・バカそうな顔してるわね
・おいまいするぞ!
今日は特に眠れない。
目が冴え渡ってしまっている。
教室間の移動と飛行訓練で疲れているはずだ。
しかし、いくら目を閉じても外の風の音が気になる。
ここが我が家なら縁側に出て夜空でも眺めていられたが、ここはホグワーツ『監獄』城なので自由なんてない。
馴染みのない布団と枕が原因だろうか。
それとも食事のストレスか……ストレスの原因はこの学校のほぼすべてと言える。
いちいち遠回しに嫌がらせをしてくるザビニを始め、極端な贔屓家のスネイプ先生、教室とターバンの異臭がひどいクィレル先生、それにやたら突っかかってくる赤毛のウィーズリーをはじめとしたグリフィンドールの同級生。
思い返したらもっと眠気が遠のきそうだ。
魔法史の授業を思い出そうにも、記憶に残らなさすぎて思い出せない。
ノートを取ってあるかすらも不安になる。
明日パンジーに見せてもらおう。
あの子もノートを取っているか微妙だけど、ミリセントとダフネはずっと寝ていたから……。
ぼーっとしていたらお腹も鳴った。
学校に来てからまともに食事を摂れていない。
朝のオートミールを除けばお肉を一口二口に生野菜ばかりの生活。
そろそろ調理室に行って昼食と夕食にもオートミールを出してもらえないか相談しないと。
隣のベッドでごろんと寝返りを打ったパンジーは今日もタラのフライを山盛り食べていた。
私もあんな風に目の前の料理を好きなだけ食べられたなら……。
山盛り食べられるくらいに美味しいんだから、みんなと一緒にご飯やデザートの話がしたい。
お腹いっぱい食べて、それからなにも考えず気持ち良く寝たい。
難しくもないはずなのに、私には出来ない。
考えれば考えるほど惨めな気分になる。
地元の友達には嘘をついて、まともに文通も出来ないところに閉じ込められて、そのまま七年も過ごさないといけないんだ。
新聞のインタビュー記事で偉そうにしていたあのナントカ大臣が憎い。
人の人生を滅茶苦茶にして、そんなこと知りませんという顔で自分は大真面目に働いていますと嘘八百の自慢話をしている詐欺師だ。
アイツの人生も、アイツを崇めているヤツの人生も、滅茶苦茶になってしまえばいい。
遠くで犬の鳴き声がした。
あの雄々しい声をした犬が、卑怯者たちを食い殺してくれやしないだろうか。
眠れない夜はいつまでも続く。
きっと、卒業するまでこんな状態が続くに違いない。
†
入学から1ヶ月が過ぎた。
どの授業もだいたいの進行速度を把握して、勉強の計画も調整出来ている。
面白いかどうかは別にしても『変身術』以外はまだそれほど難しくはない。
気に入っている授業は1つだけ。
フィリウス・フリットウィック先生の『呪文学』だ。
杖を振って呪文を唱えることを、初めはスネイプ先生と同じように「馬鹿馬鹿しい」と思っていたが、今は完全に違う。
色々な呪文を覚えればそれだけ相手を負かす手段も増える。
この授業は便利な魔法を覚えるための第一歩となる。
前向きに考え直して臨んだ10月末日の授業。
私より小さいフリットウィック先生は2人1組に分かれ『飛行呪文』を練習するように言った。
呪文をかけるのはあの『ガラス玉』より軽い羽だった。
私とペアを組んだパンジーはなんども杖を振っているが上手く行かない。
スリザリンとグリフィンドール、どちらも悪戦苦闘している。
ちらと周りを見ても軽く揺れたり床に落ちるだけのようだった。
「見てよアレ、グレンジャーとウィーズリーよ」
「そのようですね。夫婦ケンカってあんな雰囲気ですよね」
ハーマイオニーは赤毛のウィーズリーとペアだった。
怒りっぽい2人はガミガミ言い合いながら練習中だ。
