ポットからティーカップへと紅茶が注がれる。
あらかじめ配られた皿へケーキが盛り付けられる。
そばには純白の生クリームが添えられ、真っ赤なベリーソースを掛け流す。
魔法を掛けられたナイフやポットがつつがなく段取りをこなす。
アフタヌーンティーの用意が整うとおもむろにグリンデルバルドは口を開いた。
「結論から言おう。『分霊箱』の秘密を知りたいのなら、君が取るべき選択肢は一つだ……アルバス・ダンブルドアに跪き、忠誠を誓え」
ダークグレーのスリーピースで長い脚を組み、そう宣言した。
ヌルメンガードでの幽閉により痩せ衰えた肉体はもうそこにない。
吸血鬼へと変貌したことで壮年期の端正な容姿へ戻っていた。
色素の薄い北欧系の顔立ちでありながら、物憂げな瞳は血色の光を帯びている。
カップにもケーキにも手をつけずじっと一点を見詰める。
「ウソだ。オマエは『分霊箱』を知ってる、隠しているんだろう。昔の恋人がそうしたから自分もそれに従おうとして。私を騙そうとするな」
「無論、忌まわしい闇の奥義とは承知している。ヴォルデモートの不死の秘密であることも。だが、生憎そうした術には興味がなかったのでね」
菫の目にはグリンデルバルドへの猜疑心が渦巻いている。
身を乗り出して『黒い魔法使い』の冷めきった目を睨んだ。
主従の関係にありながら二人の間に信頼や忠誠はない。互いを結びつけるのは『吸血鬼』という生物の特性に依存しきった呪いだけである。
「おそらく有益な情報はすべて校長室にある。ああ、間違っても押し入ろうなどとは考えないことだ。奴は用心深い……考え得る限りの防護策を講じているだろう」
「私なら痛みは感じても命の関わるようなことはない」
「甘い。不死者や亡者による襲撃を想定していないと思うか?」
グリンデルバルドの視線が菫を見据える。
かつて世界を焼き尽くそうとした男である。
あらゆる手を尽くし、ダンブルドアに挑み、そして敗れた男。
紅茶の香りを味わったあとカップをわずかに傾ける。一呼吸、二呼吸と間を空ける。
「予想していたよりもずっと愚かだな君は。あまりにも戦いの作法を知らない、それでよく『三大魔法学校対抗試合』を勝ち抜けたものだ」
「私が愚か? 日記帳のトム・リドルを手玉に取ったのだって、ピーター・ペティグリューの秘密を暴いたのだって、シリウス・ブラックの無実を証明したのだって、全部私がやったんだ」
「運がよかったというだけだ」
これまでの出来事をすべて『運』の一言で切り捨てた。
葵菫は当てずっぽうで走っていたに過ぎない。それこそが真実であり、過去の行動に計画性など一つもない。謎めいた仮面の下にあるのはただヘソの曲がった小娘であると断じる。
これまでそんな風に言われたことは一度もなかった。
菫にとっては信じられない侮辱だ。自分だけでなく、薊まで貶されたと感じた。
込み上げてくる怒りを堰き止めるものは心から消し飛んでいる。
けれどグリンデルバルドは容赦なく菫を指弾する。
「敵を知り己を知る。兵法の基本だよフロイライン。君は初歩すら修めていない」
「ならどうしろと。不死鳥の騎士団に入って学べとでも?」
「それは君自身で考えたまえ。私の役目は子守ではなかったのか?」
「下僕の分際でよくも偉そうに! 誰のおかげで自由になれたと思ってる!」
「一度たりとも望んでいない。すべてあの忌々しい老人の思惑に過ぎん」
「……この役立たずめ」
似たもの同士ではないかな――グリンデルバルドは悪びれる様子もなく冷笑を贈った。
わざとらしく肩をすくめる下僕を無視して菫は立ち上がる。椅子を蹴飛ばしてそのまま書斎を出る。そのままいくつかの部屋を通り抜け、応接間へ出ると、階教授が黒い紙巻き煙草を咥えたところだった。遠慮なくマッチで煙草に火を点ける。勢いよく紫煙を吐き出す様には貫禄がある。
