緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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 ナーガがシンリィを連れ帰って数日後、初めて母にシンリィを会わせに行く時のお話
 本編ではないがしろになっていた大長の事に、ちょっとだけ触れています


おまけ ~フタリシズカ~

 

 

「あれ?」

 

 西北の山岳地帯、風出流山(かぜいずるやま)の手前に広がるブナの森。

 馬から下りたナーガが声を上げた。

 

 樹齢長けた大木が覆うこの森で、ここだけ草地の小高い丘になっていて、山の頂がくっきり見える。

 丘の上の瓦礫のケルンは、五年前にナーガが積み上げた物だ。

 下には父の指輪が眠っている。

 

 

 ***

 

 

 父が疫病に倒れた時、ナーガは一瞬、風出流山の神殿を守る母を頭に過(よぎ)らせた。

 あのヒトなら何とか出来はしないかと。

 

 そんな息子の心を見透かすように、父は、「この世の全ての風が集まるあの神殿に、今の下界のヒトカケラも持ち込んではいけない」、と言い残し、隔離場所へと運ばれて行った。

 

 

「父の望み通り、指輪はこの神殿の見える場所に埋めて来ました。本当は母上に届けたかったのだけれど」

 地上の災禍が収まり、ようやくこの神殿を訪れた息子は、疲れた顔で母にそう告げた。

 

「……そう……」

 息子に負けず劣らずやつれた神殿の守り人は、言葉少なに俯(うつむ)いた。 

 彼女とて、手をこまねいているしかない自分に、ここで身を焦がす日々を送っていた事だろう。

 いつもは感情の起伏の激しいヒトだけれど、本当の本当に哀しい時は、底が抜けたように空っぽになるって事を、ナーガは知っていた。

 

「……では、夏草色の馬が欲しいわ。良いでしょう?」

「ち、父上の馬ですか?」

 

 黒い災厄の渦中、カワセミ長の羽根の他に、もう一つ例外があった。

 ――草の馬。

 名馬の魂を、草で編まれた器に宿した、異形の馬。肉体を持たぬ馬達は、疫病を媒介する事はなく、羅患者の乗っていた馬も、しばらく隔離すれば問題はなかった。

 ただ、主を亡くした馬のほとんどは、元気を失くしてすぐに枯れてしまうのだが。

 

「確かに夏草色の馬は、主と運命を共にするなんてタマじゃないですね。枯れる気は微塵も無さそうです。でも……」

 里を出奔している母に、新たに馬を配するのは難しい。

 

「風の聖地の神殿に奉納するとか、そんな名目をでっち上げて下さい。融通がききませんね、次期長でしょう?」

 このヒトが言い出したら聞かない事も、ナーガは知っていた。

 

 

 

「あの方らしいな。賢明だ」

 ノスリ長はあっさり承諾した。

「いいんですか?」

 

「あの馬は高空気流が大好きだ。誰が乗っても高空飛行が出来ちまう。もっとも、乗っていられればの話だが。要するに、地上から神殿への経路を絶っておきたいんだ、神殿の守り人殿は」

 

 ナーガはそこでやっと母の考えに気付いた。

(僕はまだまだだな……)

 

 

 ***

 

 

 その後すぐに神殿に夏草色の馬を届けたのだが、今、それ以来初めてこの丘を訪れている。

 指輪を埋めた時にナーガが里から持って来た金鈴花がきちんと根付いて、小さな群落となっている。

 上手く増えれば、山の神殿からもこの黄金色が見られるかもしれない、そう思って植えたのだが、今日はケルンの下に別の色が見えた。

 それで思わず、「あれ?」と声が出たのだ。

 

 近付いて見ると、幾本かの手折られた花。

 古い物らしく干からびているが、どう見ても風で飛んで来た感じじゃない、誰かが供えてくれた物だ。

「母上? いやまさか、何があっても山を降りるヒトじゃないし」

 

