ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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かったりい油汚れもこれでバイバイ

 チョウ・チャンの柔らかな頬は涙に濡れていた。

 抱き締められると全身へ血の巡りが伝わってくる。

 なんて熱いのだろう。焼き尽くされて灰になりそうだ。

 制服姿からは想像もつかなかったが、クィディッチ選手なだけあってか意外に筋肉質でもある……彼女の血の味を想像すると、尚更に白いうなじから目を逸らさなくなる。広げたまま所在なく宙に浮いていた腕をゆっくりとチョウの背中へ回す。というより身体に絡ませる。

 このまま牙を突き立てる、のは難しいにしても甘噛みぐらい許されるのではないかと思い悩む。薊は菫の魂胆を見抜いて溜息も出なかった。

 

「で、用はなんだよ。本当に茶会をしたかったワケじゃねえだろ」

 

 ようやくチョウは思い出したように菫から離れる。

 お楽しみを邪魔されたと不満げな従妹は無視する。

 

「まさかディゴリーと喧嘩別れしたなんて言わないよな」

 

「喧嘩したわけじゃないわ、私が勝手に気まずくなっただけ……」

 

 事情は飲み込めないが羨ましい奥ゆかしさだった。

 恋愛相談なんて畑違いのうえお門違いだが、伏し目がちに涙ぐまれると断りづらいのは大した魔性である。少なくとも薊はチョウを好いても嫌ってもいない。()()()()()()()()()()先輩の話を聞くくらいの甲斐性はある。

 

「セドリックは直接関係ないの。彼のお父さんの事で……」

 

「魔法省に勤めてるんだってな。偉いさんなのは知ってる」

 

「ええ、魔法生物規制管理部で長くお勤めだった」

 

 過去形の意味を察して薊は沈黙を選んだ。

 チョウも薊が沈黙した意味を理解して話を進める。

 

「コーネリウス・ファッジがしている事は背信行為だと、大声で糾弾したそうよ。ハリーが裁判に掛けられた事もそう」

 

「ポッターが裁判? 何したんだよアイツ」

 

「親戚の方と……その人はマグルなのだけど、二人でいるところへ吸魂鬼が二体も現れたって。それで守護霊呪文を使ったから『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』に違反した、そういう口実よ」

 

「アズカバンを見学したワケでもねえのに、何で吸魂鬼に襲われるんだ。アイツら魔法省が管理してんだろ? だから命令されたらすぐホグワーツからも引き揚げて……」

 

「そう。なのにファッジは調査するより先にハリーを退学処分にしようとしたの。ダンブルドアがその日の内に抗議したそうよ。法執行部の部長はマトモだったし、目撃者の証言もあったから無罪放免にはなったって」

 

「でも我らが大臣閣下は不当な判決だとお考えなワケか。それでいよいよパパ・ディゴリーは堪忍袋の緒が切れたんだな」

 

 ベテラン職員が大臣に抗議しての辞職だ。

 周囲はけして軽々しく考えないだろう。

 それでチョウが思い詰める理由がよく分からない。

 

「私のママも魔法省に働いてて……ハリーの事もダンブルドアの事も、おかしいとは思ってる。でもママはアンブリッジに騙されてるだけだと信じてて……」

 

「だから辞職はしない、か。そしたら勇気ある辞任をしたディゴリー氏に申し訳ない気がするって?」

 

 セドリックも思い留まるよう再三説得はしたという。

 しかしこれは名誉の問題だから、と聞き入れなかったとも。

 親子のやり取りについて詳しく聞くつもりはなかった。

 問題はチョウの方である。罪悪感と後ろめたさからセドリックとの関係について悩んでいるのは理解出来た。それを自分に話してどうしろと言うのか、薊はとにかくそこが不可解でならない。

 

「アザミはどんな問題もスパッと解決出来るから……私、もうどうすればいいか自分でも分からないのよ」

 

「オレだって分からねえよ。恋愛経験があるように見えるか? 友達だって一人もいないのに……」

 

 今度は菫が呆れる番だった。薊の意固地さは筋金入りだ。

 夏休みにあれだけフラーと大喧嘩したのに懲りていない。

 ポカンとするチョウにどう説明すればいいやら困る。

 

「姉さん、見ての通り不器用なところがあって……セドリックはお父様の件についてどう仰ってたんですか?」

 

「気にしないで欲しい、本人も悩み抜いて決めた事だから、って。でも気にしないなんて……」

 

 結局は気持ちの問題である。

 第三者に出来る事は一つもない。

 ただ聞いて欲しかっただけか。

 吐き出せば楽になる事もある。しかし薊に恋愛経験はなく、胸の内を打ち明けられる相手も、誰かに明かせるような悩みも、持ち合わせていない。やはり羨ましさが募る。醜い嫉妬心が本心から掛け離れた言葉ばかりを舌に乗せようとする。

