買い物を終えてキングスクロス駅へ。
ロンドンのど真ん中にある大きな駅だ。
改札を通る前に近くの喫茶店でお昼ご飯を済ませておく。
お砂糖の入った紅茶とたまごサラダのサンドイッチは美味しかった。
薄いトーストがさくさくで、たまごサラダもマヨネーズ控えめなのがうれしい。
厚焼きたまごじゃないのはこれが初めて。
でも叔父さんが言うにはたまごサラダが普通らしい。
美味しいけど、たまごサンドと呼んでいいのか微妙なラインだ。
店員の人に見えないようゆで卵を鞄の中に入れてお店を出る。
特急電車が駅を出るまでまだ時間がある。
9と4分の3番線へ向かうと、ときどき大荷物の人たちが柱の中へ消えていく。
おっかなびっくりで進んでみると柱の向こう側に長い列車が停車している。
ただし、電車じゃなくて汽車だけれど。
紅色の立派な蒸気機関車が白い蒸気を噴いている。
幼稚園の頃に梅小路の鉄道博物館で見た
ホームには見送りの人がたくさんいた。
魔法使いの恰好をしている人もいれば私と似たような――電車でもバスでも目立たない――普通の恰好をしている人もいる。
ホグワーツ魔法魔術学校は純血もそうでない人も入学出来るようだ。
これで少し安心した。
不思議の海のナディアは流石に通じないと思うけど、スターウォーズやビートルズを知っている人はいるんだ。
「こりゃあいいな。ウミツバメよりずっと安全で快適だ」
叔父さんはそんなこと言いながら使い捨てカメラで写真を撮っている。
家に帰ってみんなに見せるつもりだ。
「汽車ばっかりじゃ味気ないな。スミレ、記念に一枚撮るか?」
「うん。この辺でいいかな」
汽車の顔が真横にくるように少し移動する。
「上等なのもあるのになァ、いい機械ほど壊れるってのは時代遅れだぜ。なぁ?」
「そうだけど、誰も困ったことなかったんじゃない?」
「俺はめちゃくちゃ困ってる……ほらピースしろピース。はい、チーズ」
右手でピースを作るとシャッターが下りた。
カチっという音がして、叔父さんの顔がカメラから離れる。
ローブを着た魔法使いが何度か叔父さんを見ていたけど、あなたたちも面白い格好してここまで来たんだからおあいこだと思う。
ドラコはどこか探してみても見つからない。
人が多すぎてぜんぜん見えない。
柱の時計は長い針が10を指している。
発車の時間が近くなってきて、叔父さんは席を取ろうと歩き始めた。
先頭に近い車両はみんな満席だ。
客車の中でも席の取り合いが起きている。
これ、もしかして毎年……?
私、こういう席取りって本当に苦手なのに……。
後ろの方まで行かないとダメかと思ったところで、頭の上から懐かしい声がした。
「そんなところで忙しそうじゃないか。家に切符を忘れて来たわけじゃないだろうな?」
「ドラコ。私そんなにウッカリしてませんよ」
「けど席は見つかってないだろう」
お見通しだった。
「こっちは僕とパーキンソンだけだ。まだ二人分空いてるけど、クラッブとゴイルが座るにはちょっと狭いと思わないか?」
狭いだろうなぁとは思ったけれど、そこについてはノーコメント。
少し意地悪い顔のドラコに勧められるがまま個室席、コンパートメントという四人一部屋の席に入った。
この列車は一部の上級生専用席の他はみんなこのスタイルのようだ。
叔父さんは物珍しいのか車内の写真も撮りたそうだった。
重たいトランクを持ち上げてくれたのはクラッブとゴイルの二人だった。
去年の夏より大きくなった気がする……もしかしたらホグワーツには相撲部があって、二人はそこに入るつもりなのかもしれない。
「ありがとうございます。お元気そうですね」
「うん。ほんとちっさいなお前」
「ああ。ちゃんとご飯食べてるか?」
「食べてますよ、一日三食」
これっぽっちも信じていない顔だった。
一日三食を肉・芋・小麦で統一している国じゃないんだから当然だ。
おひたしやきんぴらだってあるし、私は白いご飯と漬け物があればいい。
そこからも二人が荷物を運びつつ人を押し退けて、ドラコのいるコンパートメントに案内してくれた。
クラッブとゴイルは通路を挟んで向かい側の席にいる。
心底嫌そうな顔をしているのは知らない男の子だった。
ひょろりと背が高くて、あまり肉がついていない。
なんとまく、ガイコツみたいな印象がある。
つい漏れてしまった「豚骨と鶏ガラ……」という呟きが英語じゃなく日本語だったのは本当に幸運だった。
「相変わらずピクシーと見分けつかないわね、ちゃんと食べてるの?」
ドラコが進行方向に背を向けた窓側で、その隣にはパンジー・パーキンソンが座っている。
