ハリー・ポッターと病める血の少女   作:ぱらさいと

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アイラブユー貶して奪って笑ってくれマイハニー

 十一月最初の日曜日、校舎は静まり返っていた。

 季節は晩秋。紅葉を眺める間もなく冬の訪れを感じる。

 もう少し段階的に寒くなって欲しいが、スコットランドは地元以上の雪国である。何せホグワーツはストックホルムやオスロとそう大差ない緯度なのである。これでは寒くて当然だった。

 薊は午前中のうちに衣替えを済ませた。

 日曜日は完全な休養日にしている。

 勉強もトレーニングもしない。この一日だけは気ままに過ごす。

 だから中庭の片隅で一人、昼食を摂る事にした。自家製サンドにホットコーヒーとデザートの白葡萄……あとは適当に野菜の酢漬けやら、スライスされたチーズやら、とにかく食べたいモノを適当に弁当箱へ詰め込んだ。魔法瓶というのは便利な代物だ。割れやすい硝子ポットに頼る事なく熱いコーヒーを持ち運べる。折り畳み式の弁当箱と食品用ビニールラップがあれば握り飯でもサンドイッチでもお構いなし。酢漬けも念入りに水切りしてから包めば液漏れの心配は不要である。

 自家製サンドイッチと行ってもトーストに葉野菜、トマト、厚切りサラミ、それと目玉焼きを挟みケチャップと粒マスタードで味付けしただけである。チーズもみな異なる色をしているが薊にはどれが何という名前か知らない。白葡萄とて朝食のデザートに出されたモノの余りだ。

 昼食としては程よく手抜きなのである。

 このくらいが薊には丁度いい塩梅である。

 飾り気なく、かつ少し変わった品揃えだ。

 ベンチに腰掛け風呂敷を広げる。少し肌寒いくらいの方がコーヒーの温もりを感じられる。

 手際よくラップの包装を剥がしていく。

 珍しく薊が機嫌良くしていると、ぺたり、と妙にしまった足音が聞こえた。

 河童でもあるまいし。否、母校に河童はいないのだが。地元でさえ目にした事がないからおそらく生息地ではないと思う。

 またぞろあのエルフかと顔を上げた。

 中庭に面した廊下を、生徒が歩いている。それだけだった。

 情報を最低限に表せばそうとしかならない。

 色素の薄い乳白色の肌とプラチナブランドの髪に、焦点の怪しげな銀灰色の瞳――何より杖を耳に掛けたり、コルクのネックレスやら風変わりなセンスを遺憾なく炸裂させたルーナ・ラブグッドが廊下を通ったのだ。

 何より不可解だったのはこの季節にも関わらず裸足な事である。

 

「……寒くないのかそれ」

 

 膨れ上がった好奇心に負けた。

 ぺた、ぺた、ぺたん、とリズミカルな足音が止まる。

 問い掛けにルーナはしばらく足元をじいっと見詰める。瞬きしない。そのまま大きな目で薊を観察した。悪気がないのは重々承知している。目つきを言うなら自分も大概、人様を批判出来る顔ではない。よくよく見ればルーナのフクロウのような顔は愛嬌がある。

 フクロウが褒め言葉たり得るのかは知らない。

 

「寒いよ。だって裸足だモン」

 

「なら靴履けよ。風邪引くぞ」

 

「消えちゃったんだ。ナーグルのせいだと思う」

 

「ナーグルって何だ」

 

 時々、ルーナは誰も知らない言葉を口にする。突如これまで話した事のない言語を察するのは悪魔憑きの典型的なパターンだがルーナはいつも落ち着いている。所謂トランス状態とは程遠い。だからよほど博識なのだろうと薊は勝手に解釈している。彼女の母親は大変な愛書家かつ古書蒐集家のようであるし……変わった本を読んで得た知識だと思う事にしたのだ。

 ルーナは薄っすらと微笑んだ。

 聞いて貰えて嬉しいらしい。

 

「ナーグルはイタズラ好きなんだ。目に見えない妖精なんだよ」

 

「妖精か。そりゃ知らねえわけだ」

 

 日本に妖精(フェアリー)はいない。狐狸精やら霊的な存在はいるが、それらは一般的に『妖怪』に区分される。付喪神も一つの精霊種になるのだがカテゴリとしてはやはり妖怪変化に該当する。当然学校で取り扱うのは妖怪が主で妖精は豆知識程度だ。

