ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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蒼キ(アシタ)過去ハ死セリ 君ハマタ孤独ヲ抱ク

 シキミ翁はほぼ一日かけて推薦希望者の相手をしていた。

 朝食のあとから校庭の芝生に陣取り、下級生から上級生まで年齢性別の区別なく行列に加わり、みなそれぞれの成績や特技をアピールした。フレッドとジョージがその中にいたことはもちろん言うに及ばず。スリザリンのカシウス・ワリントンやレイブンクローのロジャー・デイビースはゴブレットに自分の名前を投じた上でさらに推薦枠を()()()()に利用しようと試みた。昼食になると翁は真っ直ぐグリフィンドールのテーブルへやって来て、ハリーの右隣に腰掛けた。ロンは締め出される形となった。

 

「噂に聞くポッターっつうのはオマエさんか」

 

 口角を思い切り吊り上げる独特な笑顔で尋ねられ、ハリーはぎこちなく「はい」と答えた。

 

「おいおい、そう構えんでくれ。儂のようなのはどこにでもおる」

 

「貴様のようなのが世に二人もおったらいずれ魔法族はお終いだ」

 

 鋭い声がシキミ翁の言葉を遮った。振り返った先には()()でシキミ翁を捉えるムーディが立っている。傷痕に埋め尽くされた顔の中で唇をねじ曲げ、警戒心を隠そうともせず来賓と対峙する。マホウトコロの元校長はそんな挑発的な態度にも不快感を示さず、ますます嬉しそうに笑みを強めるのだった。

 

「拝察するにムーディ教授はよほどこのポッターくんの身を案じとるらしい。なんともお優しいことだ、儂の可愛い可愛い末の孫娘はいま涙も出んつうのに」

 

「生憎、儂は悪党を懲らしめる他に他人と関わる術を持たんのでな。そこで貴様がポッターに近寄るのは好ましくないと、()()()()()()()()()()苦言を呈しとる」

 

「ドイツ人連中でももちっとユーモラスに喋れたぞ。ちと無粋が過ぎるが……まあ武闘派なんて肩書きブラ下げとるのはそんなもんか。で、アズカバンにはいつ収監(はい)る?」

 

 最後の言葉がトドメとなった。それきりムーディは一言も発することなくシキミ翁の監視を続けた。ハリーもこの老人の過去は知っている。ヴォルデモートの軍隊を資金面で支えた一人、どんな経緯であれ両親を殺した男の協力者と思うと、心を開くつもりにはけしてなれなかった。

 シキミ翁は肉汁たっぷりのベイクド・ソーセージをぺろりと五本平らげて揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスにモルト・ビネガーをしこたま振りかけながらハリーに尋ねた。周囲には翁の姿を間近で見ようと野次馬が集り始めていた。翁はサクサクした衣にこれでもかとビネガーを吸わせ、ベチャベチャになったタラのフライを一つ丸々完食してみせた。

 

「どうだねポッターくん、一つ代表選手になってみる気はないか?」

 

 ムーディの監視など屁でもないと言わんばかりにハリーを対抗試合へ勧誘する。ダンブルドアへ報告されることも意に介さず、仕掛けた悪戯の餌食になる犠牲者を待ち構えるような、無邪気な笑みだった。ここで好意的な返事をすればまた「目立ちたがりの()()ポッター」と後ろ指を指されるに決まっている。ハリーはほんの少しだけ興味があることはおくびにも出さず「いいえ」と短く答えた。

 

「無欲なのが悪いとは言わん。立派な美徳だ。しかしこうは思わんか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これは悪魔の囁きだ。いままで何度もピンチを切り抜けてきたけれど、それは自分一人の実力なんかじゃない。親友のロンとハーマイオニーがいつも隣で助けてくれたし、ダンブルドアだってそうだ。そんな自分がたった一人でビクトール・クラムやフラー・デラクールを相手に戦えると思い込むほど自惚れてもいない――必死にそう言い聞かせるハリーの心を見透かすように、シキミ翁はさらに囁く。

 

