ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

40 / 115
神が下す その答えは不幸だった

 銀世界の中に佇む魔法使いの村。

 ホグズミードの幻想的な景色へ、アザミは真っ白な息を吐いた。

 新調したレザージャケットにマフラーで身を固めている。

 気温が氷点下にもなると流石に寒い。雪国生まれ雪国育ちと言っても、寒いものは寒い。ましてお洒落のために防寒機能を捨てたのだ。寒さが針のように全身へ突き刺さる。

 見栄を張ってスカートなんて履いたのは失敗だった。

 風が吹くたび無防備な両脚が寒さに震え上がった。

 どうしてこんな格好を選んだのか。自分自身が恨めしい。

 ……見せる相手すらいないのに何故買ったのだろう?

 つまらない見栄のために趣味でもない格好をしている。そう思うと一層寒さが堪えた。

 アザミのちょうど正面に『ハニーデュークス』がある。

 いつまでも進まない行列がどこまでも続いている。

 この寒さにも関わらず大繁盛のようだった。

 アザミはあまりの窮屈さに耐えられなかった。店にたどり着いてすぐに我慢の限界に達し、そのまま外へ出てしまった。そして現在、向かいの雑貨屋の軒先で寒さに震えているのだった。

 

「…………クソッ」

 

 悪態はクリスマス・イヴの賑わいに掻き消された。

 舌打ちは聖歌隊の高らかなコーラスに上書きされた。

 誰かを待つのと、誰かを待たせるの、どちらが辛いか――昔そんなことを言った小説家がいたと授業の合間に小話として聞いたものの、川端だったか井伏だったか思い出せない。スミレも読書家のように思われがちだが『文学』となると急に手が引っ込むから、仮に聞いたところで正解を知っているかどうか怪しい。

 腕を組み仁王立ちの姿勢でいるうち、ようやく待ち人が現れた。

 すぐあとにハーマイオニーとロンが手袋をつける暇もなく駆け出す。

 よくよく見知ったグリフィンドールの三人組を追いかける。歩幅を調整しつつ距離を保ってしばらく尾行するうち、天気はみるみる吹雪となった。ハーマイオニーはどうしても『叫びの屋敷』へ行きたいようだったが、彼女の提案に賛成票が投じられることはついになかった。ロンはガチガチと歯を慣らしながら言った。

 

「こうしよう――『三本の箒』へ行って、バタービールを飲むんだ」

 

 珍しくハーマイオニーまで賛成する名案だった。

 お目当ての酒場(パブ)は吹雪から逃げてきた客で大混雑、騒々しいうえ煙たくて、けれど暖かかった。

 三人組は一番奥の小さなテーブルを囲んだ。

 そこでようやくハリーは『透明マント』を脱ぎ、真っ白になった手を擦りながらロンが運んできた大ジョッキを受け取った。泡が溢れそうなほどなみなみ注がれた熱々のバタービールで乾杯しつつ肩を寄せ合いヒソヒソ声で囁きあった。

 周囲の目と耳を気にしているようだがアザミには筒抜けだ。

 フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリー曰く『成功の秘訣』であり、協議の結果晴れてお役御免となった『忍びの地図』についてハリーはかいつまんで話した。もちろんハーマイオニーはあからさまな校則違反と()()()()()()()()()()()()()()()を理由に反発したし、ロンはさも当然と言わんばかりにこの()()()()()()()()()()をマクゴナガル教授に渡すべきでないと力説した。

 

「それに、僕がこれを先生に渡したらフレッドとジョージはどうなる? フィルチのところから失敬したことがバレちゃうじゃないか」

 

「それじゃあシリウス・ブラックのことはどうするの?」

 

 口を尖らせるハーマイオニーにロンは天を仰いだ。

 あまりにコントじみたいて、つい笑いそうになる。

 夫婦漫才というヤツをこんなに自然体でこなせるのは、ちょっとした才能と言える。

 

「この地図にある抜け道のどれかを使ってブラックが城に入り込んでいるかもしれないのよ? 先生方に報せないといけないわ!」

 

「ブラックが抜け道から侵入するはずがない」

 

「へえ、そりゃまたどうして?」

 