私はドラコと向かい合う座席に座った。
彼女まで同じコトを言ってきた。
すらっとしたスタイルに睫毛も眉毛もしっかりした目力のある女の子で、ブルネットのボブカットが似合う見た目通り気の強い子だ。
彼女も以前より背が伸びている。
「ま、食が細いならスリムなのも当然かしら」
「毎日お肉とジャガイモ食べてるわけじゃないので」
あんな生活がこれから何ヶ月も続くと思うと心が苦しい。
窓際で頬杖をついたドラコは興味なさそうにホームを眺めている。
「日本人ってなに食べてるのよ。昆虫?」
「あなたの中の日本のイメージを聞くのが怖いです」
ライオンキングにそんなキャラクターいたなぁ、なんて名前だったかな。
ジャングルの奥で虫だけ食べてるイノシシとイタチみたいなコンビ。
あのアニメだと美味しそうだったけど、実際は佃煮か干物か揚げ物なんだよパンジー……色は渋い茶色オンリー。
見た目も色もぜんぜん可愛くない。
「ねえ、スミレはペット連れてきてないの?」
私の荷物に動物がいないと気づき、パンジーは興味津々の顔になる。
肩から提げた鞄を見せて「この中にいます、家から連れてきました」とだけ教える。
人混みが嫌いだし、多分まだ食事中なので出さないでおく。
「窒息してないか確かめた方がいいわよ」
「大丈夫ですよ。これ、四次元ポケットなので」
「四次元ポケット?」
「中がとっても広いんですよ」
「あー、検知不可能拡大呪文ね」
なんですかそれ、とは言わなかった。
私は四次元ポケットと解釈しているし、これをくれたお母さんだって「四次元ポケットみたいなもん」と言ってた。
理屈は違っても使い方は同じだ。
けれど気になってしまったので少しだけ中を覗いてみる。
底の方で黒い杖に絡みついて遊んでいた。元気そうだ。
「ミリセントとダフネはどうしたんでしょう」
ふと去年知り合った友達がいないことに気づいた。
「ダフネは前の方、身体が弱いから上級生が対処できるようにって。ミリセントは寝ぼけて――」
「アタシだってとっくに起きてるから。席が見つからなかったのよ」
ガラリとドアが開くと、疲れた顔のミリセント・ブルストロードが立っている。
どうやらドラコを探して一番後ろからここまで来たみたいだった。
いくら背丈でゴイルに並ぶからって、流石に無茶だ。
おでこに汗が滲んでいる。
折角なのでドラコの向かいの席を譲るため立ち上がる。
「去年の夏以来ですねミリセント。窓際どうぞ」
「ありがと……前より背、伸びたじゃない」
ミリセントは三白眼ぎみの瞳でニッコリ笑いながら窓際に座った。
相変わらず仲良しなのに恋敵の二人は目線で火花を散らす。
汽車の汽笛が響くと、叔父さんが窓辺からぬっと覗き込んだ。
「記念写真撮るぞ-! こっち向いて笑って-!」
ドラコはにやっとニヒルに、パンジーとミリセントは見ず知らずの人に驚いて目を見開いていた。
私は両手でピースを作って歯を見せた。
ルシウスさんの苦笑が聞こえる。
挨拶し損なったと思ったが汽車が動き始める。
ガタンと一度揺れて、列車はどんどん進み始めてしまった。
慌てて窓際に駆け寄って、そのまま身体を乗り出す。
ショウブ叔父さんは大きく手を振っている。
大きく口を開けて「頑張れよ」と叫んでいる。
私も思いっきり手を振って「行ってきます」と叫んだ。
汽笛と車輪の音にかき消されないように、喉が裂けるほど声を出して。
†
汽車がキングズクロス駅を出て1時間が過ぎた。
ロンドンの町並みがなくなって、窓の外には山もなにもない一面の平原があるだけ。
日本じゃまず見られないのどかな景色がずーっと続く。
お昼ご飯は食べたけど、朝ご飯が早すぎてもうお腹が空いてきた。
鞄から弁当箱を取り出す。
真っ先にパンジーが反応した。
「なにそれ。もしかして家から持ってきたの?」
「はい。おにぎりです」
「……おにぎり?」
聞いたこともない単語に首を傾げている。
ミリセントもプラスチックの四角い箱を見つめている。
魔法の世界にはプラスチックの製品がないから珍しいのだろう。
フタを開けると小さな丸い物体が4つ、サランラップにくるまれていた。
凸凹の丸いおにぎりはお母さんが作った証拠だ。
「白いご飯を塩で味付けして、丸や三角にかためた料理です」
「じゃあじゃあその赤いのは? アンズじゃなさそうだけど」
「梅干しです。梅の実をお酢と塩と紫蘇の出汁に漬けて作ります」
「色づけしたピクルス?」
酢漬けのキュウリと同じなのかは微妙なところだったが頷いた。
お漬け物には変わりない。
お母さんも好きな我が家秘伝の梅干しだ。
死人も甦って口をすぼめると評判の酸っぱさがクセになる
