「海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっしてすぐれた探検家ではない」
畳の上、あまり高くない机、左側には閉じられた襖、そして右側にはあまり並の立たない海と港。目の前の女は珍しく湯呑みに入った冷たいほうじ茶を流し込んでいる
「……すまないね。そういう系統は詳しくないんだけど」
「……フランシス、ベーコンよ」
「そうかい」
この手の話に付随する長ったらしい講釈は嫌いだ。これもまぁこの女の性というものだろう。一応イギリス経験論くらいは把握してるけどさ
だがまぁこの手の名言にしては納得のできるものだ。ついこの前までの私がまさにそうだったのだから。陸地もいつ崩壊するかわかったものじゃないとはいえ
あれから数日、まだ西住流家元を伴っての面談は実現していない。文科省と家元、そして児玉氏の予定の調整によって今日から3日後と決められたのだ。だから今の私にとってはそれより前は単なる空き時間に過ぎない
「しかしいいのかい?君はこんなところにいて」
「ええ、もちろん。これは『戦車道隊長の業務の一環』ですもの」
「……ここ三崎でマグロを食べることが?」
私が呼び出されたのは三浦半島の先、三崎港。品川で京急に乗せられて終点まで来たらここである
一応蝶野氏が同行を希望していたが、方針が固まった以上下手な詮索をされるのも面倒だから単独行動に切り替えた。今回これを受けたのも人伝のメールだしね
「というか今日平日だろうに、学校はいいのかい?私ならともかく……」
「学院長から許可は取っているわ。それだけでも今回の話が我が学院の支持あってのものとお分かりでしょう?」
「さぁね。君がただ勝手にサボっているだけかもしれないし。その裏付けが取れることはないだろうさ
それでその用件っていうのはなんだい?
ダージリン」
あの青い制服に身を包み不敵な笑みを浮かべる少女。だが政治、外交を見れば彼女の方が上手だろう。戦車道も然りなんだが
「ふふっ、そう焦るものではないわ、角谷さん。『先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ』」
「それも知らないね」
「とにかく、このマグロと同時に手に入れるものではないでしょう?」
「……まぁいいさ。食べてしまおう」
眼前にあるのは赤みのマグロ丼。この切符を買うと安いと言われ、指定された通りそれを使って手に入れたものだ
「……流石は三崎、といったところかな」
「マグロの養殖だけはどこの水産科でも上手くはいかないそうですわ」
「そうなのか」
ウチの水産科はあんこうと他は多少のものしかやってないしねぇ。規模的にしょうがないんだけど
赤身メインのやつにしたけど、これくらいの方が私の舌に合う
赤い器は色は変わらずとも中身がなくなる。米粒一つ残さぬよう食い切ったそれが二つ、この個室には残された
「……さて、要件は一つなくなったわけだけど、他に何があるんだい?」
「……少しお待ちくださる?」
「ああ、いいけど……」
彼女は一度部屋を出ていった。トイレか何かだろうか
それくらいしか用事を済ませられないくらいの短時間で戻ってきたしね
「……角谷さん、あなた生徒会長としての印鑑はお持ちかしら?」
「印鑑?ああ持ってるけど、それが何か?」
「こちらの書類にサインと印を頂ける?」
隣に置かれていたカバンから取り出されたのは、大きなクリアファイル。その中にはそこそこの数の紙が詰まっていた
「……これは?」
「短期転校手続きの申請書類」
「短期転校?ウチにかい?」
それがこの枚数……
「……どういうつもりだい?ウチはもう廃校されてんだよ?そこに転校しようなんて書類を……」
「それが回避されるよう手を打っていらっしゃるのでしょう?」
「……さぁね」
流石は聖グロ、知ってやがったか。だがこれを持ち込んでどうするつもりだ。だが流石にどこに落ち着くかまで知っているまい
「……とりあえず文面確認させてもらっていいかい?」
「どうぞ」
名前を一枚ずつ確認していく。名目は交換留学で、学校は聖グロ、黒森峰、サンダース、プラウダ、アンツィオ、知波単……継続?
なんで継続?ウチとなんか関わりあったっけ?
