ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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良い子だけ迎える天国じゃ どうも生きらんない

 証人喚問は地下十階の大法廷で始まった。

 証人である薊と菫は用意された椅子へ腰掛ける。

 後ろに置かれた傍聴人席は空である。対して正面には魔法省の高官やウィゼンガモットの構成員らしき、全体として年配らしき魔法使いと魔女が赤であったり黒の法服に身を包み、数段高い位置からずらりと証人ないし被告人の席を見下ろしている。コーネリウス・ファッジを中心に左右両翼へ広がって法服が着席している。薊はいつも通り派手なパンクファッション、菫は質素すぎない白のブラウスにダークブラウンのロングスカートである。

 降り注ぐ視線の種類は大きく二つ。一つは猜疑心や不信感といった、およそ理性的な判断から未成年者の証言を怪しむ態度。もう一つはもっと単純な好奇心である。物珍しい東洋人の留学生への不躾な野次馬根性が大きい。

 コーネリウス・ファッジは銀細工で『W』と一文字表されたバッジを胸元に飾っている。

 菫が魔法大臣と相対するのは今日がはじめてだった。

 笑顔を浮かべると親しみやすそうな好々爺そのものだ。

 きっと、ハリーにはこれまであの顔で接していたのだろう。

 そう思うと心の奥底が凍りつくような感覚に見舞われた。

 

「よろしい」

 

 不快なほどの猫撫で声だ。

 

「証人も揃った事だ。開廷するとしよう」

 

 誰が応じるでもない。形式的な挨拶の類いである。

 

「証人喚問。十月二十九日――」

 

 朗々とファッジが読み上げる。角縁眼鏡の青年が素早く羽ペンを走らせ、一言一句逃さず羊皮紙へ書き記していく。

 

「ジェームズ・ポッター及びリリー・ポッター、旧姓エヴァンズ並びにマグル十二名に対する殺人行為に関する再々審理。証人、アオイ・アザミ並びにアオイ・スミレ。住所、日本国福島県会津美里町――旧拝殿村、現拝殿区」

 

 イギリス魔法界の司法制度などいち留学生には知る由もない。ファッジのほかボーンズ法執行部部長と、フェルディナンド・キャプランという老魔法使いの三名が審問官であり、パーシー・ウィーズリーが法廷書記官である事だけ理解した。ファッジが議長として主席魔法使いの職務を代行し、キャプラン翁が空席となる三番目の席に座っている事も併せて宣言されたのだが、それらの意味を女学生が正確に理解していれば却って不自然であろう。

 ファッジは手元にある羊皮紙へ目を通しながら聴取を勧めた。

 

「両名の証言は次の通り――シリウス・ブラック氏がアズカバンでも終身刑を宣告された……」

 

 事実上、イスメルダ・マークと交わしたやり取りを繰返すだけである。

 あまりに無味乾燥とした作業に薊は眠気すら覚えた。

 一九八〇年一〇月三十一日に殺害されたハリーの両親と、それに関連するマグル十二人殺しに関する事実が淡々と読み上げられる。もっと威厳ある風にしてもよいだろうに、ファッジは媚びへつらうような態度を取る。

 

「……またピーター・ペティグリュー及びシリウス・ブラック、ジェームズ・ポッターは未登録の動物もどき(アニメーガス)であり、この呪文の習得は学生時代、秘密裏に行なわれた。右の証言はホグワーツ魔法魔術学校古代ルーン文字学教授バスシバ・バブリングに対し行なった。この事実に相違ないか?」

 

「はい」

 

 菫も集中力が少し怪しくなりつつある。薊は声を発するのも億劫で、頷くだけだった。

 

「証人は一九九三年、ホグワーツ魔法魔術学校を警備中に吸魂鬼に対する実験を行なった。その結果、吸魂鬼は『純然たる人間』の存在のみを覚知し、これに対してのみ精神への干渉と捕食行為を行なうとの結論に至る。一連の過程を元に鼠へ変身中であったピーター・ペティグリューの身柄を確保、尋問を行ない自白を得た。この事実に相違ないか?」

 

「……はい」

 

 肘で小突かれ、どうにか声を絞り出した。

 

