手入れをしなければ刃は錆びる。
常に鍛錬を欠かさず、己が刃を研ぎ澄ませる。言うだけならば簡単だが、それを常に続けられる人間が果たしてどれほどいるのか。
日々の業務に追われる中でも最低限の鍛錬は続け、世界でも有数の実力者と名を知られてもなお在り方を変えることはない。
カナタの鍛錬に付き合うだけで勝手に強くなる者もいれば、〝海賊王〟になるにはあれを超えねばならないのかと心を折られた者もいる。
今日もいつも通りに鍛錬を済ませ、シャワーを浴びて自室に戻ると、見慣れない手紙を持ったジョルジュが部屋を訪ねてきていた。
「おう、鍛錬は終わったか?」
「ああ。その手紙は誰からだ? 見慣れない封筒だが」
「世界政府さ」
カナタは思わず眉を顰めた。
今このタイミングで世界政府がカナタに対して書簡を出す理由は、少なくともカナタには思いつかない。
厄介事かと思い、ジョルジュから受け取った手紙をぞんざいに開けて中身に目を通す。
簡素な手紙が数枚。海賊に渡す手紙という事を考えれば、礼儀がどうこうなどとつまらないことは言わないが……それにしてもこれは、カナタにも予想外だった。
「〝王下七武海〟に推薦する、か。またおかしな制度を作ったものだ」
「なんだァ、そりゃ。天竜人の思い付きか?」
「世界政府の狗になれという事だろう。ロジャーの一件からこっち、右肩上がりに増え続ける海賊の被害にとうとう海軍が音を上げたらしいな」
世界政府から指名手配、懸賞金の解除や他の海賊、世界政府未加盟国への略奪を容認する特権を得られる。
その代わりに星の数ほど増えた海賊に対しての抑止力的な役割を果たす海賊になるわけだ。
「今更世界政府から認められたところで何も変わりはしない。私に対して首輪をかけようと思っているなら大間違いだ」
「まァそうだろうな。昔ならまだしも、今更認可を受けたところでなァ……」
勢力図で言えば、〝黄昏〟は今や海軍と正面から戦える程度には膨れ上がっている。
これを今更「世界政府が認めるから海賊を抑制するのを手伝え」などと言われたところで馬鹿にされているとしか思えない。
もっとも、世界政府はどうしてもカナタを七武海に迎え入れたいらしく、七武海になるにあたって必要な上納金の免除や加盟国での交易を正式に許可する旨まで書かれている。
天竜人を殺した事などどうでもいいと言わんばかりだ。
「ニューゲートにせよ、リンリンにせよ、この手の話が出来る相手では無いからな。私に白羽の矢が立ったのも仕方ないと言うしかないが」
それにしたって無謀な賭けだと言う他に無いのだけれど。
政府に用意された椅子になど興味はない。貰った手紙を手早く破り捨てようとして、ふと思い立つ。
「……ふむ。折角だ、少しばかり交渉してみるか」
「交渉? 何か欲しいモンでもあるのか?」
「無ければ無いでいいが、あれば便利程度の物がな」
手紙に書いてある番号へと連絡し、世界政府の担当者へとつながった。
極度に緊張した様子で対応する相手へと、カナタは前置き無しで「五老星を出せ」と告げる。
発案は誰であれ、これほど手が込んだ対応は相当な地位でもなければ出来ない。十中八九五老星だろうと考えていた。
程なく通話が繋がる。
『……まさかこれほど早く連絡が来るとは思わなかったよ、〝魔女〟』
「初めましてだな、五老星。生憎私は〝王下七武海〟などという座に興味は無い。本来なら手紙も破り捨てているところだ」
だが、政府がこれほど譲歩して迎え入れようとしているなら突きつけたい条件があったというだけだ。
「七武海に入って欲しいなら、
五老星が電伝虫の向こう側で息を呑んだ。
本来、聖地マリージョアとは世界政府が認めた者しか通ることは出来ない。
世界を隔てる〝
カナタ達にとって〝
だが、当然ながら問題は多い。
「私たちが取引を行うのは〝新世界〟がほとんど。〝
『……〝
今までは魚人島を介してある程度は行き来も可能だったが、現在の魚人島は〝白ひげ〟のナワバリだ。
そう気軽に使えるルートでは無くなっている。
そこで必要になるのが〝楽園〟と〝新世界〟を繋ぐルートだ。
「海賊が増えたこの時代で、お前たちは経済の安定化も狙っているのだろう」
マリージョアを介して移動する場合、船は乗り捨てていくのが常だ。
だが、カナタは両側に拠点を用意すれば物資の移動だけで済ませられるし船はいくらでも用意できる。場合によっては物だけでなく人も運べるだろう。
申請に時間もかかるし船の用意も必要なのでかなり金のかかる移動法だが、このやり方ならかなり安く移動できるので往来も増える可能性はある。
