緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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風露の谷・Ⅲ

  ***

 

 ツバクロは馬を繋いでいた場所の足元を調べている。

「どうしたっていうんです」

「…………」

「助けを呼びますか?」

「…………」

 

「ツバクロ殿?」

「いや、大丈夫だ」

 ツバクロは両手を上げて、梯子を渡りかける番人を制した。

 

「多分退屈して、自分で綱をほどいて散歩に行っちゃったんだ。心配しなくていいよ、よくある事だから。足跡があるからすぐ見付けられる」

「本当に、大丈夫ですか?」

「ああ、だから、その梯子は渡るんじゃないよ」

「はい……」

 職人となった風露の民は、掟で集落の外へは出られない。

 

「下の谷の方へ行ったみたいだ。喉が渇いたのかもしれないな。僕は足跡を追って、馬を見付けたらそのまま帰るよ。じゃあ、さよなら、またね」

「ああ、はい。さようなら、お気を付けて」

 

 番人は梯子の手前で蒼の妖精を見送った。

 ちょっと慌て気味だったのは、愛馬に勝手されてしまった事への照れ隠しだったのかな。

 風の末裔の乗馬の名手でもあんな事あるんだな。

 

 

 

 ツバクロは足跡と馬を繋いでいた所に漂っていた匂いを追って、夜の山道を急いだ。

 足跡は下っていたが、谷ではなく、山を回り込んだ風穴(ふうけつ)の岩場へ向かっていた。

 空気は風穴の湿気を帯び、路の両側には夜露をまとった風露(ふうろ)の花が真っ盛りだ。

 

 案の定、月明かりに照らされた紫の群落の中に、彼の馬と……小さな人影があった。

「やはり君だったか、フウリ」

 この間まで子供だった少女が、風露の花と同じ色の瞳でツバクロを見ていた。

 

「以前僕の馬の好物の話をした事があったからね。君はそんな些細な事でもちゃんと覚えていたんだね」

 少女の手には山生姜の塊が握られている。

 馬はボリボリと音をさせて夢中でそれをむさぼっていた。

 気難しい馬だけれど、この好物にだけは屈服する。

 どこがそんなに美味しいんだと思うのだが。

 

「何か僕に用事があるのかい?」

 ツバクロは出来るだけ優しく聞いた。

 この少女は何重もの掟破りをしている。

 いい加減な子ではない。考え抜いた結果なんだ。

 思い詰めた表情がそれを語っている。

 

「あの……」

 少女は森の奥のブッポウソウよりも微(かす)かな声で言った。

「連れて行って下さい」

 声は小さいが言った言葉は衝撃だった。

「下働きでも何でもします。私を蒼の里に連れて行って下さい」

 

「どうしてかな?」

 ツバクロは動揺を抑えて、務めて静かに聞いた。

 自分まで掟通りの答えを返すと、この少女の逃げ道を塞いでしまう。

 

 フウリは俯いて黙ってしまった。

 でも小さな手は馬の手綱を固く握りしめたままだ。

 ツバクロは肩を降ろして辺りを見回した。

 風穴の入り口に乾いた平らな場所がある。

「その辺の落ち枝を拾って」

「え?」

 

「焚き火を起こそう。腰を下ろしてゆっくり聞くから」

 素早く焚き火の土台を組みながら、少女の心細い顔を見た。

「冷えると口も心も固まっちゃうからね」

 

 小さな火が起こり、二人の手を暖めた。

「背が延びたね」

 焚き火を挟んで差し向かいに座るツバクロに急に言われて、フウリははにかんだ。

「はい、ちょっと」

 

「蒼の里に来たいの?」

「はい」

「風露の集落は、嫌い?」

「いえ、嫌いって訳じゃ……」

「何か、嫌な事あった?」

「いえ……」

 

 ツバクロは質問をやめてゆっくりと焚火を組み直した。

 急かしたらこの娘はますます喋れなくなる。

 

「可能性……」

 フウリはポツンと切り出した。

「うん」

「可能性を、探してみたいんです、自分の」

「うん」

 

「自分に出来る事は、本当に二胡造りだけなのか? って」

 それは多かれ少なかれ、風露の若者の誰もが思っている事だろう。

「だから、私、二胡造りになるにしても、色んな可能性の中から、選びたかったんです」

 

 

 

 ***

 

 聡い子供だとは思っていた。だけれどこんなに行動力があったとは予想外だ。

「お願いしますっ」

 少女は両手を合わせて懇願した。

 

「ふうん、分かった」

 暫く考え込んでいたツバクロがサラリと言って、フウリは目を輝かせて顔を上げた。

 その頬の横に、いつの間にか伸びていたツバクロの手が添えられた。

 