『思い出せポッターくん。クィディッチ・ワールドカップで何が起きたか。帝王の僕はペティグリューが一人死んだに過ぎん、仮面を脱ぎ捨て何食わぬ顔で君のすぐ近くを跋扈しておるではないか。もし未だ見ぬ忠臣が君を陥れるのにこれ以上の好機があるかね?』

 

『お言葉ですが、ホグワーツにはダンブルドア校長がいらっしゃいます。あの大魔法使いが目を光らせているのに、ヴォルデモートの手下が企て事を推し進めるなんて出来っこありません』

 

『そのダンブルドアすら多くを見落とした結果が昨年だ。儂の孫娘らの優秀さはよう知っとるだろう、もし儂の推薦で試合に臨むというのならスミレもアザミも好きに使え。この儂の言葉に背くような事はあり得ん』

 

『どうして、アオイさんはそこまでして僕を代表選手にしたいんですか。まるで僕に死ねと言っているように聞こえますが』

 

『そうではない。もし何者かの策謀で君が五人目の代表選手になったとき、ダンブルドアは君を助けられん。アレには開催校の校長という足枷が嵌められておる。儂も手を貸すのは気乗りせんしな。だが四人目ならば話は別だ。儂はジョーカーが好きなんだ、一緒に大番狂わせをしようじゃないか』

 

 この対抗試合に波乱を巻き起こしたいという刹那的な欲望と、ダンブルドアに負けず劣らずハリーの身を案じているという本音が心をかき乱す。

 

『公正な試合などあり得ん。オリンペ・マクシームとイゴール・カルカロフはあらゆる手を使ってでも手前の秘蔵っこを勝たせようと必死だ。何せ()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()に教育者として一矢報いる絶好の機会だ。儂ならば君をクラムとデラクールに並ぶ高さまで押し上げることが出来る。無責任な爺だからな』

 

 揺れ動く心が視界すら揺さぶる。シキミ翁は煩悶するハリーをしばらく観察して満足したらしく、大皿に盛りつけられたフィッシュ・アンド・チップスを残らず胃袋にしまい込み、タンブラーへ注いだトマトジュースを勢いよく飲み干して「どっこいせ」とジジ臭いかけ声とともに立ち上がった。

 

「さて! 今朝の続きだ、のんびりメシ食っとる暇はないぞ! 日没までそう時間はないんだ!」

 

 野次馬たちをそのまま引き連れて大広間を去って行った。

 ポツンと取り残されたロンはまるでハリーが葵家に婿入りするとでも言い出したような表情だった。

 

「ハリー……君、あの爺さんと蛇語で何を話してたんだい? マジでスゲえや。蛇舌同士の会話なんて一生見る機会がないと思ってた! ああっ、ハーマイオニーのヤツ今ごろ来るんだから! ハーマイオニー! 君ったらなんてバカな真似したんだ!? あの瞬間に立ち会えないくらいなら()()()()なんて辞めちまえばいいのに!」

 

 

 例年よりカボチャ控え目なハロウィーンの晩餐が幕を下ろす。

 ボーバトンとダームストラングには効果覿面だったけれど。

 ゴブレットが選定する三人の代表選手に、シキミ翁が推薦する四人目。みんな早く名前を読み上げて欲しい気持ちで落ち着かなかった。ダンブルドアが立ち上がるとマダム・マクシームとカルカロフ校長も期待と緊張感が隠せなくなっていた。シキミ翁はそもそも隠すつもりもなくウズウズしてルードヴィッチ・バグマンとしきりに囁きあっている。クラウチ氏だけはまったく無関心で心底うんざりした表情だった。

 

「さて、ゴブレットの意思はほぼ固まったようじゃ。儂の見立てではあと一分ほどじゃの」

 

 すべての皿がテーブルから姿を消したとき。ゴブレットの炎が一際大きく揺らめいた。

 

「代表選手の名前が呼ばれたら、その者たちは大広間の一番前に来るがよい。そしてあの扉の部屋に入るよう。そこで最初の指示が与えられるであろう」

 