器用なことをするものだ。
ときどき優等生の視線は真っ赤なタワシからこちらに向いている。
そろそろ私もやろう、見ているのも飽きてしまった。
「えー、ウィンガーディアム・レビオーサ 浮遊せよ」
白い桜の杖を「ビューン」「ヒョイ」の動作で振る。
日本語訛りの英語でも呪文は大丈夫なようだ。
白い羽は頭上1メートルほどの高さまで飛んでそのまま浮遊している。
向かい側ではハーマイオニーも一発で成功したようで、今日は羽を爆破してススまみれのシェーマスや羽を探して半泣きのネビルも上を見ていた。
私と同じ高さが気に入らないのかハーマイオニーはさらに1メートルほど高い場所まで上昇させたが、こちらはやり方が分からないので無視した。
それでも先生は私たちの成果に大喜びだったので、基礎中の基礎は習得出来たらしい。
この呪文の使い道はまったく謎である。
†
今日は10月末日、ハロウィンである。
お化けや魔法使いやミイラや狼男の仮装をして近所を練り歩き、カゴいっぱいにお菓子をもらって帰る日で……なかった。
お化けと魔法使いは学校中にいるし、この世界には本当に狼男もいるらしい。
クィレル先生も「きゅ、きゅきゅきゅっ、きゅ吸血鬼は私もめっ目にしまっしましたが、お、狼男はその……ま、まだ……」といつぞや授業で仰っていた。
そんなに嫌なら言わなきゃいいのにと思う。
どれだけトラウマを抉られようと、質問にちゃんと答えてくれる真面目な先生だ。
私がホグワーツに来た理由を知っているのは校長のダンブルドア先生と副校長のマクゴナガル先生、寮監のスネイプ先生に『闇の魔術に対する防衛術』担当のクィレル先生、それに校医のマダム・ポンフリーだけ。
あのターバン先生は血を吸われたわけでもないのに教室を干しニンニクとニンニクのお香で充満させて、吸血鬼という単語だけで普段の倍は震えと吃音が酷くなる。
授業の内容と別のところであの先生は頼りない。
私なんて噛みつかれて少しだけ血を吸われたけれど元気……いや元気じゃない。
睡眠不足だし胃痛もする。
カボチャまみれの夕飯なんてとてもじゃないが食べられそうにない。
煮びたしは当然のように出なかった。
「なんだってこんなカボチャまみれにするのよ」
焼きたてのパンプキンパイをフォークに刺したパンジーが愚痴る。
今日のデザートはみんなカボチャ味、大広間はカボチャのほんのり甘い香りが漂っている。
いつもより手が込んでいるけれど、これは手加減なしのパンプキン・アタックだ。
しかも飲み物までカボチャジュースで統一されては口直しも出来ない。
これは流石にくどすぎる。
スネイプ先生とマクゴナガル先生も私や何人かの生徒と同じく胸焼けしているようだった。
ニコニコなのはダンブルドア先生と森番のハグリッドだけ。
あの2人は底なしの甘党に違いない。
クィレル先生がいないけれど、もしかすると双子のウィーズリー兄弟が吸血鬼の仮装をしていると思って部屋に閉じこもっているのかも。
噂を聞く限り、あの双子はそのくらいやりそうだ。
グラスのカボチャジュースを一口飲んで、ミリセントはゴイルが独り占めしていたカボチャスコーンへ手を伸ばした。
持ち主は食べるのに夢中で気づかない。本物のアホだ。
「うーん、濃い目のお茶が欲しいんだけど。どこかにないの?」
「じゃあ厨房にでも殴り込みなさいよ、トロールの仮装してるし丁度いいでしょ」
「なら一緒に行きましょピクシー小妖精さん、あなたなら屋敷しもべ用の出入り口もくぐれそうよ」
これでも仲良しこよしである。
お互い挨拶代わりに悪口を言える程度には対等だ。
クラッブのソーセージみたいな指がパイへ伸びるたび、パンジーはフォークで追い払っている。