「……各校でこれは承認されたと理解していいのかな?」
「そう記載があるでしょう?」
「仮に私が廃校回避のために動いていたとして、それは国への反旗に他ならない。それにこうも易々、こんなに他の学園が乗っかるかと思ってね
私がそっちのトップならこれは関係ない他校の話。下手に国から距離を取られるよりは無関係を貫いた方が損はない。それはまず考えるね」
「それでも関与したいという人がいるってだけですわ」
……不信は拭えんか。これが国の手先であったとしても驚くところはない。私から情報を聞き出して国に売り、見返りを求めるとかね
「……それにこの短期転校の届けで何をするつもりだい?君たちだけ転校してきても私たちは特段何もできないし、最悪文科省の学生の配分に混ぜ込まれるよ?ここに名前のある君が聖グロに戻れるかも保証できない」
「少なくとも貴女に都合の悪いことではないでしょう」
「はぐらかされても困るんだよ、それは。こっちだって廃校関係がこの先どうなるかわからないのに、そっちで何かしら動きたいと言われても連携が取れないしね」
無言。困ったよこれじゃあ話が進まん
何を考えているんだこんなので
各校からの戦車の譲渡だけは絶対ないだろう。戦車1輌でもそれだけ金がかかるものだし、いくらなんでも各学園がそれを許すまい。見つかったら最終的に文科省に戦車没収されるだろうしね
仮に試合になったとしても人だけいたところで何もできるわけがない
「……廃校回避の条件は?」
「知らないよ。そもそも条件が存在するのかもわからないし、なんならこのまま艦が解体されてオシマイさ。希望的観測の下ではそれがあって欲しいけど、閣議決定相手じゃねぇ……」
「……恐らく戦車道の試合になるでしょう」
「証拠は?」
言えないだろうさ。文科省は変わらず廃校確定で話を進めている。まだ譲歩なんて話が出ているわけがない
それともどこかで情報掴んだかな。だとしたらたいした情報機関だが
「その時に必ず、助けにいきますわ。ここのメンバーで」
「100人近いけど……正気の沙汰には思えないね。さっき言ったことも含め」
「陸地があると思うから、貴女はこうして航海を続けているのでは?」
「さぁね。今はただ海に浮かんでいるだけさ、あてもなくね」
また一枚ずつ資料をめくってみる。名前を見ていく中で一人の名前があった
ケイ。あの英雄気取りだ
確かにサンダースに行った時ケイと政権幹部の近さは見ている。こうして短期転校すら許可していることからケイの動きが事後承諾を受けたのは間違いないだろう
だとしたら他は?このメンバーもなんらかの英雄を目指しているのか?それを使うのも手か……
「……一ついいかい?他のところはともかく、継続はなんで名前入ってんの?ウチ特段関係ないんだけど」
「それは向こうからの希望ですわ」
向こうから?継続は何が望みだ?このミカってのがどこの誰か知らないけど
さて、どうするべきかな。拒否するのは簡単だ。何が目的かもわからないしどう動く気なのかも読めない。手を携えてやる理由は曖昧だ。巻き込んで学園都市全体の自治の問題に繋がっても面倒だしね
だが彼らを信じる、差し出された手を握るというのももちろんだ。戦車道の繋がりがあるしなんらかの助けに繋がるかもしれない。というより現状学園都市外交としては孤立している、正直サンダース相手も怪しい以上、手を振り払う余力はウチにはない
実際西住流家元がこちらに味方した以上、戦車道をやっている学園は大洗廃校回避を支持する、そういう流れができていても不思議はない。黒森峰も話に加わっているようだし
結局は正面のこの格言女を信用するかしないか、そこに尽きる
なんかしらの情報がリークされないように注意は払ったから、素直に私の名前と印鑑で処理してしまうのもアリ。最悪なんかしらの逃げの一手を打っておいて、彼女らが関わりを持とうとしていたことを伏せておけば各校への波及もある程度封じられるだろうしね
……だが仮に手を取るにしても、問題が一つ
「仮にだ、ダージリン」
「何かしら?」
「仮に君の言う通り戦車道の試合が廃校回避の条件となったとしよう。そして君たちがどうするか知らないけど私たちを助けて廃校回避を勝ち取った……としよう。まさに君たちの望む結果だし、廃校回避の結果を私も求めているものだ」
「そうでしょう?」
「だが、その後だ。学園の廃校回避はどうしても『君らに助けられたから』という事実の下になる。もともと我々単独では不可能であろう条件なら尚更ね
そして一旦の廃校回避の条件として提示されたのが全国大会優勝だった以上、次条件があってもそれより厳しくなると予想されるね」
「……そうでしょうね」
「何が望みだい?」
そう、こんな事をして何になるのだ。確かに目の前の彼女一人はなんの対価も要求しないかもしれない。あのケイというのもそうだろう
だが他は?プラウダは?黒森峰は?継続は?知波単は?
