ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

94 / 115
ラッキーで埋め尽くして レストインピースまで行こうぜ

 人生初となる煙突飛行ネットワークは実に快適な旅路であった。

 少なくとも薊の三半規管はすぐに均衡を回復したようである。

 スコットランドの北端からロンドンまで一瞬だ。

 魔法省本部は黒煉瓦造りのトンネルを抜けた先にある。正面に広がる吹き抜け広場は()()()()()の名称があるらしい。日曜日にも関わらず人の往来が途絶えず、黄金像が置かれた噴水を無視してみな一様にむつかしい表情を浮かべ、これも黄金製と思しきゲートを目指している。ちらと目を上へ向けると魔法で吊り下げられた懸垂幕が様々な業務連絡や為替相場の推移を次々と映す。

 地元の町役場だが村役場とは比較にならない。

 アレは豚小屋を改装したのかと思うほど粗末なのだ。

 黒黒としたトンネルを振り返ると同じ黒煉瓦の暖炉が左右に置かれ、時折緑色の炎が上がるとそこから職員がのっそり現れる。

 アレもなかなか便利そうに感じる。煙突を移動手段にしようというのが如何にも欧米らしい。中等部へ進むまで巨大な燕の背に乗って登校させられた薊にはこの煙突飛行ネットワークが実に羨ましく、また異国情緒に満ち満ちていた。

 菫はじっと噴水の中を覗き込む。

 透明な水の底に硬貨が沈んでいるのだ。ほとんどは銅貨である。銀貨も数える程度に見えるが、金貨を探すのは骨が折れそうだった。傍に置かれた質素な立て札によるとこれらはすべて聖マンゴ魔法疾患障害病院へ寄付されるという。ホグワーツを卒業したらグリンゴッツの口座にある預金すべてここへ投げ入れる事に決めた。少なくとも世話になった病院であるし、自分と似たような立場へ追いやられた人々の助けになるなら、いくらかまともな使い道であろう。

 水面は完全に凪いでいる。

 鏡のような水面に映る、月のように蒼白の顔。

 やはり生きてはいないらしかった。

 この顔色はまず間違いなく死体だ。

 鬱々と塞ぎ込む従妹の袖から先、右手を薊が掴んだ。無骨に振る舞っているが指先は意外にも柔らかな感触だった。

 

「行こう」

 

 送迎役の男――『闇祓い』のドーリッシュ氏はトレンチコートの背中を見せ足早に進んでしまっている。鳶色の髪がみるみる遠ざかる。薊に引っ張られながら菫もなんとか追いつく。日曜日の午後にも関わらず訪問者が多く、油断すれば迷子になりかねない。

 ゲートは守衛室が備わっていて、孔雀を思わせる見事な青色のローブを羽織った職員が詰めている。ドーリッシュ氏がぬうと受付の前に立つとあちらも日刊予言者新聞を乱雑に畳んだ。そこでようやく闇祓いは声を発したのである。

 

「再審理の証人、ホグワーツの学生二人だ」

 

 簡略過ぎるのではと薊は思った。しかし守衛室の主は構う様子もなく寝惚けた目つきでドーリッシュ氏を見上げる。

 

「ご苦労な事だ。大臣の特命かね」

 

「詮索するな………………杖を」

 

 杖を守衛に渡すよう促される。それでどうするのか、説明はない。

 まず薊が自分の杖をカウンターへ置いた。黒っぽい、手の大きさと不釣り合いなやや長過ぎる一振りである。小さな球形の節が六つ等間隔で並んだ独特の外観をしている。杖は守衛の手で真鍮製の平台に移された。秤のような器具が作動してすぐに細長い羊皮紙を吐き出した。守衛は慣れた手つきで切り取り表示された文字を読み上げる。

 

「三十八センチ、セストラルの尾……セストラルってあの? 不吉の前触れだろうに」

 

「製作者に言って貰えます?」

 

 薊は不機嫌そうに言い返した。守衛は驚いたようだが、すぐに職務を思い出せたのか預かった杖を薊へ返した。羊皮紙の方は壁にピン留めてされた。同じ手続きを菫は二度やる必要があり、桜の白木の杖はオリバンダーの店で買ったから何も不自然なところはなかった。問題は黒檀と宝玉の杖である。

 

「三十〇センチ、芯材に人毛……おい人毛ってどういう事だ。どこでこの杖を――」

 