今も威嚇された蛇みたいにクラッブの手が引っ込んでいく。
流石にクラッブが可哀想に思えてきた。
「一切れくらいあげればいいじゃないですか」
「ダメ。絶対にダメ、これだけはアイツにはあげない」
もし一口でもあげれば味をしめて最後の一切れまで食べられちゃう、というのが理由だった。
ジョーズの人食いサメと同じパターンだ。
そんなに美味しいのなら食べてみたいが、あの分厚い生地とたっぷり塗られたバターでつやつやな表面を見ると二の足を踏んでしまう。
それに私だけ貰ったのではクラッブが本当に不憫だ。
我慢しよう。お互いのために。
「髪までカボチャ色にならないよう祈っとくわ」
「そんなに危ない食べ物だったとは……」
「ならないならない! 聞いたことないからそんなパイ!」
眼が覚めると思って喋ってみても睡魔は一向に離れてくれない。
むしろどんどんまぶたが重くなってきた。
今日の勉強は明日にして、さっさと寮に戻ろう……。
机を支えに立ち上がるのもフラついてしまう。
「ねえスミレ大丈夫? 医務室に行った方がいいよ」
「ただの寝不足ですから……ご心配なく……」
「どこが大丈夫よ。ホラ、医務室連れてくから」
パンジーに手を掴まれても、振りほどく力も出ない。
部屋に戻って常備薬を飲むつもりなのに、医務室で胡散臭い魔法の薬品を出されるようだ。
「残ってるパイ、食べていいわよ」
クラッブは大喜びで温かいパイを皿ごと引き寄せた。
そのまま手を引かれて大広間を出て行く。
クィレル先生のダサい紫色のターバンと途中ですれ違ったが、双子のウィーズリーに驚かされて転んだ拍子に本体をほったらかして逃げ出したんだろう、きっと。
ああ……それにしてもお腹が空いた……。
†
病院で処方された常備薬があるならわざわざここに来ないでそっちを飲みなさい、とマダム・ポンフリーは当たり前の対応で私とパンジーを医務室から追い出した。
貴重なベッドを自分で対処できる人間に埋められては困る。
ごもっともだが、付き添い人はご立腹だった。
長々と歩いて少し眠気も失せて、1人で歩く分には問題ない。
「なんのための校医よ! こんなにフラフラなのにベッド1つ貸さないなんて職務放棄もいいところだわ!」
「いいですよ、別に。枕が違うのは同じなので」
まぁまぁとパンジーをなだめつつスリザリンの寮がある地下牢を目指す。
せっかくのハロウィンなのに悪いことをしたなと思うものの、だからと言って私になにが出来るでもない。
とことん気まずい状況で女子トイレの前を横切ると、すすり泣く女の声が聞こえた。
不意を突かれて背筋がゾッとする。
ピーブズがこんな手の込んだイタズラをするはずもない。
まるでトイレのお岩さんだ。
「『嘆きのマートル』?」
「確かめてみますか?」
「面白そうね、行きましょっか」
杖を構えて入ってみると、入り口に背を向けて箒みたいな髪型の女子生徒が泣いていた。
まだ少し寝ぼけた頭でも誰だか分かる。
そして、最悪の面子が揃ってしまったことも。
グリフィンドールの優等生と、その(非公式の)ライバルと、優等生を目の敵にしているお嬢様の揃い踏みだ。
パンジー・パーキンソンの底意地が悪い笑顔はやはり怖い。
ドラコの前では乙女な表情しか見せないくせに。
驚くほど表情筋が発達している。
「あらあら誰かと思えばグレンジャーじゃない! 愛しい赤毛のダーリンに悪口言われて傷心ってわけ? ひとりぼっちのハニーと喧嘩してくれる優しい優しい彼氏、羨ましいわぁ!」
ああ……ドラコと並ぶ暴言製造機がフル稼働を始めてしまった……こうなったら緊急停止ボタンを押すしか……ボタンはどこ?