「身柄確保の際、パーセルマウス能力により飼育中であるアルビノ個体のアオダイショウと綿密に意思疎通を行ない、ペティグリューの逃亡を阻止した。この事実に相違ないか?」

 

「はい」

 

 今度も菫が認めた。

 

「その尋問に際して何らかの魔法を用いたか?」

 

「いいえ」

 

「一つも? 間違いなくそうと断言出来るか?」

 

「はい」

 

「ピーター・ペティグリューは君の保護を受け入れたと?」

 

「その通りです」

 

「何故かね?」

 

「毒を盛ったと嘘をつきました」

 

「いやしくも大の大人が、そんな嘘に引っ掛かったと?」

 

「そうです」

 

 事実を事実と認めると失笑が起こった。

 口から出任せであると呆れて法服たちは呆れている。

 その中で片眼鏡の、鰓の張った顔の魔女は違った。角張った輪郭の顔といい短く刈り揃えた白髪交じりの黒髪といい、どことなくマクゴナガル教授と同質の近寄りがたさを覚える。

 

「尋問の状況を詳しく」

 

「まず、板チョコレートを渡しました」

 

「ホグズミード村のハニーデュークス店で購入したものか?」

 

「ハニーデュークスにあるかどうかは分かりません。ホグワーツ特急の車内販売で買いました」

 

「店舗で実物を目にしているハズだ」

 

「ホグズミード村へ行ったのは一度だけです。『三本の箒』という……定食屋さん、ですか? ハニーデュークスに立ち寄った事はまったくありません」

 

「その理由は? ()調()だけではあるまい」

 

「行ってもつまらないです。寝室で本を読んでいる方が楽しい」

 

 陪審員もこれには顔を見合わせた。

 ファッジすら愛想笑いを崩していた。

 常識的な振る舞いと掛け離れている。

 しかしボーンズ部長は続きを促すに留まった。

 

「チョコレートを完食するまで待ったあとは、相手の話したい事を気が済むまで喋らせました。私は聞き手に徹しました」

 

「チョコレートの薬効を把握していたと?」

 

「ルーピン教授が特別授業のあと必ず仰っていたので」

 

 ファッジは慌てて羊皮紙を次々に漁った。

 おそらくいまの証言を記述した書類がなかったのだろう。部下が大至急で作成した資料を怒りに任せて握り潰してしまっていた。

 

「ペティグリューさんが落ち着いたあとでガラスの小瓶を見せました。中身は絵の具で赤く着色した水道水です。それを毒だと言ったら本気にしていました」

 

「ああ、いいかね」

 

 主導権の再掌握を目論むファッジが穏やかな声音――少なくとも表面上はそう聞こえた――で割って入った。

 

「時系列が前後して済まんが、そもそも何故ペティグリューは君たちの保護に甘えようと考えたのか、そこが分からんのだ。例のアオダイショウ……ザクロと言ったか? 聞けば数メートルはあるかなりの巨体ではないかね」

 

「猫に追われていたので。ええと、名前は忘れてしまったのですが、ハーマイオニー……ハーマイオニー、ええと」

 

「グレンジャー?」

 

「そう。ハーマイオニー・グレンジャーの飼っている、毛の長い猫がかなり執着していて、よくロンと大声で口論をしていました」

 

 ウィーズリー法廷書記官を揶揄する意図はなかったものの、末弟の振る舞いにパーシーは恥じ入ったらしく肩身の狭そうにした。野放図であれ曲がりなりにもムードメーカーとして人気者の双子と比べれば不肖の愚弟の誹りは避けがたい。彼が赤の他人で良かったと心底安堵させられた。

 

「猫は鼠を追うものですから。ザクロと違って猫は凶暴でワガママですし――それで、ルーピン教授が人狼である事や、ブラックさんが動物もどきである事は知っているし、他の隠し事もすべて知っていると言ったんです」

 

「他の隠し事というのは、具体的にどのようなものか詳しく」

 

「出まかせのハッタリです。他の事は何も知りません。でも杖は突きつけましたし、もし逃げてもまたすぐ捕まえられるとは言った気がします」

 

 一昨年の事でよく覚えていませんが。そう付け加えるのを忘れなかった。まさかバジリスクの監視網がある等とは口が裂けても言えぬ。なのでその部分を伏せるため記憶の曖昧さを利用する事にした。

