緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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白蓬・Ⅳ

「何なんだ、この獣は!」

 

 九ノ沢のヒト達も知らない生き物らしい。

 銀鼠(ぎんねず)のタテガミを逆立て歯を噛み鳴らして、妖獣は男達を威嚇する。

 さっきの木漏れ月の下の静かな雰囲気とは大違いだ。

 

 飛び道具はまったく当たらない。獣が早すぎる。早くて鋭い。

 正面の者は鞭のような首で薙ぎ払われ、逃げる者は噛みつかれ。

 後ろに回ると大鉈(なた)のような蹴りが飛んで来る。

 武闘派で名高い九ノ沢の男達が、二歳馬ほどの大きさの獣に、すっかり翻弄されていた。

 

 気が付くと、咳き込んで水を吐いている自分の背中を、羽根の子供が一生懸命さすってくれている。

 バサバサで毛羽立った羽根は、あの見事な翡翠色の羽根とはずいぶん違う。

 

「大丈夫だよ。ほら、今の内に行こう」

 ヤンは子供の手を引いて、川の反対側に走った。

 

「こっちに来てくれるなよ・・って、うわあっ」

 ヤンの願い虚しく、妖獣は逃げる者に反応してか、水しぶきを上げながら追って来た。

(ヤバい!)

 

 しかし獣は止まった。ヤンの後ろを凝視している。

 振り向くと、上で待たせていた四白流星が勝手に下りて来て、ヤンの後ろから妖獣を睨んでいた。睨んでいるといっても、元が優し気な馬なので、全然迫力が無い。

「お前、やめてくれ、勝てる訳ないだろ」

 

 ところが妖獣はクルリと踵を返し、後ろの男達に再び向かって行ってくれた。

 た、助かった・・ 

 

「急げ、乗って!」

 慌てて子供を馬上に押し上げ、自分も飛び乗って、馬を発進させる。

 体力を温存していた馬は、二人乗りでも力強く斜面を駆け上がってくれた。

 

 

 ほどなくさっき越えて来た小尾根に辿り着いた。

 振り向くと、川を挟んだ反対側の斜面を、グシャグシャなタテガミが駆け去って行くのが見えた。

「とんでもなく凶暴じゃないか。五つ森で逃がした時、襲われなくてよかった」

 

 追っ手の気配は無い。こちらを追うどころじゃなくなっているのだろう。

「おじさん、大丈夫だったかなあ」

 かといって、戻る訳にも行かないんだけれど。

 

 この尾根は、九ノ沢と五つ森の猟場の境界線になっている。

 どちらにも下りたくないので、このまま登って行く事にした。

 道なき道だが、時間をかければ三峰の猟場に出る事は可能だ。

 

 ヤンは下馬して馬を引いた。羽根の子供も下りようとしたが、手で制止した。

 さっきの水場の様子から、この子に自分達と同じペースで歩かせるのは無理だと思った。

 

 少し歩いて落ち着くと、馬が後ろから鼻を付けて甘えて来る。

「お前さあ、無茶すんなよ。あんなのに向かって行ったら命が幾つあっても足りないぞ。まあ、でも、ありがとな」

 馬はフルルと頷いた。

 

 馬上の子供はというと、向こうの山の、妖獣が去った方向を見つめている。

 よっぽどあいつが気になるんだな。

 

「あのね、興味を持ったからって、野生の獣に安易に近寄っちゃダメだよ」

 子供はヤンに向き直った。

 

「どうしても近寄らなきゃならない時は、さっきみたいに目を見ちゃダメだ」

 子供は驚いた表情で目を丸くした。

 この子、喋らないけれど、会話は成立するんだな。

 

「自分は無害だって知らせたいなら、視線は相手の目よりちょっと下な。『挑む』んじゃなくて『伺う』って感じ、分かる?」

 尾根筋を歩きながら、ヤンは子供に講釈した。

 返事はないが、この子が真剣に耳を傾けているのは分かる。

 

「あと、真正面もダメ。あいつら僕らと見え方が違うから、真正面はめっちゃ圧迫感があるんだって。勿論真後ろはもっとダメ。正解は斜め前。出来れば利き足側の。あ、利き足の見分け方は、こう、駆け足した時に前脚が先に来る方……さっきの妖獣は左だな。あとは……」

 

 ヤンは苦笑いした。この子は蒼の妖精じゃないか。

 草の馬を駆る一族に向かって、何を偉そうに言っているんだ、僕は。

 

 

   ***

 

 前の灌木が揺れた。

 思わず馬を引き寄せて身構える。

 