「お友達だってたくさんいるんだからこんなとこで『嘆きのマートル』ごっこしてないで、行って慰めてもらいなさいよ。みんな図書室から出てこられないんだからアンタが行かなきゃ会えないわよ?」
ハーマイオニーは背を向けて泣いたままだ。
いつ泣き叫び出すかとこちらは気が気でない。
ところで『嘆きのマートル』というのはどの生徒のあだ名だろう。
ラベンダー・ブラウンか、パドマ・パチルか、パーバティ・パチルか、それとも他の誰かなのか。
無反応なのが癪に触ったパンジーはズカズカと涙を流しているハーマイオニーへ近づいた。
流石に止めようと思ったが、遅かった。
「あらごめんあそばせ! 小うるさいパグが迷い込んだのかと思っちゃった! 練習したわけでもないのにそっくりだったわよミス・パーキンソン!」
嘘泣きで油断させて近くまでおびき寄せ、胸ぐらをつかめる至近距離で杖を突きつけた。
よくもまあこんな、喧嘩上手な優等生様だ。
一瞬で逆転されたパンジーも万事休す。
杖を使った魔法でハーマイオニーには遠く及ばない、さあどうしたものかと歩き出す直前の体勢で私も動けない。
ここから反撃開始。
そう思われたが、2人はビクンと震えてこちらを向いた。
「ね……ねえグレンジャー……今、揺れなかった?」
「ええ、ゆ、揺れたわ……これって地震……?」
ふうん。イギリスって地震ないんだ。
そこだけは日本よりずっといい。本当に、そこだけは羨ましい。
私も遅れて妙な震動に気づき、確信した。
地震なら強弱の差はあれもっと小刻みにグラグラと来るが、これは一定の間隔をあけてズシン……ズシン……とスローテンポだ。
「これは地震じゃありません。工事でも始めたんでしょうか」
「工事じゃない……マズいことになったかも……」
「『かも』じゃなくってかなりマズい状況ね……」
床と別に何故か震えている2人は、私の頭上を見つめている。
まさか今の喧嘩をマグゴナガル先生に見られでもしたのか。
それは確かに『かなりマズい』……冷や汗が頬を伝うと同時に、背後から別の2人の声がした。
女子トイレなのに男子のコンビである。
「スゲえや。ミリセント・ブルストロードのやつ、あんなに上手くトロールに変身してるよ!」
「そうかな。ごめん、僕、トロールとミリセント・ブルストロードの見分けついてないんだ」
「大して変わらないよ、ただこっちのトロールはアイツと違ってオスだね」
沈黙。
ややあって絶叫。
頭上から伸びる大きな影で私も察した。
「トロールだー!!!!」
驚いた拍子にすっ転んで棍棒の横薙ぎは避けられた。
個室の壁を片っ端から粉砕して、狭いトイレの中に水しぶきと木片を撒き散らす。
杖を持っていても使える魔法がない。
習ったのはまだ『浮遊呪文』だけ、なにをどうしたら切り抜けられるかなんて思い浮かばない。
「どうすんのよコレ!」
「ちょっと黙ってて! 考えてる!」
「脚の間通り抜けられない!?」
「クラッブ並みに太い脚で蹴られろとでも!?」
「ロン、まず杖だ! 杖を持って!」
バタバタと逃げてしゃがんで叫んで転んで。
本で読んだ呪文はいくつかあるが使ったことがない。
練習場所もないので「いつか試そうリスト」入りしていたものばかり、おまけに発音がわからない。
「ハリーそこどいて!」
咄嗟にハーマイオニーが叫んだ。
「インセンディオ! 燃えよ!」
杖の先から炎が吹き出してトロールを包んだ。
が、壊れた配管の水がすぐに消してしまった。
ワンテンポ遅れて熱さに気づき、木偶の坊は怒り始めた。
さっきより動作が速くなっている。
「フリペンド! 撃て!」
ヤケクソで私も呪文を放ったが、相手が大きすぎて効き目が弱い。
しかも運悪く目に当たってしまい変に痛くさせただけだ。
「こっちだウスノロ!」
しかもロンの投げたガレキの方が痛かったらしい。
トロールはぐるんと身体の向きを変え、入り口前の2人へ重そうな棍棒を振り上げた。
「浮遊呪文!!」
誰かが叫び、ハリーが応えて杖を振る。
「ウィンガーディアム・レビオーサ!!」
ゴツゴツした手からすり抜けた棍棒がフワーッと浮かび上がり、ロンが投げたガレキより軽い脳みそは間抜けにも上を向いてしまった。
魔法が切れて落っこちた岩みたいな巨木の一部が、トロールの顔面にめり込んだ。
そのまま『我らが大きな緑色の友』は気絶してうつ伏せに倒れた。
禿げ上がった後頭部を右足で踏みつけ、ロンは口の片端を吊り上げる。
「呪文は下手くそなのによく覚えてるじゃないか」