 考え込んだナーガだったが、ふと横を見て、思考が中断された。

 そこに居た子供が消えている。

「シンリィ!?」

 慌てて見回すと、羽根の子供は、丘の麓の森林との切れ目で座り込んでいた。

 周りを小さい木霊達が囲んで、羽根を突ついたり引っ張ったりしている。

 

 ナーガは息を吐いて、坂を下りた。

 あの用心深い木霊があんなにワラワラと集まるなんて、よっぽど無害に見えるんだな、あの子供。

 

「シンリィ」

 ナーガがもう一度呼ぶと、木霊達は森へ散り、子供はキョロキョロと辺りを見回した。

「おいで。お祖父様のお墓に参るって、昨日教えたよね」

 

 ナーガに誘(いざな)われてケルンの前に来たシンリィは、にわかに目を煌(きら)めかせ、枯れた花に手を伸ばした。

 

「ああ、シンリィ。それは誰かがお供えしてくれた物だから、駄目だよ」

 

 言い終わる前に子供は先程の場所へ駆け戻り、藪の中に頭を突っ込んだかと思うと、一本の白い花を摘んで来た。

 葉の形が供えられていた物と同じだ。

 

「ああ、きっとこの花だね」

 森の下生えに混じって咲く、名もない目立たない花。

「シンリィもお供えしてくれるの?」

 

 子供がケルンの前にしゃがんでいる間に、ナーガは深緑の馬を引いて来た。

「これからお祖母様にも会いに行くんだよ。あのヒトはお前のお母さんが大好きだったんだ。だからきっとお前の事も大好きになってくれるよ」

 

 

 

 シンリィにとって、この世は複雑で分からない記号だらけだ

 

 だけれど、色んな所に色んな仕掛けがひっそりと隠されている

 

 それは、ちょっと、面白いコトだ

 

 

 ***

 

 

 夏草色の馬を届けた後、母の神殿には中々来られなかった。

 里の復興と平行して、どこかで生きているかもしれない妹夫妻と子供を探す事に没頭して、毎日が一杯一杯だったのだ。

 

 何せ、自分の上に叔父の大長と、父はじめ三人の長が居てくれたのが、この十数年でノスリ長一人になってしまったのだ。

 そのノスリ長が泣き言も言わず、コツコツと何倍も働くので、ナーガも弱音を吐けなかった。

 

 だから今日は久し振りに母を訪れ、しかも行方知れずだった孫にも会わせてあげられるので、結構浮き立つ気持ちでいる。

 あのヒトの心に、この子供が、ちょっとでも灯(あかり)をともしてくれればいいな。

 

 シンリィは、鞍の前にシンリィ用に付けたベルトに掴まって、大人しくスンと乗っている。

 不思議なほど高空飛行を怖がらない。

 その辺は、父やユーフィの遺伝子なんだろうか。

 

 父だったら「サービスサービス♪」とか言って宙返りの一つもやってあげたんだろうな。

 僕はやってあげられなくてゴメンな。

 

 そんな事をぼぉっと考えていると、シンリィが内懐をチョンと引っ張った。

「あっ」

 神殿を通り過ぎる所だった。

「ごめんごめん、ありがと、シンリィ」

 ナーガは深緑の馬を制して、ゆっくり下降しながら、ふと思考が止まった。

 

「…… ね、シンリィ、ここ、初めて来たんだよね……?」

 

 子供は降下は怖いのか、ベルトにしがみ着いて、近寄る雪の斜面をじっと見つめている。

 程無く、氷の石柱そびえるテラスの前庭に降り立った。

 

「んん?」

 いつもはすぐに気付いて出迎えてくれる母の姿が無い。

 玄関ホールに、母の馬と夏草色の馬が並んで、二人を見ているだけだ。

 

「何かで手が離せない? 眠っていても気付くヒトなのにな」

 

 ナーガはシンリィの手を引いて階段を登り、馬達の横をすり抜けて左手の居間の方へ向かった。

 馬は初対面のシンリィを鼻息荒く睨み付けたが、シンリィはキョンと眺めて通り過ぎた。

 

「あれ? 何だか」

 居間の扉を開いても母の姿は無かったが、いつもと違うのに気付いた。

 何がどうって訳じゃなく、何となく……?