 

「ペティグリューの証言が嘘偽りである可能性も十分に考慮すべきだったと、そうは思わなかったのか」

 

「少し揺さぶったら泣き崩れて、ハリーのご両親の事をずっと謝っていたのを見て真実だと確信しました」

 

「それこそが欺瞞かも知れんのだ。我が身可愛さに罪のない十二名を一度に奪って、さらに十三年間を鼠として生きるのに躊躇しなかった! 恐るべき精神力と言わざるを得ん!」

 

 陪審員はどちらの主張に賛成するかで割れた。

 抑制的な菫の証言に頷く者とファッジの声高な反論に納得した様子の者、ざっと見た所では半々といった印象があった。

 菫は薊とともにシリウス・ブラックの無実を証明した。

 シリウスに濡れ衣を着せたピーター・ペティグリュー亡きいま、この女学生二人が証人である。

 ファッジはどうあってもシリウスの無罪を覆したいらしい。

 あくまで抵抗を続ける菫に苛立ち始めていた。

 

「そもそも! そもそもだ、吸魂鬼に関する証人の説明についても著しく信憑性に欠けると言わざるを得ん! 魔法生物学の権威であられるニュート・スキャマンダー氏によれば――吸魂鬼はその特質と凶暴性の為に研究対象として忌避されてきた経緯があり、今回の提言についても法的証拠として採用するのであればより慎重かつ大規模に検証すべきである――と証人の述べた実験結果に対し意見を……」

 

 ニュート・スキャマンダーの名に陪審員たちは揺れた。天秤は大きくファッジの側へ傾き、それを察して大臣はほくそ笑んだ。パーシー・ウィーズリーなど殆ど勝利を確信し哀れみの目になった。今度は薊の気怠げに弛緩しきった表情が闘志に燃え上がる。

 

「なら、ここに吸魂鬼を連れてきてもらいたい」

 

「なに? アズカバンの吸魂鬼を、このウィゼンガモット大法廷へ?」

 

「そうだ」

 

 失笑したのは何もファッジだけではない。多くの陪審員たちもまた未成年故の無鉄砲と全能感から荒唐無稽な言葉を吐いたのだと、そう思った。しかし薊は右隣に座る菫を示しながら言った。

 

「式神で不満ならここに吸血鬼がいる。私の仮説通りなら吸魂鬼の認識能力は『純粋な人間』だけになる。完全な吸血鬼に反応しないなら……」

 

「吸血鬼? アオイ・スミレが?」

 

 真っ先に反応したのは議長席を挟みボーンズ部長の反対側にいる、フェルディナンド・キャプラン翁であった。つるりと禿げ上がった頭の老人は僅かに身を乗り出している。顔に刻まれた皺の数からも相当の年配であるのは間違いなく、しかし目は溢れんばかりの生命力に輝いて見えた。

 

「事故で吸血鬼となる者もおらんではない。しかしみな不完全な、時間の経過とともに人間へ戻る程度の被害しか受けてはおらぬ。ワシの孫にもそんな友人がおったからのう……しかし完全な、それも後天的な吸血鬼など魔法省におった頃でさえ見知らぬぞ」

 

「恥ずかしながら先の六月に。四大……三大魔法学校対抗試合(トライ•ウィザード・トーナメント)の事故で」

 

「耳に馴染みのある名じゃと思うたわい。そうか、お嬢さん日刊予言者新聞に載っとったのだな。()()()()()に遭うたというのはそなたの事じゃったか」

 

 菫は控え目に頷くに留めた。

 思い出せぬ記憶は辛い。焼きついているのは、あの視界を焼き尽くす緑色の光だけなのだ。

 キャプラン翁の発言は思わぬ援護射撃となった。

 陪審員たちは動揺するとともに同情し始めている。

 

「その事故について本法廷とは関わりがない。原因も現在調査中であるからして……」

 

「菫は半吸血鬼の時から吸魂鬼の影響を受けてない」

 

「ホグワーツ特急での臨検か?」

 

 すかさずボーンズ部長が掘り下げに掛かる。

 彼女はファッジとの対立を恐れていないらしい。

 

「自分は昏倒、同じ個室にいた生徒もみなダウンしていたと聞きます」

 