 ダンブルドアは教職員テーブルの後ろを指差す。扉の側にはマクゴナガル教授が立っている。シキミ翁はゆっくり立ち上がり、ダンブルドアの近くまで進む。傍らには祖父の手を握りしめたスミレの姿があった。目に宿った光はけして彼女の心を反映した者ではない。ただゴブレットの蒼白い炎を反射しているだけだ。間もなくダンブルドアは杖を振うことなく大広間の蝋燭をすべて消し去り、ただ煌々と燃え上がる青く清浄な炎だけが空間を照らし出す。

 静寂に包まれる中。ゴブレットの炎はより激しく燃え上がり、赤い火花を散らした。

 その舌先から焦げた羊皮紙の切れ端が一枚飛びだし、宙を舞う。

 掴み取ったダンブルドアがごく小さくかき込まれた名前を読み上げる。

 

「ダームストラング代表はビクトール・クラム!」

 

 坊主頭の集団がにわかに活気づく。選ばれるべくして選ばれた男だ。

 クィディッチの世界的名選手と名高いブルガリア人は各校からの惜しみない祝福を一身に浴び、奥の控え室へと去って行く。スミレは彼が何者か知らないようで、シキミ翁に小声で今の青年はどういう人物なのか尋ねていた。シキミ翁も孫娘には甘いのか色々教えていたが、スミレはすぐに興味を失ってまたゴブレットへ視線を戻した。

 再び静まりかえると同時に新たな紙がゴブレットの炎からひらりと舞い上がる。

 

「ボーバトン代表はフラー・デラクール!」

 

 シルバーブロンドの髪をたなびかせる絶世の美少女はマダム・マクシームと次いでダンブルドアに一礼したあと、優美な足取りで指示された部屋へ向かって行った。その後ろ姿を見逃すまいと視線で追うバブリング教授をショウブ博士が肘で小突いた。相変わらず不機嫌そうな仏頂面をして、腕組みをしたまま大広間の片隅に陣取っている。

 最後の選手を示す羊皮紙がダンブルドアの手に収まる。

 祈るような心持ちでホグワーツの生徒はじっと待つ。

 

「ホグワーツ代表はセドリック・ディゴリー!」

 

 ハッフルパフから挙がった大歓声はグリフィンドールとレイブンクローのものを掻き消す勢いで、これまで彼らが貯め込んできた様々な感情の発露でもあった。スリザリンですら拍手喝采で以てセドリックの名誉を讃えている。大いなる祝福のあとセドリックは名残惜しそうに奥の部屋へ消えた。入れ替わりにシキミ翁がスミレを連れてダンブルドアの隣に立つ。

 

「さてシキミ殿、貴方のお眼鏡にかなう生徒は見つかりましたかな?」

 

「もちろんだともダンブルドア校長。だがその前に、一つ身内贔屓をさせてくれ」

 

 そう言うとシキミ翁は膝を折ってしゃがみ込んだ。ちょうどスミレが耳打ちしやすい位置まで頭を持って来た形だ。

 

「スミレや、オマエが推薦したい生徒を爺に聞かせておくれ」

 

 誰の目も憚ること無くスミレは実の祖父へ囁きかけた。数回頷いたあと、シキミ翁はゆっくり立ち上がる。愉快げに目と口を歪めた顔は大広間の扉の方を向いていた。

 

「どうだアザミよ、仲良しの従妹はオマエの活躍を見たいそうだぞ。冥土の土産と思ってこの爺に晴れ姿を拝ませてはくれんか!」

 

「冗談じゃねえ。成人式の振り袖で十分だろ」

 

 仁王立ちの構えで大広間の全員と相対するアザミは、見るからに腹を立てていた。

 眉間のシワの深さと言ったら相当怒り心頭であることは容易に察せられた。だがシキミ翁は声を挙げて笑い飛ばしたあと「流石はショウブの娘だ」と実の息子を揶揄った。巻き込まれた博士は咳払い一つ発することなく沈黙を貫く。

 

「では諸君、長らくお待たせした。この半日ばかりで儂を大いに楽しませてくれたが……この三人に並び立つ者は一人を除いて見出せなんだ! これよりその者の名を選定の杯へ――」

