緋い羽根のおはなし   作:西風 そら

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欲しいモノ あげたいモノ・Ⅳ

   ***

 

 エノシラはここの所、不満に思っている事がある。

 従兄姉や叔父叔母に、めったやたらにお使いを頼まれるのだ。

 オウネお婆さんにシゴかれてヘトヘトで帰って来るのに。

 用事の先は、決まって執務室のノスリ長様かホルズ叔父様。そして届け物を持って執務室を訪ねると、必ず二人とも居なくて、ナーガ様が羽根の子供と留守番をしているのだ。

 

「叔父様達ってそんなに忙しいのかしら? 用事先の相手がいる時間くらい確かめとけばいいのに」

 

 ナーガはここの所、困ってしまっている事がある。

 夕方の鐘が鳴ってから……要するにエノシラがオウネ婆さんの所から帰る時間になると、ノスリとホルズがそわそわし出して、やれ見回りだの寄り合いだの、何やかやと理由を付けて執務室からいなくなるのだ。

 そして、風呂敷包みを抱えたエノシラがやって来る。

 

「わざとらし過ぎるっ! 画策するならするで、もうちょっと僕に分からないように、スマートに出来ないのかっ!」

 

 こんな篠付(しのつ)く雨の日は、勘弁してやればいいのに。

 

「こんにちは」

 外で緊張の声がする。

「どうぞ、お入り」

 雨合羽のフードを降ろして、丸顔のそばかす娘が御簾の隙間から顔を出す。

「ノスリ長様は?」

 

「寄合所に行きました。将棋(シャタル)の約束があったそうで」

「あら、将棋仲間の叔父からの誘いを言付かって来たのですが?」

「まったく、つじつま位合わせておけばいいのに」

「はい?」

「いや、いいんです。ご足労でしたね、雨の中」

 

「いえ、では寄合所で会えていますね。あたしは帰りま……ああ――っ!」

 エノシラは雨合羽を打ち捨てて、執務室に飛び込んだ。

「ど、どうし……?」

 

 ビックリ仰天のナーガを通り越して、三歩で部屋を横切り、奥の大机に走る。

 そばかす娘が手を伸ばすより、羽根の子供が机の上の墨壺をひっくり返す方が、早かった。

 

「ああ・あ・あ~・・・」

 間に合わなかったエノシラは、自分のせいみたいに情けない声を出した。

 机に墨が広がり、シンリィは真っ黒な両手を眺めてキョンとしている。

 更に何を思ったか、その真っ黒な手を傍らの書類の山に伸ばす。

 

「あっ、そっちの書類はヤバイ!」

「あんた、駄目よ!」

 ナーガも駆け寄ったが、エノシラはそれより早く机を飛び越えてシンリィを抱いて止めた。

 シンリィは大人しく止まり、ナーガは書類の束を持ち上げて、二人は溜め息と共に肩を下ろした。

 

「書類、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですけれど……貴女……」

 エノシラの衣服の下半分は机を拭いた形になり、黒い墨がベッタリ染み込んでしまっている。

 おまけに胸にくっきり、小さいモミジみたいな両手形……

「平気です。洗えばなんとかなります」

「…………」

「汚れついでにお掃除しちゃいますね。あんた、手を洗って来なさいな」

 

 エノシラはとっとと雑巾を見付けて机を拭き始め、シンリィはナーガの所へやって来て、罪のない顔でほわっと見上げた。まったく……! 

 

 雨を幸い屋根から滴る水でシンリィに手を洗わせていると、エノシラが合羽を羽織って出て来た。

「掃除終わりました。あたし、帰りますね」

「あ……」

 ナーガは何と言っていいか、言葉が出て来なかった。エノシラは怒っている風でも悲しんでいる風でも、無理に明るく見せている風でもなく、無表情に事務的だったのだ。

 

「……ありがとう」

 それだけやっと言って、雨の中駆け去る少女を見送った。

 

 

「大馬鹿野郎オォ――!!」

 執務室をほったらかしてほっつき歩いていた親子に、ハモって怒鳴られた。

 

「書類なんか書き直しゃあいいだろっ! 何、最優先に庇ってんだっ!」

「唐変木もそこまで行くと笑えないぞ! そこで、着替えさせるとか、色々、色々、あるだろうがぁ~~!」

 

「そんな事出来る訳ないでしょう。第一僕が何をしたっていうんです。元はといえばシンリィが……」

 

「おお、シンリィ!」

 二人の大男は小さい子供を囲んで、両側から頭をガシガシ撫でた。

「お前は良い子だ。帰っちまいそうなお姉ちゃんを唐変木が引き留めないもんで、気を利かしたんだよなあ」

 

「シンリィをいかがわしい大人の物差しに乗っけないで下さい!」

 脳を揺さぶられてクラクラしている子供を引き寄せ、ナーガは後ろ手で出口の御簾を開けた。

「ついでに言うなら、見えすいた画策はよして下さい。僕はともかくエノシラが可哀想だ。毎日オウネお婆さんにシゴかれてヘトヘトになってんのに」

 

 頼むからもうやめてくださいねと重ねて懇願し、ナーガはシンリィを伴って家に帰って行った。

 

 残った二人のいかがわしい大人は、唐変木の言葉の最後の一節にだけ食い付いていた。

「可哀想とな! あの、女性に無関心なナーガが!」

「親父、こりゃ、思ったよりも脈ありだな!」

 

 

 

   ***

 

