ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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「止まない雨はないよ」の前にその傘をくれよ

 都合、三度目となる日曜日を消化して迎えた月曜日。燦々と降り注ぐ日射しがあらゆる異論反論をねじ伏せて自己を主張する夏とは異なり、秋は誰に命ぜられた訳でなし影のように忍び寄り「ああもうそんな頃合いか」と察知されるや否や、別れの挨拶はおろか置き手紙すら残さぬまま人知れず去って行く。陽炎にも似て曖昧な季節である。吹き抜ける風の肌寒さに衣替えを促されるのに煩わしさを感じ、薊の表情は険しさを増した。ペーパーナイフより薄く鋭利な眼光はすぐに薄れ、板書を書き写すのに意識を向けた。

 防衛術の単調な授業そのものは生徒から敬遠されている。

 教科書一辺倒で面白味に欠ける。理論より実技を教わりたいのは、共通の本音である。

 キザハシ教授の抑揚に乏しい声が淀みなくテキストを読み上げる。

 

「『反対呪文』の定義について、スリンクハード博士は以下のように記しています――この名称は呪文の性質に対する術者の理解を歪曲するばかりである。元来、魔法は魔法への干渉を拒み、また不可逆的性質を有する。これはネステハイムのアグリッパ著『隠秘哲学』論に従う。然るに通俗的区分として存在する『反対呪文』なる俗称は魔法理論上、不正確と言わざるを得ず……」

 

 果てしなく長い音読が終わる。

 教授は今朝発行された日刊予言者新聞を取り出した。

 

「まずネステハイム、あるいはシュポンハイムのアグリッパが提唱した理論を要約すれば『魔法は魔法の引き起こした物質的結果にのみ干渉しうる』『魔法は非物質的なものへ影響力を有する』『魔法により変化した霊的なものはしばし修復不可能となる』の三点です」

 

 ダンブルドアのバッシング記事が一面を飾る。

 教授はそれを両手で真っ二つに破り捨てた。

 

「『新聞を引き裂く魔法』による結果であれば、この破損は修復可能です。ただし『新聞が引き裂かれる』という結果そのものへは介入できない」

 

 淡々と語る。含みを持たせる物言いはしていない。

 

「記憶や魂というものは一般論として質量を有さない。アリストテレスの論によれば『第一哲学(The first philosophy)』と区分される、抽象的、概念的な原理ないし超経験の領域に属します。そうですね……皆さんの属する寮はそれぞれがホグワーツの創始者に由来していると聞いています。それでは尋ねますがこの中で初代校長のどなたかと対面した経験をお持ちの方はいますか?」

 

 突拍子もなく話が飛躍して数千年ほど時代を遡った。

 冷酷なほど無機質な教授の目が防衛術の教室を見渡す。

 いきなり始まった問答に、シェーマスが「あるワケないでしょう」と言った。

 

「そう。不可能です。ですが皆さんは各々の寮の創設者にまつわるエピソードくらいは把握しているでしょう。最低限、四人の顔と名前は一致する。これは奇妙な現象です……会った事のない、まして会える可能性が完全にない人物をどのようにして知り得たのか。その根本を辿ると行き着くのが『言葉』です」

 

 言葉ほど魅惑的な魔法はないと教授は断言する。

 その声はいま一つ情感に欠け、平衡を保ち過ぎている。

 人の心へ訴え掛けるにはもう少し熱がなくては届くまい。

 

「杖がなくては、生得の才知がなくては、という固定観念は()()です。皆さんは既にして呪文を唱える口も舌も持たぬ『言葉』によって呪われている。本来知り得るハズのない者を知る……それはただ情報を得るという動作に留まりません。誰も初代校長たちについて知らぬのですから、その文献に記された情報が正しいと、誰が保証し得るでしょうか? 誰もが同じ情報源を元に観測している状態では空想すらも真実となる。虚構を虚構のままに実像を与える、これもまた立派な呪いなのです」

 

 舌を回せば回すほどギアが上がっていく。着実にモーターの回転数が上昇し、教授は自らの言葉に依って授業を進め始める。

 

