緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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*全40話・約15万文字(文庫本一冊程度)
*お茶受けに、のんびり楽しんで頂ければ幸いです





はじまりのおはなし
海に降る雪・Ⅰ


 灰色の海と灰色の空が溶け合って彼方まで続く。

 狭い湾だが、こんな霧の中だと無限な空間に感じられる。

 このまま砂を歩いて行ったら、この世の果てまで行き着く事が出来るのかしら?

 

 木枯らしの中、波打ち際を歩く子供は裸足だった。

 肩からずり落ちそうな着衣をはためかせながら、打ち上げられた流木を拾い拾い歩いている。

 

 ・・!!

 立ち止まって子供は空を仰いだ。

 風の気配が変わったのだ。

 海から一直線に吹き抜けていたのが、霧の向こうで何かにぶつかって捩(よじ)れている。

 その捩れは移動して、上空から段々に近付いて来る。

 

「ハァーア――!」

 子供は白い息と共に驚嘆の声を上げた。

 

 灰色の空から影を落として降りて来たのは、深緑の、草で編まれた馬だった。

 人が乗って草原を駆ける馬と同じ姿かたち。筋肉や腱までも見事に再現され、違う所は草の隙間に風を孕(はら)ませザワザワとそよがせている事だ。

 

 子供から少し離れた砂浜に、馬はフサリと降り立った。

 背には、分厚いマントを目深(まぶか)に被った男性。

 群青色の長い髪が一筋、フードからこぼれて風に弄(もてあそ)ばれている。

 

「や……あ…‥」

 男性の口から音が発せられた。何だかとても震えた音。

「シン……リィ?」

 

 子供は流木を放り投げ、だぶだぶの衣服を翻して逃げ出した。

「待って!」

 子供は止まらない。

 知らないヒト、知らない音、それらはただひたすらに怖い物なのだ。

 

 入り江の奥、低い灌木の林の中に、粗末な小屋がある。

 存在その物を否定されているような、傾いて朽ちかけた住処。

 周囲に流木が重ねて立て掛けられ、茅で編んだ戸口は風に煽(あお)られている。

 

 戸口に立つヒトが居る。

 風になびられる白い髪がなければ浜辺の朽木(くちき)かと見まごうような、痩せて生気のない男性。

 子供はそこに向かってひた走る。

 あのヒトの処へ戻れば安全だ、何からも護って貰える。

 

 浜と林の間の浜昼顔の群落を駆け抜けて、子供は彼の懐に飛び込んだ。

 男性は無言で小さな肩を受け止め、骨ばった指で頭を撫でる。

 その身の両側から、薄い緋色(ひいろ)の何かが広がる。

 羽根だ。潮に焼けてバサバサに干からびた、みすぼらしい羽根。

 

 その羽根の中が子供には、世界で唯一安心出来る場所だった。

 安心出来る感触、安心出来る匂いの中で、子供は満足して目を閉じる。

 

 

 

 有翼のそのヒトは、子供を抱きながら彼方を見据えている。

 先程の騎馬が、浜をゆっくり歩いて来ていた。

 

 羽根は隠れるように細くたたまれ、彼は黙って子供を小屋の中へ押しやった。

 子供はされるままに従う。

 このヒトに逆らう事も、見知らぬヒトに好奇心を抱く事も、この子供には有り得ない事だった。

 

「……お久し振りです」

 フードの男性が下馬して話し掛けたが、有翼の男性は無言だった。

 潮焼けた髪の奥の錆びた瞳も、乾(から)びた唇も、置物のように生気を感じさせない。

 

(これが本当に、あのヒト……なのか?) 

 

「シンリィ……です、よね、その子供。……男の子だったんですね、はっきり知らなくて……」

 フードの男性は言葉を選びながら歩み寄り、浜昼顔の中へ足を踏み入れかけた。

 

「・・そこで、止まれ!」

 有翼の男性が鋭く言った。抑えられていたが強い声だった。

「何か、用か?」

 

 フードの男性は次の言葉を出すのを躊躇(ためら)って、何回も唾を呑み込んでから、短く聞いた。

「ユーフィは?」

 錆びていた相手の瞳に、鈍(にぶ)い光が走る。

「・・何故、生きていると、思う?」

 

 雷に打たれたようにビクンと揺れ、男性はフードを肩に落とした。

 群青色の長い髪の、妖精族の青年。

 ここより遥か内陸の草原にある『蒼の里』に住まう者だ。

 有翼の男性はよく知っている。何故って彼が数年前までそこに暮らしていたからだ。

 

 青年の整った顔が悲哀に歪む。

「シンリィが生きているのなら、もしかして……もしかしてと、思ったんです」

 

 有翼の男性はその顔を見て一瞬目を緩めたが、すぐまた無表情に戻った。

「とおに、諦めていると、思っていた」

「カワセミ長……」

「ボクはとおに長じゃない。じき、キミが長だろう? ナーガ・ラクシャ」

 

 ナーガと呼ばれた青年は、遠い記憶に胸を焦がした。

 その名をこのヒトから授かった時、こんな最果てでこんな風に対峙するなんて、想像出来ただろうか? 

