝かしつけられる形になったのは、翌朝になっても気づかないままだった。

 

 

 

 

 ハリーが学校生活に復帰するまでの一週間は平和だった。

 というより、渦中の人物が不在のため事件の起きようがなかったと言うべきか。開幕戦でグリフィンドールが敗れたことにドラコはすっかり舞い上がっていた。ギプスの取れた手で吸血鬼の真似を繰り返し、ついにキレたロンが新鮮なワニの心臓をドラコの顔に叩きつける騒ぎもあった。

 ただ、一番の事件といえば防衛術の授業でスミレが卒倒したことだ。

 病気療養から明けたルーピン教授が本物のヒンキーパンクを披露するや泡を吹いて仰向けにひっくり返ったのだ。

 自分だって半分は吸血鬼だろうに、とハリーは呆れた。

 ロンはドラキュラ伯爵の格好をしたスミレの落書きをドラコに投げつけ揶揄っていた。

 とどのつまり、いつも通りのホグワーツに戻っただけである。

 それもクリスマス休暇が近づくにつれて浮かれた雰囲気に染まっていった。呪文学の教室には特大のクリスマスツリーが置かれ、フリットウィック教授自ら魔法で飾りつけたオーナメントは、よく見ると妖精が光り輝いているのだった。

 学期末には二度目のホグズミードが控えている。

 ハリーはどうしても心が弾まなかった。三年生で学校に取り残されるのは自分だけだろうと確信していた。覚悟を決めるしかない。土産話を聞くだけでも本当に楽しそうなのだ。実際に行けばもっとだろう。

 クリスマスが迫って来るにつれハリーは気分が沈んでいった。

 迎えた当日の早朝。夜のうちに降り積もった新雪の白さもどこかくすんで見える。

 マフラーとコートにすっぽり包まれたロンとハーマイオニーを城門の前で見送る。ハリーは予想していた通り一人で大理石の階段をのぼり、グリフィンドール塔へ引き返した。

 窓の外には雪がちらつき始め、城の中は静まり返っていた。

 四階の廊下の中程でクスクス笑いが聞こえて来た。立ち止まって振り返ると、背中に大きなコブを抱えた隻眼の魔女の像の後ろからフレッドとジョージが顔を覗かせていた。

 

「何してるんだい? どうしてホグズミードに行かないの?」

 

 不思議に思って尋ねると、フレッドは意味深にウインクして、

 

「その前に、君にもお祭り気分をわけてあげようかと思ってね」

 

 と何やらイタズラな笑みを浮かべた。ジョージが「こっちに来いよハリー」とすぐ近くの空き教室をカタチのよいアゴでしゃくった。誘われるがままハリーは二人のあとに続いていく。

 ジョージが静かに教室の扉を閉める。フレッドはニコニコしてハリーの正面に回った。

 

「一足早いが、キミへのクリスマスプレゼントだ」

 

 そう言ってコートの下から仰々しく取り出したのは、羊皮紙が一枚きり。机の上に広げられたそれは大きいばかりで相当にくたびれていた。何の価値もなさそうな古い羊皮紙にしか見えず、ハリーは冗談の類だと思い「これ、いったい何?」と少し声に険しさが混ざった。

 

「ただの古い羊皮紙の切れっ端じゃないか」

 

「古い羊皮紙の切れっ端だとさ!」

 

「コイツは僕たちの成功の秘訣だぜ?」

 

 ジョージはとんでもなく無礼だといわんばかりに顔を顰めた。

 フレッドは愛おしげに羊皮紙を撫でながら懐かしむような口ぶりだった。

 

「本当はキミにやるのは惜しいさ。でも、コレが必要なのは俺たちよりキミなんだって、昨日話し合ったんだ」

 

「今日、この瞬間を以って我々はコレをキミに譲る。『求めよ、然らば与えられん』ってヤツさ」

 

「「俺たちもう暗記してるからな」」

 

 どこまでもユーモラスなフレッドとジョージは、わざとハリーを焦らしていた。

 落ち込んでいた表情はすっかりどこへやら、怪訝そうな目はいつのまにか溢れんばかりの期待でキラキラと輝きを取り戻していた。

 

 これからもっと眩い光景を目の当たりにするとも知らずに。

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