緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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海に降る雪・Ⅱ

 

 

 ***

 

「要件はそれだけか?」

 

 木枯らしの浜辺。

 無機質なカワセミの声に、心を呼び戻された。

 

「いえ」

 一拍息を呑み込んで、ナーガはザッと頭を下げた。

「まず謝らなければなりません。貴方と、そしてユーフィに」

「…………」

 

 ピクとも表情を動かさない相手に、ナーガは波打つ鼓動を抑えて顔を上げた。

 ここからが本題だ。このヒト相手に話を通せるか……だが。

「里へ戻って下さい。シンリィ・ファと共に。彼は、蒼の里の大切な子供です」

 

 カワセミは無表情が崩れた。目を見開いて口を半開きにした。

 

「今更何をと呆れられるのは分かっています。でもそういうのは横へやって、今はシンリィの事を考えませんか?」

「…………」

「貴方だっていろいろ教えられるでしょうけれど、こんな辺境の海辺で二人きりで育つのが、あの子の為になるとは思えません」

 

「・・長の血筋が欲しいか」

 カワセミの半開きの口が冷ややかな声を出した。

「そんな!」

 今度はナーガが頬をはたかれたような顔をした。

 子供の為という薄っぺらい大義名分など、やはりこのヒトには通用しない。

 

「少し、離れませんか?」

 小屋の中を気にしながら、ナーガは浜の方を促した。粗末な板壁と茅の戸口は、何の遮(さえぎ)りにもならない。

 

「気遣い無用」

「いえ、あの子にあまり聞かせるべきではないと」

「気遣い無用と言っている」

「でも……」

「シンリィには言葉を教えていない」

「えっ・・!?」

 

「この世の言葉はあの子を傷付ける事しかしない。だから教えない」

 

「だ、だけど……」

「誰がどんな会話をして、うっかりそれを耳にするような事があっても、シンリィは傷付かない。そういう風に育てた」

 そう話す白い髪の下の唇は、あくまで淡々と無表情だった。

 

 ナーガは身体中から力が抜けた。

 膝を折って、それから項垂(うなだ)れて、手を砂の地面に付いた。

「そん……そんな……」

 パタパタと浜昼顔に滴が落ちる。

 

 カワセミは静かにそれを見ていた。

 

 長い沈黙があった。

 

「シンリィの為と言うのなら」

 沈黙はカワセミが破った。

「忘れてくれないか。キミ達はキミ達で、忘れて、前を向いて生きていてくれないか」

 

「僕は……確かに、里の為にシンリィを連れに来ました。だけれど……!

ただ……シンリィに逢いたかった。これは本当です。あの子が生きていると知って、いても立ってもいられなかった」

 

「そうだな、ボクの結界を破ったもんな」

 カワセミの無色だった声に、少しだけ色が付いた。

 高い崖に囲まれたこの湾にはずっと霧が立ち込めていて、外界の全てを拒絶していた。

 

 ナーガは堰が切れたように続ける。

「シンリィ・・! 本当なら友達と草原を駆け回っているような幼子(おさなご)が、こんな木枯らしの砂の上で、ひとりぼっちで・・! お願いです、里へ戻って下さい!」

 

「無理だ」

 

「無理じゃないです!」

 顔を上げてナーガは逆らった。

「シンリィは生まれて七年も生きています。貴方の力でしょう? 貴方の術かその羽根の力かで悪魔は追い祓えたって事でしょう? なら僕が、里の民に向けて、大丈夫だと宣言をします。次期長の僕が!」

 

 相手はただ静かに無言を貫いている。

 それでナーガは少しイラついた。

「シンリィは貴方の『モノ』じゃない! あの子にだって色んな権利があるんだ!」

 

「…………」

 カワセミは踵を返して、小屋の御簾をくぐって、七つにしては小さ過ぎる子供を連れて出て来た。

 子供はちょっとビクついたが、両肩に手を置かれて、すぐ安心の表情になった。

 

 不意にカワセミは子供の衣服を開けて、胸を曝(さら)した。

 ナーガは息が止まる。

 カワセミが抑えた声で呟く。

「悪魔は去っていない。ずっとここに居るんだ」

 

