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エノシラはカゴを胸に抱えて全力で走っていた。
朝二番の鐘までに洗濯を済ませて来なさいって言われていたのに。
師匠のオウネお婆さんは、かなり厳しくて怖い。
修練所の廐(うまや)前にさしかかった時、暗がりの通路に、薄い緋色がチラと見えた。
「あの子……」
ナーガ様が探していた羽根の子供がそこにいる。
しかし自分は急ぐ。あそこなら直、あの方が見つけられるんじゃないかしら。
駆け去ろうとした時、子供が一人ではないのに気付いた。
里の子供、同い年かちょっと上くらいの男の子五・六人に囲まれている。
「!!」
大きい子が羽根の子供を壁に向けて押さえ付けている。
後の子供は羽根を引っ張って、無理矢理広げようとしていた。
「あ、あんた達、何やってんの!」
エノシラはカゴを抱えたまま踏み込んだ。
子供達は一斉に振り向く。
「何って、羽根を見せて貰おうと思って……」
子供が目新しいモノに興味を持って遠慮なく手を伸ばすのはままある事。
本人達に罪の意識はない。
「その子、嫌がっているじゃないの。ヒトの嫌がる事をしてはいけません!」
名前を貰ったばかりのエノシラは、頑張って子供達を諭した。
「えー? だってこいつ、嫌がってないモン」
名前を貰ったばかりの娘のたどたどしさを、子供は簡単に見透す。
「嫌だったら言うだろ。やめて、とか」
「言えない子供だっているんです!」
エノシラは更に頑張って子供達を睨み付けた。
睨みが利いたのか、羽根を引っ張っていた一人が手を離し、それを見てもう一人も離した。
真ん中で背中を押さえていた子が離れると、羽根の子供はその場にペタンとしゃがみ込んだ。
振り向くでもなく泣くでもなく、無言だ。
エノシラも、この子供は見掛けた事があるだけで、近くで接するのは初めてだ。
黒の病の心配はまったく無いと説明されていたのだが、強いて理由もなしに近寄る事もなかろう……というのが、多くの里人のこの子供に対する対応だった。
「あんた、大丈夫?」
子供は言葉に何の反応も示さず、地べたを見回して、散らばった羽毛をノロノロと拾い始めた。
「な、変だろ、そいつ」
真ん中の子が、皆を代表するように言った。
「俺達、仲間に入れてやろうとしたんだ、ホントだよ。でも何にも言わないんだ」
「蹴り玉やオモチャも、分けてやるって言ったのに」
「…………」
「そんで今度は、羽根を見てやる事にしたんだ。教官センセが、ヒトと仲良くなろうと思ったら、まず相手の良い所を見付けて誉めてあげなさいって言ってたから。んで、広げて誉めてやろうとしていたの」
エノシラは溜め息を付いて、子供達の目の高さにしゃがんだ。
オウネお婆さんに大目玉を食らうのは覚悟した。
「そうなの。でも、ね、この子は、羽根を誉めて貰いたいのかしら?」
「……んーと……」
子供達は顔を見合わせた。
「もしあたしだったら、『してやる、してやる』って取り囲まれたら、びっくりするだけで、何も嬉しくないと思う。あんた達だってそうじゃない?」
「蹴り玉をくれるって言われたら嬉しいよ!」
左の子が子供らしい屁理屈で抵抗した。
「そう……ね……」
エノシラは考え込んだ。
子供達は、戸惑いの顔を見合わせた。大人っていつも決めつけて叱るばかりで、こっちの言う事を真に受けて考え込んでくれる大人なんて、そうそういない。
「うん、そう! 欲しいモノをくれるって言われたら嬉しいよね。では誰かを喜ばせようと思ったら、そのヒトが何を欲しいのか考えればいいと思うな」
「そんなの分かんないよ。こいつ喋んないし」
子供には不満な答えだったようだ。
その子供達の目の前に、緋(あか)い固まりが差し出された。
「??」
羽根の子供が両手に拾ったふわふわの羽毛を、子供達に向けて突き出しているのだ。
なんて真青(まさお)な瞳をしているのかしら・・!