「一つどうですか? まだたくさんありますし」
「臭わない?」とミリセント。
ドラコは「いらない」と断った。
お弁当箱と別に、鞄の中からタッパーを出す。
こっちは魔法のお札で水漏れしないようになっている。
少しだけすき間を空けて、二人に差し出した。
「ニンニクみたいになったりしません」
「じゃあ1つだけ……」
「いただきます……」
恐る恐るな二人より先にクラッブとゴイルが突撃してきた。
梅干しの匂いに気づいたのだろうか。
油まみれの指を突っ込まれては困るので、慌てて新しく取り出して掌に載せてあげた。
「もっと欲しい」
「ケチケチするなよ」
「まず一口、美味しければまたあげます」
2人は不満そうに一口でばくりと食べてしまった。
案の定、お砂糖まみれの口は普通に食べるよりずっと酸っぱく感じられたようだ。
顔がじょうごみたいになってしまっている。
ひょっとこなんて次元は通り過ぎていた。
パンジーとミリセントは大爆笑、ドラコも振り返ってむせ返っていた。
「しゅっぱい!!!!」
「ちょっぱい!!!!」
クラッブとゴイルはバタバタと元の座席に戻って涙を浮かべながらチョコレートを食べ始めた。
おにぎり分けてあげようかな、と思うほど可哀想だった。梅干しが。
ひとしきり笑ってヒイヒイ息を荒げている2人をよそに、私もおにぎりを食べ始める。
これが最後の白いご飯。
食べ終わったら次は冬休みまでお預けだ。
だからよく味わって、涙を堪えて食べる。
お母さんの下手くそな凸凹おにぎりがとても愛おしい。
ああ、どうして私はホグワーツに……。
なにも悪いことなんてしていないのに、どうしてこんな、監視されるような仕打ちを……。
「車内販売はいかがですか?」
おにぎりがなくなって、底なしに沈んでいく気分をパンジーとミリセントが吹き飛ばす。
ガラガラとカートを押したおばさんを呼び止めると、買えるだけお菓子を買ってテーブルの上に広げ始めた。
見たこともない変なお菓子がずらりと並び、ちょっとした山を作る。
ナントカボッツの百味ビーンズに、大鍋ケーキ、カボチャパイ、カエルチョコレート……なにこれ?
「日本じゃこういうのはないでしょう? どうせマグルと同じお菓子ばっかりでしょうし、本物の魔法使いの味を教えてあげる」
「カエルチョコレート、箱の中から鳴き声が……」
「そりゃそうよ。だってカエルチョコレートだもん」
五角形の青い箱を開けると、チョコレート色のカエルが飛び出した。
顔にぶつかりそうになったのをドラコが手で叩くと、仰向けになってパンジーの前へ落っこちる。
倒れた時の暴れ方までカエルだ……き、気持ち悪い……。
パンジーもミリセントもとくに気味悪がっている様子じゃない。
どんな生活をしていたらこんなお菓子を思いつくんだろう。
そしてなぜ人気なのだろう。
ドラコも自分のカエルチョコレートの箱を開けると、がっかりしたようにため息をついた。
「ふん、またニュート・スキャマンダーか。もう5枚も持ってるよ」
ダイアゴン横町で手に入れた教科書『幻の動物とその生息地』の著者だ。
投げ捨てられたカードにはクシャクシャの赤茶色の髪をした男の人が映っていた。
青い瞳がとても綺麗で、少し力ない感じの笑顔が優しそうに見える、
こんな顔の人なんだと眺めていたら、慌てた様子で突然どこかに行ってしまった。
「あの、スキャマンダーさんが消えました」
「そのうち帰ってくるわ。みんなたまにふらっと消えるの」
「は、はあ……あ、帰ってきました」
紺色の小さなカモノハシを頭の上に載せている。
上着のポケットからは緑色の植物がこちらに手を振っている。
裏にはニュート・スキャマンダーの説明があった。
~ニュート・スキャマンダー~
――世界的ベストセラー『幻の動物のその生息地の著者』であり魔法動物学の権威。生態の研究に留まらず『狼人間登録簿』『実験的飼育禁止令』など法律分野でも功績を持つ。闇の魔法使いグリンデルバルドを最初に逮捕した人物。好物はポンチキ。――
法律は、なんとなくスゴい人なんだということだけ伝わってきた。
このグリンデルバルドというのは誰なのだろう。
ドラコなら知っているかなと思ったが、先にミリセントが私もカエルチョコレートを開けるよう急かしてきた。
「アンタの最初のカード、はやく見せてよ」
「はい。どんな人かな……」
フタを開けて蛙が飛び出さないよう左手で掴みながら、カードを見た。
映っているのは髪も肌も真っ白、全体的に色素の薄いお爺さんだった。
心地よさそうに眠っている。
名前は……ニコラス・フラメル?