 ナーグルはかなり知名度が低いらしい。

 

「誰も信じてないけどね。パパは確信してるし、日刊予言者新聞でもときどき目撃情報が載ってるんだ」

 

「なんだ、UMAみたいだな」

 

「UMA?」

 

 こてん、と首を傾げる。油の切れたブリキの人形を連想した。

 

「未確認生物。こっちじゃ他の言い方するのか? モスマンとかビッグフットとか……あとアレだ。ジェヴォーダンの獣、はフランスだったな」

 

 ネス湖のネッシーが実際はケルピーであり、魔法省の『誤報室』と呼ばれる場所が隠蔽に奔走したと知った時は本当にショックだった。湖の奥底で生きながらえてきた首長竜の末裔は、いなかったのである。

 ルーナは薄っすらと顔に笑みを浮かべた。

 菫が好きそうな、儚げな少女の雰囲気をひしひしと感じる。

 

「アンタ顔に似合わず面白いね」

 

「仕方ねえだろ。顔は親に似たんだよ」

 

「写真で見たけどソックリだった。生き写しって、アンタの為にある言葉だと思う」

 

「やめてくれよ。オレこれでも女子だぞ」

 

「スカート履くだけなら誰でも出来るモン」

 

「………………」

 

 しかし事実ではある。結局、行動するのは個人の勝手なのだ。行動に付随する結果を予測し、それを望まないからこそ実行しない――出来ないのではない。決定権は常に当事者が握っている――人々の層が偶然多数派を占めるに過ぎない。

 それを思えば菫も大胆な決断をした。

 母親という先例がいるけれど。

 やはりどうしても、勇気が要るだろう。

 当人たちが幸せならそれで良いと思う。

 ルーナは勧められるがままベンチに座った。

 足を地面につけず、ぷらぷらとおよがせている。

 

「靴、探すか?」

 

「いいんだ。すぐ見つかるから」

 

「妖精が隠したのに?」

 

「場所はだいたい決まってるから」

 

 ナーグル妖精の仕業だとルーナは言ったが、疑わしさが募る。

 薊にとって()()()()()()()()はよく知った手口だ。それをまさか留学先で目にするとは思わなかった。つまらない真似をして面白がる底の浅さは万国共通らしい。

 

「足怪我すんだろ。それ食って待ってろ」

 

「慣れてるから平気だモン」

 

「慣れるんじゃねえよ」

 

 するりと杖を取り出す。入学祝いの品である。長いが不思議と手に馴染んでいる。

 

来い(アクシオ)――あー、ルーナの靴」

 

 呼び寄せ呪文を試してみた。上手く行くとは思わなかった。呪文を唱えたきり、中庭は静まり返った。予想通りとはいえ不発に終わったのは少し恥ずかしくある。気まずさに負けた薊は「慣れない事はするモンじゃない」とお茶を濁した。

 ルーナは感情の読めない笑顔だった。地顔なのだろう。

 終始不機嫌そうな薊とは真逆の人種である。

 四つある自家製サンドを一つ押し付ける。

 

「昼メシまだだろ。それ食えば?」

 

「アンタの手作り?」

 

「肉と野菜挟んだだけだよ」

 

「じゃあ手作りだ」

 

 確かにその通りか、と納得させられた。即席ラーメンよりは工程が多いのだから料理を名乗る資格はある。ビニールラップを知らないルーナが丸々とした目で手元のサンドイッチを見詰めているのに気付き、先に剥がし終えていた自分の分と交換する。改めて自分が食べ始めるまでわざわざ待つルーナを見て、周りが言うほど変わった性格の持ち主に思えなかった。これなら担任の方がよほど有害な怪電波を発信している。

 二人で二つずつサンドイッチを分け合う。

 作っている最中から予感していたが、刺激が足りない味だった。

 まとまりに欠けるのだ。味の輪郭が酷くぼやけている。

 

「タバスコ欲しいなコレ」

 

「私ハチミツとバターが欲しい。甘塩っぱいのが好き」

 

「口の中『プラトゥーン』になるぞ」

 

 どんな風になるのかまったく想像出来ない。

 

「ママがよく作ってくれた。クリスピーチキンにはマスタードとハチミツが一番あうんだよ」

 