 

 前口上を朗々と謳い、ゆったりとした羽織の左袖へ右手を突っ込む。

 だがそれと同時に異変が起る。三人の代表選手を定め終えたゴブレットが赤々とした炎を爆発させる。悶え狂うような火炎の中から吐き出された羊皮紙を掴んだのは、最も近い位置にいたシキミ翁だった。

 

「さてさて、これはどうした事か。いやまったく信じ難い……ご覧の通りたったいま()()()()()()()()が決まった! ダンブルドア校長閣下に代わり儂が読み上げる!」

 

 どよめきの声を痩せ細った手で制する。驚きと喜びの入り交じった表情を浮かべ、張りのある堂々とした声で呼ばれた名は――

 

「マホウトコロ代表、アオイ・スミレ!!」

 

 自らの、末の孫娘――恐怖と困惑と絶望に打ちひしがれるスミレへ、シキミ翁は歩み寄った。どこまでも『優しいお祖父ちゃん』の声と微笑みでそっと黒髪を撫でる。

 

「泣くな泣くな。これから爺が最高に面白いモノを見せてやるぞ、よう笑っておくれ」

 

 その言葉を理解出来たのは他に二人だけ。顔中に冷や汗を浮かべたアオイ・ショウブ博士と、目に有らん限りの怒りを讃えたアルバス・ダンブルドア。その様子を見たハーマイオニーはきっと彼らの母国語で喋ったのだと理解した。もし蛇語であったならハリーも何かしら反応を示しているハズだからだ。

 

「ふむ。やはり儂の目に狂いはなかった。ではいざ、五人目の選手を示すがいい!」

 

 羊皮紙が投げ入れられるや、炎はますます荒れ狂い、その先端が天井から吊された各校の旗を僅かに焦した。あたかも生けるが如く、憤怒に悶えるが如く、選定の杯はついに老翁の捧げた意思を一同に告げる。炎の渦から飛び出した羊皮紙は真っ直ぐダンブルドアの足下へ舞い落ちた。

 震える手で拾い上げた校長に翁は「さあ。それが儂の答えだ」と微笑んだ。

 

「儂の推薦はハリー・ジェームズ・ポッター。その者を置いてはあり得ぬよ」

 

 死よりもなお重い空気が大広間に充満し、誰もが窒息しそうになる中、クスクスとそれは可愛らしい声が笑い続けた。

 大粒の涙を流すスミレの忍び笑いは蛇の息遣いとよく似ていた。

 

 

「どういうことです御当主! 五人目の選手ですと!?」

 

(アジ)めからそのつもりでーした! これはペテーンです!」

 

 ボーバトンとダームストラングの両校長から轟々たる非難が舞う。

 果たしてシキミ翁は矢面に立とうともせず口元に狡猾な笑みを貼りつけ、スミレの肩に手を回したままゆっくりと階段を降り、炎燃え盛る暖炉の前へ進む。先に待機していたビクトール・クラム、フラー・デラクール、セドリック・ディゴリーが審査委員たちとともに現れたすみれを見て不思議そうな顔をした。

 

「とてーも小さい選手でーすね。妖精みたーいです」

 

「英語、お上手ですね。アメリカ人に教わったんでしょう」

 

 真っ先に嘲笑混じりの挨拶を放ったフラーに、スミレは冷たい声で反撃する。

 クラムとセドリックは互いに目を見合わせ説明があるまで発言を控えた。

 火花を散らす女学生二人にハリーは戸惑いを覚えた。初対面でそんなに言い争うなんて、ちょっと正気じゃない。

 クラウチ氏は今にも貧血を起しそうな顔色だった。バグマン氏だけが何一つ状況を理解しないまま「素晴らしい! 素晴らしい!」と頬を真っ赤にして繰り返し叫び、その度に激昂のあまり英語を忘れた校長たちのフランス語とブルガリア語に詰め寄られるクラウチ氏がますます痩せ細っていくように見えた。

 