「『言葉』は脳を呪う。脳は肉体を構成する一器官ですが、おそらくはこれが人格や感情を生み出しているのですから、巡り巡っては『未来』や『運命』という不確定の事象にすら干渉する。ちょっとばかり毛が伸びたり皮膚の色を変えるよりもよほど重大な呪いでしょう?」

 

 ちらと周囲の様子を確かめ、薊は「またやったよ」と内心で愚痴った。

 完全に教授の展開した呪いが教室を呑み込む。特に感受性の強いネビルはすっかり青ざめ、手が震えてしまっている。

 

「過去を観測するには二通りの方法があります。一つは記録による接触、これは限りなく実像に近づけますが、常に記録者の意思による指向性を受ける。幸いにもホグワーツの初代校長については生前に面識のあるゴーストたちがいますから、少なくとも皆さんの記憶にある情報は全幅の信頼を寄せて構わないと思いますが。しかし現在あるものを言葉によって認識……観測したとき、それは現在でなく過去となる」

 

 悪意はない。この呪いはほんの稚気である。階黑羽の厄介さは()()()()()()()()()()()()()にあり、端的に底意地が悪いのだ。百年も生きてあの若々しさなのだからどこかで歪みが生じるのも頷ける。それとてほんの少し、ほんの少しだけ、目の前にいる相手の認識する世界へたった一滴の黒い絵の具を垂らすだけに過ぎぬ。

 薊は身を以て知っている。いま七組にいるみな、十年来となる彼女の教え子である。どれほど呪われても揺るがぬからこそ教え子をやっていられる。

 

「写真と同じです。ある瞬間を切り取ったとして、その写真に映る被写体は現在でなく過去に存在したある瞬間の状態です。言葉も等しい性質を持つ。記憶もまた言葉に大きく依存しますが……あくまで『存在』の輪郭を描写するに留まる。それらは()()()()()という大原則を共通認識とする。しかし魂は違う。これは正常のままであれば我々には観測のしようがなく、観測されるとき対象である魂は既に『存在』がない状態であるからにほかなりません」

 

 ゴーストを魂の証明とする事は可能だ。

 だが、あくまで『残響』に留まってしまう。

 それでは魂本体を観測したとは言えぬ。観測しない限りにおいて魂は存在を保ち、存在を観測した瞬間にその時点で魂は失われている。

 ハーマイオニーの挙手に階黑羽は目を丸くした。

 

「何か質問が? グレンジャーさん」

 

「はい。一つだけあります」

 

 毅然とした声が静まり返った教室に響く。

 

「教授の仰る『観測と存在の択一』は『不確定性原理』ですか? ハイゼンベル博士……物理学者の理論かメアリー・シェリーの『一つ、みなで怪奇譚など(We will each write a ghost story.)』かは分かりませんが……」

 

「ここは敢えて『どちらも』という余白を残すとしましょう。普通魔法レベル試験には毎年、必ず、論述試験が設けられています。口頭試問か小論文かは年度によりけりですが一つくらい面白味のある話を披露できた方が都合がよいでしょう」

 

 試験対策らしい台詞を吐いたと同時、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 軽い酩酊感に教われたスリザリンとグリフィンドールの生徒を見渡しながら、教授は「折角なのでたまには宿題を出しましょう。『形而上学的対象に干渉可能な魔法の本質に対する論考』……提出期限は……えーと」と形のよい顎にこれも優美な造詣の指を当てた。

 

 サイドボードの上に置かれたカレンダーを確かめ、教授はまた目を剥く。

 

「ええ……まだ十月? てっきり十二月初旬だと思ってた……ああ、そう、それでは十一月最初の日曜日を期限にしましょう」

 

 レポート課題の厄介さも()()のせいで麻痺する。

 隠された意図に気づいているのは、平静を保つ薊だけだった。

 

 単に生徒のブチ上げる様々の論を読みたくなっただけだ。

 

 予習復習程度は言われずとも取り組むもの。生徒に対する放任主義がシビアさの裏返しであると把握していればこそ、やはり『いい先生』と臆面なく放言するのは憚られるのだった。

 余韻に浸る間もなくみな慌ただしく次の教室へ移る。

 魔法薬学もスリザリンとグリフィンドールの合同授業である。

 認識を揺るがされ、世界観の均衡を喪失したままだ。多くは呆けた顔をしている。

 夢遊病患者の一団は教室へ入るなら覚醒状態となった。

 気づいた菫も面白がって薊の手を掴んだ。

 