灰皿には吸い殻が山盛りだった。実の母親も義理の母もヘビースモーカーの菫にはもう嗅ぎ慣れた匂いだ。実家を思い出して少し気分がよくなった。
教授は一人でカスタードタルトをまるまる食べ切っていた。サイフォンのコーヒーもかなり目減りしているのが分かる。
しかしすらりとしたスタイルは完璧に保たれていた。
金色のフィルターぎりぎりまで吸ってようやく灰皿へ押し当て、ふうと一息つく。
「意外と早かったですね。面談はどうでした?」
「まったく……具体的なことはなにも」
「それはそれは。となると今後の方策は未定ですか」
そう言いつつ定位置に置かれた黒い箱を手に取る。
中身はすべて灰皿へ移ったあとだった。教授は少し残念そうにして空箱をテーブルへ戻す。
菫が空いている椅子へ座るのを待って教授は純銀のトレーから白ブドウを選んだ。粒を一つ一つ房からもぎとって、菫の前に現れた皿へ載せる。
「あの、そこまでしていただかなくても……」
「上の娘が果物を食べるときはいつもこうでしたが」
甘やかし過ぎではないだろうか……?
教授の母娘関係に少し不安を抱きつつ、好意は受け取っておく。
香り高くほのかに甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。
白ブドウをもぎ終えた教授が脚を組み直す。ゆったりとした雰囲気で「これからどうします?」と尋ねた。
何も考えつかないのが正直な感想だ。そうでなくとも八方塞がりで、だからグリンデルバルドに助言を求めた。しかしあの傲岸不遜な下僕は訳知り顔で思わせぶりに仄めかすばかり。具体的なアドバイスは一つもなく、どころか「何も知らない小娘」と侮辱までされた。
この屈辱を晴らそうにも、自分はどうすればいい?
手掛かりすら掴めないまま時間だけが過ぎていく。
「……どこから手をつけたらいいか分からないんです」
思わず肩が落ちるほど行き詰まっている。どこから手を付ければいいのかサッパリだ。
階教授はコーヒーのおかわりをカップに注ぎながら「では基礎から学びましょう」と言った。悪企みの基礎――そんな表現ではとても足りない。これから始めようとしているのは戦争の下準備である。アルバス・ダンブルドアにもヴォルデモート卿にも従わず、両陣営と同時に相対する二正面作戦が大前提の、この上なく不利な戦争……
育ちのいい上品な雰囲気からはとても想像出来ない。菫の不安げな表情を察したのか教授はまだ使っていないナイフを手に取った。
「どうしても私の過去が気になるのでしたら血を差し上げましょう。吸血鬼は取り込んだ血液から相手の過去を知ることが出来る。百の言葉で語り尽くすよりずっと早い」
「なんだか『闇の魔術に対する防衛術』の授業みたいです」
「私もいま同じことを思ったんですよ、何故でしょうね」
純白の砂糖をたっぷりコーヒーへ足しながら教授はニヤリと笑った。
自然にしていると冷たい印象が強いけれど笑えば少し子どもっぽく見える。
「より深い領域の魔術を修めるにあたり、欠かせないのはなんだと思いますか?」
「えっと……詳しい本とか、先生とか?」
「アンテナを張るための人脈です。コネと言っても構いません、菫さんにはまったくと言っていいほど伝手がない」
甘そうなブラックコーヒーを啜り一息つく。アーモンドチョコレートの包装を丁寧に外しつつ、教授の目は真っ直ぐに菫を捉える。
「まず足場を固めること。信頼できる対等の人物をそばに置き、そこからつながりを増やさないと」
「信頼できて対等……それこそ薊姉さんぐらいしか……」
「では『絶対に裏切らない』相手を探すのです。誰が思い浮かびますか」
「絶対になんて……姉さんと先生以外の誰も信用出来ないです……」
「よろしい。人の心に
スレンダーなシルエットが立ち上がった。
影法師のように真っ黒な姿で本棚へ向かう。
ズラリと並んだ背表紙を指先でなぞる。目当ての本を手に取った。
「これを渡しておきましょう。