「……仰ることがよくわかりませんが」
「単刀直入に、すっごく具体的に言ってあげよう。ウチのどの利権を所望しての動きだ」
そのうち一つでも『助けたから』という事実を後ろ盾に発言権を有し、それを利用するとしたら……次代継承の大きな負担につながりかねない
学園が再興された後、システムとしてもこれまでの状況を受け継ぐだろう。そしてサンダース、プラウダはこちらに明確に介入する手段がある。前者ならクラブ。後者なら人民だ。クラブは弱体化させたとはいえ組織自体はあるし、私が辞めた後復権するというのも否定できない
知波単は距離が近い分関東近辺の寄港権譲渡とかを要求してくるかな。聖グロも終わった後そうしてくるかもね
……継続はなんだ?反プラウダを正式に標榜しろか?そうなるとプラウダと連合して動いているのに説明がつかないが
「利権なんて……そんなものは求めてません!」
向こうは侮辱と取ったか。だが君たちはそうだとしても
「その紙にサインした学院長含めた首脳陣が本当にそれを求めないで書いた、と言えるのかい?それもこの全ての学校において、ね」
そこまで一介の戦車道の隊長は知っているまい。ましてやOG組織の傘下に位置づけられる聖グロの戦車道ならば、上が握っているものを問いただすのはそうそうできるものではない
「……今の学園都市の情勢は、大洗の救援に傾いています」
「ほう。本来国に保証されて守られている学園都市の自治なのに、国に反抗する方が良いというのかい?」
「税収含め圧迫している現政権を次で確実に落とすには、ここで彼らの目論見を止めたい。そしてそれを都市運営の実績にするとともに将来の政権への重石としたい
そのために廃校回避は為しておいてもらいたいものなのです。あなたの動画で多少なりとも世論への喚起もできていますしね」
「動画?ああ、そんなものもあげてたっけ」
「そろそろ20万再生にとどくとか……」
20万?ああ、地味にそんなになってたのか。出かけている間見てなかったけど……
「そう。たいした数じゃないね」
「そうでしょうか?見た限りですがこれまでそちらの学園から投稿された動画に比べれば格段に……」
「世論の煽動が目的だというなら、その内どれだけが票になる?実際に何人が見ているんだい?その全てが廃校回避に賛成しているとでも言う気かい?」
単なる気晴らし程度。やはりウチの知名度では全国区ではそれが精一杯か
「……話を戻してさっきの話は確かに納得できるさ。でもウチの利権を求めていない証拠にはならないね。首に紐をくくりつけられた独立を、誰が好き好んで求めるんだい。要求するのは借款か?寄港権か?それとも政治的介入の余地か?」
……追い詰めた。そう、こうして本来孤立無支援かつ廃校不可避の劣勢である私は……逆に優位に立てた。内部の主導権を握っている私はそうできない相手より交渉しやすい
「けど、聖グロには戦車道始めた時に練習試合を組んでもらった恩がある。あれのお陰でウチは戦車道できたわけだしね。それが無かったら今も抵抗しようなんて話にすらならないさ
何を考えているか知らないけど……君が持ち込んだ話だし、受けるよ」
拒否はできない。前の困難だって辛うじて成功したから良かったというもの。また、今度はそれ以上の難題を超えて為さねばならないなら、支援を受ける以外の結果はない
だけどそれは、向こうが一方的にするものであってはいけない。タダより重いものはない。学園都市相手に頭を下げたら……行き着く先は隷属なのだから
「……助かるわ」
「ただーし、私の目が黒い、いや我が校の精鋭とも言える生徒会の目が黒いうちに介入しようなんて考えないことだね」
さっそく1枚目のダージリンの転校許可書にサインを刻みながら、一応の警告は残しておいた
これが実際他校に伝わるかはわからないし、それが今後に影響するかもわからない。さっきの交渉の筋もダージリン相手に通したものに過ぎない。だけど……私も少し馬鹿になってもいいのかもね
「最後に貴女にこの言葉を贈るわ」
久々に腱鞘炎に怯えそうな作業を済ませ、彼女は連れていた高級車で駅まで私を送った。その去り際のことだった
「なんだい?」
「『私たちは』恋愛と戦争では、手段を選ばない」