「いいかい? この地図には七つの隠し通路がある。フレッドとジョージの話じゃあ、フィルチが把握してるのはそのうち四つだけ。残る三つだけど、一つは崩れて使えない。もう一つは城側の出入り口の真上に『暴れ柳』が植ってるから、これも使えっこない。最後が『ハニーデュークス』の地下室につながってて、僕がさっき通ってきたんだけど……」

 

 そこでハリーは一呼吸置いた。『隻眼の魔女の像』と『ハニーデュークス』の地下室を結ぶ通路がどれほど窮屈で、ブラックのような大人にはとても通らないことを説明しようと向かい側に座ったロンとハーマイオニーを見る。

 二人は驚くほど大粒の冷や汗を浮かべ、アズカバンの吸魂鬼(ディメンター)がイギリス全土へ解き放たれたかのような表情で、ハリーの真後ろを見つめている。まさかマクゴナガルが立っているなんて、そんなバカな……と振り返って、ハリーは数秒ほど呼吸を忘れた。

 

 アザミがまるで別人のように柔和な微笑を浮かべている。

 黒革のハードジャケットに赤いタータン柄のスカートを履き、ロックミュージシャンさながらの格好で突然に現れたのだ。

 

「面白そうな地図じゃないかハリー・ポッター、いいモン貰ったなあ」

 

 白状するとこのリアクションが見たかっただけだ。

 特に深い理由なんてなく、ちょっと驚かせてやろうと思い、タイミングを窺っているうちとんでもない『秘密』を知ってしまった。三人はどんな無理難題を押し付けられるかと慄いているが、どんな要求を突き付ければいいかアザミの方こそ知りたいくらいだった。

 

 まさか「じゃあバタービール奢ってくれ」なんて言うわけにもいかない。

 

 つくづく自分の判断力のなさに内心で落ち込む羽目になった。

 

 

 

 

 クリスマスが来たかと思えば慌ただしい一年が過ぎ去っていく。

 年末年始などどこもそんなもので、ニューイヤーの晴れ晴れした気分も束の間。忙しなく新年の挨拶を済ませれば一息つく暇もないまま別の挨拶先へ……スミレとアザミも振袖で華やかに着飾り、本家の末席として挨拶回りに追われながら抜け目なく御年玉は回収しきった。

 ひとまず()()()()()と言って差し支えなかった。

 ホグワーツの新学期は一月の二週目から始まった。

 古代ルーン文字学教授はこのタイミングで抜き打ちテストを仕掛けた。油断しきった右頬へ渾身の平手打ちが炸裂したようなものだ。三年生から最上級生まで膨大な量の課題を提出しなければならず、そこかしこで若き女性教授への恨みつらみが聞こえてきた。

 ハーマイオニーは辛うじて合格点に達したものの、満点でなかったという現実に打ちひしがれていた。あとでパーバティ・パチルがそれとなく聞いたところによると、アオイ従姉妹が揃って満点だったのもショックの一因らしかった。

 

「満点不在での学年最高得点とはまったく違うんだよ……」

 

 と言ってパーシー・ウィーズリーは深々と頷いたが、ハリーにはまったく理解し難い主張だった。

 ほんの数点の差でそれほど落ち込むなら陸上競技の選手なんて年中ノイローゼでとても走ったり飛んだりしていられないハズだ。流石のロンも「もう少し慰め方ってもんがあるよな」と兄の迷言に肩をすくめていた。

 それで『ファイアボルト』の件がチャラになるではないけれど。

 ともかく、目に見えて憔悴しきったハーマイオニーのことが少しばかり心配にはなるのだった。

 しかしいま最優先の懸念事項は自分自身だった。もうすぐレイブンクローとの試合が控えている。またぞろ吸魂鬼に襲われて為す術なしなんて状況じゃあ優勝なんて夢のまた夢だ。大怪我で済ませてくれる保証さえないではいつにも増して命懸けである。

 その打開策がルーピン教授による『特別授業』だった。

 毎週木曜日、午後八時、魔法史の教室。そこで対吸魂鬼の切り札となる呪文の訓練をする。

 グリフィンドール塔を抜け出して指定された場所へ向かうと、教室の中は真っ暗だった。杖に明かりを灯して待っているとものの数分でルーピン教授が現れた。荷造り用の大きな箱を運び込む。教壇のすぐ横に置いて「ふう」と一息ついた。

 ハリーは何となく中身の予想がついた。

 