階黑羽から手渡された書籍の題名を『
「次の
ニコリと笑えば冷酷さなんてどこかへ吹き飛んでしまう。
いかにも陽気な雰囲気なのだけれど、なかなか個性的な先生だ。
防衛術を教えるどころか闇の魔術を教えるつもりだ。
風変わりと言えば風変わり。しかし、ホグワーツで頼りに出来る大人を数えると、この
彼女がどれほど変わり者だろうと薊の恩師には違いない。
それだけでも十分信頼に値する。菫は魔書を抱きかかえ「がんばります」と頷いて返した。
†
フローラとヘスティアが肩を並べて湯船につかっている。
薊はどうしてもこの後輩が苦手だった。スタンリー・キューブリックの『シャイニング』を思い出し、とてつもなく気分が悪くなる。一方で菫はずいぶん気に入っているらしく普段と比べればずっと機嫌がいい。珍しくホグワーツ生の前で笑顔を見せたのだからよほど好みなのだろう……どこまでも血は争えない。
どちらが話し始めるか薊はじっと待った。今回はただの付き添いである。
いつまでも続く沈黙に耐えきれなくなったのは菫の方だった。
「あの……えっと、その、アレクトさんとアミカスさんのことで……」
おずおずと、しかし単刀直入すぎるくらい思い切って踏み込んだ。
上手い切り口が思い浮かばなかったのは身内でなくとも察しがつく。
どこから見ても隙まみれである。その気になればいくらでも反撃できる。敢えてそうしないのはカロー姉妹なりの美徳と言うべきだろう。
「お二人とも『死喰人』だったのは流石に予想外というか……」
尻すぼみな声を振り絞るのが精一杯だった。
非難だとすればあまりにも弱々しい。なのにカロー姉妹は揃って息を詰まらせる。薊は恋愛感情の難しさについて思いを馳せ、その複雑怪奇さにただただ首を傾げるしか出来なかった。
「カローの家に生まれてしまった以上、免れることの出来ない罪ですわ」
「スミレ姉様にとってカローは仇敵……分不相応な愛に対する罰ですわ」
分不相応な愛…・…その言葉に違和感を覚えたのは薊だけだった。
菫は表層だけを汲み取ってどう応じればいいか戸惑っている。
聖なる二十八の血族に数えられるカロー家の内情は何も知らない。だが少なくともイギリス魔法界においては『貴種』であり、無位無官のうえ帯刀を許されたことすらない葵家に比べれば、ただ「貴族である」というその一点だけでどれほど没落していようと名門なのだ。
少なくともヴォルデモートとルシウス・マルフォイは気づいているはずだ。
厳密に言えば葵家は純血ではない。葵樒がこれまで娶った女たちはみなマグルである。『純血の旧家』は現当主で最後となり、次代からはただの『旧家』へ零落する。アレクトとアミカスが『死喰人』というコミュニティでどれほどの席次を得ているかにもよるが……マルフォイ家の公式な年中行事に招かれない時点で察せられるはずなのだ。
だから菫は本当にいい友達を得たのだが……知らぬは当人ばかりなり。
どこまでも無神経である。とことん鈍感で無頓着。
そんなだから地元に友達がいない。
カロー姉妹が置かれている状況を理解しているか怪しい。
彼女たちはどうあってもヴォルデモートに賭けるしかないのだ。
「差し出がましいようだが、フローラもヘスティアも、いずれ『死喰人』に加わるつもりなのか」
「姉さん、こんなときにわざわざ聞かなくていいじゃないですか。いま話しているのはそんなことじゃなくて……」
やはりダメだったかという落胆の台詞が大きな溜息に変換される。
傷の舐め合いをするだけならわざわざ夜中に寮を抜け出す必要はない。
「例え望んでいなかったとしてもそう命じられるでしょう」
「……生贄に捧げる羊として私たち姉妹は都合がよすぎた」
「生贄、ねえ。なるほどマルフォイやノットには出来ないな」
ヴォルデモートが魔法界における支配権を確立したとする。
貴種の中の貴種として君臨する以上、彼は血脈を遺す義務を負う。