 ドーリッシュ氏はコートの内から何かを取り出す。黒い革手袋は革袋を掴んでいる。ごく自然に受付へ袋を置くと守衛はすんなり受け取ってカウンターの下へしまい込んだ。袋は動く度に重々しい金属音を鳴らしたから中に入ってるモノについて想像は容易であった。余計な詮索するなという意味であろう。

 

「バッジは……構わんか」

 

「成人に見えん」

 

「君の娘にもな」

 

「独身だ」

 

「ところでだが、その二人、上級次官の秘書が探していたぞ」

 

 思い出したように守衛はドーリッシュ氏の後ろに控えた二人へ目を向けた。ボーンズ部長というのが法執行部部長を指すことは薊も菫も知っている。同学年のハッフルパフ生、スーザンの親戚であるのもすぐに思い出せた。ハリー・ポッターがマグルの面前で『守護霊呪文』を行使した件を巡る裁判に臨席していたことまで記憶していたのは、残念ながら薊の方だけである。菫はスーザン・ボーンズはあまり印象が薄く、それは翻ってあまり好みの顔つきでなかったという意味でもある。

 寡黙な闇祓いはお喋りな守衛へさらに一握りのガリオン金貨を与えた。

 贈られた側も驚いたフリすらしないまますべて受け取った。

 これですべての手続きが終わったらしく守衛は少し声を張って「どうぞ」と言った。

 またもドーリッシュ氏は無言のまま先へ行こうとする。薊と菫は見失わぬようその後ろを追い掛けていく。

 ゲートを抜けると小ホールがある。魔法仕掛けのエレベーターへ次々に老若男女の魔法省職員が乗り込む。ざっと二十基ほどはあるだろうか。壁に貼られたポスターはコーネリウス・ファッジへの支持を訴え掛けているが何枚かはところどころぶつけられでもしたのか、破れたり剥がれかけたままになっている。昇降口はこれもまた黄金の格子が遮っている。ドーリッシュ氏とともに適当なエレベーターへ乗り込む。

 格子扉が閉まろうとしたところへ金髪碧眼の魔法使いが駆け込んだ。

 大量の羊皮紙の束を抱え大慌ての様子だった。

 

「やあ、助かった……おや何とまあ、ドーリッシュじゃあないか!」

 

 名前を呼ばれてぎょろりと両目だけが動いた。

 

「今日は非番だろうに珍しいね。職場見学の引率かい?」

 

 どうやら先方は親戚の世話と勘違いしているらしい。

 ドーリッシュ氏は敢えて否定も肯定もせずにいる。

 美青年は無邪気な笑顔でつらつらと喋り続けた。

 

「『闇祓い』は魔法省の花形だ。マッド・アイ……おっと失敬、アラスター・ムーディは引退してしまったが彼の弟子たちは大勢いる。みな腕利きだ。もちろん君たちの叔父さんもそう、最高の戦士で決闘者ばかりさ」

 

「機嫌がいいな」

 

 おそらくは饒舌さへの皮肉だろうが、通じなかった。

 見るからにお人好しな緑色の目をした魔法使いは「そりゃあそうさ」と笑った。

 

「最近は闇祓い局からの報告書がスムーズに届くんでウチも残業時間が減っているんだ。ああ、君やシャックルボルトはいつも期日前に決裁出来るよう届けてくれるし、訂正箇所がないからストレートで処理出来るとボスも喜んでいるが……ホラ、トンクスやらマークがね。あの子らはまだ若いのもあるんだろうけれど」

 

「手書きが速い」

 

「ご尤も。アレは家で使う分にえらく便利だが、仕事の役には立たんよなあ」

 

 アトリウムは地下八階に位置している。

 エレベーターは七階、六階と上昇していく。しかし時折、急停止したかと思えば前後左右へ急発進するので菫も薊もよろめいてしまう。ヴォール氏もバランスを崩してガラス張りの壁へ身体を打ちつけていた。

 

「イタタ…・…部署が増えるたび無理矢理に拡張しているからね……しかしビル管理部の連中、自分たちが使わないからといい加減な事をしてくれる。そうそう、魔法省はこの通り地下にあるんだが窓があってね。いつもなら魔法でそれはいい眺めなんだが最近はずうっと大雨さ。どうも残業代を出す出さぬで揉めているらしい」

 

