緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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 ~ふたつめのおはなし~のはじまり

「ふうろのたに」
 ちょっぴりシンリィから離れて、ナーガのおはなしです


ふたつめのおはなし
風露の谷・Ⅰ


 

 蒼の里より数十里、東に離れた深山地帯。

 

 針葉樹の切り立った谷に、一つの集落があった。

 といっても、谷底の集落ではない。

 彼らは空中を住処とする。

 

 太古の地殻変動でこの辺りの地層は縦に走る。

 柔らかい地層は侵蝕されて固い地層が垂直に残り、見上げるような天然の塔が幾つもそそり立つ不思議な光景を作っていた。

 

 塔の一つ一つの頂上に、石と粘土で造られた住居。

 塔と塔の間はツタを編んだ太いロープが渡され、山側の斜面に一番近い塔からのみ、外界に向けての梯子が水平に掛けられている。 

 

 今、その梯子を歩いて、一人の蒼の妖精が、集落の入り口に差し掛かっていた。

 

「お止まり下さい。風露(ふうろ)の谷にご用がお有りか?」

 大きな窓から番人の若者が、形式通りの呼び掛けをして来た。

 この集落特有の紫の髪は、近隣では他に見掛けない。

 

 梯子の先の塔は関になっていて、木造の門戸と石積みの小屋がある。

 外来者はここを通過しないと集落の者と接触出来ない。

 それだけここには守らなければならないモノがあるという事。

 

「ラゥ老師にお繋ぎ頂けるか? 風の末裔の使者、ナーガ・ラクシャが訪ねて来たと」

「風の末裔の……ああ、はぁ……」

 

 関の番人は、受付カウンターにもなっている大窓から、首を伸ばして梯子の向こうを見た。

 深緑の草の馬が、足場の悪い山の斜面で居心地悪そうにこちらを見ている。

 草の馬で飛べば容易(たやす)いのに、わざわざ山側に降りて細い梯子を渡るのは、蒼の一族が風露の民への礼節をキチンと守っている証だ。

 

「蒼の一族の……ナーガ・ラクシャ殿……」

 門番は分厚い名簿を引っ張り出して、パラパラと繰った。

「最後には、いつ頃来られましたか?」

 

「私はここへ来るのは初めてなのです。以前はツバクロ長が来ていました。濃い紺色の癖ッ毛の」

「ああ、はいはい、ツバクロ殿! あの方ね!」

 番人は頁を繰る手を止めて、にこやかな顔を上げた。

 

「此度(こたび)より、蒼の里よりの使いは私が参る事となりました。ナーガ・ラクシャです。お見知りおきを」

「承知しました。ツバクロ殿は? 引退にはお早いでしょう?」

「黒の病で……」

「ああ……」

 

 番人はにこやかが消え、会話を切って、名簿に朱色で何か書き入れた。

 集落を訪ねる縁者が連ねられたその名簿は、よく見ると朱色だらけだ。

 皆、最近書き込まれた物だろう。

 

「優しい方でした。私は子供でしたが、竹細工の玩具の作り方を教えて貰いました」

「…………」

 

 番人は名簿から顔を上げて、部屋の奥を振り向いた。

「フウヤ、お使いだ」

 部屋の隅で小刀を持って何やら彫り物をしていた子供が、顔を上げた。

 番人とは違って、白っぽい猫っ毛の釣り目の男の子。

 

(シンリィよりちょっと上くらいかな?)

 

 子供はナーガにチョコンとお辞儀をして、滑車の付いた『へ』の字型の木棒を持って出て来た。

 それをツタのロープに引っ掛けてぶら下がり、勢いを着けて隣の塔へ滑って行った。

 

 上手いもんだと見惚れているナーガに、番人は熱いコカ茶を勧めてくれた。

「先の災厄で、この谷を訪れる者も減りました。風露の谷には幸い黒い悪魔はやって来ませんでしたが、皆、外の顧客の安否を心配しています。しかしこちらから訪ねに出向く訳にも行きませんし」

 

 風露の谷の住民は、ほぼ外に出ない。

 集落外どころか、集落内の家々の間も滅多に往き来しない。

 大人のお使いでツタを滑って往き来するのは、子供の役目だ。

 

 では集落から出ない尖塔の住民達がどうやって暮らしているのか? 