「ご紹介しようミス・デラクール。四校対抗代表選手試合に参加するアオイさんだ」

 

「おう、流石はジョークの国です、とてーもユカーイですムッシュ・バグマン」

 

「ジョーク? いやいやとんでもない! 彼女はマホウトコロの代表選手だ! たった今炎のゴブレットから名前が出て来た!」

 

(ヴォク)たちう゛ぁ、三大魔法学校対抗試合(トライ・ヴィザード・トーナメント)の、代表選手のハズだ」

 

 こちらも酷く鈍った話し口調だったが、フラーと違い英語が不得手な自覚があるらしいクラムは重厚感のあるゆっくりした声でバグマンを問い質した。太く短い眉が不信感で微かに歪んでいるのにハリーは気付いた。

 

「なあに一校増えたところでさほど困らん、なあ!? そうだろうバーティ!?」

 

「でも何かーの間違いに違いありーません」

 

 軽蔑した態度を示されても総合魔法競技部部長は平然としている。

 

「このこは、若すぎまーす。このいと、競技できーません」

 

「まったく仰る通り。驚くべき事ではありますな」

 

「あなーた状況を理解しーてませーん」

 

 腹立たしげにフラーはシルバーブロンドの髪を払った。

 セドリックは困り果てた様子でじっとスミレを見詰める。

 罵倒されたと気付かずバグマン氏は髭のない顎を撫でた。

 

「知っての通り年齢制限は特別安全措置として今回はじめて設けられたものだ。むしろ無いのが通例だったのです。そしてゴブレットからスミレさんの名前が出た。もはや逃げ隠れしても意味がない、これは規則だ。従う義務がある。ああーつまりですな、アオイさんはとにかくベストを尽くすほ――」

 

 ルードヴィッチ・バグマンの右頬に鉄拳がめり込んだ瞬間を五人の代表選手、全員が目撃した。完璧なストレート・パンチを炸裂させたショウブ博士はさらに左手でバグマン氏の胸ぐらへ掴みかかった。あまりにも素早い連携にはクラムの巌のように重苦しい表情が少し晴れた。衝撃で吹き飛んだ歯が暖炉の中へ飛び込んだのをセドリックは見逃していない。

 

「舐めてるのかお前。こんな大事故を引き起こした言い訳がよりによってそれか」

 

「叔父さん。火かき棒使います?」

 

「おう貸せ。この腐った舌ァ焼き切ってやる。喉ごとだ」

 

「落ち着けショウブ。どうせ杖振りゃあ治るぞ」

 

 突然の暴力沙汰に校長たちの怒気も和らいだ。

 スミレが火かき棒へ手を伸ばそうとしたのをセドリックが防いだ。クラムは持ち手を蹴って反対側へ弾き、スミレの白く小さな手が届かないようにする。

 自分が何故殴られたのかと涙を浮かべて震え上がるバグマンに、シキミ翁が小さな小瓶を手渡した。

 

「大事な歯を済まなんだバグマン殿。これを飲めば一晩でまた生えてこよう」

 

 慌てて美しい若草色の魔法薬を飲み干すバグマン。たちまち殴られた頬を両手で押え絶叫したかと思うと、そのまま白目を剥いて仰向けに倒れた。口元からブクブクと泡を吹く姿にフラーは目を白黒させた。

 

「ああ、なんーてことでーすか、毒を盛ーるなんてー」

 

「なあにただの歯薬よ。痛みでショック死するかもしれんが」

 

 別に構わんだろ、と疲労困憊したクラウチ氏の肩を叩く。

 本音と建て前は別だ。クラウチ氏の毅然とした表情がそう物語っていた。

 

「さて邪魔者の口は封じてやったわけだが。どうするね」

 

「どうするとは随分悠長な物言いですな御当主。それもこれも貴方の身内贔屓が原因ではありませんか」

 

「マオーウトコロからは代表選手を出さない。そういう約束でーした」

 

「仕方ねえだろ、ホグワーツへ入れるのに学籍が必要だったんだ」

 

「つまり全て貴方の思い通りと仰る! 当校に対するとんでもない侮辱ですぞこれは!」

 