 エノシラはぐったりと腫れぼったい目で、夕べ遅くまで洗っていた衣服を眺めていた。

 どんなに眺めたって、この黒い染みが無くなる訳ではない。

 

「はあ~……」

 叔母にとっておきの石鹸を借り、かなりな時間を掛けてこすったのだが、やはり墨を落とすのは無理がある。鮮やかなヤマブキ色の長衣に、墨の黒が無惨だ。おまけに胸に子供の両手形。

 

「よりによって……」

 いつもの仕事着を洗ったのが雨で乾かず、仕方なくよそ行きの一張羅を着ていた昨日に限って。

 あの時は夢中で書類を守ったが、後からズンズンと後悔がやって来た。

 ショックのあまり、執務室で何を話してどうやって帰って来たのかも覚えていない。

 

 しょんぼりと干した衣服を眺めている少女の所に、親戚の女性達が慰めようと集まって来た。

 早くに父も母も亡くしているこの娘を、皆は何かと気に掛けている。

 容姿が今一つの無器用な娘だから尚更だ。

 その中に、羽根の子供の世話を引き受けていたノスリの末娘もいた。

 

「あたしはナーガ様の花嫁候補から外れて正解だったわ。もれなくあの子供が付いて来るんだもの」

「あら、貴女はそれを狙って引き受けたんじゃなかったの?」

「あんな子だなんて思わなかったのよ。何をしてあげても一言も喋らないし、ちっとも可愛くない」

 

「そもそもあの子の母親も可愛げがなかったものね」

「あ? それ言っちゃう? 生まれがハズレだからって独身の長様に色目を使うとか、必死だったわよね」

「およし、そんな事を言うもんじゃないわよ」

 

「あら、叔母様が言ってたんじゃない。小さい時からワガママで好き勝手やってたから、バチが当たってあんな子が生まれたんだって」

「キャァ、ヒドーイ。ね、貴女も嫌だと思ったら、早いめにハッキリ断らなくては駄目よ」

 

「……は……?」

 ぼぅっと聞いていたエノシラは、ここで初めて自分が蚊帳の外ではない事を知った。

 

「あた、あたあたあたあたしは……」

 どもりながら立ち上がって、それから皆の後ろのパオとパオの間を見て、凍り付いた。

 

 子供を伴ったナーガが、口を結んでそこに立っていた。

 

「!!!」

 エノシラの視線で振り向いた女性達も、口を開いたまま真っ青になった。

 

 ナーガは黙って、すうっとパオの影に消えた。

 

 

 

 打ちひしがれて仕事場にやって来たそばかす娘に、オウネ婆さんは大きな風呂敷包みを手渡した。

「ナーガ殿が今朝方持って来た、お前に渡してくれと。自宅の方へ持って行きゃいいのにな?」

「……?」

 

 包みをほどくと、古びてはいたが、丁寧な作りの桃色の絹衣装だった。

「ほお」

 驚くエノシラの後ろからオウネ婆さんが覗き込んだ。

「懐かしい」

「え?」

「ユーフィが少女時代に着ていた物だのう。よく笑う、お陽様みたいな娘じゃった」

 

「あっ、あの!」

 エノシラは包みを胸に抱えて立ち上がった。

「お休みをください、一刻だけでも」

「罰則を受ける覚悟があるのなら」

「はい、幾らでも!」

 少女はおさげをひるがえして、風呂敷を抱えたまま飛び出した。

 

 

 執務室にナーガはいなかった。子供がまた迷子になって捜しに出たのだという。

 留守を預かるホルズは、今朝の顛末を知っていた。

 気に病むなと慰めてくれるのにお辞儀だけして、里の奥へ走る。

 

 案の定、山茶花(さざんか)林の奥の焼け跡に、ナーガは居た。

「あの……」

「……やあ」

「あ、あああ、あの」

「シンリィ、知らない?」

「すみません、見ていないです」

「そう……」

 

「あの、あの」

「大丈夫ですよ」

 ナーガは静かに横顔を上げた。

「ああいうのに傷付かないよう、カワセミ長はシンリィに言葉を教えなかったんです」

「!!」

 

 不意に胸の奥が熱くなって、エノシラは涙をポロポロこぼした。

「何で貴女が泣くんです?」

「分かりません」

「…………」

 

「あの子が傷付かないからって、大丈夫じゃないと思います」

「どうして?」

「あの子の隣で、代わりに傷付くヒトがいるからです」

「…………」

 

 エノシラは垣根があるように遠くから、風呂敷包みを突き出した。

「頂けません。こんな大切な物」

 ナーガはゆっくり振り向いて、ちょっとの時間、包みを眺めてから言った。

「気に入りませんでしたか?」

「えっ、いえっ、そんなんじゃなくて。勿体ないっていうか、あたしなんかに」

 

「着る者がいなければただの布きれです」

「……」

「まあでも、受け取ってしまうと、貴女の立場が悪くなりそうだ」

 

「いいえ、いいえっ、ちちちがうんです、ユーフィさんの独身時代、里の男性の視線総ざらいだったっていうし、そんな方の衣装なんか着たら比べられちゃってあたし大変だなあとか、皆その頃、意中の男性に振り向いて貰えない経験がもれなくあって、ちょっと根に持ってるっていうか、あの、えっと、だから本当に嫌ってる訳じゃなくて……」

「…………」

 

「あああ、あたしもあの子、捜して来ますっ」

 エノシラはその場にいたたまれなくなって、風呂敷包みを抱えたまま駆け出した。

 

 

 

 

 

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