 キョトンとする子供の胸から下、小さな身体は、真黒い斑点に覆われていた。

 

「シンリィが何故生きながらえているのか、ボクには分からない。ユユが散り際に何かの術を施したのかもしれないが、今更そんな事を知ったって何の意味もない。はっきりしているのは、悪魔は去っていないって事だけだ。そしてこの子の側に居られるのは、羽根に護られているボクだけ」

 

 思わず後ずさりしそうになって、ナーガはハッとして踏み留まる。

 しかしそれを見逃すカワセミではなかった。

「分かっただろ。キミでさえ恐れる。当然だ」

 

 返す言葉のないナーガに、カワセミはほんの少し情の入った声で言う。

「この子はボクが育てる。平穏な安堵だけに包んで。この子に権利が有るとすれば、誰からも何からも傷付けられない権利だ」

 

 何も言えない。どうしようもない。ナーガは凍りついた表情で立ち尽くす。

 

「分かっていると思うが、里へは直に帰るなよ。何処か生き物の居ない場所で、時間をおいて様子を見るんだ。悪魔を貰っていないか」

 

「……はい」

 

「蒼の里の次期長をこんな風に心配したくない。だから、もう来るな」

 色褪せた羽根を揺らして、カワセミは背中を向けた。

 

 後ずさりしながら、ナーガはもう一度子供を見る。

 里に居た頃のカワセミと同じ、水色の細い髪。

 はなだ色の大きな瞳は、妹の幼い頃に切ないくらいそっくりだ。

 だけれど近付く事も出来ないこの子供に、ナーガは辛うじて微笑みかけた。

 シンリィは無反応だった。言葉だけでなく、ヒトとの交わりも教えていないのだろう。

 

 この子がこんな風に育つなんて、誰が望んだっていうんだ。

 

 

  ***

 

 

 七年前。

 

 遥か西の大陸から草原に、黒い悪魔が忍び寄った。目に見える侵略ではない。

 今から考えると、目に見える相手の方が、まだどれだけかマシだった。

 悪魔は黒い斑点と共に、生き物すべてを根絶やしにせんばかりの勢いで、瞬(またた)く間に広がった。

 弱体化していた人間の草原の帝国は、これでとどめを刺された。

 

 黒い疫病は人外だろうと区別なく襲い掛かり、無防備な妖精の部族が幾つか壊滅した。

 蒼の里では、術者達が何重にも結界を作って、外から入る風を塞いだ。

 けして隙間は作らなかった。……作らなかった、筈なんだ……

 

 悪魔の侵攻が明らかになった時期、カワセミは深山に居て情報が遅れ、里へ戻り損ねていた。

 折しもその十数年前に大長が行方知れずになっていた。

 不明になった場所が、後々、黒い影が最も濃かった地域だと分かり、皆はある程度の覚悟はしていたが、カワセミだけは最愛の師匠の行方を、事ある毎に捜索し、帰りが遅れてしまう事がままあった。

 執務室の者達は慌てた。一筋の風も通せない今、通信用の鷹すら使えない。

 ツバクロが高空を飛んで迎えに行くと言ったが、ノスリは長を二人も欠く危険は冒せないと止める。

 

 言い合っている面々の前に、ユーフィが緑の石版を抱えて入って来た。

「カワセミ様は大丈夫だわ」

 

「大丈夫って、どうしてそんな事が言える?」

 問いただすナーガの前で、彼女は石版を大机に置いて、蝋石を構えて目を閉じた。

「見ていて」

「??」

 

――ボクは大丈夫――

 

 書いてから、手を開いて見せてくれたのは、空豆大のピンクの石。

「この護り石と石版には、カワセミ様の術が掛けられているの。弟子だった時代に通信用に掛けて貰ったんだけれど、役に立ってよかった」

 

 そうして遠くから送られて来るカワセミの意思は、妻を通して皆に伝えられた。

 里から彼への返信は、やはりユーフィが、石を握った手で蝋石を持って文字を書く。

 それが消えたら『伝わった』合図。

 文字は書いた先から消える事もあれば、翌日消えている事もあった。

 

 カワセミは冷静だった。何となく確信はあったらしい。

――ボクの背中の羽根の守護は、悪魔に対しても効くみたい。だからボクは感染しない――

 