「それ、なんですか?」

 

「『真似妖怪』だよ、本物を連れてくるよりずっといい」

 

 曰く、フィルチの書類棚に隠れていたものを捕まえたのだという。

 

「本物に遠く及ばないが一番近い存在だ。練習のときはこうして世話になって、そうでないときは私の事務室に隠れさせておく。ちょうどボガート好みの年季の入った戸棚があるからね」

 

 ハリーは精一杯にこやかに「はい」と言った。ルーピン教授が本物よりずっといいモノを用意してくれて、本当に嬉しいです――――そう伝わるように返事をしたつもりだった。

 ローブを脱ぐとルーピンはクリスマス前よりやつれて見えた。

 持病があると言っていたが、本当に大丈夫なのか心配でならない。

 また防衛術の教室にスネイプが現れるのはもう二度とごめんだ。

 

「それと、()()を呼んであるんだ。もうすぐ来るハズだが……」

 

 まるで見計らったように誰かが扉をノックする。

 ルーピンは微笑みながら「どうぞ、お入り」と応じた。

 

「…………失礼します」

 

 抑揚に欠けた独特の声質といい、膝下まで伸びた黒髪といい、アオイ・スミレのほかにあり得ない彼女の個性的な要素が揃っていた。

 蒼白い顔が暗闇の中にぼんやり浮かぶように見える。

 それがスミレの亡霊じみた雰囲気をますます強めている。

 間違ってもルーピン教授に不信感を抱いたわけではないが、この人選については納得し難い感情があった。そうでなくとも、アオイ・スミレとの因縁を振り返ると彼女はいつも味方から程遠い立ち位置にいるのだから、むしろ歓迎しろというのが無理な相談である。

 教室内に走る緊張感。しかしルーピン教授は穏やかに微笑む。

 

「ダンブルドア先生とよくよく相談して、スミレには助手という形で防衛術の授業を受けてもらうことにした。彼女にとってもその方が負担が少ないだろうから。構わないね、ハリー」

 

 ダンブルドアの名前を出さなくとも不服を唱えるつもりはない。

 教授のことは心から信頼しているし、スミレが正々堂々と真正面から仕掛けてくるなんてあり得ないという確信があった。だからハリーは「はい、先生」と短く頷くだけに留めた。

 ハリーとスミレはルーピンに促されるまま杖を手にした。

 

「これから教える呪文は『守護霊の呪文(パトローナス)』という、聞いたことは?」

 

 二人とも初耳だった。ルーピン教授は「なるほど」と頷く。

 

「この魔法は『守護霊(パトローナス)』を呼び出すものだ。これは一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼(ディメンター)から身を守る盾の役割を果たしてくれる」

 

「盾、ですか」

 

「そうだ。プラスのエネルギー……つまり希望や喜びといった感情そのものは吸魂鬼が貪り喰らう対象だが、守護霊は絶望を感じることがない。だから吸血鬼に傷つけられることもない」

 

「ホグワーツ特急で先生が使ったのも……」

 

「そうだ、けれどあのときは咄嗟だった。もう一度やれる自信はない。『守護霊の呪文』はとても高度な魔法だ、それこそ普通魔法レベル資格をはるかに超えている。一人前の魔法使いでもひどく手こずる」

 

 教授は「だから最初の授業では()()()()()()()()()()()にしたんだ」と苦笑いを見せた。

 

「ただ、恥ずかしながら、今はまだ薬の副作用が抜けきっていなくてね……しかしレイブンクローとの試合を考えれば今日からでも遅いくらいだ。だからスミレの手を借りることにした」

 

 たかがヒンキーパンクで気絶するくせに、スミレなんかがいったい何の役に立つんだ。その言葉を飲み込むにかなり手こずった。

 

「彼女は少し特別な体質で、吸魂鬼からほとんど影響を受けないんだ」

 

「そんなことあり得るんですか?」

 

「信じ難いことだが、他に実例がないではない。ブラックも同じだ。ヤツもアズカバンに収監されて十年以上経つが、我を失わなかった」

 

 不思議と納得してしまう自分に、ハリーはまったく驚かなかった。一年目と二年目はスミレが、三年目はブラックが自分の命を脅かしている現実に従うなら、二人の間に一つくらい共通点があっても自然に思えた。