「オリンペ、それにイゴール。クラムくんとデラクールさんもよう聞け。五人目がさっきのアザミだったら儂も疑われてしょうがあるまいと思う。これはまったく自慢だがアレは本当に器用な子でな、アレが推薦を受けてくれればええ勝負をしたろうに……」

 

 やれやれとシキミ翁は肩をすくめて見せた。底意地の悪そうに口の両端を吊り上げて、心にもない台詞をつらつらと並べ立てる。しかし例え冗談であっても四年生風情と同列に扱われたのはクラムとフラーにとってこの上ない侮辱と受け止められた。二人の外国人学生は異邦の元校長で審査委員の一人に顰め面を向けた。マダム・マクシームとカルカロフはもう少し冷静だったが「いけ好かない爺め」と言いたげな目をしている。

 

「十六歳も十七歳もそう違わん。それにアザミは七歳からマホウトコロに通っとる、経験量ならダントツだぞ。あの通り無粋な親父に似ちまったわけだが……スミレはと言えば、十三歳ではじめて杖を握った。二年の出遅れだ。ましてつい今朝方まで一ヶ月ほど寝込んどった」

 

「確かに。昨日の歓迎式でもアオイさんの姿は見ませんでした」

 

「ディゴリーくんの言うとおり。それで、誰が誰を身内贔屓したと?」

 

 元校長の黒い目には底がなかった。吸い込まれそうになる深淵から覗き込むような黒さを真っ直ぐに見据えて、二人はそれぞれ異口同音に可能性を否定した。少し頭を使えば分かることである。状況証拠から言って信憑性が高い。一ヶ月かもしくはそれ以上の期間に渡り体調を崩していた人間を、炎のゴブレットが選ぶなどあり得ない……まして魔法教育で二年も出遅れている病み上がりに、自分たちが負けるなんて。その思いがクラムとフラーの脳内に冷静さを取り戻させた。

 

「教え子に追い抜かされたな御両人。ま、それも教育者の醍醐味ではあるが」

 

「……我々で幾ら議論を重ねても詮無き事じゃ。スミレが年齢線を越えることも、上級生に頼むことも、全くあり得ん。彼女の性格をよく知るシキミが保証してくれよう」

 

「そうだアルバス。堂々と規則を破るような子じゃない。育ちがいいんでな」

 

 冗談めかしたシキミ翁に対しダンブルドアの声は怒りに震えていた。

 水を向けられたクラウチ氏の横顔は暖炉の炎による影で覆い隠され、それでなくとも窶れた

雰囲気が骸骨じみた錯覚すら抱かせる。これでは本当に病気のようだ。肉はゲッソリ削げ落ち、骨格の上に乾燥しきった皮膚が張り付いているのが分かる。ハリーはただただクラウチ氏の容態が心配になった。

 

「君の意見を聞こうバーティ。四大魔法学校による対抗試合は成立するかのう」

 

「規則は絶対だ。ゴブレットの決定は強力な魔法契約であるから、ミス・アオイは参加せざるを得ない。五人目の代表として。それがルールだ」

 

「ありがとうバーティ、礼を言おう。君の冷静さに救われた気分じゃよ」

 

「では一体誰が彼女の名前をゴブレットに入れたのでしょうなダンブルドア。貴方と御当主の因縁を考えると――」

 

 存在し得ない粘性を感じさせるほど媚びへつらったカルカロフの目に残忍な光が宿る。豊かな口髭で隠した貧相な顎と相まってますます邪悪な魔法使いらしさを強める。スミレとフラーの侮蔑が籠もった目もどこ吹く風でダンブルドアへ噛みつき始めた。

 

「そこまでにしておけカルカロフ。昔話をご所望ならまず儂の口から貴様の経歴を洗いざらいブチ撒けねばならんが、それでも構わんなら続けるがいい」

 

「随分な脅し文句ですな『マッド・アイ』! そのイカれた目ですべてお見通しと言うならこの状況をどうご説明なさるのか是非拝聴しましょう!」

 