「ええ……クリスピーチキンってソレ、ケンタッキーみたいなモンだろ? マスタードは分かるけどハチミツは分かんねえ」

 

「メープルシロップでもいいよ」

 

「ビスケットのソースわざわざチキンに掛けるヤツいるかァ?」

 

「パパも最初は驚いたって言ってたけど、今は大好物だモン」

 

「そういうモンか……? ちょっと気になるが、カロリーすごそうだな」

 

「アザミってクリスピーチキン食べるときそんなコト考えてるんだ。変なの」

 

 どういう食文化なのか分からない。フライドチキンと言えばスパイスと脂の濃い味つけの認識であったから、そこへさらに濃厚なハチミツやメープルシロップをトッピングする感覚をすんなり受容出来ずにいる。それぞれの味はいくらでも想像出来るのだが組み合わさるとなるとまったく不明だ。この計算式の解は謎に包まれている。

 

「スゲえアイデアだよな。フライドチキンにハチミツだのメープルだの」

 

「ワッフルと一緒に食べるの、知らない?」

 

「なんじゃそら。ワッフルって、あのベルギーの?」

 

「うん。ワッフルにチキンをのっけて、その上からメープルシロップをたっぷり掛ける」

 

「へえ…………ちょっと気になるな。冬休みに寄り道してやってみるかなあ」

 

 新幹線に乗り込む前の待ち時間で、駅弁の代わりにフライドチキンを買う選択肢が発生した。ビスケットも買って美味くシロップをやり繰りすれば良いのだ。そう思うと冬休みも少しだけ待ち遠しく思えてきた。

 小粒なキュウリと人参のピクルスは漬かり過ぎだった。

 チーズでどうにか中和しながら処理し、白葡萄とコーヒーでどうにか口直しする。

 それきりどうする訳でもなくただベンチに座り時間を潰す。

 図書室で借りた本を広げる。

 虚空に微笑みかけていたルーナが視線を寄越す。

 

「ホグワーツにもあるんだ」

 

「何が」

 

「『星の坩堝』」

 

「そういや言ってたな」

 

 食事会の席で聞いた覚えがある。キノコがどうのと、そんな事を言っていた気がする。

 

「書いてる事の半分も分からねえ」

 

 読み進めているページのある一節を指で指し示す。

 ルーナが身を乗り出して覗き込む。仄かにペパーミントの香りがした。

 

「これ、この部分だ――其は大いなる水なり。これを海とぞ呼ぶべし。水は眠りをば守護し給ひければ、真理また深海に秘せられしや――ワケが分からん。真水が集ったら海になるなんて理屈に合わねえ」

 

「文章を読んだのはじめて」

 

「前に挿絵が可愛いって言ってたろうが」

 

「月霊キノコとか、幽霊乳母車とか、絵しか分からなかったんだ。はじめて読んだのは五歳のときだったから。そのあとはママが作ってくれた手描きの挿絵集だけ」

 

「ああ、そりゃあ……そうか。けど今なら分かるだろ?」

 

 本をルーナに手渡す。大きな目と小さな頭のせいでますます猛禽じみた雰囲気が強まる。ほとんど無いに等しい眉毛のせいで尚更だ。第一印象の強烈な、それも近寄りがたい変人オーラは今も感じるがそれ以上に()()()だ。同じレイブンクロー生からの扱いに同情している気持ちも、ないではない。

 

「考えすぎじゃない? 書いてある通りだと思う」

 

「書いてある通りって……何かの暗示じゃないって事か」

 

「知識があるだけでも賢く見えるけど、それは本当の賢さじゃない」

 

「厭な事を言うな。階先生にも面談の度に言われたんだよそれ」

 

「深く……ううん、変に考えてる。というより()()()()()()()()()()()()

 

「何だよいきなり禅問答なんて。哲学みたいなのは苦手だ」

 

 言葉遊びにしか思えないと言って薊は渋面した。

 一方、ルーナは記述された文章を理解出来ない薊を不思議そうに見た。

 首を傾げるとそのまま背骨の可動域を無視して顔を回しそうで、少し怖い。

 やはりフクロウに似た雰囲気の持ち主である。

 

 フクロウ、飼えば何かと便利なのだろう。

 

 それを三年目になっても飼おうとしないのは、自分がフクロウに対し微かな恐怖心を持っているからだと気づいた。

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