「距離が近しい者はしばしばそうなる」

 

「菫は平然としてましたよ」

 

「吸血鬼が個室に侵入した際、寒気などは?」

 

「室温が下がったのは覚えています。あの夜は酷い雨で……窓が凍ったんです。なんだろうと思っていたら吸魂鬼がやって来て、薊は倒れました」

 

「二年も前の記憶など宛てには出来ん! まして誰が倒れたというのも記録があると言うのか、馬鹿馬鹿しい!」

 

 法廷にコーネリウス・ファッジの声が響く。今度は吐き捨てるような、強い語気による証人への批判だった。顔を顰める大臣へ向けられる法執行部部長の眼差しは少なくとも友好的には見えなかった。

 

「証拠ならある。同じ個室には、パーキンソンがいた」

 

「未成年魔法使い及び魔女の証言がウィゼンガモットで有効となるのは、極めて特例的な場合に限られる!」

 

「今がそうでしょう! 無実の人間が、またアズカバンへ送られるのは些細な事だって言うんですか!」

 

「証人は不規則な発言を慎むように! 以後も繰り返すようであれば本法廷に対する侮辱と見做す!」

 

「不規則なのはどっちだ! 違法改造した空飛ぶ自動車飛ばしたって警告一つ寄越さなかった連中が、吸魂鬼に襲われて死に物狂いで自衛したら退校処分までチラつかせて裁判沙汰にしたんだろうが!」

 

「最終警告だ!! さらに続けるようであれば、刑事罰も――」

 

 目の前の不正義に我慢ならず薊が声を荒げる。それも日頃の口調を知る者にしてみれば全く別人と疑うほどに丁寧な物言いである。公然と批判されたファッジは議長の権限を振り翳す。熟成された梅干しの顔色で怒鳴り返し発言を妨げようと木製の槌を振り上げた。

 

「証拠ならある」

 

 声の鋭利さは薊のそれに近い性質だった。

 大法廷に現れた、三番目の証人に全員の視線が集まる。

 すらりと引き締まった長身と全体にシャープな顔のパーツが、どこか神経質な雰囲気を漂わせる。黒のツーピースを着込んだ葵菖蒲が、懐から一枚の封筒を取り出して高く掲げた。

 

「葵菖蒲……現在はグリンゴッツ銀行で臨時顧問をしている。そこの撥ね返りの父親だ」

 

 予想だにしない事態にファッジも薊も、菫すら言葉を失う。

 冷静を維持したボーンズ部長が封筒の中身に言及する。

 

「その手紙は?」

 

「薊が吸魂鬼の影響で昏倒した旨と、それに対する謝罪だ。ダンブルドア校長の署名もある。封筒には年月日の捺印も」

 

「なるほど。証拠としては機能する」

 

 ものの見事に身内から梯子外しを喰らい、ファッジとパーシーはただただ茫然としている。顎が外れたのかと思うほど口を開け放った議長の肩をキャプラン翁が小突き、ようやく飛び去って行った意識が現実に戻ったようだった。

 

「新たな証人の提出した証拠については信憑性に疑義がある。また三名は血縁関係にあり法廷で証言をするに不適格な……」

 

「ならここに吸血鬼を連れて来るといい。実験しよう」

 

「博士、あまり戯けた事を言うようでは御息女ともども退廷していただかなければいかん。ご存知かと思いますが本法廷はシリウス・ブラック氏の終身刑に対する再‪々‬審理の場であって、貴女の御息女の作り話に真実味を与える為の場ではないのです」

 

「だったらブラック氏の容疑は証拠不十分だ、有罪を証明するだけの根拠があると?」

 

「無罪の根拠である一連の証言が信頼できないからこそ、こうして証人喚問を行っているのです」

 

「そもそも呼びつける前にすべき事があるはずだろ」

 

 菖蒲の目が充血する。血走って見開かれた両眼は法廷書記官と顔を見合わせる議長の姿を射殺そうとしていた。それほどに怒気を撒き散らす相手に対してファッジは苦笑混じりに肩を竦めて言った。

 

「クィディッチの試合表について確認すべきでしたかな?」

 

「菫の死を謝罪したらどうだ」

 