 カルカロフの言葉を遮ってムーディが階段の半ばに姿を見せた。

 不自由な足を引き摺りながら全員の元まで参じ、魔法の目でぐるりと室内を見渡す。

 

「ゴブレットの魔力は強大だ。狂わせるには錯乱の呪文しかない。四年生に扱える代物でないことはみな承知しておろう。それに年齢線、アレは極めて正確に敷かれとる。小手先の呪文で誤魔化せんのは生徒連中が証明済みだ」

 

「こんーな出来事はバカげていまーす! 犯人がいないなーんて、あり得ませーん! ボーバトンの校長として魔法省に抗議しまーす!」

 

 天井スレスレの高さからマダム・マクシームに凄まれてもムーディは一瞥を返すに留まる。

 

「犯人捜しはホグワーツと魔法省で行なう。当然だ。苦情なんぞ勝手にすればいい。いま我々が共有すべきは、対抗試合が何者かの干渉を許したという事実、それだけだ。反論のある者はいるか?」

 

「まことに遺憾ながら彼のご指摘通り、いま最も危険な状況にあるのは代表選手であり、各校の生徒たちに他ならない。魔法省として最大級の警戒態勢を敷くことを約束申し上げる。具体的には『闇祓い』の動員です。他にご要望は?」

 

「吸魂鬼を連れて来てくださって構いませんよ。去年もそうでしたから」

 

 クラムもフラーも一際華奢なスミレの発言に目を見開いた。

 校長たちもあまりの辛辣さに絶句し、ダンブルドアすら沈黙を選んだ。

 今のハリーにはスミレの心境が理解出来る。ただ全員を驚かせてやろうと、そんな祖父譲りの悪戯心から出たなんてことない冗談なのだ。

 彼女の中でナニカが吹っ切れたらしい。

 暗黒の底を思わせる両目は、暖炉の炎に背を向けていても光を宿していた。

 一直線に切り揃えられた前髪の真下から強烈な意思を放つ。

 そこでようやくショウブ博士が建設的な議論へ参加した。

 

「スミレの母親をホグワーツへ呼ぶ。フクロウ便じゃ遅い、電話があれば借りたいんだが」

 

「では博士は一度、私と共に魔法省へ。大臣への報告もしなければなりませんので」

 

「御手数お掛けする。急いでも?」

 

 頷くクラウチ氏は端からバグマンを案じていなかった。ベルベットのカーペットの上で横たわった小太りの役人を放置して、ショウブ博士ともども部屋の外へ出て行ってしまった。これ以上議論を重ねても時間の無駄だと言わんばかりの態度である。

 残された面々の中でビクトール・クラムは黙して語らず、言外にただ己の死力を尽くすのみという気概を示した。カルカロフ校長は慇懃な仮面をかなぐり捨ててダンブルドアとムーディを残忍極まる目で睨み付ける。

 マダム・マクシームの神経は未だ逆立ったままで、大きな手をフラーの肩に置き二人して早口のフランス語で何か話し合っている。ときどき頭上から注がれる視線にスミレが鬱陶しそうな表情を返し、それを嘲笑うようにフラーがとびきり可憐な笑みを作った。

 

「心配しないでくださーい()クシーム先生(センセーイ)。勝つのは私でーす」

 

「貴女とよく似た女性を知っていますよ、マリー・アントワネットという方です」

 

 思わず吹き出しそうになったハリーは咳き込むフリをして誤魔化した。

 セドリックも流石にこの返し文句は度肝を抜かれたらしく、呆然の表情になる。

 

「賞金の一千ガリオンで原寸大の断頭台(ギロチン)と皇帝ニコライ二世の御真影を作りましょう。ジョークの国、イギリスの土産にお二人へ差し上げますよ」

 

「よう言うたスミレ!! よう言うたぞ!! さあさあ、皆負けられん戦いになったなァ!!」

 

 見えざる危機を面白がっているのはどこまでもシキミ翁とスミレだけ。

 差し迫った脅威など知ったことかと、ゲラゲラ笑い合いながら部屋を去って行く。

 

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