「へー珍しい。錬金術関係はラインナップ少ないのよね」
「いいなあ。私なんてまたセミラミスよ、ちっとも魔女っぽくないのよ。ホラ」
「似たもの同士ってことなんじゃないの?」
「ならアンタのはカリオストロ伯爵ってワケ?」
パンジーが見せてくれたカードの魔法使いは、キレイな黒髪と長く尖った耳の女の人だった。
黒いドレスを着てそっぽを向いている、気難しそうな雰囲気だ。
裏面の解説によるとアッシリアという大昔の国の女王で、記録上はこの人が起こした毒殺事件が世界で最初になるらしい。
それと『空中庭園』というものを作ったとも書いてある。
古代にビルなんて建てられたんだと驚いたけれど、魔法があればなんでもありだと気づいてしまうとすぐにそうでもないように感じられた。
セミラミスもすぐにどこかへ行ってしまい、鳩が何羽もうろうろしている。
「セミラミスって2,3日はふつーにいなくなるから人気ないの」
「確かにスキャマンダーさんとは真逆のタイプでしょうね」
「そういうとこソックリだって言ってんの。でもスミレはツイてたわね、集めると必ず錬金術系でつまずくから。アタシもパラケルスス持ってないし」
「パラケルススも賢者の石を作った人でしたっけ」
そんなことを言いつつ裏の解説に目を通す。
ニコラス・フラメルとパラケルススと言えば賢者の石で有名な人たちだ。
流石に私でもそのくらいは知っている。
~ニコラス・フラメル~
――ボーバトン魔術アカデミー出身。中世を代表する錬金術の大家で『賢者の石』を創造した史上唯一の人物である。アルバス・ダンブルドアとの共同研究で多くの論文を発表した。現在はイギリスのデボン州にて妻のペレネレ夫人とともに隠棲中。趣味はオペラ鑑賞。――
「えっまだ生きてる」
「『賢者の石』の持ち主だものね。長生きもするわよ」
「それもそうでした」
ニコラス・フラメルだけが『賢者の石』を作り出せた……ということは、パラケルススは作っていないか成功しなかったということになる。
けれど私の知識が魔法界のそれと色々とズレていると思うと、わざわざカボチャパイを食べているのを邪魔してまでドラコに聞くのも悪い気がした。
会話の流れはパンジーとミリセントが取り合っているし、私は素直に聞き手に徹した方がよさそうだった。
カエルチョコレートを食べつつ2人の話を聞いて時間を過ごす。
私の手から逃げようと暴れ倒している気色悪いお菓子は、味は本当にふつうのミルクチョコで拍子抜けした。
全体的に他のお菓子も甘ったるい中、バーティーボッツの百味ビーンズだけは刺激的なフレーバーと巡り合えた。
マンゴー味だと思って選んだ黄色いゼリービーンズは、まさかのマスタード味だったのだ。
もしこの狂った製品を世に送り出した張本人が目の前にいれば、このバカヤロウと言ってやりたい。
そしてこの発狂した味音痴にしか思いつかない駄菓子がイギリス魔法界で大人気の理由もサッパリ分からない。
盛り上がるにはうってつけだけど。
百歩譲ってマスタードやワサビ、チリペッパー、赤トウガラシはいいとして。
だからってゲロや耳くそはやりすぎだ。
この大バカヤロウ。
スペシャルゲスト複数名、そしてスミレはついに魔法の学校へ。
ポンチキはジェイコブ・コワルスキーが得意なドーナツの(おそらく)原型となったポーランドのお菓子です。
中にフルーツジャムやクリームが入った甘い揚げドーナツになります。