 もしファッジが議長席にいなければ、もし菖蒲が証人席にいなければ、おそらく素手で殴り殺されていただろう。事情に疎い陪審員たちでさえ確信した。当事者であるファッジはあまりの殺意に身動ぎ、数歩ばかり後ずさった。

 

「日刊予言者新聞に追悼文もない。一から十まで不始末不祥事に巻き込まれて、挙句に……」

 

 菖蒲は言葉を詰まらせた。瞬間、目に色濃い影が過ぎる。

 

「……あれから四ヶ月が過ぎた。その間に見舞いもない。謝罪もない。談話もない。これほど侮辱されて、まだ魔法省の不祥事に付き合わせるのが英国の流儀か」

 

 天秤の傾きがたちまち逆転する。

 度重なる不徳への反発心が、陪審員の胸中に芽生える。

 それを許容してきたファッジへの不信感が証人への同情心へと転じるのに要した時間は、そう長い時間を要さなかった。

 

「保護者ですから証言について弁護はしない。したところで証拠能力を与える事にならないとは百も承知だ。しかし保護者として言わせて貰うが、この証人喚問はあまりに道義的責任を欠いている。こんな茶番に家族を付き合わせるのは不本意だ」

 

「当該事案について魔法省は調査中である! 事故原因が判明次第、可及的速やかに適切な対応を行なう!」

 

「なら証人として呼びつける前に、この子に詫びろ。最優先事項だ」

 

 固く閉ざされたファッジの口が怒りに震える。

 三十路半ばの若造に言われるがまま頭を下げるのは屈辱的だった。

 いやしくも魔法大臣であるという自尊心が、頑強に抵抗する。

 三大魔法学校対抗試合に関わった人間のうち、生きているのは自分だけなのだ。バーティ・クラウチやルード・バグマンに全責任を被せる事も出来ない。当時クラウチの私設秘書であったパーシー・ウィーズリーもいまや大臣室下級補佐官である。側近中の側近に召し抱えてしまったのは、誰あろう自分自身である。

 両手を議長席の台に付き、腕力を総動員し無理矢理に上体を倒そうとする。

 その最大限の譲歩に対し菖蒲は娘とよく似た荒っぽい口調で怒鳴る。

 

「そんな高い所で何を謝るつもりだ!! ここへ降りて来い!!」

 

 感情の許容量が臨界点を超えたファッジへ背を向ける。

 呆然とする薊と菫に対し「さっさと学校へ帰れ」と言い放つ。

 

「父さん、そんな事言ったってまだ……」

 

「お前を留学させたのはそこの能無し共に関わって、時間を浪費させるためじゃない。部活でも下町散策でも学校生活は勝手にやれ。だが貴重な時間を無駄にするな」

 

 敢えて菖蒲は法廷に集められた全員へ聞こえるよう、大声の英語で言った。

 怒りに震えるしか出来ないファッジを菫だけは嘲笑した。黒目がちな瞳を大きく歪め、怪物じみた異様な笑みを浮かべた。

 

「まだこの茶番を続けるのか? 証拠不十分で処理して構わんと思うが」

 

「無論、確認すべき事柄が残っている」

 

 微塵も揺るぎない、鋼鉄を思わせるボーンズ部長は菖蒲の提案を退けた。

 

「証人は蛇語を理解し、これを自在に操れるのか」

 

 少し落ち着いた調子で薊が「はい」と答えた。

 

「具体的にいつ頃からか」

 

「気づいた頃には自然と」

 

「蛇と会話出来たということか」

 

「英国では類い稀な才能じゃて。しかし東洋じゃそう珍しくもあるまい」

 

 キャプラン翁の言葉にボーンズ部長は頷く。

 

「証人、アオイ・スミレは二年次に全校生徒の前で蛇語能力を行使している」

 

「そんな情報はどこにもない! 何を根拠に言うのだボーンズ審議官!」

 

「姪です。年齢を踏まえれば法廷書記官もその場にいたはずだが?」

 

「事実かねウィーズリー法廷書記官!!」

 

「い、いえ、大臣閣下……自分はその、あまり明瞭には記憶していません」

 

