クィディッチ・ワールドカップでの惨劇はいつまでも日刊予言者新聞の紙面を賑わせた。記者たちはこぞって責任の所在を追及し、国際魔法協力部部長のバーティミウス・クラウチ氏を名指しして「彼のような問題ある人物を名誉ある魔法省の要職に就けるべきではない」という論調を展開した。もちろんコーネリアス・オズワルド・ファッジの任命責任を指摘することは怠らず、どれほどファッジが魔法省大臣に不適切な人物であるか懇切丁寧に見開き両面を丸々費やして論拠を掲載したのはあまりにヒステリックな反応だった。
とりわけリータ・スキーター女史の独自取材に依ればクラウチ氏が立案した警備体制には数え切れないほどの不備があり、この世紀の大失態によりイギリス魔法省の国際的信用のみならず総合魔法競技部の責任者であるルードヴィッチ・バグマン氏がどれほど名誉に傷を負ったか、という記事はまるでバグマン氏が大枚叩いて新聞社を買収でもしたのかと思うほどの贔屓ぶりで、アザミは見出しに目を通したあと早々にゴミ箱へ新聞を放り投げた。
キングズ・クロス駅級と四分の三番線で数ヶ月ぶりにドラコ・マルフォイと再会したパンジーの涙腺は即座に決壊した。泣きじゃくって抱きつきながら無事を喜び、ドラコもガールフレンドに心配されるのはまんざらでもなさそうにしていた。
スミレの関心は専らルシウス・マルフォイ氏の反応だった。
しかしドラコの父親は特にこれと言って息子の交際相手に関心を示さず、終始にこやかに二人と見守っているだけだった。
発車時刻が来るより早くマルフォイ氏はホームを離れなければならなかった。
「名残は尽きぬが、魔法省もいまあのような状況にある。大臣閣下を支える者は一人でも多い方が良いのだ」
コーネリアス・ファッジの大臣としての権力は、いまやマルフォイ氏の後ろ盾――もとい協力があってようやく機能している状態だった。事実上の掌握宣言に聞こえる台詞だが、あくまで
去り際、マルフォイ氏はスミレに向かって
「ではまた、何かあれば良い報せを伝えられるよう手配しよう」
と言い添えたのだった。事情を知らないパンジーは「ドラコのお父様と何かあったの?」と不安げに尋ねた。手紙のことでドラコがスミレを連れていった件がまだ気になっているらしい。
「ブラックを捕まえた件で、私と姉さんの名前が新聞に載らないようにしてくださいました」
「なあんだ……あのお手紙ってそのことだったのね。そうならそうと言ってくれれば……」
ようやく安心出来たパンジーに対し、スミレの心中は複雑だった。
移送中の囚人を吸魂鬼が襲った――たったそれだけの出来事ではある。アズカバンの看守たちの忌み嫌われようからも、魔法省にとって「想定しうる事故」の範疇にはあったのだろう。醜聞まみれの同組織にあってピーター・ペティグリューの遭難が表沙汰になっていないことからも、マルフォイ氏が方々に手を回し
けれどナルシッサ・マルフォイは夫よりずっと冷たい目でパンジーの振る舞いを観察していた。変身術の実技課題を評定するマクゴナガル教授だってもっと慈愛に満ちていると思えるくらい、冷徹を体現するかのように厳格な眼差しだった。この様子では仮にマルフォイ氏に認められてもナルシッサ夫人の承諾は絶望的だろう。上級階級の作法のことなど何も知らないスミレでさえ察せられるくらい、パンジーには
「シリウスのこと、夫から聞き及んでいます。かなりの無茶を重ねたとか」
「御当主には御当主の、父君には父君が方針があるとは存じています。ですが、年頃の女子が自ら危険な行為に及ぶなど以ての外」
こういうときちゃんと反省して頭を下げられるのはアザミのごく僅かな――本人はそのように認識している――美点である。スミレの従姉に従って動作だけは真似をしたが内心は罪悪感とまったく無縁で、むしろ「次こそは上手くやらないと」というまったく明後日の方向に反省をしていた。ナルシッサ夫人は汲めども尽きぬ勢いで小言という名の清らかな水が湧き出でる泉と化し、スミレの集中力はそろそろ限界に達していた。助け船、と呼んで良いかはさておき、その場へ割り込んだのは目に涙を浮かべた双子のカロー姉妹だった。