「俺だ、一人だから安心してくれ」

 ガサガサと出て来たのは、さっきの、九ノ沢の顔見知りの男性だった。

「どさくさに紛れて抜けて来た。本当に一人だから」

 

「…………」

「思い直したのだ。お前は嘘なんか言う子じゃなかった。その羽根の子には偶然会ったんだよな、決めつけて済まなかった。怖かったろう、ケガはなかったか?」

 男性はヤンの見知った人情味のある顔に戻っている。

 

 ヤンは肩を降ろして聞いた。

「おじさんこそ大丈夫? 他のヒト達は無事? 随分凶暴な動物だったけれど」

 

 男性は頓狂な顔をした。

「あれは、お前のペットだろう?」

 

「ええっ? 違いますよ!」

「だって、お前を水に沈めていた奴に真っ先に突進して行ったのだぞ。それに俺は襲われなかった」

「何で……」

 

「そいつを止めようとしていたからじゃないか? あの獣、お前を守ろうと奮闘しているようにしか見えなかったぞ。お前が逃げるとすぐ俺らから離れて行ったし。本当にお前のペットではないのか?」

 

「いやいや違いますって…………あっ」

 思い当たった。

「あの動物、五つ森で草の馬と間違えられて閉じ込められていたんですよ。僕が扉を開いて逃がしてやったから……まさかのまさかで、その恩返しに来たとか?」

 

「本当か、はあ、そんな事もあるのだなあ」

 男性は素直に納得した。

「ああ、皆もれなく被害を受けたが、大きな怪我をした者はいなかった。お前はあまり気にしなくていい」

 

 ヤンは肩を降ろした。もうこの優しいおじさんと普通に付き合えなくなるかと心が痛んでいたから、そうならなくてよかったと、心底ホッとした。

 

「なあ、その羽根の子供はどうするつもりだ?」

 

「三峰に連れて帰ります。イフルート族長なら人脈も広いから、この子の帰る場所が分かるかもだし。何より、ここに置き去りにする訳にも行きませんから」

 

「そうか……」

 男性は眉を寄せて、少し迷った末、口を開いた。

「やめた方がいいと思うぞ」

 

 目を見開くヤンが聞き返す前に、男性は言葉を継いだ。

「信じられないかもしれないが…… 我らの間でここ一か月、『蒼の一族の羽根が羨ましい、妬ましい』って風潮が広がったのは、三峰からだぞ。嘘じゃない、俺が実際に聞いたのだから。イフルートが、『奴らは神に依怙贔屓(えこひいき)されている』と、不満をぶちまけていたのを」

 

「まさか……」

 

「『護りの羽根』なんだってな、あれ。災厄の時に来た羽根持ちの蒼の妖精に聞いたんだと。この羽根は悪魔の病をも跳ね返すって。俺らが聞いても、はぁ凄いな、ぐらいにしか思わないが、あいつのようなインテリだと受け取り方が違うのだろうな。お蔭でうちの族長にまで伝染しちまって」

 

「…………」

 その話はイフルート族長に聞いた事はある。だけれど只の雑談で、妬んでいるようには感じなかった。

 

「とにかく今のイフルートは、お前の知っているイフルートとは違うぞ。元々うちは、……その、言っちゃなんだが、三峰を侮って、越境して猟をしちまうような連中がいたんだ。族長が黙認していたのもいけなかったと思う。だが、ある時いきなり、三峰がやり返して来たんだ。大挙してこちらに踏み込んで、獲物を根こそぎ狩って行った」

 

「ええっ、そんな、嘘でしょ」

 そちらの方が信じられない、とても信じられない。

 

「俺も嘘だと思いたかったわ。うちの族長も……ああ、あのヒトも今どこかおかしいんだ、変な激を飛ばしちまってな。お蔭で山全体が好戦的でピリピリしちまってる。……どっちが上とか、どうでもいいのになぁ、今まで平和に付き合って来たのに」

 男性は心底残念そうだ。嘘を付いているようには見えない。

 

「なあヤン、俺の妹がもしあちらで迫害を受けていたら、構わないから帰っておいでと、伝えて貰えぬだろうか」

 

「それは……」

 ヤンは答えあぐねた。このヒトの妹の家は、子供はいないけれど周囲も羨むオシドリ夫婦だ。

 

 それ以前に、今言われた事すべてが信じられない。

 でも、もし、本当だったら……自分の知らない所で思いもよらない事態が起こっているのだとしたら……

 

 ザワザワと胸騒ぎがする。

 

「フウヤ・・!!」

 

 

 

 

 

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