 大変な剣幕のファッジから前触れなく名指しされ、咄嗟に顔を上げたものだからパーシーの眼鏡が勢いでズレた。

 上司への忠誠心と生来の生真面目さが衝突した産物だった。

 板挟み状態に陥って苦しい状況からどうにかして絞り出された。

 薊にはそれでも軽率な答えに思える。パーシー自身はともかく弟妹はまだホグワーツにいるのだ、菫が手を出さないと考えるのは楽観的過ぎる。あるいはその余裕もなかったのか。ともかく不用意な発言であった。

 

「パーセルマウス能力についてはダンブルドア校長の証言がある」

 

「……『秘密の部屋』か、ああ確かにその通り。公文書として保管されている」

 

 苦々しくファッジも認めた。ホグワーツ魔法魔術学校が閉校の瀬戸際まで追い込まれた自顕である、隠蔽の余地はない。陪審員たちも思い出したように頷いている。

 証人喚問の争点は吸魂鬼が菫を認識したか否か。

 そして菫が吸魂鬼の影響を受けたか否かであった。

 

「吸魂鬼が個室に侵入した際、冷気以外に変化を感じたか?」

 

「なかったと思います」

 

「『抑制剤』を服用していた可能性も考えられる!」

 

「飲んでません。体調が悪くなるのはホグワーツにいる間だけです」

 

「それを立証する事は不可能だ。なんの記録も、証言もない」

 

 あくまで証言を棄却しようとファッジは足掻く。しかし彼の主張は概ね正論であり、何年も前のある特定の日、それも何時頃に薬を服用したかなど、記憶しているのが不自然なのだ。あるいは記憶していたところで正確とは考えられず、やはり証言の信用性は著しく低いものとして扱われる。

 

「その『抑制剤』というのは何じゃね。『脱狼薬』のようなもんか?」

 

「はい。どうしても血を吸いたくなったときに服用していました」

 

 あくまで過去形として話した。完全な吸血鬼となった以上、吸血衝動を抑圧するのはむしろ身体的、肉体的な負荷ばかりで治療効果を得られないからだ。それは肉体が不可逆的に変容してしまった事を意味する。生物としての根幹、種の段階から別の存在へ移行しているのだ。人間に戻る可能性は永遠に失われたのである。

 言った先から気が滅入る。吸魂鬼に近寄られたとき、()()()()こんな風になるのだろうかと菫は鬱々とした気持ちで考えた。

 だが本物の吸魂鬼から自分は何の影響も受けなかった。

 ホグワーツを跋扈する連中に比べればずっとマシな生き物だ。

 ファッジの精神は対称的に酷く昂ぶっているようだった。

 

「ピーター・ペティグリューの身柄を保護しきれなかったのが根本的な問題だ!」

 

 議長席の台を拳で殴りつけた。インク瓶が勢い余って床へ落下し、砕けた。

 

「どうせ死刑でしょう。同じですよ」

 

 冷ややかな菫の呟きにボーンズ部長の眼光が飛んだ。

 陪審員からの同情を失おうと菫にはどうでも良かった。

 いい加減に飽きてしまったのだ。何を言っても全否定されるのは、気分が悪い。

 

「どのみちシリウス・ブラックが召喚に応じとらんではな。どうじゃろう議長、すぐに裁決できる事柄でなし……一先ず今日のところは閉廷としては」

 

 終始凪いだ様子のキャプラン翁が穏やかにファッジへ説く。

 背後で沸き起こったざわめきの正体が同意であると理解して、ファッジも一時休戦を余儀なくされた。しばらく歯軋りを堪えるようにじっと黙り込んでから「閉廷とする! 証人は速やかに退廷するように!」と腹立たしさに任せた大声で怒鳴った。言われるまでもないと薊は素早く立ち上がる。疲れてしまった菫もよろよろと腰を上げる。

 

「時間の無駄だ。さっさと学校に帰れ」

 

 わざとらしい菖蒲の大声に身支度を調えている法服たちが驚く。

 抗議や警告が発せられる前に抜かりなく()()()()()()。そのまま女学生二人を従えて大法廷を去る。廊下の突き当たりにあるエレベーターを呼び出す。待ち時間を逃すまいと法服姿のパーシー・ウィーズリー法廷書記官が駆け寄ってきた。眼鏡はまた斜めにずれている。

 

「ショウブ博士、何故大臣に刃向かうような真似をなさったんです! アレは……あまりにも、いえ、ハッキリと言いましょう。貴方は間違っている」

 

