緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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風露の谷・Ⅱ

  ***

 

 薄暮(はくぼ)が過ぎ、家々にカンテラの柔らかい灯りがともされる。

 あの一つ一つの灯りの元で、木を削り骨を磨ぎ、真摯な手で誇り高い楽器が造り出されているのだろう。

 

 帰り支度をして草の馬の腹帯を締めながら、ナーガはそっと振り向いた。

「あの、父の馬頭琴……多分この谷の出自品だと思うのですが。すみません、処分せねばならなかったんです。黒の患者の持ち物は皆」

 

「それは、哀しい事でしたな」

 ラゥ老師は責めるでなく、ただただ哀しい顔をした。

 

「私個人として、新しい物を注文出来ますか? ラゥ老師のお造りになる馬頭琴」

「ホホ、儂の楽器は十年待ちですぞ」

「…………」

 

「急がれるのか?」

「母に、聞かせたいのです」

 

「若い者の造る物でよろしければ、そうお待たせしますまい」

「お頼みします」

「あの曲の譜もお付けしましょうな」

 

 ラゥ師作のブランドにこだわらずただ純粋に馬頭琴を欲しがるナーガに、老師は最初より解(ほど)けた表情で微笑み、両手を併せて一礼をした。

 ナーガも礼を返して草の馬を上昇させた。

 

 来た時に馬を繋いだ山の斜面に降りて、今一度梯子を渡って関を訪ねる。

 手続き上、帰りも関を通過する形を取らねばならないのだ。

 

 

「あれ?」

 建物から出てカンテラで梯子を照らしてくれているのは、昼間の若者とは違った。

 頭で束ねた紫の髪がフワッと広がる、細面の女性だ。

 髪の色よりやや薄目の藤色の衣装がカンテラのオレンジに映えてきれいだな、と思った。

 

「えと、貴女が番人?」

 女性は顔を上げてナーガを見た。

 一重にスッと切れ込んだ瞳も風露草(ふうろそう)みたいな紫だ。

 

 ツタを渡って、カゴを背負ったフウヤが来た。

「お姉ちゃん、夜食」

「あ、ああ、ありがと……」

 呆けていた女性は我に返って、横に退いてナーガを通した。

 

「じゃあ貴女が、二胡造りのフウリ?」

 姉弟というが、歳は大分離れているようだ。

 彼女は小さく頷いて、顔を伏せたまま受付に入って分厚い名簿を開いた。

 風露の文字で書かれたナーガの新しい頁に、多分日付と帰りの時刻が書き込まれた。

 

「ご苦労様でございました」

 フウリはやはり俯(うつむ)いたまま小さい声で言い、名簿を閉じた。

 

「あの、素晴らしかったです、先程の楽奏。父も喜んでいると思います。ありがとうございました」

 

「いえ……」

 戒律厳しい部族の慎み深い女の子にあまり話し掛けても宜しくないんだろう。

 そう思ってナーガは、代わりにフウヤにニッコリ微笑んで、梯子に向いた。

 

「お姉ちゃん!」

 フウヤが叫んだ。

「行っちゃうよ、このヒト! わざわざ頼んで番人を代わって貰ったのに、いいの?」

 

「フウヤ!」

 女性は慌てふためいて大声を出した。

「い、いいのよ、いいんです。さ、夜闇が静寂の魔を連れて来る前にお帰りにならないと。いいんです、お帰りになって……」

 

 ナーガは肩を降ろして、梯子の所から引き返した。

 今日の仕事はこれで終いだ。

 シンリィはエノシラが見ていてくれるし、少しくらい遅くなっても構わないだろう。

 絶句しているフウリの前を通り過ぎ、受付の名簿に手を掛けた。

 

「ね、これ、少し見せて頂けませんか? 父の足跡を、ちょっとだけ覗きたいんです」

 

 

 

  ***

 

「ツバクロさまだぁー!!」

 

 向かいの山肌に降下して来る草の馬を目敏く見付けた子供が叫んだ。

 遠くの家々から伸びるツタを滑って、子供達が一斉に入り口の関に集まって来る。

 蕗の葉の雨粒みたいだ。

「大人気ですね」

 受付で名簿を開く番人の横で、濃い縁取りの目の蒼の妖精は、肩を竦めて苦笑いをした。

 

「竹トンボ! 竹トンボの削り方もういっぺん教えて! 上手く飛ばないの!」

「こないだの鞠つき数え唄、六つの次、誰も思い出せないの。何だっけ、ねぇ、何だっけ?」

 

 あっと言う間に子供達に囲まれるツバクロの後ろで、番人が叫ぶ。

「こらこら、ツバクロ殿はラゥ老師にご用なのだ。邪魔をしては駄目だよ」

「後でね、後で絶対だよ! ツバクロさま!」

 

 子供達の人垣を抜け出して、ツバクロは馬に跨がった。

「竹トンボは出来るだけ丁寧に薄く削るんだ。『六つ村雨七草七夜』、続きは後でね」

 空に舞い上がって老師の塔へ向かう前に二回転宙返りのサービスも忘れないで子供達の大歓声を浴びるツバクロを、番人も浮き浮きした気持ちで見送った。

 本当にお陽様みたいなヒトだ。

 