「見て見て姉ちゃん、カービィ」

 

「カービィあんなんでいいの!?」

 

 まるまるとしたフォルムにピンクが基調の色使いだが、他の要因がすべてを台無しにしたうえでヘドロをぶち撒けている。信じられないモノを見る目で聞き返されると菫は「冗談なのに」と少し不貞腐れた。

 少し離れたところでドラコとザビニが談笑している。

 セオドールはスリザリンのテーブルでも肩身狭そうにして、誰とも目を合わせまいと俯く。

 

「…………大臣は近々、全職員に宣誓をさせる考えを持っているそうだ。魔法省に対する忠誠心の欠如が蔓延しているのは父上も兼ねてから忠告なさっていた。改革に乗り出すいい機会さ」

 

「魔法省への忠誠を問われるなら『マグル製品不正取締り局』のトップは更迭だ。あの忌々しい、()()()()()()()()()()()()()()()()()は厚顔無恥にもマグルへ魂を売った裏切り者だからな」

 

 誰を揶揄しているのか薊は即座に判じられず、教室中へ視線を走らせてロン・ウィーズリーの親族であると理解した。ハリーが肩を掴んでいるから飛び掛からず踏みとどまれてるいるが彼の両耳は髪と同化寸前まで赤く染まっていた。菫はその様子を愉快げに眺めながら薊へ囁いた。

 

「アイツのお父さん、不正してたのが前にバレたんだ。自動車が空を飛ぶように改造してたの」

 

「デロリアン号?」

 

「一緒にしたらダメだよ。面白いでしょ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は」

 

 はいはい、と神経質な従妹に話を合わせる。

 

「改革が必要なのは魔法省だけじゃない。『膿』はそこかしこにある、このホグワーツだって例外じゃあないさ。特にあのみっともない巨人モドキなんて、いつまで教授の椅子にしがみついているのやら」

 

「送り先はアズカバンよりも聖マンゴの方がいい。長期療養棟に放り込んでやるのが特に理想的だな、あそこは気が触れて二度と正気に戻れない連中ばかりだから。お似合いだろう?」

 

「君にしてはなかなか悪くない提案だザビニ。落伍者の中の落伍者に相応しい、『不死鳥の騎士団』とかいう爪弾き者たちもまとめて収容すれば世の中はもう少しマシなものになるだろうね」

 

 ロンとハリーどちらが仕掛けるか注視していると、何故かネビルがスリザリンのテーブルへ駆け寄った。意表を突かれはしたが対処は出来る。

 ネビルは興奮状態で唾を飛ぶのも構わず喚き立てた。もちろん発せられた言葉を聞き取るのは不可能で、見境なく拳を振り回すので運よく羽交締めしたハリーも数発殴られている。クラッブとゴイルの動きが鈍いと予想していた薊は引き抜いた杖を構える。

 

「『麻痺せよ(スピューティファイ)

 

 赤い閃光が瞬間、黒焦げ色調の杖から迸る。

 失神呪文は狙い通りネビルだけを無力化した。

 次々と出来事が押し寄せて誰も口を利けない。気絶したネビルへ駆け寄ったシェーマス・フィネガンが「卑怯だぞ、ネビルは杖を持ってなかった!」と薊の先制攻撃を指弾した。

 

「そうかよ。だったらどうした」

 

 冷ややかに斬り返す。目は醒め切っている。

 一触即発を制したのはスネイプだった。

 

「ロングボトムの恥知らずな暴力行為の罰だ。グリフィンドール二十点減点、フィネガンの誹謗中傷も十点の減点とする」

 

 これもまた予想通り。結果だけを見れば、薊はドラコを助けた形になる……スリザリン贔屓の教授がグリフィンドールを厳罰に処すのも、過剰防衛を咎めないのも、分かりきった展開である。しかしネビルに加えてシェーマスまで処罰された事に猛反発が巻き起こる。スネイプは粘性に富んだ声音で応じた。

 

「ポッター、これは先週貴様が煎じた『強化薬』だ。不適切な手順であったため、このように熟成過程で二層に分離し使い物にならぬ。ロングボトムのものも同様だが……」

 