「何がだ」

 

「……証言を翻す必要はない。大臣閣下の進行に任せておけば、魔法省としても相応に、インターンを計らう事も出来るのですよ。シリウス・ブラックへの帰国命令を発する事が出来ればそれで良いのです」

 

「知らんな」

 

 無愛想な言葉を返すと同時に、背後でエレベーターが到着した。

 女性のガイド音声が地下十階、ウィゼンガモット大法廷の到着を告げる。

 黄金の格子扉が勢いよく開いた。ガラス張りの匣が宙に浮かんでいる。

 

「大臣閣下とやらに伝言がある」

 

 乗り込む間際、菖蒲はふと足を止めた。

 憤懣やるかたない表情のパーシーが訝しむ。

 どのような内容かと尋ねるよりも早く、中指を立てて「糞食らえ、このブタ野郎――だ」と言い放つ。

 品性の欠片もない罵詈雑言を叩付けられて唖然とする。

 更なる反応を待たず菖蒲はエレベーターへ駆け込み、八階アトリウムを指定する。

 魔法仕掛けのエレベーターはすぐさま動き出す。格子扉が閉まりきるよりも急発進が先んじていた。床から伝わる衝撃に菫と薊はバランスを崩す。二人の肩を菖蒲が支え、へクター・ヴォール氏のように壁へぶつからずに済んだ。

 何か話す間もなく三人は八階へ到着する。行き交う人はほとんどなく、静まり返っている。守衛室の職員たちも退屈そうに日刊予言者新聞を開いている。堂々たる黄金像と噴水だけが煌びやかに輝き、意味もなく微笑む魔女と魔法使いの間抜けぶりを嘲笑うでもなく、ケンタウロスと小鬼がこれも間抜けな羨望の表情で見上げているばかりだった。その足下で見ている方まで悲しくなるほど卑屈に這いつくばる屋敷しもべ妖精を見て、菖蒲は「ロクなもんじゃない」と吐き捨てた。

 父親なりの義憤だと薊は解釈した。変人であるから、出力がズレているだけなのだ。

 そのままアトリウムの向こうへ伸びる長いトンネルへ進む。どことなくスリザリンを意識させる、黒をベースとしてアクセントに緑を配置した色使いである。しばらく歩いた先で身なりのよい小鬼の紳士――上等なスリーピースと銀縁眼鏡のため如何にも紳士に見えるのだ――が待機していた。

 豆粒大の黒く無感情な目や背丈と不釣り合いに大きな頭と手。鋭く長い牙と爪。あからさまに非友好的な特徴を幾つも揃えながら、小鬼の紳士が発した声はこの上なく穏やかで理性的に聞こえた。届けられた情報の齟齬に薊は少し目眩がした。

 

「聴取は終わりましたかな特別顧問」

 

「知らん。またやるんじゃないか、あの調子じゃ」

 

「それはそれは。魔法省も随分戸惑っているようだ」

 

「茶飲み話にはつまらん。送ってくれ」

 

「はは。仰る通り……ではお嬢様方もこちらへ、ささ」

 

 紳士的な振る舞いとは裏腹に笑うと凶悪な面相である。

 しかし断る訳にもいかず、薊は素直に従った。菫ともども小鬼と一緒に輪を描く形で並ぶ。

 

「では失礼いたしますぞ」

 

 パチン――小気味よい、指を弾く音。

 

 一瞬で世界が溶ける。否、目まぐるしく回転する。竜巻の目にいるような気分だった。

 すべてが落ち着いたと同時に曇天の下へ転移が完了した。どんよりと陰鬱なロンドンの曇り空の下、やはり御者台が無人の馬車が待ち構えていた。ホグズミード駅から城へと運ぶあの馬車と同じく動力は不明である。小鬼はまた指を弾いて鳴らす。すると簡易の階段が展開され、馬車へ乗るよう無言で促した。

 

「ホグワーツまでは当行の馬車でお送り致しましょう。『夜の騎士(ナイト)バス』よりは幾らか快適で御座いますぞ」

 

「あんなのは二度と御免だ。最悪だった」

 

「しかし便利ですからな。何より安価です」

 

「あれなら箒の方がマシだよ」

 