「ここからも賑々しいのが見えました。ホンに子供達は貴殿が好きなのじゃなあ」

 ラゥ老師は弦を依っていた手を止めて、奥の作業場から出て来た。

 弟子の少年がコカ茶を運んで来る。

「たまにしか来ないからですよ。美味しいトコだけ頂いて、申し訳なく思っています」

「いやいや」

 

 確かに当初、友好を結んだ蒼の里の外交官の青年が部族の大人にいないタイプだったのに、老師は危うい物を感じた。

 門外不出によって保たれて来たこの部族の礎(いしずえ)が、子供達が外に興味を持つ事で崩れてしまうのではないかと。

 

 心配には及ばなかった。この外交官は心得ていた。

 子供達に他愛ない遊びは教えたが、外の話は一切しなかった。

 馬に乗せてやれば大喜びさせてあげられるのは明らかだったが、その辺りはツバクロはしっかり線を引いていた。

 

 他の民族に自分達の価値観を重ね合わせないのが蒼の里の姿勢だ。

 分からなければ分かるまで努力すればいい。

 それでも分からなければ、分かれない、という事を自覚すればいい。

 

 友好を結ぶのは、どんな形でもそれが糧と成るようにとの願いからだ。

 『目的』ではない、『願い』だ。

 その『願い』を胸に、ツバクロは年の半分諸外国を飛び回る。

 

 

 ラゥ老師との話が終わり関へ戻ったツバクロを、子供達が手ぐすね引いて待っていた。

「見て、ほら! 竹トンボ! こんなに飛ぶようになったよ」

「ねえねえ、また面白い唄、教えてぇ」

「こっちが先だよぉ」

「おーい、みんな、ツバクロ殿は一人しかいないんだ。口々に喋るんじゃない!」

 

「大丈夫ですよ。今日はこの後予定がないので、子供達とのんびり遊んで帰ります」

 自分は特別凄い事を知っている訳でも、子供の機嫌を取るのが上手い訳でもない。

 風露の集落の子供達の日常にあまりに刺激がなさすぎるのだ。

 しかし、刺激的な日々を送る事が豊かな人生とは限らない……

 

「あれ、フウリがいないね?」

 いつもツバクロの右斜め後ろを定位置にしていた女の子が、今日はいない。

 物静かで内気だが、ツバクロの言う事をひとつも聞き洩らすまいと、いつも真剣に構えていた子だ。

 

「フウリは、弟子入りが決まったの」

「へえ、もうそんな歳だっけ?」

「うん、呑み込みが早いって誉められたの。先月お母さんの所を出て、二胡造りのオルグに入ったの」

「そうか、フウリ、器用だったもんな」

 

 楽器造りを学び始めると、正式な職人の仲間入りだ。

 外へ出るのも、外の者と関わるのも制限される。

 ツバクロは、まだ十分に幼い、杏(あんず)みたいな頬の女の子を思い浮かべた。

 ワイワイ元気な子より、何かをシンと秘めた子供の方が気に掛かる性分なのだ。

 

「あれ、ツバクロさま、寂しいの? フウリがスキだったの?」

「スキだったんだあ!」

「勘弁してくれ。もうすぐ娘に子供が生まれるんだ。そしたらオジィチャンだよ、オジィチャン」

「オジィチャン! オジィチャン!」

 

 夕暮れて、子供達はツバクロに習った竹細工の蝶をヒラヒラ飛ばしながらツタを渡って家に戻って行った。

 

「さて……」

 ツバクロは関の番人の方を見て、ウインクした。

「一局、行きましょうかね」

 番人は照れ臭そうに笑った。

 小屋の中に、将棋(シャタル)の盤が、しっかり駒が並べられた状態でスタンバイされていた。

 

「今ん所の戦績は?」

「番人チームの三十六勝十四敗です」

「そろそろ本気出して行こうか」

「本気じゃなかったんですか?」

 

 二人、カンテラを灯して駒を指し始める。

 

「フウリもその内、番人の役割が回るようになると、また会えるかな?」

「そうですね。今は修行が優先なのでまだまだ先ですが。私も、弟子入りして貴方に会えなくなった時、寂しかったですよ」

「ホント?」

「貴方はそうやって、沢山の子供を見送って来たんですか?」

「そんな大層なモンじゃない」

 

「風露の部族って、正直どうなんです? 他所から見たら、変ですか?」

「部族なんて千差万別で、僕にも基準なんて解らない。風露の部族は……」

「はい」

「好きだよ、僕は。尊敬している」

「ありがとうございます、王手」

「うわっ、ちょっと待ってくれ!」

 

 負け数をひとつ増やしたツバクロが関小屋を出る頃には、月が中天に登っていた。

 番人の照らすカンテラの灯りを頼りに、梯子を渡る。

 

「あれ?」

「どうしました?」

「馬が」

「えっ?」

「いない……」

 

 

 

 

 

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