 

「ユーフィの、墓に、参らせて貰えますか?」

「墓は、無い」

「無い? 無いって?」

「自分を焼いた灰は海に撒いてくれと言った。墓になりたくなかったんだ、ユユは」

 

 妹の懐かしい幼名。ナーガはまた胸を締め付けられた。

 このヒトは、妹が成人の名前を授かっても、つい幼名で呼んでしまっていた。

 

 輝く月(ユーフィ)のような妹は、蒼の里の偉大な長の側でそう呼ばれて、いつも幸せそうだった。

 

 

  ***

 

「あたし、明日から修練所に行かない」

 

 白インゲンみたいな小鼻を膨らませて、妹はいきなり宣言をした。

 

「行かないって、そんなの通る訳ないだろ。蒼の里の子供はみんな修練所に通ってきちんとした教育を受けるって、ここに来た時、父上に教わったろ」

 勉強机の前で山のような書物に囲まれて、兄はゲンナリ振り向いた。

 またワガママ娘の思い付き発言が始まった……

 

「だってナナは、どの教科も一番の成績を取って、長の血筋の子供として恥ずかしくないように頑張っているんでしょ。なのに双子の妹のあたしが味噌っカスのドンケツだから台無しだって、いつもブツブツ言っているじゃない。ならナナの評判を下げない為にも、あたしは修練所に行くべきじゃないって思うの」

 

 この妹が屁理屈をこねだしたらキリがない。だからって自由勝手にさせておいたら、自分が父に叱られる。

「じゃあ、修練所に行かなくて何をするっていうんだ。ブラブラ遊んでいるようじゃ、あっという間に山に帰されるぞ」

 

 自分達は、山の神殿の守り人をしている母の元で育った。

 修練所に通う七歳になって初めて山を下りたのだが、里に来てみたら、母がいかに貴重な血筋か、里の者達がいかに自分達に期待を寄せているかを、思いっきり自覚させられた。

 どこへ行っても大人に取り囲まれて、やたらとちやほやされるのだ。子供ってそういう物かと思ったが、どうやら自分達だけみたいだし。

 

 で、自分は皆の期待に違(たが)わぬよう、勉強も振る舞いも粉骨砕身頑張っているのだが、妹の方はまったく無頓着なのだ。

 

「大丈夫、やる事は決めているわ」

「へえ、何をやるっていうんだ」

「カワセミ長様の弟子になるの」

「はああっ!?」

 

 里でただ一人の有翼の妖精カワセミは、今の長だが、自分達と血縁はない。

 

 本来、蒼の里の長は世襲制だ。長の血筋の者にしか特殊な術の力が継承されないからだ。

 だが、血筋だからって必ず能力を持って生まれる訳じゃない。現に、母は大した術者ではなかった。

 

 長の血筋に適任者がいない時代は、里人の中から術力の高い者複数人が選ばれて、協力して長を務める事になっている。で、カワセミは今の三人長のうちの一人なのだが……

 

「弟子って、あのヒトが弟子なんか取る訳ないだろ。何を空恐ろしい事を……」

「あら、カワセミ様、いいって言ってくれたわ。勿論一回目のお願いでじゃないけれど。何回お願いしたかは忘れちゃった。まあいいじゃない、とにかくもう決まったの。……あっ!」

 

 音もなく戸口に有翼の妖精が現れた。

 水色の長い髪の奥の目は鋭く、眉間にはいつも不機嫌そうな縦線が入っている。

 絶大な守護力を持つと言われる背中の翡翠色の羽根も何だか冷たく恐ろしく、ナナは里に来た時からこのヒトが苦手だった。

 

「・・ユユ、行くぞ」

 

「はあいっ」

 妹は乗馬用の頭絡と自分の細剣を掴み、空色の巻き髪をひるがえして駆け出す。

「じゃ、ナナは勉強、頑張ってね」

 

 妹は分かっていない。

 修練所でどんなに一番を取ったって、蒼の里始まって以来の術者だと噂される人物の弟子になる事と比べたら、芥子粒(けしつぶ)みたいな物だって事。

 自分がどんな思いであの時見送ったかなんて、あの子は永遠に知らないままなんだ。

 

 

「ああ、カワセミから聞いていた。事後承諾だが……まあ、いいんじゃないか」

 帰宅した父の呑気な言い草に、ナナは焦れた。父はいつもいつも、妹にだけ甘すぎる。

 

「よくないと思います。あのヒト危ない任務地へ赴く方が多いって聞きました。ユユの身が心配じゃないんですか。父上から言ってやめさせて下さい」

「う~ん。『長の決め事は絶対』って掟があるからなあ」

「父上だって長でしょう?」

 