「スミレ姉様!! どうして私たちのことは招待してくださらなかったのですか!!」
「私たちという者がありながら!! どうしてアーネスト・マクミランと交際を!?」
「ごめんなさい、そんなにウチへ来たかったなんて知らなくて……」
「
「
激しく詰め寄られるスミレにアザミとダフネはひどい脱力感を覚えた。
フローラとヘスティは声すら掛けて貰えなかったことに深く傷付いているようで、スミレが二人の肩を抱き締めてそれはそれは優しい声音で繰り返し繰り返し謝罪の言葉を伝えられ、それで何とか涙が止まったのだった。新年度が始まる前からこんな調子では先が思いやられる。何も言っていないし言われていないミリセントだけが腕組みしながら訳知り顔で頷くばかりだった。
完全に話の腰を折られたナルシッサ夫人は小さく咳払いをして、ひとまず話を締めくくった。
「今年はこれまでのような
まるでこの先ホグワーツで何が起きるのか、知っているような口振りだった。しかし険しい瞳と固く結ばれた唇が、そのことについて婦人へどんな些細な質問を投げ掛けることも許さなかった。
†
大広間のステンドグラスに激しく雨粒が叩き付ける。魔法で創られた天井の夜空もそれに呼応するように真っ黒な雲が重くのし掛かり、けしてテーブルを濡らすことのない魔法の大雨を見舞わせた。ホグズミード駅で雨に濡れたせいでアザミの髪型は少し崩れていた。スミレの髪が水分を含んだせいでいつもより重く感じられる。新入生の組み分け儀式も滞りなく終わり、毎年恒例となっているダンブルドアのとても簡潔な挨拶も済み、盛大な晩餐が始ま……らなかった。
「さて。どこまで話したのじゃったか。持ち込み禁止品の目録はフィルチさんの事務所前に掲示してあることはもう言うたのう。敷地内にある森へ入ってはならんことも伝えて、そうじゃホグズミード村への外出も三年生からのお楽しみじゃったな」
今年はいつになく勿体つける。生徒はみな怪訝な目で校長を見つけた。
ダンブルドアは長く真っ白な髭を撫でながら大広間をぐるりと見渡した。
「この事を皆に伝えねばならんのは儂もまことに心苦しい。寮対抗クィディッチ・トーナメントは今年に限り開催中止とする。実に辛い役目じゃよ」
方々から絶叫があがった。むしろ声を発せられたのはいい方で、もっと深刻な生徒に至ってはショックのあまり声の出し方すら思い出せない有り様だった。ダンブルドアはさらに言葉を続けた。
「これは十月より幕を開け、今年度の終わりを以て閉幕とする一大イベントの為じゃ。先生方もこのイベントの為に一年間奔走なさる事じゃろう。しかし、儂は皆がこの催しを大いに楽しんでくれると確信しておる。ここに大いなる喜びを以て発表しよう――今年、ホグワーツ魔法魔術学校で
大広間に蔓延する悲嘆と不服がたちまち歓喜と興奮へ転換され、超新星爆発にも匹敵し得る極大の反応を引き起こした。スリザリンのテーブルではスミレとアザミだけが聞き覚えのない単語にキョトンとしていた。
「姉ちゃんはなんだと思う?」
「甲子園とかそんなのじゃないの」
「もっとこぢんまりしてそう」
「三校だけだもんね。甲子園だったら大阪だけでもう二枠埋まっちゃうし」
「三枠しかないのに二枠も固定があるのおかしいと思わないの?」
「ものの例えって言葉知らないのアンタ。んなこと言われなくたって百も承知だわ」
脳天気な二人は揃って「何だかみんな盛り上がってるね」と完全に他人事で、ダンブルドアが語って聞かせた三大魔法学校対抗の栄光ある歴史と長く封印されるに至った経緯、それを今年復活させるためイギリス魔法省の国際魔法協力部と総合魔法競技部がどれあけ時間と労力を費やしたかについて、まったく頭に入って来なかった。正直早くシャワーを浴びて寝たいくらいである。スミレはホグワーツ特急で塩鮭のおにぎりと豆腐の味噌汁をしっかり食べたし、アザミもこんな日くらいカップラーメンでもちっとも構わなかった。どのみち二人とも競技へ出場するつもりなど微塵もないのだから。