 お喋りな魔法使いはへクター・ヴォールと名乗り、魔法不正使用取締局の職員と明かした。女性と見紛う美貌の持ち主であるが仕事疲れが目元に真っ黒な隈を作ってしまって、中性的な魅力は何割か損なわれている。ヴォール氏は薊と菫にあれこれ魔法省の蘊蓄を披露して不親切な案内人の代役を果たし、ようやく地下二階へ着くと頼りない足取りで降りていった。

 

「それじゃあ私は向こうだ。このフロアは冒険するにさほど危険じゃないが、神秘部だけは近寄らないことだよお嬢さん方。あすこはどうも胡散臭くていかん。最近もスタージス・ポドモア……マグル対策口実委員会のメンバーが不法侵入で捕まって、アズカバンに六ヶ月だ。どうせ忍び込むならゴブリン連絡室の方が金目のモノはあるだろうに」

 

 呆れた調子でまくし立てたあとヴォール氏は「それじゃあこれで失礼、上級次官が省内で自動筆記羽根ペンを全面禁止にしてくれるよう祈るよ」と言い残して『魔法不正使用取締局』の純金製プレートが掲げられた部屋に入っていった。エレベーターは再び動き出す。すぐにフロアガイドの音声が「一階、魔法大臣執務室がございます。大臣顧問室、大臣室上級次官室、大臣室下級補佐官室へお越しの方はこちらの階でお降りください」と告げた。

 

 ドーリッシュ氏が先に降りる。薊と菫もそれに続く。扉はどれもオーク材の重厚な作りで、すべて両開きとなっている。頭上では羊皮紙で折られた紙飛行機が忙しなく飛び交っており、如何にも魔法使いのお役所といった雰囲気がある。梟を使わないのはやはり糞と羽のせいだろうか。薊はフクロウ便に未だ馴染めずにいるからこれはありがたく思った。

 二人はまず大臣室下級補佐のオフィスへ通された。中はさらに五つの小部屋で分かれており、壁に埋め込まれた純金製のプレートでどの部屋にどの下級補佐官が詰めているのか一目瞭然となっていた。骨節張った闇祓いの手は『パーシー・イグネイシャス・ウィーズリー』の執務室の扉を叩いたが、反応はない。次に『イスメルダ・マーク』の執務室を二度、用心深くノックする。こちらは留守でなかったらしく魔法仕掛けの扉が開いた。

 ブラウスからジャケットまで黒ずくめの――薊はあの奇矯な担任を思い出して怯んだ――女性が、黙々と山のように積み上がった書類と戦っている。デスクは黒檀材である。血色の悪い肌が真っ黒な髪とスーツのせいでさらに際立って見え、病的な白さは黒々とした目の威圧感を強めてしまっている。彼女も目元に深い隈があって不健康な印象を植えつけてくる。

 

「証人だ」

 

 最低限の言葉で告げられたイスメルダ・マーク下級補佐官は、書類仕事の手を止めじろりと陰険な目つきでドーリッシュ氏を睨んだ。闇祓いの方も瞬きしないぎょろつく目をしているから端から見れば険悪な雰囲気に映る。薊が冷や汗を浮かべているのを見ながら下級補佐官は「バッジがない」と真っ先に指定した。

 

「大至急だろう」

 

「手続きの問題ですジョン・ドーリッシュ」

 

「大臣は気に留めん」

 

「その通りですが。しかし問題は問題です」

 

 下級補佐官が折れた。面倒事――ファッジの不興を避けるのが賢明との判断らしかった。そこでドーリッシュ氏は退出するよう言われ、すんなり補佐官室を辞した。何を考えているか分からぬ御仁は最後までよく分からぬまま去っていく。足音が遠いたのを認めてようやく薊と菫は来客用のソファを勧められた。よほど警戒しているようだが何が原因か類推するにも情報不足だった。

 従姉妹が左右に並んで座る。硝子天板のローテーブルを挟んで対岸に補佐官が落ち着いた。左腕に巻いた時計を確かめ、何枚かの書類をテーブルへ並べた。

 

「イスメルダ・マーク大臣室下級補佐官です。アオイ・アザミさんと、同じくスミレさんですね」

 

 尋ねられたので頷こうとして、それを待ちも確かめもせず自動筆記羽ペンが書類を作り上げていく。補佐官はさらに一方的に続けた。

 

「国立小笠原高等学校南硫黄島分校の……現在は高等部二年七組ですね。ホグワーツ魔法魔術学校では五年次、スリザリン寮……」

 

