ここ最近のナーガはあからさまに機嫌が良い。
妙にニコニコ思い出し笑いして、つまずいたシンリィに頭からお茶をかけられても蹴り球をぶつけられても、いいっていいってと、鼻血をたらして上の空だったりする。
「ナーガ様、拾った水晶を磨いてくれって持って来たけれど、どうやらあれ女性用のブローチを作るつもりみたいだぞ」なんて近所の研磨職人から聞いた話を小間使いのジュジュが洩らしちゃったもんで、執務室コンビは俄然色めき立った。
「おそらく外部の女性だ。里の中では今の所、ナーガに接近している女のコはおらんからな」
腕組みしたノスリとホルズが、大机の前で鼻息荒く頷(うなず)きあっている。
「何でそんな事、言い切れるんですか?」
ジュジュは「また始まった」風な呆れ顔で、さっさと終いの掃除を始めた。
「ノスリ家女性陣ネットワークを嘗めるんじゃないぞ。里の中の女のコ情報は、彼女達が完全に把握している」
「…………」
「下手にカマを掛けても、ナーガは口を割らないだろう。逆に意地を張らせて駄目にしてしまう恐れがある」
ノスリがさも重大事項のように重々しく言い、ホルズが机の真ん中に過去の日程表を広げて、棒で指しながら解説を始めた。
「この何週間か、奴は必ず水の曜日に休みを作りたがっている。実際、昨日今日と仕事を前倒しにして飛び回っている。水曜の明日に休みを取りたいのが見え見えだ。恐らく相手は、毎週決まった曜日に暇が出来る、規則正しい仕事に従事している女性だろう」
「だから、相手を知ってどうするってんですか?」
ジュジュは腰を浮かせて逃げる機会をうかがっている。
巻き込まれたら絶対ロクな事にならない。
「あのナーガが自力で何とか出来ると思うか? エノシラの時だって、のんびり構えて放って置いたら、トンビに油揚げさらわれたんだ。やはり俺達がちゃんと相手を知って、鮮やかにフォローしてやらなきゃならんだろう」
「お、俺には無理ですからね。ナーガ様に気付かれずに尾行するなんて」
後退りする少年の腕を、ホルズがニコニコしながら掴んだ。
「その点は抜かりがない」
外でパタパタと不器用な足音が近付いて来る。
「いるだろうが! 可愛い可愛いナーガの『クックロビン』が」
修練所の掃除当番を終えて駆けて来たシンリィが、御簾を開けてキョロンと覗いた。
「シンリィ、いいかぁ。オジサンの言う事を、よぉく聞くんだよぉ」
ホルズが羽根の子供の小さい肩を両手でガッツリ掴んで、ジュジュと並べて長椅子に座らせた。
シンリィは早くいつもの書類を綴じる作業をやりたくて、大机とホルズを交互にソワソワ見ている。
「明日はナーガにくっ着いて行くんだ。お前が可愛くすり寄れば、奴は拒否出来ないからな」
「でも、シンリィが見たって、ホルズさん達に伝えられないでしょう?」
「大丈夫だ」
ノスリが、奥の物入れから埃だらけの木箱を出して来た。
「そこで、この『ノスリ家の秘宝』が役に立つ」
大きな肺活量で埃をフウッと吹くと、部屋中真っ白になった。
直撃を受けたシンリィは、ケホケホ咳き込んでいる。
仰々しい木箱の紐を解いて出て来たのは、握りこぶし程の二等身の木彫り人形だった。
飛び出した真ん丸な目、大きなワシ鼻、分厚い唇、頭には角みたいなのまである。
お世辞にも可愛いとはいえない。どちらかというと不気味だ。
「な、何なんですか、これが、秘宝?」
ジュジュは胡散臭そうに眺める。
「親父、この人形本当に大丈夫なのか? 子供がふざけて作った出来損ないにしか見えないが?」
「ああ、確かにこれだった。カワセミが術を込めた傑作品『現(うつ)し身人形』だ!」
ノスリは箱から人形を摘まみ上げて、少年に向けた。
「人形の目を見るんだ。正面から、しばらくじっと睨んで」
少年がおっかなびっくり人形を覗き込むと、木肌の表面が薄くポゥッと光った。
ノスリはそれを大机に置き、大きな鏡を正面に立てて唱えた。
「お前と最後に目を合わせた無礼者の名は?」
「おお!!