 ここでスリザリンのテーブルから笑い声が起こった。

 

「さて。第一段階でこの結果を示す場合、どのような失敗が想定されるか。また第二段階で予想される失敗事例についてレポートを提出するように。ミスター・ロングボトムにも伝えねばなるまい? 医務室まで付き添ってやるがいい」

 

 今度こそスリザリンは大笑いした。菫も肩を揺らしている。

 当の薊は素知らぬ顔で自分が調合した『強化薬』と、この授業で必要となる材料すべてを揃えた。

 ネビルを載せた担架が一人でに教室を去っていく。ハリーもスネイプに命じられるがまま追い出され、再び沈黙が戻った。大袈裟に扉を閉めたスネイプがいくらか機嫌が良さそうに見える。ある意味で正直者だ。クリップボードと羽ペンを携えたアンブリッジの紹介もおざなりなもので、招かれざる客であると雄弁に語った。

 残った全員が指示通りに『強化薬』の調合に取り掛かる。

 必要な手順はすべて黒板に記載がある。あの通りにやれば()()()()()()が、最高純度にはならない……それを知る菫と薊はまずグリフィンの爪の表面を小刀で削った。ベージュ色の光沢を帯びた部分を残さず削り落としていると、アンブリッジが近寄って来た。

 

「先生の指示にはない手順ね?」

 

「湯煎しても汚れは落ち切らないんで」

 

 グリフィンは肉食である。獲物を仕留めるのに前脚の鉤爪を用いるのは当然で、血液を含め魔法生物の体液が付着し、汚染している。煮沸しても除去しきれないものもある。そのため表面を削って少しでもクリーンな状態にしてから加工すべきなのだが、アンブリッジは薊の呟きから真意を汲み取れずにいる。怪訝な顔でジロジロと観察され不快極まる。

 すかさずスネイプがアンブリッジの背後へ銃弾を浴びせた。

 

「ヘスパー・スターキーの論文だな。では除染の最終工程として、この場合どのような処理が妥当か」

 

「ゴブリンの胆嚢汁に三日間漬け込む」

 

「それが難しければ、炎で表面の残渣物を燃やす」

 

 いち生徒でも分かる事だと暗に皮肉られた。アンブリッジの作り笑いがさらに強調されたのは、腹立たしさを取り繕うためだった。

 

「魔法省としては、このレベルの魔法薬を生徒に教える事は不適当であると考えていますわ。もちろん正式決定ではありません……そのような意見が主流である、という段階ですけれど。スネイプ教授としても生徒のレベルに対して適切とお考えかしら?」

 

「無論」

 

「…………私としては、()()としてそのように評価するのなら、少々過剰であると感じてしまいます」

 

 平均――その言葉が放たれるのと同じタイミングで、アンブリッジの極端に小さな両目がグリフィンドールのテーブルを捕捉した。より具体的には空の大鍋が放置されたままの箇所だ。そこはロンとハーマイオニーに近い……授業開始前にハリーがいた所だった。

 その後もアンブリッジはテーブルを行き交い、普段の授業について意味があるとは思えない質問を繰り返した。

 

 何より薊が気掛かりだったのはドラコの無自覚さである。

 

 まさか、ブレーズ・ザビニとのお喋りに浮かれて余計な事を口走るとは。いちいち舌禍の後始末をするのでは計画が破綻しかねない……粉末状になるまで加工した爪を大鍋へ加え、薬液の香りが変化したのを確かめつつ、傍観者気取りの愚か者にも釘を刺すべきかと思案する。

 

 なるべく寮内の統一は平和的に進めたいというのに。

 

 当事者意識のないバカは始末に負えない……サラマンダーの血液を慎重に数滴垂らしながら、軌道修正すべきかどうか悩む。

 

 気に入らない――魔法界の個人主義が、腹正しい。

 

 杖なしで何も出来ない癖にという罵声を飲み込みながら、薊の視界では鍋の中身が見事なターコイズブルーに変化していく。

 

 思い通りになるのは魔法薬ばかり。そう呟いて、使い終えた実験器具の片づけに取り掛かるのだった。

 

 

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