 

 例えば、敷物の張り具合、酒瓶の場所、クッションの向き……

 ……微妙に……そう、微妙に、何かが違う……?

 

 その時、一番奥の衝立(ついたて)で仕切られている場所で、影が動いた。

 そちらは一段低くなっていて、大きな木のタライのある行水場だ。

 布の掛かった衝立の向こうで、白い湯気が上がっている。

 

「ああ、湯あみをしていたのか」

 

 ナーガは肩を降ろして、二、三歩居間に踏み入って……・・止まった。

 

 衝立の横の衣紋掛けに、明らかに母の物と違う衣服が掛かっている。

 そう……その…………どう見たって……男性用の……

 

 ナーガはシンリィの手を引いたまま、後退りして居間の扉を閉めた。

 

 

   ***

 

 

 まさかまさかまさかまさかいやいやいやいやいや……!!!

 ナーガは何回も何回も深呼吸して、自分を落ち着かせた。

 

 蒼の妖精は長く生きる分、何度か連れ合いを亡くしては、新たな縁を結んだりする。

 実際母には、自分達が生まれる前に、亡くした夫と子供がいたという。

 父が亡くなってまだ五年、もう五年なのか? いややっぱりまだ五年、よく分からない。

 

「そうだ、行き倒れた旅人に湯を恵んでいるだけかもしれない。そうだ、きっと、そうだ」

 孤立峰で行き倒れた旅人もない物だが、ナーガは無理やり納得しようとした。

 でも無意識にお子様のシンリィを後ろに追いやって、もう一度居間の扉を細く開けた。

 

 衣紋掛けの横の小机に、酒瓶と盃が二つ。

 水音の向こうに母の声。

 

「お背中、流しますか?」

 

 ナーガは、扉に手を掛けた仏像のような形のまま、フワフワと後退りした。

 

 そりゃ母は、息子の自分が言うのも何だが、トンでもなく美しい。

 だからって、何もそんな場面に出っくわさなくたって、いいじゃないかぁ……

 

 コツンと背中に当たったのは、夏草色の馬の鼻面。

「お前も、切なかろう」

 

 馬の鼻面を撫でようとしたナーガは、しかし馬の後ろにシンリィを見た。

「……シ……?」

 と言った所で、子供は無表情で馬の尻尾を思い切り引っ張った。

 

 夏草色の馬はピャアッと叫んで立ち上がり、前方に突進。

 即ち、細く開いたままの居間の扉に向かって。

 

「あ――っ!!」

 跳ね上げる馬の後脚からシンリィを庇う方が先だったので、ナーガは馬を抑えられなかった。

 馬は扉をブチ開けて、そのまま居間に駆け込み、躊躇なく奥の衝立に突っ込んだ。

 

「きゃあぁっ!!」

 母の悲鳴と、モウモウたる湯気。

 衝立とタライが破壊されるバキバキという音、ザバアと水の弾ける音。

 

 ・・・・・

 ナーガは恐る恐る顔を上げた。

 仰向けに庇われていたシンリィは、ボォッと天井を眺めている。

 

 水浸しの居間を見るのも怖いけれど、衝立の向こうを見るのはもっと怖い。

 ナーガは腹を決めて振り向いた。

 

 ――??