 菫は手持ち無沙汰にダイアゴン横丁を眺めた。記憶よりも人の往来に乏しい。世相の不穏さを察知してか通りを行き交う人々はみな急ぎ足で、何かに追われているように見える。師走の忙しなさとはまた違った空気が漂っている。それは終わったとばかり思っていた戦争が、目前に迫った恐怖心が折り重なって形成されたものに違いなかった。

 さして面白くもなさそうにぐるりと街並みを見渡す。

 ここへ来ると浮かれる気持ちが分からない……本屋ぐらいしか興味が湧かないでいる菫の視界を、何かが覆った。突然に光が遮られ真っ暗になる。だが暗闇の中でも健在の嗅覚が襲撃者の正体を瞬時に特定した。

 相手の気が済むまで望むがままにされる。

 懐かしさすら感じる熱が離れると、ようやく視界が色彩を取り戻した。途中から閉ざしていた目を開いただけだ。

 

「夏休みぶりねスミレ……あなたがいないと秋の風がとても寒いわ」

 

 抱きしめながら微笑まれて菫は狼狽える。血色こそ変わらないが、上ずった声だけで照れていると分かってしまうほど冷静さを欠いていた。ボーバトン時代を思わせる、鮮やかなターコイズブルーのレディーススーツを着こなす。シルバーブロンドをアップスタイルで結った髪型も菫の意識を惑わせた。

 

「グリンゴッツへの就職おめでとう」

 

 気のない拍手と祝辞にもフラーは満面の笑みで応じた。

 

「ありがとうアザミ。あなたにそう言って貰えたら一晩でも二晩でも働けそう」

 

「死ぬからやめろ」

 

 一晩二晩くらい徹夜しても、きっと美貌は変わらないのだろうなと思った。

 同性としてそればかりは羨ましさが勝る。嫉妬するのが間違いだと分かっていても、悔しいものは悔しい。

 

「でもどうしてフラーが? ええと、どういう事?」

 

「菫の叔父様が顧問をなさっている新部門に配属されたの」

 

「き、聞いてない……」

 

「フクロウ便は検閲されてる。迂闊な事は書けないのよ」

 

「そう、だったんですか……知らなかった……」

 

 普段フクロウ便を利用しないので知りようがない。

 検閲の事実に言葉を失う菫へまたフラーが覆いかぶさる。

 菖蒲の咳払いも意味を為さなかった。

 予想通りの結果になった薊は父へ近寄った。

 

「父さんがサインした外出許可証送ってよ。来月最初の日曜日、ホグズミード村に行けるから」

 

「なんだ姉貴に貰わなかったのか」

 

「興味ないし。なに見るのあそこ行って」

 

「友達くらい作れ。困るようなもんじゃないぞ」

 

「勉強するのに友達いらないし」

 

 頑固なうえ極めつけに偏屈な娘である。

 誰が悪いのかと言えば育児をしなかった自分である。

 

「分かった。週末までに送ってやる……聞いてるのかあの二人は」

 

「んなわけない。おいデラクール! さっさと仕事に戻れよ!」

 

 酸欠寸前になりながらも余裕を崩さず、フラーは変わらぬ笑みを浮かべた。

 

「休日よ。だからいまは私たちプライベートなの、自由よ」

 

「こっちは外出許可証ねえんだよ。不味いんだって」

 

「バレやしないわ。いいえ、バレたって証拠がないわ」

 

「疲れてんだこっちは。お前がいるってだけでさらに疲れる」

 

「それだけ私と一緒にいるのは楽しいという事でしょう?」

 

 完全に無敵と化している。薊は「やってられねえ」と最後に一言だけ愚痴を溢し、先に馬車へ乗り込んだ。残された菫も少し迷い、名残を惜しんでまたフラーと重なり合った。待たされる辛さを批判したのが芥川龍之介だったか太宰治だったか薊には思い出せない。どころか、脳裏に浮かんだ頬杖を突く物憂げな総髪の男たち、そのどちらが芥川でどちらが太宰かすら判断出来ず生き別れの双子であると結論づけたのである。

 椅子の座り心地の快適さだけが唯一の救いだ。

 

 これだから日曜日は嫌いなのだ。

 

 はやく月曜日が待ち遠しい。

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