 父のツバクロも三人長のうちの一人だ。もう一人の長ノスリと共に、カワセミとは幼馴染(おさななじみ)の親友で、里で数少ない『カワセミに意見出来る』人物だ。

 

 そもそも、突然の先祖返りで羽根を持って生まれ、長の血筋に匹敵する術力を持つと言われるカワセミは、皆にもっと尊重されてもいい筈だ。

 それが逆に遠巻きに避けられ気味なのは、ひとえにその壊滅的な人見知り(ツバクロ・談)が原因だ。まともに会話出来るのは親友の二人くらい。

 

 実質、外交能力の高いツバクロと人望厚いノスリが居てこそ、里の運営は成り立っている。

 カワセミの出番は、『話をする気のない魔物系』が出て来た時だけ……要するに修羅場担当で、そんなヒトに妹を預ける事に、父はもうちょっと躊躇(ちゅうちょ)して欲しい。

 

「大丈夫だよ、あいつも昔に比べたら大分丸くなったし。弟子を取る気になるなんて大進歩だな。それよりお前は余計な事にとらわれず、今自分のやるべき事をしっかりやっておきなさい」

 父はそう言ったが、その時ナナの心に一つの恐れが芽生えた。

 

 いつの日かカワセミが、「蒼の里の長に相応しいのはユユの方だ」と言い出したら、父は、「長の決め事は絶対だ」と言って、従ってしまうのではなかろうか。

 

 

 ナナの心配は杞憂に終わった。

 三人長の師匠でもある大長の弟子にもなれ、血筋通りに高度な術を次々習得して行くナナに対して、妹は何年たっても味噌っカスなままだった。

 その代わりに父のツバクロが、別の衝撃的な台詞をカワセミの口から聞く羽目となる。

 

「は・・? えっと? 変な聞き間違いをしたみたいだ。もう一度言ってくれないか」

 

 その頃にはナナは修練所を卒業して、父やノスリの補佐として『長の執務室』で働いていた。

 今聞こえた台詞に父と同じく驚いて、ノスリと顔を見合わせている。

 

「ユユを、妻に、したい、と言った。今度は聞こえたか?」

 

 ・・・・・・・・・・・・

 自分と子供の頃から連れ添った旧友が、自分の娘を嫁に欲しいと言う。

 そんな事を言われた父親の衝撃は、多分どこのどんな種族でだって同じだ。

 父はよく乗り切ったなあ、と思う。

 

 ユユの一途な猛アタックにカワセミ長が押し切られた……って聞かされたのは、大分後の事だ。

 

 

 蒼の里の奥は広い放牧地になっていて、春には毬(まり)のような黄色い花が咲き揃う。

 昔誰かが東から持ち帰った『金鈴花(きんれいか)』が代を重ねて亜種となり、ここだけの花になったという。

 

 土手の上から、風に乗って自在に草の馬を飛ばせる妹を見守っている。

 空中で縦回転なんておっかない事、里で出来るのは、父とあの子だけだ。

 何でも妹に勝(まさ)っていると思っていたが、そういえば飛行術だけは敵わないなと、今気付いた。

 

「ああ、楽しかった。ありがとう、ナナ……じゃなかった、ナーガ・ラクシャ」

 

 妹が独りで馬から降りようとするのを、慌てて駆け寄って手を添える。

「これっきりの約束だぞ。父上にもノスリ長にも、お前を馬に乗せるなって言われているんだ」

 

「風の妖精なのに身重(みおも)ってだけで乗馬禁止だなんて、お父様達、過保護が過ぎるわ」

「お前が尋常じゃない飛び方をするからだよ」

「あんなの普通だわ。本当に尋常じゃないってのは、空の色が変わる所まで急上昇して……」

「言うな、聞いているだけで目眩がする」

 

 厩からこっそり曳いて来たユーフィの馬は、鞍を外してやると、青草の中で気持ちよさそうに転がった。

 二人、土手に座ってそれを眺める。

 

「ナナ……ナーガは変わったわね。昔は大人の言い付けを破るなんて考えられなかった」

「そりゃ、もう子供じゃないからな」

 お前と自分とを比べる馬鹿馬鹿しさに気付いたからだよって、それは悔しいから言わない。

 

「変わったのはお前だろ、カワセミ長のどこが良かった訳?」

「うふふ」

 

 返事の代りに妹は、先程から作っていた黄色い花冠をバサリと被せて来た。

「おまじない。ナーガも早く、自分を必要って言ってくれるヒトと巡り逢えますように」

 

 陽を受けて黄金(こがね)に輝く花の中、こぼれるように微笑む妹……

 それが、ナーガが記憶している限り最後の、彼女の笑う顔だった。

 

 

 




挿し絵「金鈴花」

【挿絵表示】


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