ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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心が戦場だから誰にも救えない

 個室の蛇口を捻ると頭上のシャワーから熱湯が降り注ぐ。放課後、消灯時間ギリギリまで続いた祖父直々の『特訓』で流した汗はたちまち流れ落ちていく。秘密の部屋は骨に凍みるほど寒かったにも関わらず、滝のような汗が全身を濡らした。堪らず吐き気を催すほど過酷な修行である。いくら高温のシャワーを素肌に浴びせても、凍りついた心を融かすにはとても熱が足りない。あの白磁のように美しい肌、その下に秘められた頸動脈を流れる赤々とした鮮血であればどうだろうか……そこまで考えが巡り、頭を振った。

 このまま、一切を包み隠すことなく彼女の枕元に立つくらいなら、いっそ死を選ぶ。

 肉体が吸血鬼に寄れば自ずと『服従の呪文』はより彼女の心の深層まで操るだろう。マッド・アイの()()()()により、パンジーが心理面に作用する魔法への抵抗力をほとんど備えていないことは実証済みだ。不慣れ故に不完全な呪文であっても望んだ効果を得られるハズ。

 だがそれは人間としてのアオイ・スミレの死であり、パンジー・パーキンソンという少女への想いも死ぬ他なくなる。何故自分はこれほど呪わしいのか。つくづく呪えるなら呪い殺してしまいたい。異性として……女性であるはずなのに、男性であるアーニー・マクミランへ好意を抱けないのは別に構わない。彼の如何なる要素を以てしても魂が揺さぶられない。心がときめかない。ただ虚しさだけが募る。ダフネの言う通り自分はどうしようもなく同性のパンジーが好きで、しかしその想いを果たすためにはどうあれ彼女の恋が破局を迎えることとなる。奪うにせよ、新たに紡ぐにせよ。もはや彼女の身を悲劇が襲うのは不可避の未来なのである。

 それはアーニーも同じだ。自分が煮え切らない態度を貫き、なあなあの関係を保とうとして、結果的にハッフルパフで苦しい状況に追い込まれている。けして月並みな少年ではない。顔立ちは甘く優美で物腰は柔らか、気品に満ち、常に自分を気遣ってくれる心優しさへ、何一つ応えられないまま新学期が始まった。間もなく心身の均衡が破綻寸前へ傾いた。最近になってようやく持ち直したとは思うが、しかし、最早純然たる()()()()で交際を継続するには()()()()()への関心が薄すぎる。

 傷つけられたハッフルパフの自尊心やレイブンクローの孤独感など知った事ではない。

 ましてアーネストがいま身を置く状況なんて知らされても反応に困るばかりだけれど。

 ともかくアザミが行動を起こしたいま、軽率な振る舞いは自重しなければ。

 放課後茶会倶楽部には恩人であるバブリングも一枚噛んでいて、しかもアザミの目標はとても壮大なものである。分断状態のホグワーツを自ら統一しようなんてまるで戦国武将のようだ。第一の試練がどんな結果になるか分からない以上、いま自分の都合で状況を急変させるのは望ましくない。アーネストとの関係を前進させ、解消へ運ぶのはその後で構わない。

 身体を温め終えてシャワー室を出る。濡れそぼった身体をタオルで拭き拭き、杖で髪の水滴を弾き飛ばす。最低限の下着だけで姿見の前に立つ。昔はあんなに小さかった自分が、ついにフラー・デラクールの肩に届くまで成長した。周りもみんな背が伸びたので相対的に小柄に見えるのはそのままだけれど。しかし、胸板と呼ぶには丸みを帯びた二つの膨らみは、やはり自分が雌性の肉体に生まれたことの証なのだ。ならば世の摂理として添い遂げるのは男で無くてはならないが、心が好いているのは同じ女である。

 

「ままならない人生」

 

 呟いてみても無人の談話室に声が響くだけだ。

 このまま眠ってもいいけれど。少し夜更かししたい。

 いちいち寝る時間を規則正しくしないと障る程度の美貌で何を偉そうに。

 あの腐れフランス女……内心で毒づきながらソファへ近寄ると、先客がいた。

 

「夜遊び、じゃなさそうね。どう? ちょっとお喋りでも」

 

 振り返りながらミリセントがニヤリと笑った。

 ついに身長がドラコを抜き去り、引き締まった身体つきは同性ながら羨ましい。

 パジャマ姿でさえ長い脚を組むとこれ以上なく様になる。

 

「いいんですか。夜更かしは美容の大敵ですよ」

 