 スミレは基本的には見守っているだけだという。

 もしもハリーが『守護霊の呪文』に失敗し、偽吸魂鬼に襲われそうになったとき「バカバカしい(リディクラス)」と唱えてボガートを退散させる。

 彼女は『守護霊の呪文』を覚えるつもりがないらしい。

 振り返ってみれば一年生の時点で『悪霊の火』を使えたのだ。自分やハーマイオニーよりずっと才能があるハズなのに、ひどく傲慢な態度に思えた。

 

「守護霊を呼び出すのに最も大切なのは()()()だ。楽しかった記憶、幸せな記憶を強く思い浮かべるんだ。まず練習してみよう」

 

 これまでの記憶を順に辿っていく。ダーズリー家での記憶は何一つ当てはまらない。笑える出来事といえば、動物園で大蛇を逃したことと、ダドリーが豚に変えられたこと、空飛ぶ車で逃げ出したこと、それにマージ伯母さんを膨らませてしまったことくらいだった。次に思い浮かんだのは初めて箒で空を飛んだときだった。

 あの軽々とした飛翔する感覚はいまも鮮明に覚えている。

 

「呪文はこう――『守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)

 

「『守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)

 

 唱えるべき呪文と杖の振り方を確かめたあと、すぐに実践へ移った。

 骨董品同然のケースの封印が解かれる。ルーピンがゆっくり蓋を開くと同時にボガートが……吸魂鬼に化けた真似妖怪が勢いよく飛び出して来た。

 水面を漂う水死体のように宙へ浮かび、襤褸切れで覆われた顔を真っ直ぐハリーへ向ける。灰色に干からびた手が、骨格に皮膚の張り付いた指が、ゆっくりと伸びてくる。部屋中の照明が消える。心臓を突き刺す寒気と、あの低く唸るような風の音が近づいてくるにつれ、記憶の奥底から聞こえてくる悲鳴は……まだ生まれて間もないハリーの名を呼ぶ、母の声が鮮明になり、そこで意識が途絶えた。

 

 目覚めたハリーは冷や汗を滴らせていた。眼鏡を外して汗を拭う。

 心配そうに膝を折って様子を伺うルーピンと裏腹に、スミレは冷ややかな目でボガートが閉じ込められた箱を見つめている。

 

「大丈夫かい」

 

「すみません」

 

 咄嗟に謝りながら、差し出されたカエルチョコレートを受け取った。

 

「これを食べるといい。気分が良くなるのは、以前にも話したか。落ち着いたらもう一度やろう……謝ることはないよハリー。一回で出来たらそれこそ仰天だ」

 

 頭からチョコレートを齧って、ハリーは呟いた。

 

「母さんの声が、ますます強く聞こえたんです。それに()()()の、ヴォルデモートの声まで……」

 

 最後に、母を「小娘」と呼んだ声が誰のものか察せられないはずがなかった。ヴォルデモートの名前を口にしてもルーピンは怯まず、むしろハリーの言葉に深く心を痛めているように見えた。

 

「ハリー、もし続けたくないのであれば、その気持ちは――」

 

 それまで半ば俯いた視線を真っ直ぐにハリーへ向けながら、肩に手を置いた。その手を振り払うようにカエルチョコレートを勢いよく食べきるやハリーは「続けます!」と訴えた。

 

「やるしかないんです! レイブンクローとの試合中にまた吸魂鬼が現れたら、今度はどうなるんです? 前のように箒から落ちるわけにいかないん、それこそグリフィンドールが優勝できなくなる!」

 

 ハリーの熱意に絆される形でルーピンも覚悟を決めた。

 

「よし、やろう。ただし今度は別の思い出がいい……より強く意識を集中させられるような、もっと幸福な記憶を探すんだ」

 

 一年生のときクィディッチで優勝したときは本当に幸せだった。

 ホグワーツで経験した中でも特に素晴らしい記憶だと断言できる。

 ハリーとルーピンは互いに準備が整ったことを確認し、二回目の練習が始まる。杖を強く握りしめて大歓声に包まれたあの瞬間を思い描く。蓋が開くと覆いかぶさるように吸魂鬼が姿を現す。あれは偽物、記憶を盗み見て変化しただけの真似妖怪だ……指先を蝕む冷気に抗って呪文を唱える。

 

「『守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)』――!」

 

 ふわりと杖の先端から白い霧が霞んだ。ゆっくりと姿を変えていくよりも早く、今度は初めて聞く男の声が……引き攣った声音で、誰かへ叫ぶように呼びかけるのを聞いた。

 

 

 ――リリー、ハリーを連れて逃げろ! アイツだ! 行くんだ早く! 僕が食い止める……!