 それらを押し殺してゆっくり飲み込む。

 頼られたのだから無碍には出来なかった。

 ひたすら黙って言葉をひた隠す。そうでなければまた目の前の相手を傷つけてしまう。

 震える余力すらないチョウの手を菫の冷え切った手が包んだ。

 “生き返った”なんて希望を完全に打ち砕く、屍の体温だった。

 ようやく止まった涙がまた流れ始めた。

 

「セドリックの言葉通りではないでしょうか。ただ事実を伝えただけで……隠し事をしたくなかったのと思います」

 

 もしも自分が同じ立場になったとして。

 ありのままをフラーへ打ち明けると思った。

 だからセドリックもそうしたと感じた。

 ただそう感じただけで、証拠など一つもない。

 

「私だってフラーに隠し事なんて出来ないです。きっとフラーもそうだし、チョウも同じではありませんか?」

 

 どうにもならないし、どうにも出来ない。

 けれど辛さを分かち合う事だけは出来る。

 なら一先ずはそれで()()とするしかなかった。

 ようやく気持ちが落ち着くと菫の手を握り返す。

 

「二人に相談して良かった。ありがとう」

 

「お役に立てたなら何よりです」

 

「そのくらい気にすんな」

 

 どうにか愛想笑いを浮かべ、薊も言葉を振り絞った。

 何故こんなに疲れるのだろう。人間関係なんて学校には必要ないハズが、どこまで逃げても影のようにつきまとう。なんて忌々しい。

 

「私ばっかり甘えてられないのにね。もう最上級生なんだから……ホグワーツの外でも中でも、色んな事が起きているのだし」

 

「チョウが責任を感じる事ではありませんよ。いつかのように、引き返せなくなってからみんな間違いに気づくだけです」

 

「そうならないようにいくら説得しても耳を貸してくれる人はほとんどいないわ。目を背けたって現実から逃げられるわけないのにね」

 

「夢を見るのはいつだって個々人の自由ですから。私は……もう二度と眠る事の出来ない身体です。いっそ羨ましいくらいですよ」

 

 憂いなく微笑んだ意味を知るのは薊だけだ。

 樒の言葉を借りるなら「資格」があるのだそうだ。

 老人たちの因縁が果たしていつ始まったのやら。いくら逆らったところで現実からも過去からも、逃げられないのはみな同じ。

 あとはひたすら成り行きに任せるしかない。

 けれど今だけは、菫の笑顔に心落ち着かせていたい。

 この苦しみだけは一人で抱え込むしかない……。

 仲睦まじい女子二人を眺めながら、友人がいないことを「辛い」と感じる自分に気づかされる。気づいたあと、薊には何も出来ない。友達がいないときどうすればいいか、まったく知らないでいる。

 後悔なら一生分を済ませてある。

 これからは、自分の気持ちなど二の次だ。

 

 

 

 フラー・デラクールは夏休みに交わした約束を守った。

 毎日、決まって朝食と夕食の時間になるとフクロウ便が手紙を寄越す。

 驚くべき律義さだった。菫も早朝と昼休みにフクロウへ手紙を託した。

 離れ離れの寂しさや日々の出来事を羽ペンで便箋にしたため、フラーはお気に入りの香水で香りづけをし、菫は季節の花を飾った栞などを同封して、互いに贈り物をしあった。消灯時間を過ぎてから手紙を書くのが菫の新しい日課である。毎晩眠ることができず、どころか眠気さえ感じなくなり、いよいよ一日中ずっと意識が途絶えないので、こうしていないと時間を持て余してしまう。

 心臓が止まって何か月も過ぎた。

 生きているとは言えないけれど。

 こんなに悲しいのに死んでいないなんて、残酷だ。

 ふとした弾みで意識がよそへ向くと筆が止まる。

 自分なんかが、フラー・デラクールの恋人でいいのだろうか。

 彼女はグリンゴッツ銀行で華々しく働いている。才能と美貌に恥じるところのない輝かしい未来へ向かっている彼女の隣に、未来にも行けず、過去にもなれない半端な存在がいていいのだろうか。罪悪感が押し寄せる。けれど流れ落ちるはずの涙はもう枯れてしまっている。

 目の前に広げた便箋へ一滴も落ちないのが耐えられない。

 手がこんなに震えては一文字だって書けやしない。

 鋭利なペン先で手のひらを貫いてみる。恐ろしく痛いと思いきや、ただ金属が皮膚と肉を切り裂く感触があるだけだった。

 死んでいるのだから痛みを感じる必要もないらしい。

 ただそこにいるだけ……いくら心が残っていても、魂がない。

 文字通りの血も涙もない化け物だ。

 自分でそらこんな自分を好きになれない。受け入れられない。許せない。

 だったらやはり、大好きな人のそばにいるべきではないのだろう。

 すべて終わってしまったのだから恋愛も幕を引くのが道理に思えた。

 