「知らないの? 女って月の精気を吸って美しくなるの」

 

「便利ですね。論文でも書いてみては?」

 

 歯を見せて笑うと顔がクシャクシャになる。右手で空いている自分の隣を示し、座るように促した。スミレは素直に指定席へ落ち着く。

 

「どう、最近は。対抗試合の初戦も近いけど、身体は大丈夫?」

 

「ええ。お陰様で。その節は重ね重ね心配をお掛けしました」

 

「いいのよ。そのうち変身術のノートでも見せてくれればオッケー」

 

 マクゴナガル教授への苦手意識や本人の性格や理論への理解力など、様々な要因が重なり合った結果、ミリセントは未だに変身術が最大の苦手科目であった。この難解な必修科目で落第せず四年生まで現役で進級できたのには、スミレの板書ノートが不可欠であったことは言うまでもない。そういう意味でほか二人よりも関係性は入学当初から密接で、しかしお互いどこか一歩引いてしまう悪癖から、あまり積極的に関わることがなかった。四人でいるとどうしてもパンジーを中心とした相関図になりがちなのである。

 

「でも私、今年は試験を免除されてるんですよね」

 

「ヤなこと言わないでよ。落第するわよ、ラ・ク・ダ・イ」

 

「それって力強く言うような事ですか……?」

 

「アタシの結婚が遅れるなんて魔法界の損失よ」

 

 ときおり覗かせる結婚願望、あるいは恋愛への強い憧憬の源泉は謎めいている。

 年齢がもたらす一過性の風邪のようなものだとスミレは考えていた。

 ミリセントは「これは独り言なんだけれど」と前置きして喋りはじめた。

 あまり深刻に捉えて欲しくはない。だが軽々と流されるのも不本意。相反する感情に折り合いを付けつつ、友人に悩みを聞いて欲しいのだ。

 

「最近、パンジーとダフネに避けられてる気がするのよ。アタシたち三人は幼馴染みで、まあ同い年の姉妹みたいなモンなんだけど。長女と次女はホント似たような性格だからよくケンカもするわけなんだけど……思い当たる節がないのよね」

 

 些細な理由で大喧嘩したって大概の場合はミリセントが折れて仲直り。そういう意味で彼女はパンジーよりずっと大人で、同い年の姉妹とは口が裂けても言えず、ダフネもかなり自由気ままな性格だから、やはり姉妹ではなく親友と呼ぶべきなのだ。けれど今回ばかりは何が原因なのかサッパリ分からないでいる。当然だ。そもそもケンカなどしていないのだから。

 スミレは黙っているべきという脳裏からの囁きを無視した。

 それを決めるのはアザミであって、自分如きでは断じてない。

 そのアザミがミリセントに喋るなと釘を刺さなかったのなら良い。

 

「実は姉さんが秘密の課外活動を結成しまして。二人はそちらに専念しているんです」

 

「な……アタシだけ除け者……?」

 

「グリフィンドールからもハッフルパフからもレイブンクローからも人を集めて、四大魔法学校対抗試合を盛り上げようという趣旨です。チョウ・チャンという方が発起人で、アザミ姉さんが暫定のリーダー、ハーマイオニーもいます」

 

 勝手にハーマイオニーをライバル視しているミリセントは、自分だけ疎外された理由をようやく察し胸をなで下ろした。同時に「なんでそんなに楽しそうなコトへ誘わなかったのよ」と偽らざる本音をぶつける。こればかりはスミレも平謝りに終始した。実際問題、第一回会合の議事録の何割かはパンジーとハーマイオニーの口論で構成されていた。ここにミリセントがいたらもっと話が拗れていただろう。

 

「次回からはアタシも参加するわ。ちゃんと席を用意なさい、いいわね」

 

「それはもちろん。悪巧みはみんなでやる方が楽しいですから……」

 

「フ、理解ってるじゃないスミレ。なかなか良いセンスよ」

 

 毛先へ向かうにつれゆったりウェーブした亜麻色の髪を整え、ミリセントはスミレの頬にそっと手を添えた。

 

「その調子でとっととパンジーを口説いちゃいなさい」

 

「ど、どうしてミリセントまでそんなコトを……」

 

「チ。ダフネに先を越されたか。あのワガママネコ娘め」

 

「で、でも最近ちょっと揺らいでる自分も……」

 

「ふうん、意外とマクミランも良かったんじゃない」

 

「いえ……チョウさんもルーナもスゴく美人で……」

 

「ゴメン。ハッ倒していーい?」

 