鏡を覗き込んだホルズが叫んだ。
小さな人形サイズの少年が映ったのだ。
その現し身が喋り出した。
《・・ジュジュ、蒼の妖精、蒼の里の執務室で働いてる。両親はいないけれどサォ教官がお父さんみたいなものかな。初恋はエノシラさん、今はホルズさんとこの真ん中の娘(コ)と付き合ってる。ノスリ家ネットワークって聞いて焦ったけど、どうやらバレずに済んでるみたい。意外とザル……》
ジュジュがバッタの如く跳ね飛んで、鏡をバタンと伏せた。
「ほ・お・・・・」
ホルズが腕組みして閻魔様みたいな顔で少年を見下ろす。
「ははは、シンリィ、凄いだろ。お前の親父さんの術だぞ」
ノスリがその場を取り繕うように大声で叫んで、シンリィの頭をワシワシ撫でた。
「ま、ざっとこんな感じだな」
脳を揺すられてクラクラしているシンリィの手を取って、不気味人形を無理やり握らせる。
「これを持って行って、ナーガが会いに行った相手と睨めっこさせるんだ」
シンリィは人形を一目見て、口の両端を下げて心底嫌そうな顔をした。
「それにしても、凄い術力(じゅりょく)だな。正式には何に使う物なんだ?」
ジュジュにヘッドロックをかけながらホルズが聞いた。
「昔、俺の取っておきの隠し酒をフィフィに頂かれてるかもしれないってボヤいていたら、カワセミが作ってくれたんだ。酒瓶の上に置いときゃいいって」
「………」
「ちなみにモデルはフィフィだそうだ」
「………」
ジュジュだけでなくホルズまで、聞くんじゃなかったって顔になった。
凄い術力の無駄遣い……
調子っ外れな鼻唄が近付いて来る。
「ただいま戻りましたぁ! あれ、皆さんお揃いで」
噂の主は弾んだ声で御簾をくぐって来た。
仕事が済んで一晩寝たらあのヒトに逢えるって喜びが、身体のあちこちから立ち昇っている。
本当に隠しておけないヒトだ。
***
「いいかい、シンリィ。ナーガが会いに行った相手の女のヒトだぞ。人形と睨めっこさせたら、こう素早く返して貰って、後は誰にも見せんように布にくるんで懐にしまうっと。もういっぺんやろうか?」
朝、ノスリとホルズにジェスチャーたっぷりに何回も見せられてクラクラしながら、シンリィは馬繋ぎ場のナーガの所へ向かった。
「申し訳ないね。明日は埋め合わせるから」
「いえいえ、『たまたま』休暇が出来て良かったですね。のんびりして来て下さい」
馬装を手伝う振りをしながらナーガの足止めをしていたジュジュは、羽根の子供が下りて来てホッとした。
シンリィはホテホテ歩いて、ナーガの横にピタリと張り付く。
「どうした、シンリィ?」
「一緒に行きたいんじゃないですか?」
「ええ? そうかなあ」
半分困った素振りをしながらも、ナーガはまんざらじゃなさそうだ。
この子供が懐いてすり寄るなんて珍しいからだろう。
「まあいいか」
ナーガはあっさり子供を鞍の前に乗せた。
懐にノスリとホルズの策略人形が忍ばせてあるとも知らないで。
(何事もなく過ぎればいいけれど)
一抹の不安を感じながらも、少年は二人乗りの騎馬を見送った。