 倒れた衝立の向こうには、母が薄着で髪をまとめ上げ、腕捲りにたすき掛けしていたが…………一人だった。

 

「ナ、ナーガ?」

 呆然と、やっとそれだけ言う。

 

「母上、一体どうしたっていうんです?」

 ナーガはフラフラと母に近寄る。

 水浸しの床で足がピチャリと音を立てた。

 

「どうしたって、それはこっちの台詞です。な、何の恨みがあって……あ・あ・あ・もう、敷物が、家具が、水浸しじゃないの!」

 

「す、すみません」

 

 慌てて謝るナーガの横をすり抜けて、シンリィが女性の前に進み出て、ペコンとお辞儀をした。

 ここへ来る前に『初対面の挨拶』って奴を教え込んで来たのだが、何も、今しなくても……

 

「こ、この子……まあ、アナタ……」

 母は、興奮していた顔がみるみる治まり、ただ口をパクパクさせる。

 感動の出逢いにするつもりだったのに……

 

 ガッカリする事この上ないナーガだったが、更にシンリィの手元を見て、驚愕の顔になった。

 前に突き出したシンリィの両手には、白い小さな花が握られていた。

「も、持って来ちゃったのぉ?」

 てっきりケルンに供えたと思っていたのに。

 

 しかし女性は、その花とシンリィを見比べて、みるみる表情を崩した。

 たすき掛けをほどいて、両腕を大きく開く。

「おいで……」

 

 シンリィは水浸しの中を躊躇無く裸足でバシャバシャ歩いて、彼女の前に立った。

 

「よく来てくれました」

 水浸しの中、膝を折り、彼女は子供をふうわり抱き締めた。

 子供は素直に身を預けて目を閉じる。

 

 少し時間が流れて、女性は立ち上がった。

「さて」

 子供の肩を抱いて、水の来ていない椅子とテーブルの方へ誘(いざな)う。

「お菓子食べますか? ああ、暖かい飲み物の方がいいわね。貴方はここに座っているのよ。

・・ナーガ」

 

「は、はい」

 茫然と突っ立っていた息子は、弾かれたように返事をした。

 

「私(わたくし)は着替えて来ます。ここの片付けをお願いしますね。床に水滴一つ残さぬよう」

「は……い……」

 

 腑に落ちないモノを感じながら、床を拭き敷物を乾かすナーガの横で、シンリィは言い付け通り椅子から動かないで、足をブラブラさせていた。

 

 この小悪魔……!

 

 衝立(ついたて)やタライも修繕して、ようよう一息付いた頃、母は柔い部屋着に着替え、子供の世話をあれこれ焼いていた。

 白い花は大切にコップに生けられ、シンリィは大人しくされるがままだ。

 

「あのお……僕も、お茶を頂いて、宜しいでしょうか……」

「ああ、そこにお湯が沸いてるから、自分で入れて下さいね」

 いそいそと、甘い菓子を子供の前に並べながら、母は素っ気なく答える。

 

 取りあえず自分で注いだ紅茶をすすりながら、椅子に落ち着いたナーガは、そぉおっと聞いてみた。

「お背中流しますか……って、空耳かなあ……?」

 

 女性はヒタリと停止した。

 

「それに、あれ、どう見たって、男性用の肌着……ですよね」

 水浸しの床から拾い上げた肌着が、暖炉前に情けなく吊るされている。

 

「あっあれはっ・・ツバクロ殿、貴方のお父様の物ですっっ」

「はぁ、父上の?」

 確かに、神殿に滞在する事もあった父の衣服が残っていても不思議じゃない……が。

 

「あの……えと……」

 ナーガは心配顔になって、マジマジと母を見た。

「大丈夫ですか? 母上」

「大丈夫です……」

 

「父上は、亡くなったんですよ……分かりますよね?」

「ごっこ遊び、です」

「は?」

 

「だって、退屈だったんですもの!!」

 女性は下を向いて真っ赤になって、両手で顔を覆った。

 

「ツバクロ殿が夏草色の馬で降りて来て、居間へ誘(いざな)ってお酒を勧めて、湯あみの世話をしてって、『居る』つもりでやっていたんです。笑っていいですよ。物凄く退屈だったんですもの!」

 