 水は長い滑車で谷から汲まれ、食料や生活必需品は関を通して外部から運び込まれる。

 それらをどうやって調達するかというと、この集落の『ある特産品』と交換されるのだ。

 

 ほとんどは個人の顧客が注文し、対価として請求された物資を持って来てくれるのだが、その物資は集落全体の収入として皆に分配される。

 それを仕切る番人は、修行中の若者が交代で勤めている。

 

 『特産品』を造る技術は門外不出で、外に対して厳しく秘密を守っている。

 だからその技術を会得している大人達は、ここを出ないのだ。

 『出る』という事は、部族の財産である『技術』を外に出す事になる。

 それはこの心許ない集落の、存続の危機を意味する。

 

 命じられなくとも尖塔の住民達は、ここを出ようなどとは思わなかった。

 皆、この集落を愛している。ここ以外で生きようなどと、頭の端にすら思い浮かべない。

 

 父のツバクロから聞いていた風露の谷の概要は、そんな所だった。

 自分が外交の真似事をやるようになるとは思わなかったので、その時は他人事のように聞いていた。

 

 生涯、尖塔の石の家に隠(こも)って暮らすなんて……ナーガはひ弱い民に哀れを感じていた。

 生き物は、暮らしやすい所、便利な土地に暮らしたがる。

 強い者は良い土地に、弱い者は悪い土地へ追い立てられる。

 こんな水を汲むにも大仕事な、トンでもなく不便な土地へ追いやられるなんて、何て虐げられた弱い部族なんだろう。

 

 ロープを滑ってフウヤが戻って来た。

「ラゥ老師がお待ちしておりますと」

 

 

 

   ***

 

「長らくご無沙汰した非礼をお詫び致します」

 ナーガはまず、飾り気なしに謝った。理由は聞かれたら答えればいい。

 

「構いませぬ。災厄でどこの部族も痛手を追ったと聞きますじゃ。まずは外交より、内部の立て直しが大事なのは皆同様。お忙しい中、よう来てくださった」

 ラゥ老師は賢明だった。こちらは何も言い訳をしないで済んだ。

 その人生のほとんどを座り作業に費やして来たと分かる身体で、わざわざ戸口まで出迎え手を握ってくれた。

 

「ツバクロ殿がお隠れになられたとは、寂しい限りです。あの方は本当に良き友でいて下さった。我等も深く哀悼の意を捧げましょう」

「恐れ入ります」

 

「貴方様はご子息か?」

「はい、ご存知でしたか?」

「その細筆で墨を引いたような眼の縁と眉を見て、誰が他人と思いましょうか」

 

 老師の住居は他の塔よりやや高見にあり、集落全体を見渡せた。

 数十の塔群に網目のようにツタが張り巡らされた光景は、何かの巣を連想させる。

 窓から遥か下、霧に見え隠れする川だけが、ここと外界との隔たりを教えてくれていた。

 

 窓の外、住居の横の僅かな平地に、草の馬が窮屈そうに立っている。

 許しを貰って移動は馬で飛んだ。あのロープを滑るのは、さすがにちょっと怖い。

 

「ツバクロ殿も挑戦してみて、こりゃダメだと笑っておられた」

 ラゥ老師は懐かしそうに目を細めた。

「我等は、発注してくれる顧客以外と付き合いはせん。そんな我等と友好を結んで何の意味があるのかと訪ねたら、あの方はなんと答えたとお思いか?」

 

「そうですね……多分、はっきりした答えはなかったのでは?」

 

「その通りですじゃ」

 老人は膝を叩いて笑った。

「意味がなければ友達になっちゃいけないんなら誰とも友達になれません、だと。一本取られたと思いましたじゃ。あの頃は初々しい若者であられた」

 

「あの」

 ナーガは話題を変えようとした。

 父の事を誉められるのは嬉しいが、失った穴に苦しむ身にしたら、この話題が長いとちょっと辛い。

 

「この集落の技術は門外不出と聞きました。私を招き入れるにあたって道具や材料を仕舞っておかれるだろうと思ったのですが、こんなに曝(さら)して良いのですか?」

 室内には様々な材料が立て掛けられ、工具が並んでいる

 

「ああ」

 老人は細い目を更に細めて、穏やかに言った。

「我等の技術は、目では盗めませぬ」

 そして、ふと思い出したように、顔を上げて窓の外を見た。

 太陽が遠くの山の頂に触れかけている。

 