 言われて二人はハッとする。留学生活のために忘れていたが、自分たちは高校二年生なのである。驚くべき事実だ。こんなに肩の荷ばかり重くなって、普通の女学生からは随分掛け離れた所まで来てしまった。今更道を引き返しても遅い。失念していた部分はあるが自ら選択した結果である。

 

「……日本国、福島県……これはなんと読むのです。アイドゥー?」

 

会津(アイヅ)です。会津美里町。村は……まだあったっけ」

 

「一昨年に無くなりましたよ。今は確か会津美里町の、拝殿区です」

 

 別に村だろうが区だろうが、あの街並みが一晩のうちに様変わりなどという事はない。暑中見舞いやら年賀状を書くとき以前とは一文字だけ異なるに過ぎぬのである。しかし感傷もまた確かにあるのだ。たかだか十七年の人生であるが、生まれ育った郷里が変わってしまったような気がする……場違いにしんみりしながら薊は「ふうん」とだけ発した。

 菫は筆豆とは違うが、季節の挨拶にも必ず一筆書き加えるから、目にする事も多いのだろう。薊は億劫さが勝ってしまう。

 現住所をつらつらと羊皮紙に書き足す。そうこうして最低限の書類が仕上がると補佐官は居住まいを正した。杖を振ってテーブルのそばに自動筆記羽ペンをスタンバイさせる。

 

「それで。ピーター・ペティグリューが未登録の……つまり違法な動物もどき(アニメーガス)であると把握したのは、具体的にいつ頃ですか」

 

「いつだっけ。クリスマスの前? 後だっけ?」

 

「ホグズミード行きの後。大雪だった日。年末年始は帰ってたから……新学期か」

 

 白状すると正確な日付はとっくに記憶から抜け落ち、思い出そうにも具体的な事はあまり話せない気がしている。

 

「スミレさんが尋問を行なったとありますがどちらで?」

 

「えーと。どこかの、空き教室……? もう覚えてないです」

 

 流石に『秘密の部屋』でバジリスクを見せつけながら、とは言えなかった。

 補佐官の目は元から陰険であるから猜疑心を抱いたかどうか分からない。

 厭な視線に緊張した菫は「どうだったっけ」と首を傾げる。わざとらしい演技を制止するため薊はそれとなく足を踏みつけた。

 

動物もどき(アニメーガス)は変身術で取り上げられたのですね?」

 

「それと闇の魔術に対する防衛術でも言及がありました」

 

「リーマス・ルーピンの()()ですか。人狼だと報告がありますね」

 

「確かそうだったと思います。新学期最初の、満月の週です」

 

 ルーピン教授が人狼であるというのも、脱狼薬の後遺症や月の満ち欠けと休職する時期が合致するからたまたま察せられただけだ。実際に変身した姿を目にしてはいない。本人が告白したのだからそうなのだろうが、少なくとも人狼を忌み嫌う文化に馴染みがないからその重みを理解するのは難しい。

 次々に羊皮紙を手繰り寄せる。

 事実を確認しているようだ。

 補佐官は慎重に、さらに確認作業を進める。

 

「それで。シリウス・ブラックの無実を信じたと?」

 

「ええ。まあ。不自然ではなかったので」

 

「証言が虚偽であると疑わなかったのですか」

 

「だから実験したんですよ」

 

 この証言は二年前にもした記憶がある。吸魂鬼がホグワーツ城の周囲を警備していたが、フクロウ便が襲撃された事は一度もなかった。そしてもう一つ。ホグワーツ特急で薊とハリーは吸魂鬼に強く影響された。もちろん他の生徒もみな精神に悪影響を及ぼされたのだが、菫だけは平然としていた。もし、もし吸魂鬼が『人間ならざる者』を認識できず、邪念じみた感応波が純然たる人間だけを標的とするならば、変身中の動物もどき(アニメーガス)もまた吸魂鬼の認識能力から除外される可能性があった。

 

「式神を使って。貧弱ですけど、アレも一応は仮想生命ではあるので。それで吸魂鬼へけしかけてみたら無反応だったんで、もしかして……と」

 

「自分が襲われると思わなかったのですか貴女は」

 

「あんな化け物を飼い慣らせると思うよりは正気です」

 