「あいつ、文字だけになってもいつもと変わらんな。物凄い事をサラッと報告しやがって」

 ノスリが言って、皆を笑わせた。

 

――知識があったら、ある程度は悪魔に対抗出来る。ボクは、弱い種族に防疫の知識を伝布して回る――

 

――無理するなよ――

 

――ボクは、蒼の長だから――

 

 執務室の皆は、文章でカワセミを励ます事しか出来ないのが歯痒かったが、それすら度々は躊躇(ためら)われた。

 石の通信はユーフィの体力を消耗させたからだ。彼女は臨月だった。

 

 

 そしてあの朝……眠れない男性陣の耳に響いたのは、元気な産声ではなく、産婆と女性達の金切声だった。

 

「ああ、あ、悪魔が・・!!」

 生まれたばかりの赤子の全身に悪魔の斑点があるというのだ。

 

「外と交信する事で悪魔を呼び入れてしまったのよ! 早く、早く『それ』をどうにかして!」

 パニックに陥りとても妹には聞かせられない言葉を叫ぶ女性を、慌てて抱えて遠ざけた。

 

 他の女性たちも落ち着かせ、身を浄めさせるのに手間を割いて、母親と赤子に対する注意が遅れた。

 一瞬の遅れを後悔する暇もなく、産屋はもぬけの殻だった。

 産褥の中動けるとは誰も思っていなかった。

 厩からはユーフィの馬が消えていた。

 

 追い駆けようとするナーガをぶん殴ってノスリに託し、ツバクロが自分の馬で飛び出した。

 

 が、そう時間を置かずに、唇を噛みしめながら戻って来た。

 『空の色が変わる所』までは、彼にも昇る事が出来なかったのだ。

 

 勿論、その後も捜しに行こうとした。行きたかった。

 だけれど、悪魔は明らかに里に狙いを付けている。もう風を通す訳には行かない。

 長達は辛い判断を下さねばならなかった。

 

 

 数日後、執務室の机に置かれた石版が、蜘蛛の巣状に割れていた。

 

 それきり、カワセミも、消息を、絶った。

 

 

 蒼の里は、じっと耐えるしかなかった。

 黒い悪魔が草原を蹂躙し尽くし、やっと下火になった頃には、二年の歳月が流れていた。

 草原の様相は大きく変わり、かつての生命溢れる豊穣の地は窶(やつ)れ荒れ果て、多くの大切な物が失われていた。

 

 外へ出られるようになり、ナーガは一番にユーフィとカワセミの行方を捜した。

 消息を絶つ直前に滞在していた山の民の村までは、簡単に割り出せた。

 そして、疲れ果てた生き残りの話を聞いて、また胸を潰す事となる。

 

 ユーフィはピンクの石を頼りに、カワセミの元へ辿(たど)り着けていた。

 しかしその時はもう、彼女も悪魔の手の内で、子供は虫の息だった。

 

 悪魔に憑かれた妻子を抱え、カワセミはその村から身を引いた。

 山の民が俯(うつむ)いて教えてくれたのは、そこまでだった。

 身を引いた、という言い方をしたが、現実がどうだったのかは、ワカラナイ……

 

 その後、子供は不思議に命を取り留め、ユーフィは海の灰となった。

 命を搾って何らかの力を我が子に与えたのだろうか? 

 カワセミにも分からない事が他者に分かる筈もなく、推測で語るような物でもないのだろう。

 

 山の民は最後に、俯(うつむ)いたまま教えてくれた。

 赤子には、父母二人で名を授けていたと。

 小さな額に二人の手を重ねて、『シンリィ・ファ(金鈴花)』と名付けていたと。

 

 

 

 里より遥か北の果ての海辺の二人を見つけたのは、殆どその為だけに必死で修行を積んだナーガの『内なる目』だった。

 世界から忘れ去られた小さな湾で、カワセミは干からびた羽根と共に、シンリィを包み込むように生きていた。

 

 

 里への高空気流の中で、ナーガは涙を凍らせながら叫ぶ。

「あの子ひとり救えなくて、何のための長だ……!!」

 

 

 

 

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