あれやこれやの細かな説明にも終始上の空だった。
ホグワーツとともに試合へ臨むボーバトンとダームストラングも「どこの学校だろう」以上の関心はなく、何故ドラコがホッとしたような表情で、何故パンジーがしきりに不満を訴えているのか、さっぱり見当が付かない。教職員のテーブルを見れば真っ赤なスリーピースで身を固めたバブリング教授が、必死に欠伸を噛み殺している最中だった。
結局、昨年ホグワーツへ着任した二人の教師のうちとびきりの変人だけが残り、常識人のうえ生徒からも広く慕われている方が城を去った。悲しいかなルーピンは人狼という呪いを抱えており、その事を彼自身も後ろめたく感じ、生徒の保護者からクレームが殺到するくらいなら……と先んじて職を辞してしまった。この結末を招いたのが魔法薬学教授でスリザリンの寮監も務めるスネイプなのだから、アザミもスミレも居たたまれない。スリザリンというだけでますます白眼視されるような真似を寮監が自ら犯したのだ。
もはやセブルス・スネイプに対する信用は底打ちしている。
学生時代から因縁のあるシリウス・ブラックをその手で捕らえ、彼が『この世で最も残忍な刑罰』に処されるのを楽しみにしていた。それだけでも大人げないのに、ブラック逮捕の報償として懸賞金とともに魔法省が提示していた勲一等マーリン勲章までバブリングに横取りされ、ただ募り募った学生時代からの憎悪の捌け口としてリーマス・ルーピンの秘密を暴露したのだ。アザミはスネイプの所業に「女々しい」と一言発するのが精一杯だった。
それでルーピンは闇の魔術に対する防衛術教授の職を失ったのだから、つくづくやるせない限りである。
見下げ果てるとはまさにこのことだった。
ズラリと並ぶ教職員の席で一つだけ空いたままの椅子が『闇の魔術に対する防衛術』のものだ。昨年はあそこにリーマス・ルーピンが座り、そのまた前年にはまた別の人物が座っていた。スミレが言うには防衛術の教授だけは毎年変わるのだそうだ。それこそ呪われているのでは、とアザミは背筋に冷たいものを感じた。
校長による『新しい防衛術の先生紹介』もすっかりお馴染みの挨拶だった。
「みなに紹介しよう。新しく闇の魔術に対する防衛術を担当してくださる、アラスター・ムーディ先生じゃ」
大広間の戸口に現れた人影へ視線という視線が集る。
荒削りな木製の杖へ寄り掛かるようにして、草臥れた厚手のロングコートは長年着古されたものだと一目で分かるくらいに色褪せている。一歩踏み出す度に「ガツン」と大きな足音が鳴り、しかも恰幅の良い身体がグラグラと不安定に揺れる。だが何よりその怪人――アラスター・ムーディ"教授"という存在を構成するものの中で異彩を放っているのは、黒くギラついた目と対照的に青々として忙しなく動く魔法仕掛けの義眼だった。上下左右どころか表裏の区別すらなく四方八方を執拗に睨みつけてはまた異なる先へ視線を移す。
異様の一言に尽きる風貌がそこにはあった。
ほとんどの生徒は驚きのあまり言葉を失い、ただ近しい席同志で顔を見合わせたり座ったまま仰け反ったり、程度は異なってもほとんど同じ反応を示した。アザミだけはスミレの意識をそちらに向けさせるまいとして、身体をテーブルの上へ乗りだし肩を掴もうとした。
やや遅れて大広間に響き渡った金属音。
それがスミレのか細い喉から発せられた悲鳴だと気付いたときには、全てが手遅れだった。
白目を剥いて仰向けに倒れ込む。眼前の現実から逃れようと足掻き、しかし先に意識だけが遠い彼方へ逃避したことで肉体が置いて行かれた。華奢な身体が支えを失って崩れ落ち、食器を蹴散らして反対側へ飛び超えたアザミの両腕に抱きかかえられる。