 あまりの浮気性に少しムカついたミリセントである。

 突然の暴力宣言に目を白黒させてスミレは仰け反った。

 すっかり回復したらしい様子に安堵の息が漏れた。

 そのとき暖炉の側でじっといていたザクロがおもむろに頭を持ち上げる。

 

《どうしたの。何か気になる?》

 

《……扉の外に気配がした。何か置いて去ったぞ》

 

《ふうん》

 

 ホグワーツの流儀を知らない余所者。そして時間も都合もお構いなしの無礼な態度。こんな時間に他人へ使い走りをさせる傲慢さ。思い当たるのはフラー・デラクールの「自分こそ一番」と思い込んで背丈を自慢するあの鬱陶しい笑みだった。案の定、扉の前に置かれた封筒はボーバトンの制服と同じカラーで、中の便箋にはフラーが身に纏っている香水が振りかけられていた。ご丁寧に文面はフランス語で書かれている。

 

「ナニそれ。こんな時間にボーバトンからラブレター?」

 

「まさか。ただの挑戦状ですよ。受けて立ってやりましょう」

 

 恋心とはまったく異なる炎が胸の内で燃え上がる。

 その名前は世間一般に『闘争心』と言われるものだ。

 

 

「遅かったわね。それほど支度に時間を掛けたようには見えないけれど」

 

「あまりに礼儀知らずでしたから。てっきりヴァリャーグの方かとばかり」

 

 内向きに巻いた腕時計を一瞥し、フラーはショート丈のコートを整えた。

 真っ暗闇に包まれた玄関ホールでさえ彼女の髪は輝きを保っている。

 白系で統一された服装も相まって雪の精を思わせる美しさ。対するスミレは髪と同じ真っ黒なロングファーコートで、白い顔がますます血の気を感じさせない。周囲の同性と比較して異質な美貌の持ち主という共通点を持つ。方やヴィーラの血を引き、方や人形めいたオリエンタルな顔立ち。しかしその苛烈な性格のためなかなか異性からのアプローチは来ないところも、似通っていた。

 

「彼らなら今ごろは難破船で雑魚寝中よ」

 

「流石に難破船は言い過ぎでは……?」

 

「貴女、私にもっと散々言ったじゃない」

 

 無骨なりに礼節ある態度を貫くダームストラングの青年たちと同列に扱って貰えるわけがあるか――スミレはいよいよ厚顔無恥の極みに呆れて白い息を吐いた。ここまでアザミに借りた『透明マント』で姿を隠してきたからいいものの、フラーは誰の目も憚ることなく堂々と振る舞っている。スミレは不本意ながらマントの中に入るよう勧めた。

 

「管理人に見つかっては面倒です、さあ」

 

「私は逃げも隠れもしないわ。貴女もそうしなさい」

 

「……なんて不用心な。人の迷惑も考えず」

 

 だがスミレを招待したのはフラーの方である。いくら毒づこうと、ホストの求めるルールこそが絶対的に重い。軽やかに舞うような足取りと足音を意識した忍び足で差はあれ、二人はピッタリ横一列に並んで歩き出す。その道中に会話はない。雲の切れ目から月の光が漏れ、フラーとスミレの対照的な姿を照らし出すばかりだった。しばらく歩いてようやくスミレが目的地を察したとき、禁じられた森はその黒々とした輪郭でもって石造りの森番小屋の奥に聳え、愚かしくも侵入を試みる者の心へ言いようのない恐怖心を植えつけた。

 

「な、何もこんなところで決闘に及ばなくても……」

 

「決闘? スミレ、いったい何を勘違いしているの貴女」

 

 いくら声のトーンを抑えたとて聞き逃すはずのない音色が深夜の喧噪に混じる。

 異変を察知したルビウス・ハグリッドがその巨体で扉を開くと、そこにはオリンペ・マクシームの教え子が一人で佇んでいるだけだった。

 

「ボーバトンの生徒がこんなトコでなんしちょる。この森に生徒は入っちゃなんねえ決まりだ、さあ自分の寝床に帰れ」

 

「マクシーム先生からーこの先へ行くよーうにと、言われまーした」

 

 呼吸をするように嘘を吐き、この場を切り抜けようと図るフラー。真っ当な教育者であれば生徒に校則違反を促す校長がいるはずないと察せられるのだが、残念ながらホグワーツの魔法生物飼育学教授は極めて異質な思考回路の持ち主であったらしい。透明マントの中で心臓が張り裂けそうなほど緊張するスミレ。しかしハグリッドは「そうか、オリンペがか……」と難しい顔でしばし逡巡し、信じられないことに「オレは何もみちょらんぞ」と言ってバタンと扉を閉めた。スミレは息を切らしてマントを脱ぐ。