君主の外戚という肩書きがもたらす恩恵は計り知れない。
同じ死喰人でもマルフォフィとノットは嫡男が一人だけ。対するカローには双子の姉妹……陣営内の席次がどうであれ、もしヴォルデモートが自身の血を引く後継者を欲したときこのカードはこれ以上なく効果を発揮する。
この切り札を生かさない手はないだろう。
フローラとヘスティアの将来は二つに一つだ。誰でもない彼女たち自身がそのことをよく理解している。
「菫、よく考えてみろ。もしダンブルドアが勝ったらどうなるか」
「どうって、そんなの、今までよりマグルが優遇されるだけでしょう?」
「純血の、それも貴族なんて少数派も少数派だ。ホグワーツと同じだよ。マグル生まれが世間の大多数を占めて、そのうち魔法省だって純血よりマグルを優先する。そうなったら誰が『貴族』なんて必要にする?」
「改革ってそんなにすぐには進まないと思う……何十年もかかるはず……」
「日本じゃそうだろうさ。社会が末端の市民にまで浸透してるんだ。そりゃ国際機密保持法との兼合いもあるが、こっちじゃ激変するぞ。今までなかった民主主義、いや
イギリス魔法界には普通選挙というシステムが存在しない。
最高行政権は大衆の委任によって生まれる――湖の乙女が聞けば卒倒するような話だ。しかしダンブルドアが勝利すれば魔法界は確実にマグル化するだろう。少数の上流階級に独占された『政治』が圧倒的多数派である大衆のものとなれば、そのとき最も効率的な政治システムは民主主義であるのだ。
そのとき、旧き純血の門閥を省みる者が果たしてどれほどいるだろうか。
これまで魔法界を支えてきたにも関わらず、である。分霊箱という
そうして『純血の名門』という看板は完膚なきまでに破壊される。
果たしてダンブルドアがそこまで望んでいるかはさておき。
革命によってアンシャン・レジームが排撃される可能性は極めて大である。
「オレやスミレには分からない感覚だ。でも、想像したっていい気分にはならない。だいたいダンブルドアもヴォルデモートもオレの大事な家族をメチャクチャにしやがったんだ。殺せるなら今すぐこの手で殺してやりたい」
これまでの顰め面とはまったく次元が異なる。
荒れ狂う怒りの感情が両目に充満し、殺気となって滲む。
悲しみよりも怒りが勝る。何もかも許せない。視界に入るすべてが不愉快で堪らない。
煮え滾る溶岩さながらな薊の激情を菫が鎮める。
そっと身体を寄せ、だらりともたれかかる。
拳を握り締めるあまり爪が肉へと食い込む。
わずかに血が水面へ立ち上り赤い筋を描いた。
「私は……私は、
イギリス魔法界からマグルが排斥されようと、貴族制度が覆されようと、菫自身は心底どうでもいい。生きている人間による報復を仇討ちと言うのなら、これから始まるのは怨霊による祟りだ。いずれにせよ『不死鳥の騎士団』も『死喰人』も敵に回すのは同じである。
「私はダンブルドアとヴォルデモートを相手に戦争をします。そのためだけにホグワーツへ来たんです。もし、もしもフローラとヘスティアがアザミ姉さんの言うような未来を望まないなら、私と一緒に来ませんか?」
改めて突きつけられた現実がカロー姉妹の意識を揺るがす。
勝っても地獄、負けても地獄が待ち受けていると悲嘆に暮れていた。
そこへ新たな可能性……自ら運命に抗うという選択肢が現れた。
それもはじめて愛した女性から示されるなんてどれほど幸福なのだろう。
どれほど過酷な仕打ちだろうと喜んで受け入れる覚悟で夜のデートに誘われた。校舎五階の大浴場で女四人、裸の付き合いは初めてではなかったけれど、これが最後のつもりでいた。
言葉に出来ない感情で身動きがとれなくなる。
ただ震えるばかりのフローラとヘスティアを、菫は無言で抱き寄せた。
その様子を見守りながら薊はまた大きく溜息を漏らす。
果たして自分は意中の相手が出来たとして、あんな風に出来るのか?