長い手脚のおかげで様になっている。
サッカー選手が好きそうなポージングだ。
「さて。僕はこいつで『浮遊呪文』の復習でもしようかな」
拾ったガレキに呪文をかけてトロールの後頭部に落とした。
コツンと音を立てて蛇口の一部が床に転がる。
ああ……落ち着いたら余計に眠気が……。
視界がぼんやりし始めた。いい加減に限界だけれど、この事を先生に報告しないと……。
†
スミレが立ったままうとうとし始めている頃。
ポーズを決めてご満悦のロンの身体がぐらりと揺れた。
姿勢を立て直して隣にいるハリーを見たが、とても腕が届くような距離ではない。
杖を含めてもまだ離れている。
まさかね、と念のため足元へ目を向け、天を仰いだ。
「ねえロン、下がった方がいいわ。そっと、そっとよ」
「分かってる。やあマイフレンド、いい朝だね」
叫びそうになるのを堪え飛び退いた。
こんな時でも冗談を欠かさないのはやはりフレッドとジョージの弟らしかったが、この先どうするか思いつかない自分自身に落胆してもいた。
もしロンが本気で怖がっていれば、ハーマイオニーかパンジーのどちらかは限界に達してトロールの脇を通り抜け、女子トイレから逃げ出していただろう。
顔が陥没気味のトロールは鼻血を垂らしながらゆっくりと立ち上がり、自分の歯がめり込んだ棍棒を掴んで雄叫びをあげる。
鼻血混じりのシャワーを浴びた5人が死を覚悟した瞬間。
冷ややかな声が謎の呪文を発した。
「インカーセラス」
虚ろな目のスミレが放ったロープがトロールの首に絡みつく。
見た目にはなんの変哲もないただの縄だというのに、ビール樽のように太く丈夫そうな首を締め上げている。
苦しげに呻き、鼻から空気が漏れるたび濁った鼻血の塊が床に落ちて飛沫をあげる。
気絶寸前のほとんど意識がない状態で、壁にもたれかかったままスミレは新しい呪文を放った。
ハーマイオニーも知らない、おそらく監督生でも使いこなせるか怪しいような恐ろしい呪文を。
「――フィーンドファイア」
桜なんてふざけた木材と侮るなかれ。
ギャリック・オリバンダーが認めた神秘の木から生まれた杖、その丸みを帯びた先端から巨大な蛇の顎が現れる。
煌々と燃え盛る炎の身体で鎌首をもたげ、人間程度は容易く飲み込みそうな巨躯を窒息寸前のトロールへ絡ませる。
4人のローブの裾まで焦げ始めた矢先――
「フィニート・インカンターテム!」
すべても焦がす炎の大蛇は姿を消した。
熱された空気が渦を巻く中、駆けつけた教授たちの目の前で、糸が切れたように小さな身体が崩れ落ちた。
マグゴナガル教授が仰向けで動かないスミレに駆け寄り脈と息を確かめると、目を見開いたスネイプ教授を呼ぶ。
いつも渋面の彼が驚いていることに、4人は驚きを禁じ得なかった。
「セブルス、貴方は彼女を大至急医務室へ。マダム・ポンフリーには校長がお許しになるまで絶対安静かつ面会謝絶と伝えてください」
「承知した」
短く答え、陰気なローブの裾を水に濡らし、スネイプはスミレの身体を抱きかかえてトイレを去っていった。
「クィリナス……貴方も見たでしょう、あれは一年生に使える呪文ではありません。そうですね?」
「えっ、ええ。お、お、仰るととととと通りです……わ、私はこっ校長にほ、報告を」
「そうしてください。報告後はダンブルドア校長の指示で動くように」
コクコクと頷いて、深呼吸をする間も惜しいとクィレル教授はターバンの端を翻して廊下を走り出した。
これでトイレに残ったのはマグゴナガル教授と4人の生徒、それに辛うじて残ったトロールの遺灰だけである。
教授の瞳は怒りと安堵、そして混乱の色を浮かべていた。
「あの……アオイは生きてますよね?」
「ミス・アオイの命に別状はありませんよ、ロナルド・ウィーズリー。気絶しただけです。その前に貴方はまず、ご自分のなさった事を省みるべきでしょう」
「違うんです先生、私の――」
「この件は後日、各寮の寮監が聞き取りを行います。怪我がなければそれぞれの寮に戻ること、これ以上の発言は許可しません。また不必要に口外することも禁止します」
有無を言わさぬ口調に、優等生も問題児も関わらなく黙らざるを得なかった。
マグゴナガル教授の毅然とした態度以上に、隠そうとしてわずかに見え隠れする動揺と混乱が事態の深刻さを十分に物語っていたからだ。
ハロウィンの宴に現れたトロールと炎の蛇は、しばらく4人の脳裏から離れずに残ることとなる。
スミレ大暴走の巻、トロールは見事灰となりました。