 試しに放ったジャブで下級補佐官の顔色が僅かに改善した。

 年上であるから目上というなら、あの担任は神にも匹敵する。

 あんなに俗悪で底意地の悪い仏神などいてたまるか、と思う。どちらかと言えば祟り神であろう。それも生贄を捧げようと捧げまいと、気まぐれに災禍をもたらす手合だ。それに比べれば年配なのか新米なのかも判然としないだけの役人など恐るるに足らず。口先でほんの少し揶揄うくらいご愛敬というものだ。

 

「二匹も勝手に逃げ出して。普通なら殺処分ですよね」

 

 動物嫌いの菫が脳天気に追い討ちを掛ける。

 いよいよイスメルダ・マークの眼は暗くなる。

 

「……魔法省は吸魂鬼を完全に統制下に置いています」

 

「そうですか。オレ、その件で一言も謝罪されてませんけど」

 

 冗談ですよ、と付け加えて相手の反撃を封じた。

 小賢しいにも程があるけれど、魔法大臣はそんな相手に擦り寄ろうというのだ。

 

「忌々しいガキめ」

 

 低い声だった。それまでの事務的な演技を捨て去った。すぐに大臣室下級補佐官の仮面を整え直したのには菫も少しだけ驚いた。もし相手がこの場で杖を抜いたら腕もろともへし折るつもりだった。

 

「……最終的に、バスシバ・バブリング教授の助けを得た。実際にシリウス・ブラックを捕縛したのは古代ルーン文字学教授で間違いないですね」

 

「ええ。どうにもならなくって」

 

「スリザリンの寮監に相談しなかった理由は?」

 

「人間性を信用出来なかったからです」

 

 一度化けの皮を剥ぐとすぐには取り繕えない菫だった。

 寮監であり魔法薬学教授の人間性を公然と罵倒した。

 薊も訂正する気になれなかった。

 学生時代のいざこざを二十年近く引き摺るのは良識ある大人の振る舞いから程遠い。

 

「シリウス・ブラックとセブルス・スネイプの険悪さを配慮した、と」

 

「ですね。ポッター夫妻とも、ルーピン教授とも、関わりの薄いバブリング教授ならと思って。あと他の先生方よりは交流もありましたし」

 

「交流?」

 

「食事会です。月に一回か二回、招待された生徒が集って教授から手料理を振る舞って貰うんです」

 

「ああ……例の。それも、ええ、報告書にありますね。レイブンクロー生が大半のようですが」

 

「古代ルーン文字学が出来て、純血だのマグルだの気にしないからでしょう」

 

 訝しむような目つきに対して薊は気負いなく返した。

 占い学やマグル学と比べ極めて体系的(システマチック)な科目である。

 文字が象徴する事柄と魔法的字義の対応表を暗記すればよい。性質的には漢字と同じである。甲骨文字に比べればずっとやりやすい。

 綺麗に揃えた膝の上へ両手を置いた菫は「あとは校長室ですべて話しただけだと思います」と言って、二年前の報告書を読み返すよう下級補佐官へ促した。元から視力は良い。それが吸血鬼化してますます高められ、一目でどの紙面にどの記述があるのか分かってしまう。

 イスメルダ・マークは粘つく眼光を隠そうとしなくなっていた。

 菫の天より高い自尊心とそれを補うかのような美貌は、同性から嫌悪されやすい。

 育ちの問題というより持って生まれた素養である。他者への無関心さ、無頓着さも突き詰めれば内心で見下しているからだ。この年齢不詳の役人は、何気ない仕草や表情といった態度の端々から滲んだ傲慢さを鋭く察知したのだろう。薊にしてみれば菫がホグワーツで嫌われている理由の何割かはそこに原因があるように思える。

 フラー・デラクールも歯に衣着せぬ傲慢不遜をトリコロールの絵の具で表現したような女だが、ボーバトンで孤立するどころか少なからず慕われているのは、菫と違って茶目っ気とか愛嬌と言われる陽性の気質を備えているのが大きいと分析した。そこまで分析して、何故自分があの不愉快極まるフランス人如きを意識しているのかと腹立たしさを覚えた。

 気分を落ち着かせようにも水すら出されていない。

 それに気づいて薊の機嫌はますます悪くなった。

 

 やはり気に食わない――もう一言二言、皮肉をぶつけてやりたい。

 

 しかし事前の確認作業が終わるとすぐに執務室を追い出された。

 

 廊下にポツンと立たされて、薊は思い切り扉を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。

 吐き出せない怒りに胃粘膜を焼かれる思いがした。

 これをブチ撒けるには、時間を要しそうである。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。