 

「バカなんですかあの教授は」

 

「そのようね。でも見た目通りよ」

 

 今度こそスミレは「どうしてそう見境なく人を貶せるんです」とこの美少女の人間性に重大な欠陥を認めざるを得なかった。まして自校の校長はもっと巨体だろうに。もしやあの女性はあの狂気に陥ったウーキー族より酷いのだろうか。そんなのでよく校長が務まるなとか、少し陰険でもカルカロフの方がずっとマシなんじゃないかとか、色々な言葉が意識の中を渦巻いては消えていった。

 そうこうしてフラーに案内される形で森の中へ踏み入っていく。

 ピンヒール・ブーツにも関わらずフラーはみるみる先へ進み、運動不足が祟ってスミレは追い付いた頃には完全に肩で息をしていた。よろめきながらも黒檀の杖だけは右手に握り締めているのは精神力と執念の織りなす芸術そのものだった。

 

「素晴らしい……」

 

 恍惚としたフラーの言葉を掻き消す轟音と咆吼。激しい金属音。そして何十人もの人間がそこかしこで発する怒号。こんな原生林の奥深くで何事かと意識を振り絞ったスミレが目にしたのは、巨大な檻に閉じ込められて怒り狂い炎を吐くドラゴンたちと、それをなんとか鎮めようと悪戦苦闘する防護服姿の職員たちだった。何人かがフラーとスミレに気付き、そちらへ叫ぶ。

 

「君たち選手だな!! 見るんじゃない、そういう規則だろう!!」

 

「誰か、あの子たちを城へ!! ここは危なっかし過ぎる!!」

 

 木々の枝葉が幾重にも折り重なって月明かりを遮り、暗闇が支配する夜の原生林。その奥深くで吹き荒れる炎の奔流が太陽のある白昼よりも森を明るく照らし、同時に無数の草木を焼き払っていく。古来より魔法使いにとって力の象徴とされてきたドラゴンの威容にスミレの心は恐怖心で平静を失い、無意識にフラーへ抱きついていた。指先まで痙攣する手へ自分の手を重ねながら、具現化した純粋な『脅威』の息吹の余波を全身に浴びてフラーは充足感に酔い痴れる。

 その様に英語が伝わらないと判断した職員たちは一人の青年を呼びつけた。

 チャーリーと呼ばれた赤毛の青年はふとスミレの顔を見て一瞬、硬直した。

 

「君、アオイさんだね。生徒がこんな時間に寮を抜け出して森へ入るなんてどういうつもりだ。早くミス・デラクールを連れて城へ帰るんだ……ライバル校とはいえ学生寮にいたのなら審査委員も問題視しないさ」

 

「大事なデートの邪魔をしないで頂戴。それに、そこへ立たれては邪魔よ。ドラゴンの姿がよく見えないわ」

 

「デート? だったら大人しくホグズミードでもどこでも行きなさい。だいたい付き合うにもほとんど初対面だろ君たち」

 

「あら、イギリス人というのは随分お堅いのね。それじゃあボーバトン流を教えて差し上げる……ねえスミレ、大丈夫? 帰りはちゃんと歩ける?」

 

 涙を流して頭一つ分の低さから見上げるスミレ。それまでの薄暗いながらも毅然として気位の高い振る舞いが嘘のように弱々しく、とても『勇気』を試されようとしている魔女には見えない。ただの泣き虫な少女がようやく幾重にも着込んだヴェールをすべて脱ぎ去り、ありのままの姿を曝け出す。

 待ちに待った瞬間を逃さず、ルージュもなしに赤い血色の唇へフラーは自分の唇を重ねた。たっぷり数分、そのまま覆いかぶさるようにスミレの華奢な体躯を抱き締めて離さず、抵抗がギブアップの合図に変わってようやく酸素を吸うことを許可した。

 スミレの唇の端に残った粘性の液体を舌先で舐め取る。

 フラーは目を逸らして困り果てたチャーリーを挑発した。

 

「このくらいパリじゃ普通よ。遅れてるのねブリトンは……さ、帰りましょうかスミレ」

 

 名前を呼ばれたことにも気付かず。腰に手を回されているとも知らず。スミレの意識は現実にありながら、その目は現実を映しておらず、ただ理解不能な事実に絶え間なく悲鳴を上げながら逃避先を求めて体中を駆け巡るのだった。

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