エノシラは一瞬、時と場所を忘れた。
「お前、何だよ」
子供達は訝(いぶか)しがって後退りした。
「くれるんじゃないかしら?」
「はあ?」
「羽根を引っ張ったから、羽根を欲しがっていると思ったのよ。ね、あんた、そうでしょう?」
羽根の子供は相変わらず真面目な表情で両手を突き出している。
「貰ってあげなさいな」
しかし子供達は顔を見合わせて躊躇(ちゅうちょ)している。
「どうせくれるなら、そんなゴミみたいなのじゃなくて、そっちの長いのがいいな!」
左の子が無遠慮に、翼の先端の、大きな風切り羽根を指差した。
「あ、俺も、そっちがいい」
「俺も、俺も」
「あんた達……」
エノシラが呆れて今一度子供達に説教をくれようとした時、羽根の子供は黙って左手で翼を引っ張って、右手で先端の大きな羽根を引き抜こうとした。
「あんた、よしなさい!」
制止の手を出す前に、子供の右手は後ろから別の大きな手に掴まれた。
「シンリィ、それは駄目だよ」
「ナーガ様……!」
***
長様の執務室の偉い大人の出現で、子供達は緊張した。
「君達」
「は、はいぃ・・」
「この子と遊んでくれていたの?」
「は、はいっ、そう、そうですっ」
エノシラがキッと睨んだが、子供達は目をそらした。
「そう…… この子はシンリィっていいます。言葉のない遠い国から来たんだ。言葉を覚えるまで時間がかかるから、それまで色んな事を大目に見てやってくれるかい?」
「は、はいっ」
子供達はゲンキンに良い返事をした。
朝の二番目の鐘が鳴って、子供達はお辞儀をして、修練所の建物へ走って行った。
「さてと」
ナーガは色々言いたそうな少女のカゴをヒョイと取り上げ、もう片手で子供の手を引いて、外へ向いて歩き出した。
「貴女をオウネお婆さんの所まで送るとしましょう。時間に遅れた理由を僕が説明すれば、罰を受けずに済むでしょう」
「ナーガ様っ」
エノシラは勢(いき)り立って追い掛けた。
「あの子達っ、その子を苛めていた訳じゃないんですよっ。いろいろと、その、えっと……」
「分かっていますよ」
ナーガは廐を出た所で振り向いて、少女を待った。
「早くにそこに来ていました。貴女が飛び込んだのが見えて」
「!? それで……見ていたんですか? あたしがあたふたするのを」
「いえ、感心していたんですよ」
エノシラが追い付くと、ナーガはまたスタスタ歩き出した。
歩幅が大きいから子供はチョコチョコと小走りだ。
「貴女、手を出さないで、子供達に言葉で分からせようと……自分の意思でシンリィから手を離させようとしていたでしょう? それで、凄いなあと」
「ス、スゴイ?」
「僕だったら、まず手が出て、シンリィから子供達を引き離すでしょうね。で、苛めていたんだと誤解したまま、さっきみたいに当たり障りのない事しか言えない。でも貴女は子供達と目線を合わせて、真剣に向き合っていた。それで、凄いなあ見習わなくちゃ、と」
「み、見習う? ナーガ様が?」
「はい、僕は、このたった一人の子供とすら、まだ向き合えないでいる」
「……」
歩きながらエノシラは、この立派な大人の端正な横顔を見上げた。
このヒトが、あたしを、見習う?
「いえ、結局うるさがられただけだわ。誰もちゃんと聞いてくれなかった」
エノシラは耳まで赤くなりながら俯(うつむ)いた。
「今すぐは分かって貰えなくていいんですよ」
ナーガは少女に向いて優しく言った。
さっき焼け跡の前で話した時の優しさと、別な感じの優しさだった。
「貴女に言われた事をカケラでも覚えていれば、いつかふと、ああそうだったかと、分かって貰える時が来るかもしれません。そう考えたら、今言う事は決して無駄ではありません」
洗濯場のお姉さん達がこのヒトの噂でキャイキャイ言うのが、今やっと理解出来た気がする。
なんだろ? この、一声掛けられる度にフワフワする感じ……
医療院の入り口で、怖い顔をしたオウネ婆さんが待っていた。
「エノシラ! 真面目にやる気がないのならっ」
「まあまあ」
ナーガがエノシラの前に立ち、彼女が子供を助けて遅れた事を説明した。
あと、この娘の見上げた正義感は師匠の日頃の教育の賜物ですねと、ヨイショも追加した。
ナーガが婆さんの長話に付き合っている間、エノシラは洗濯物を干していたが、ふと視線を感じた。
羽根の子供が見上げている。
「えと、どうしたの?」
戸惑うエノシラに、子供はさっき拾った羽毛の一枚を差し出した。
「くれるの?」
両手を出すと、小さな指で、掌(てのひら)にヒラリと乗せてくれた。
「……きれいね……」
花びらほどの重さもない、ほんわかと暖い、薄緋色の羽根……
ナーガが子供を呼んで立ち去った後、オウネ婆さんは挨拶もしないで突っ立ったままの弟子に喝を入れようと近寄って、驚いた。
「おやまあ、お前、エノシラ、どうしたね?」
少女のそばかすの頬には幾筋もの涙が伝っていた。
「あ、ああ、……すみません」
「どうしたね?」
老婆は、弟子の掌の羽根を見ながら、もう一度聞いた。
「分かったんです。何故だか、今、急に、分かったんです」
「何がだね」
「母さんが、看護をしに行くって、うちを出る時。黒い病の隔離場所へ」
「……うむ」
「あたし、本当は腹が立ってしょうがなかった。何で母さんが行かなきゃならないの? あたしの事は大事じゃないの? って」
「……うむ」
「母さんは、あたしの為に行ったのよ。命の為に働く人生を全(まっと)うする姿を、あたしに見せる為に、行ったんだわ」
「……うむ」
「今、急に、霧が晴れたみたいに、分かったんです」
オウネ婆さんは、弟子が涙を流し終えるのを待ってやった。
里の口塞がない噂が、幼い少女を傷付ける事もあったろう。
しかしその母の姿を見ていたからこそ、この娘は傷を越えてここへ来たのだ。