 

 

 ――よろめきながら走り去る足音……力任せに、いっそ破壊する勢いで開け放たれる扉……部屋に響き渡る甲高い笑い声……

 

 

 意識を取り戻したとき、埃っぽい床に倒れている理由が分かるまでしばらく時間を要した。心配しているのはやはりルーピンだけで、スミレはアルビノの大蛇と戯れている。

 

「父さんの声を聞いた」

 

 母が逃げる時間を稼ぐため、一人ヴォルデモートへ立ち向かった父の声だった。冷や汗とともに涙が頬を伝うのに気づいた。ハリーは出来るだけ顔を低くして、靴紐を結び直しているふりをしながら、ローブの袖で涙を拭き、ルーピンに悟られないようにした。

 

「……ジェームズの声を」

 

 だが、見上げたルーピンの表情は凍りついていた。

 不思議なことに声を震わせてまでいる。

 

「ええ……でも、先生は父のことをご存知ないでしょう?」

 

「私は……私は、とてもよく知っている。ジェームズとは学生時代から親友だった……」

 

 今度こそショックを隠し切れず、ルーピンは特別授業を終えようとした。結果的にではあるが、ハリーに両親の最期を教えてしまう形になったのだ。記憶の奥底に眠っていた幼少期のものを吸魂鬼の力で呼び覚ましてしまった。その残酷さを自覚したルーピンには耐え難いものがあった。

 けれどハリーは毅然として立ち上がった。

 三度目の練習を踏み留まるべきだと思いながら、ルーピンはハリーの意思を尊重した。スミレは呆れた様子で杖を手に取る。

 もっと幸せな記憶を想像しながら、ハリーも杖を待ち構える。

 そして三度、蓋が開かれた。

 部屋から光が消え失せる。

 暗闇の中に現れた吸魂鬼が、獲物を認識する。

 

「エクスペクト・パトローナム!!」

 

 叫ぶように呪文を唱えた。これまでと同じく頭の中から声が聞こえる。けれど、今回は周波数の合わないラジオに似て、声は遠のいたり近づいたりを繰り返す。

 そしてまだハリーの両目は吸魂鬼の姿を捉えていた。

 迫ってくる吸魂鬼が動きを止め、突き出した杖の先端から、大きな銀色の光が迸る。間もなくハリーの前で立ち塞がるように広がっていった。足の感覚がなくなって、あと何分立っていられるか分からない……右腕の痙攣が激しくなってきた。

 

「リディクラス!」

 

 ボガートが姿を消すと銀色の光も霧散し、ハリーは崩れ落ちるように椅子へ座り込んだ。こんなに疲れるなんて滅多に経験したことがない。両脚は力が入らないし、腕だって明日は筋肉痛の予感がした。息も絶え絶えにルーピンを見れば、抵抗するボガートを杖で箱の中へ押し戻している。

 やはりボガートは真っ白な風船に化けていたのだった。

 今こうしているときも彼に尋ねたいことが山のようにある。

 だが、それはまた別の機会にしなければならなかった。

 

「よくやったハリー! 本当によくやった!」

 

 我が事のように喜ぶルーピンから『ハニーデュークス』の最高級板チョコを渡され、全部食べきるように言われた。

 

「そうしないと、私はマダム・ポンフリーに絞られることになってしまう……今日はここまでにしよう。素晴らしい成果だったよ」

 

「あと一回だけ、あと一回だけお願いできませんか?」

 

「いや、ダメだ。今夜はよく休まないと」

 

 キッパリ断った上でルーピンはスミレにも同じチョコレートを渡そうとし、しかしスミレは頑なに受け取らなかった。

 

「すみません、チョコレートは苦手で……」

 

 翌日の体調に差し障るから、と一歩たりとも譲らない。

 妙な頑固さを発揮しつつスミレはそのまま教室を去って行った。

 ついに拒絶された板チョコはハリーとルーピンで分け合った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。