「僕と来るって事は、僕の言う事何でも聞くんだよ。僕の命令には逆らえない」

「……はい」

「じゃあ、まず、何して貰おうかなぁ?」

 ツバクロの添えた手が、女の子の頬を摘まんで引っ張った。

 

「そんなに私を連れてくの、嫌なんですか?」

 フウリが、小さいが芯の通った声で言った。

 ツバクロは拍子抜けして手を引っ込めた。

「ダメ?」

 

「本気かお芝居かぐらい分かります。私が泣き出して逃げ帰ればよかったですか?」

 フウリはさっき手を添えられた頬に、自分の掌を当てた。

「ツバクロ様は自分がどれだけ好かれているか分かっていないんです。そっちの方がずうっと寂しいです」

 

「ごめん……」

 この子は正直な思いを打ち明けてくれたのに、確かにこんな誤魔化しじゃ駄目だ。

 

「分かった」

 ツバクロは立ち上がった。

「じゃあ、僕も君に、真実を教えてあげる」

「えっ?」

 

 焚き火を始末して、一本の細長い薪を松明代わりに、ツバクロは少女の手を引いた。

「おいで」

 

 

 

「私の本気、分かって貰えましたか? 私、例えツバクロ様が連れて行ってくれなくても、どこか別の場所に行きます。集落には帰りませんから」

 頑張って決意を表明する少女の手を引きながら、ツバクロは黙って細い道を下って行った。

 

 やがて水音のする谷底に着く。

 さらに下には深い川があり、その両脇の斜面に、壁のような柱が幾つもそそり立っている。

 

「ここは?」

「君達の住む塔の根元だよ」

「根元……」

 たまに霧が晴れた時、下の川は見えたりするが、真下の根っこは見た事がない。

 見ようと思った事もない。

 

「こんなに太いんだ。あれ?」

 石柱の周りを歩いたフウリは、異質な物に目を止めた。

 柱の周囲に人工の石垣が積まれている。

 松明の明かりの中よく見ると、どの柱も人工の補強がされている。しかも新しい物だ。

「これ、大人のヒト達がやっているの? 聞いた事ない」

 

「蒼の里で、請け負っているんだ」

 ツバクロはゆっくり言った。

「えっ?」

「今日ラゥ老師を訪ねたのは、工事の経過を報告する為なんだ」

「…………」

 

「この尖塔が長年の侵蝕で出来た物っていうのは知っているだろう?」

「はい……」

「侵蝕は止まる物ではない。ほんのちょっとづつ続いているんだ。長い歴史の上では、塔はいつか崩れて、集落は姿を消す」

「えっ! ええっ!」

「すぐにじゃないよ。ずっとずっと、何百年も後だ」

 ツバクロは動揺する少女の先回りをしてフォローした。

 

「だから、ずっと将来の、何代か先の子孫の為に、今出来るだけその侵蝕を遅らせる工事をしておくんだ」

「…………」

「皆に言うと今のフウリみたいに動揺しちゃうから、老師と各オルグ長しか知らない。この谷は霧がみんな覆い隠してくれるからね」

 

「あの」

 フウリは自分の欲求は一旦忘れて、純粋な疑問を口にした。

「蒼の里の方々は、何で、私達の為にそんな事をしてくれるんですか? 何か契約を?」

「うん、契約とかじゃない」

「好意、ですか?」

「それもちょっと違う」

 

「じゃあ、何で」

「ああ、んーと、大切だから?」

「……?」

 

「風露の部族に受け継がれる技術と、あの谷でしか生まれない音は、『大切』なんだ。誰にとってとかじゃなく、とにかく大切なモノなんだ」

「…………」

 

「石垣作り、地味な作業で大変だと思うだろ? でも里で、ここの仕事は人気が高いんだ。何でだと思う?」

「なんで?」

 

「たまに上から音が降って来る。音合わせや演奏や。それを聞くと、自分達の護ろうとしているモノを誇れるんだ」

「…………」

「無くしたら二度と戻らないモノなんだよ」

 

 丁寧に積まれた石垣を指でなぞりながら、ツバクロは静かな声で言った。

「でもやっぱり、工事をしても、いつかは風化して塔は確実になくなる。いつの日かは、風露の谷も今の楽器造りの技も、この世から消えてしまう。その摂理には逆らえない」

「…………」

 

「長い長い谷の歴史の中で、風露の民がここに住むのはほんの一瞬なんだろう」

 蒼の妖精は真っ直ぐに少女を見た。

「その一瞬に、君は存在する」

 

 懍々とした瞳に、松明のオレンジが揺れていた。

 

 

 

 




挿し絵「千島風露」

【挿絵表示】

晴れの日より霧の日の方が、色鮮やかで美しい

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