恋愛感情の有無すら断言出来ないほど他人に関心がないのでは望み薄だが……。
階黑羽のようなどうしようもない大人になるのは、やはりイヤなのである。
†
菫はイギリス貴族社会の作法を何も知らない。
これまでは知る必要さえなかったのだから当然である。
雰囲気は物静かでいかにもお嬢様然としている。だが裏を返せばそれだけだ。
放っておけばいくらでも自由気ままに振る舞える。
スリザリンにおけるパワーバランスの外にいればこそだった。
それを羨む気持ちはない。ドラコ・マルフォイにとって駆け引きは「やむを得ず行なうもの」ではなく「ゲームのように楽しむもの」なのだ。無論、大人たちの政治的闘争に比べればお遊戯に過ぎないと理解はしている。だがまったくの無価値かと言われればそうではない……むしろ将来のためを思えば必要不可欠なのである
経験値を積んできたつもりだったドラコの自信は、いま大きく揺らいでいた。
「カロー姉妹から話は聞いている。僕と君の仲だ、遠慮せず座れ」
ドラコは鷹揚に向かいのソファを勧めた。落ち着き払った態度を保つ。爛々として輝く瞳に凝視されても余裕ある表情を崩さない。
言われるがまま菫は一人掛けのソファへ座った。
まったく無感情な目がじっとこちらを向く。
「手紙の一つくらい寄越して欲しかった。これは僕の本心だ」
「…………この夏はとても慌ただしかったので」
優先順位が違うと言外に切り捨てられた。
もちろんそうした事情はドラコも承知している。
自分がどれほど軽く見られているかも。ただし『父親が死喰人である』という条件付けに限れば、セオドール・ノットなど葵菫にとって眼中にもない。そう考えると、自分はまだ利用価値を認められているらしい。
評価基準に友情と呼べるものが一切ないのはむしろ安心材料だった。
「責めるつもりはない。重要な事柄でもないしな」
「ええ。どうでもいいと言えばその通り……脇道です」
菫は淡々としながら一冊の教科書をテーブルに置いた。
闇の魔術に対する防衛術で使う『防衛術の論理』である。
「今年の『防衛術』の授業、ドラコはどう思いますか?」
「最低と言っていい。あのキザハシとかいう教授でなければなお酷かったろうね」
「でしょうね。どのみち階先生は今年度だけです、来年以降はどうなるやら」
ドローレス・アンブリッジ個人を軽んじはしても魔法省の意向には配慮する。
絶妙なバランス感覚のなせる技だ。教科書の補足についてもあくまで「普通魔法レベル試験への対策」という前提に立っているから「ホグワーツの学力向上」という建前に合致する。
大人たちの都合はともかく、今年度の教授は間違いなく大当たりだった。
だが来年度はどうか。現四年生がめでたく五年生へ進級し『普通魔法レベル試験』へ臨むとき、階教授と同レベルの授業が受けられる可能性は、限りなく低い。絶望的と言い換えてもいいくらいに不可能だった。
不安を感じているのはフローラとヘスティアに限らない。
スリザリンだけを見ても下級生さえ数年後を案じている。
魔法省による介入政策はむしろホグワーツの学力低下をもたらす。
「ホグワーツ理事会でも懸念する声が挙がっているそうだ。しかしダンブルドアがあの調子では仲裁をする余地もないのが現状だ、どこまでも傍迷惑な爺だよ」
「むしろ都合がいいと思いませんか?」
「都合がいい? アオイ、今度は何をするつもりだ」