「私のことはどうか忘れて、くだ、さい……」

 

 いざ書き出してみると窒息しそうになる。

 おかしなものだ。とっくに呼吸なんてしていないのに。

 

「どうか日の当たるところで、変わりなく、輝いて……」

 

 そこまで文章を刻み込んで、無意識に便箋を握りつぶしてしまう。

 吸血鬼になり果てた自分をほかの誰が受け入れてくれるのだ。

 フラー・デラクールに去られたら今度こそ孤独になる。

 そんな生活には耐えられない。それこそ自分を失う羽目になる。

 せめて『葵菫』のフリを続けられる間だけは愛されていたい。

 胃の底で何かが蠢くような感触がずっと留まっている。いっそ嘔吐してしまえば楽になれるのに、それすら出来ず、ただ底知れない不快感を抱えるだけ。

 談話室にぽつんと一人だけ。感情を吐き出せず机へ向かう。

 清酒を嗜んだわけでもないのに酩酊感がある。何に酔えるのだろう。

 こんなに酷い現実から逃げられるなら毒でもなんでも構わないけれど。

 クラクラとしてソファで横たわる。

 スニーカーを脱ぎ捨てて足を投げ出す。

 瞼を閉じてもただ視界が暗くなるだけだった。

 暖炉から離れていようと室温が気にならない。

 夜明けまでまだ数時間ある。日の出までに書き終えなくては。

 心と体がどこまでも不一致のまま何を書こう。

 気分転換……気分を換えて、そのあとは?

 鉛に毒されたように虚脱感がのしかかる。

 屍のように微動だにせずいると甘い香りが漂ってくる。

 すると身体だけはすぐさま活気を取り戻す。獣も同然だった。

 

「パンジー、いいんですか。明日も一時間目から授業でしょう」

 

 意外にも夜更かしとは無縁のパンジーが寝間着姿で談話室へ来た。

 桜を思わせる淡い色調のゆったりしたパジャマもよく似合っている。

 

「寝たくても寝れないのよ。夏休み前からずっとそう……」

 

 不眠症、というほど重くはないのだろう。

 目の下に隈はない。ただ気怠そうではある。

 もこもこしたスリッパで菫の寝そべっているソファへ近寄る。

 

「挨拶も出来ないままお別れだと思ったのよ。もう会えないんだって」

 

 涙ぐむ姿も可愛らしい。どうしてこんなに素敵なのだろう。

 ただ見つめているだけで胸のうちに幸福感が満ちていく。

 あの赤らんだ頬を撫でられたらどれほど柔らかいのか……。

 泣けもしない。眠れもしない。けれど笑顔だけは残っていた。

 身体を起こすとパンジーの泣き顔がすぐ目の前に来る。心臓が鼓動をやめても、やはりときめくのは以前のままだった。

 

「私はもうどこにも行きません。だから、お願いです。いつもみたいに笑顔でいてください」

 

「どうやって笑えばいいのよ。もう分かんない……何が楽しかったのか。みんな様子が変だし、ミリセントもダフネも、ドラコだって。あの夜からずっとよ」

 

「仕方ありませんよ。ヴォルデモートが復活したんですから……」

 

「それが私たちに何か関係ある? ただの学生なのに。ホグワーツにいてどう関われっていうのよ、そんなの大人の都合じゃない」

 

「……ええ、そうです。どのみち私たちには関係のないこと。嵐はいつか終わるものです」

 

 どうしても現実を直視できないのならそれも選択肢だ。

 目を背けるのも希望論へ逃げるのも個人の自由なのだから。

 パンジー自身の意思で決めたのならできる限り手助けしたい。

 ダンブルドアは『戦争が起きる』と言った。こんなものは戦争ではない、犬畜生にも劣る怪物同士で互いの肉を食い千切るだけだ。そんなものに初恋の人を巻き込むわけにはいかない。ああ、だったら自分が死を超えてしまったのは、きっとこのためなのだろう。

 自身を取り巻く世界が変わってしまったと狼狽えるパンジー・パーキンソンの体を抱きしめ、思いつく限りの言葉を囁きかける。

 この身体は自分自身のためではなくパンジーのためにあるのだ。

 いくら傷つこうと不死身だから構わないなんてどこまでも都合がいい。

 

「私がみんなの目を覚まさせてあげます。少しおかしな夢を見ているだけですから……いつまでも眠っていられるなんてことはあり得ないんですよ。大丈夫。すぐに元へ戻ります」

 

 ああ、やはり、この学校は大嫌いだ。

 誰も彼もがいつまでも度し難く愚かで。

 葵菫にとって大事な人たちを苦しめる。

 こんなことなら閉鎖してしまえばよかったと、三年越しに後悔する。

 ともかく対処するならまずは足元から……暖炉に背を向け、真っ暗闇のはずなのに、菫の両目は新学期が始まって以来、強烈に赤々と輝きながら笑っていた。

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