「そ、それで……その、『エアーツバクロごっこ』……をやっていたんですか? わざわざ湯まで沸かして?」

「エアーナーガの時も、エアーユーフィ夫妻の時もありました」

「……………………」

 

 ナーガは、物凄く大切な大切な大切な事が抜け落ちていた自分に、茫然とした。

 父も、妹も、そして大長もいない今、この神殿に足を運べるのは、自分一人しかいないではないか。

 

「すみません……あの……」

 

「いいんです。里が大変なのは分かっています。この子を探すのだって、一筋縄では行かなかったのでしょう?」

 

「いえ、でも……そう、僕はいつもそうで……すみません、ユーフィも護れなくて」

 言ってしまってからナーガはハッとした。

 前回も前々回の訪問時も、口に出せなかった言葉だ。

 

 慌てて前を見ると、母も真顔になってナーガをじっと見ている。

 

 ずっとずっと……ずっとずっと……戻せない時間は、皆の心に爪を立てている。

 

「あの子は、貴方の事をいつも誇りに思っていました。だから自分の欲望を優先したくなった時、身を引いたんです。妹ってそんなものなんです。だから……」

 言葉を重ねる毎にナーガが俯(うつむ)いて、これ以上喋ると消えてしまいそうになったので、母は黙った。

 

 俯くナーガの前に、スプーンが差し出された。

 妹と同じ瞳の子供が、神妙な顔で、蜂蜜の乗ったスプーンを突き出している。

 ナーガはシンリィの頭をクシャクシャと撫でて、それを口に含んだ。

 頬の内側が心と共に溶けそうになった。

 そうして、今、妹が、自分にこの子を遺してくれた事実を、噛みしめる。

 

 

 ***

 

 

「私(わたくし)の事は気にせずとも大丈夫です。馬達もいますし、氷蝙蝠(コォリコウモリ)などの生き物もたまに来るので、まったくの独りぼっちでもないのですよ。夏草色の馬を独りで飛ばしてやると、面白いお土産を持って帰ってくれたりもしますし」

 母は、明るい顔でナーガに言った。

「それに、私はこの神殿が大切なのです。貴方達やツバクロ殿との思い出が、沢山詰まっていますからね」

 シンリィの食べかすを取ってあげる仕草は、ナーガにとっても、どこか懐かしい物だった。

 

「蒼い月を眺めがら、ツバクロ殿の馬頭琴を聞くのが大好きでした。今日はそこまで演じるつもりだったのに、邪魔が入ってしまいました」

「はあ、すみません」

「ふふ」

 久し振りに、少女のような顔で母は笑った。

 

 

「あの」

 陽が落ちかけて、帰りがけ、ナーガはちょっとはにかんで振り向いた。

「馬頭琴、練習します。父には及ばないだろうけれど」

「楽しみです」

 母は、やっとしみじみ、息子の顔を見た。

 

「シンリィ、帰るよ、シンリィ」

 羽根の子供が居間から駆けて来た。

 

「お菓子は持たせて貰ったから。一度にあんまり食べるとお腹を壊すぞ」

「何事も経験させなさい」

 

 母の有り難くも無茶苦茶な言葉を頂いて、深緑の馬は二人を乗せて飛び立った。

 

 女性はその姿が点になるまで見送って、幸福感を噛み締めながら、居間に戻った。

 

 

 居間の暖炉の前には、ガチガチ歯の根も合わない彼女の兄が、うずくまっていた。

「酷いですよ。一旦外に誘うとか、方法はあったでしょう」

「あら、私だって『アブナイヒト』を演じざるを得なかったんだから、おアイコですよ」

「おアイコですかぁ?」

 

 

 