「ちょっと失礼しますよ。『音合わせ』の時間ですじゃ」

 そう言って、作業所に立て掛けていた馬頭琴を手に取り、窓から外に出て、外壁に突き出た出っ張りにトンと腰掛けた。

「??」

 ナーガは黙って目を丸くしている。

 

 老人は一息吸って、馬頭琴の弓を立てて、スウッと弾いた。

 澄んだ単音が谷に響く。

 

 ほどなく、隣の尖塔から、別の楽器の音が流れて来た。

 隣の住民が奏でているのは笛だが、それも同じ音程の単音だ。

 途端、谷の各家から、様々な楽器の同じ単音が長く伸ばして聞こえて来た。

 

 細い音、重い音、柔らかな音、冴え渡る音。

 それらは霧の谷に満ちてこだまする。

 

 長い一音が終わって、老師が窓から室内に戻る頃には、陽は山に隠れていた。

 

「『音合わせ』……ですか?」

 不思議な単音のハーモニーに心を奪われていたナーガは、我に返って聞いた。

 

「そうですじゃ。楽器という物は奏で合わねばならぬ。別の種類の楽器同士でも音が馴染まねば、それは音楽から遠退いてしまいますのじゃ」

 老師は馬頭琴の弦を外して作業台に寝かせ、微妙なラインを削りながら答えた。

 

 この谷の特産品である『風露の民の楽器』が、他所で作られる楽器より格段に素晴らしい音色がすると珍重されるのが、何となく分かった。

 こんなに丁寧に音に魂を込めて造っているからだ。

 

 これは見たからって真似できる代物ではない。

 この谷と、過酷な環境に甘んじる彼等の誇りの成せる技だ。

 ナーガは自分の思い違いを反省した。彼等は追いやられたひ弱い民なんかじゃない。

 

 

 フウヤがツタを滑ってやって来た。

 老師の塔は少し高いので、ツタがたるんで途中で止まってしまうのだが、子供は勢いを付けてぽぉんと飛び移った。ナーガは目が眩みそうにヒヤヒヤしたが、この子供には日常なんだろう。

 ナーガをチラと見てから、ラゥ老師に寄って何やら耳打ちする。

 

「ほぉ」

 老師は優しい目になった。

「誰が言い出したね?」

「お姉ちゃんです」

「フウリか、二胡造りの。あの娘らしい思い付きじゃ。承知、と伝えなさい。後、各オルグ長達にも伝言を頼むよ」

 

 何だか忙しそうだ。暇乞(いとまご)いした方が良いだろう。

「では、私はこれにて」

 ナーガは腰を上げようとした。

 

「まあ、お待ちなさい」

 老師は奥から、古びた黒い馬頭琴を持ち出して来て窓を出た。

 先程の造りかけでなく、こちらは愛用品なのだろう。

 外の椅子に腰掛けて、ナーガを手招きする。言われるまま老師の横の窓枠に腰掛けた。

 

 山は稜線に茜を残して、谷は藍色に沈みかけている。

「ほい、そろそろフウヤが回り終えた頃じゃ」

 老師は再び弓を立てて、馬頭琴を弾き始めた。

 

 今度は単音ではない、曲だ。もの悲しいが美しい曲。

 

(聞き覚えがある……)

 僅かな記憶を手繰りながら、ナーガは静かに聞き入った。

 

 いつの間に、谷全体が同じ曲を奏でている。

 先程の様々な楽器が見事に重なって、ひとつの曲を合わせ奏でているのだ。

 それぞれの音が塔の間を竜のように走り、絡み合い、谷を駆け抜けて天に昇華する。

 

 まるでこの世の物でないそのひとときに惹かれるように、背後の山から青い月が顔を出して集落を照らした。

 

 演奏終わって、ラゥ老師がナーガに向く。

「二胡造りのフウリと部族の若い者達が、ツバクロ殿の為に一奏差し上げたいと申しましてな」

 

「……感謝します」

 ナーガは心から礼を言った。

「この曲は覚えがあります。幼い頃、父が、母の側でよく弾いていました」

「ああ」

 老師はこれ以上ないくらい嬉しそうに、両頬を上げた。

「ツバクロ殿に馬頭琴の手解きをしたのは儂ですからの。口説きたい女性がいるとか、臆面もなくあの方は」

 

 

 




挿し絵「風露の谷」

【挿絵表示】


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