「私は何も。ドラコ、あなたがやるんです」
神経質そうな目がますます鋭利になる。
あからさまな誘惑だ。自分を手駒にしようという魂胆が透けて見える。
「意図が読めないな。僕を担ぎ上げてまで、一体どうしたい」
「ホグワーツはいま混乱している。ダンブルドアと魔法省のせいで……誰かが統一しないといけません。それに、魔法省の介入が『監査官』だけで済むとでも?」
「愛校心を訴えるにしてもオマエじゃ意味がない。誰よりホグワーツを憎んでいるだろう」
「一つにハリー・ポッターとその信奉者を監視できる」
ダンブルドアの庇護下にあるハリーへ干渉する唯一の手段だ。
階黑羽を防衛術教授の椅子に座らせた理由も想像がつく。遠く離れた異邦人であれば、ヴォルデモートや死喰人の影響下にある者が城へ入り込む可能性を排除できる。おまけに魔法省がわざわざご立派な『首輪』を寄越してきてくれたのだから、いちいち彼女を監視する必要もなくなる。
もちろん純血至上主義の生徒にも注意を払っているだろう。
ましてドラコの父親は死喰人なのだから。派手に動けば介入される。それはダンブルドアとの協力を拒んだ菫も同じである。
「放課後茶会倶楽部を再始動させましょう。活動内容は『座学の自習』です」
「そんなもので釣れるのか? まさかとは思うが、僕を発起人にするつもりじゃあ……」
「ドラコ。あなたにそんな人望があるとでも?」
ない――――神通力が通じるのは精々クラッブとゴイルの二人だけ。
あとは精々パンジーぐらいで、ミリセントやダフネにすら効果は怪しい。
「チョウ・チャンにその役を頼めないか相談します。もちろんドラコの名前も使いますので、その点だけ了承してくれますか?」
生徒による勉強会であればダンブルドアも奨励せざるを得ない。
何より重要なのは『ドラコの発案である』という体裁を取ることだ。
チョウは人望がある。試験の成績も悪くない。そしてレイブンクローの最上級生が発起人となればスリザリンの存在感をいくらか希釈できる。だが放課後茶会倶楽部を勉強会として再始動させるアイデアは『純血至上主義』で知られるドラコ・マルフォイのものとする。そうなれば彼が精力的に参加する口実となるし、手っ取り早く恩を売ることにもつながる。
生徒に無関心なバスシバ・バブリングが顧問なのも好都合だ。
マクゴナガルや情報収集を試みても彼女は活動報告以上のことは知らない。
「構わない。だが父上にはすべて伝えさせてもらうぞ」
「どうぞご自由に。『服従の呪文』を使うわけにいきませんし」
「アオイ、念のため言っておくがこれは『貸し』だ。忘れるなよ」
「記憶力には自信がありますからご心配なく」
ギブアンドテイクを念押ししてもまだ不安が拭えない。
これまでスリザリンという派閥に一切の関心を示してこなかった。ホグワーツにおいて寮は派閥を示すものではなくなり、純血至上主義を信奉するか否かという二極化の時代を迎えている。葵菫という二歳離れた同級生を見るにつけ彼女の価値観はどのように培われたのか、甚だ疑問だった。
いくら言葉が通じても本当の意味で意思疎通が出来ないのでは怪物と大差ない。
そういう意味では、吸血鬼へ生まれ変わる以前から葵菫は怪物だったのかもしれない。
道理で好感を持てないわけだ……ドラコは一人で勝手に納得し、暖炉の火を見つめた。