 ・・・・・

 十数年行方知れずだった兄……大長が、夏草色の馬に乗せられて、この神殿に突然訪れたのは数日前。

 出先でやはり黒い疫病を貰ってしまい、霊山の氷室に籠って、ひたすら回復に努めていたという。

「一か八かでした。一時はダメだったかもしれません。外に居た闘牙の馬が、枯れてしまっていましたから」

 奇跡的に生還を果たし氷室を這い出した物の、馬がいないしさてどうしよう……とウロウロしていた目の前に、夏草色の馬が舞い降りて来た、との事。

 まったくどこまでも飄々と、悪運だけは強いヒト、と、妹は思う。

 

「里に、無事だけでも報せればいいのに。皆心配していますよ」

「んん・・ 皆、私が居ない状態で回しているのでしょう? そこに割って入るのは、何だか勿体ない気がしましてねぇ」

 

 そんな事を言うので、神殿で匿(かくま)い、今日は湯あみを世話していたのだが。

 夏草色の馬に襲撃され、一瞬を突いて馬の背中を踏み台に天井の物置に隠れたはいいが、兄は客人が帰るまで、半裸で震えながらそこで待つ羽目になっていた。

 まぁ、気にしていなかった訳ではないが、里の皆に心配をかけておいて、何だかフリーを満喫している兄に、ちょっと意地悪をしてみたい気持ちもあった。

 ・・・・・

 

 

 妹は罰悪そうに兄にガウンを被せた。

 兄は熱い蜂蜜湯をすすりながら、妹を責めるのを止めた。

 

 それからシンリィの持って来た白い花を、二人で見やる。

「大した子供ですねぇ。私が天井に逃げる隙を作ってくれました。あれ、打算じゃなくナチュラルにやっているんでしょうかねぇ」

 天井に這い上がりながら目が合った仰向けの子供は、瞬きもしないでこちらをジッと見ているだけだった。

 

「兄様が蒼の里から身を隠していたい理由なんか、あの子には知る由もないだろうから、本当に感覚のまま動いているだけでしょう」

「さすが、カワセミの血を引いているだけありますね」

 大長は、さっき天井に向かってサヨナラと振ってくれた小さな手を思い出して、笑みを溢した。

 

「呑気ですね。本当に里に戻らないんですか?」

 

「う~ん・・ノスリもナーガも本当に立派になったようだし、私はもう居ない存在になった方が良いと思いませんか?」

 

 妹は、それを否定するのをやめた。

 思えば、物心付く頃からずっと『長』を背負って来た兄だ。何者でもない身になったのは初めてではないか。ここいらで少々我が儘を通すのも、有りと言えば有りだろう。

 

「兄様の好きにされたら? 何かあってもナーガが何とかしますから」

 

「そうですね、彼は本当に頼もしくなった、まだたまに抜けているけれど」

 

 

 ***

 

 

「あれ?」

 帰り道の馬上、ナーガは、シンリィの懐から覗く白い花に気付いた。

「残っていたのか。そういえば、ケルンの方の枯れた花、誰が置いてくれたんだろう?」

 

 子供は懐で甘い匂いをさせて寝息を立てている。

「まあいいか。いい一日だった。明日からまた忙しいぞ」

 

 

 ***

 

 

 大長はテーブルの上の白い花に手をかざして、また目を細める。

 遠く離れていても、花を手折って供えるくらいの事をやってのける者を、彼は知っていた。

 

 明日の朝には、夏草色の馬を借りて、ここを発とうと思う。

 里から離れて肩書を外した今、長年の懸念と向き合う時が来たのだろう。

 これから、自分なりに遠くから、『風の末裔の一族』を支えて行く心づもりだ。

 

 フタリシズカ・・・

 一つの茎から二つの花房を伸ばすこの花は、『離れていてもいつまでも共に』という意味がある。

 

 

 

 

 

 

 シンリィにとって、この世は複雑な分からない記号だらけだ

 

 だけれど、色んな所に色んな仕掛けがひっそりと隠されている

 

 それは、ちょっと、素敵なコトだ

 

 

 

 

          ~フタリシズカ・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
続編に取りかかっているので、投稿しました
読んで頂いてありがとうございます
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