問題があるとすれば──マリージョアに海賊が足を踏み入れる事そのものだろうか。
『聖地マリージョアを海賊が通行することを許可しろと? 多少の経済効果のために?』
「税収が増えるのはお前たちへの天上金が増えることと同義でもある。好き勝手に金を使う天竜人にとっては悪い話でも無かろう」
『王下七武海の目的は海賊被害の抑制だ。経済はそれに伴って勝手に回復する』
「そう思っているなら甘いとしか言いようがないな。今やどこを通っても海賊に遭う海だ。多少武装したところで島と島を繋ぐ商船など多くはない」
島と島の往来は途絶え、海賊に怯えて品物が手に入らなくなる……世界の経済は着実に崩壊しつつある。世界政府の権威もこのままでは危うい。
それを是正するための〝王下七武海〟制度なのだろうとカナタは言う。
『……考慮してみよう』
「存分に悩めばいい。今すぐに決めろとは言わんよ──それと、これは要求ではなく忠告だが……仮に私が七武海に入ったとして、立場を慮って天竜人に手を出さないなどとは考えないことだ。同じことが起こればまた同じようにする。精々天竜人の手綱を握っておくことだ」
『……善処しよう』
電伝虫の番号だけ伝え、五老星との通話を切る。
横で聞いていたジョルジュは呆れた顔でタバコを吹かしていた。
「……呑むわけねェだろ、そんな条件」
「だろうな。それならそれで構わないさ」
元より七武海に就くつもりもない。世界政府に無茶ぶりをしただけの話だ。
初めからあちらが呑めない条件を突き付けておけば、何度も食い下がってくることはないだろう。無駄な交渉などしないに限る。
☆
金獅子海賊団は壊滅状態になったが、幹部の数人は未だ行方不明だ。
参謀であるDr.インディゴ及び〝赤砲〟リュシアンは音沙汰もなく、またカナタたちは探すこともしていなかった。
大都督のうち二人、アプスとレランパーゴは既に捕縛していたこともあるし、シキのいない金獅子海賊団など恐れるに値しないと判断していたこともある。
二人は両手両足はある程度自由に動くが、海楼石の鎖で繋がれているので牢屋から出る力も出せないまま幽閉されていた。
それなりに長いこと幽閉されているので、アプスは退屈で体が鈍りそうだと思っていた。
牢屋で退屈な日々を過ごしているある日の事。
「……なんだ、襲撃か?」
海岸にほど近い牢屋に幽閉されているためか、時折どこかの海賊が襲撃してくるとその音が聞こえてくることがあった。
大抵は港で鎮圧されるが、今日の海賊は随分頑張っているらしく、音が段々と近付いてくる。
「こっちは……牢屋か?」
「好都合だ。〝魔女〟の野郎に反抗している奴が入ってるはずだ、出してやれ!」
侵入してきた海賊たちがガタガタと辺りを捜索してまわり、見つけ出した鍵でアプスとレランパーゴの牢屋を開ける。
海楼石の鍵もあったらしく、久々に自由の身となったことで何時振りかの解放感を味わっていた。
「……外に出るのは久々だ。気分はどうだい、レラ」
「ウゥ……わるく、ない」
アプス達を解放した海賊は随分ボロボロだったが、それだけやられていてもまだ諦めてはいないようだった。
「あんたら、〝魔女〟に捕まってたんだろ? あの女、おれ達の仲間を次々に……! 手を貸せ!!」
「悪いけど、僕は君たちに付き合うつもりは無いよ」
「何だと……! テメェ、誰が出してやったと──」
「うるさいな。彼女との戦力差を理解出来ないような小物に命を預けられるはずがないだろう」
掌から出現させた鎖が二人の海賊を貫き、そのまま放り捨ててレランパーゴと二人で牢屋の外に出る。
海賊の襲撃で未だ港は騒然としており、アプスは脱出するなら今しかないと判断した。見聞色で探ってもそれほど数は多くない。
レランパーゴに声をかけ、手早く襲撃してきている海賊船を奪い取って沖合へと船を出す。
それほど大きい船では無いので、二人でも動かすことは出来ると判断した。
「おい、あれ〝大都督〟の二人だぞ! なんで外にいるんだ!?」
「逃げやがったのか! おい、ボスに報告を急げ!!」
「急ぐよ、レラ。彼女が来る前に海域を脱する」
「うん」
港に備え付けられた大砲から何度か砲撃を受けるが、それらは全てアプスが叩き落す。
襲撃していた海賊たちの内、少数が船に残っていたので力づくで言うことを聞かせることにした。文句を言おうとも海賊の世界では強さが全てだ。
気に食わないなら船から叩き落すまでのこと。
躊躇なくそれをやる相手だと理解したのか、残った海賊たちは渋々ながらも船を操舵して〝ハチノス〟から離れていく。
「……ひとまずは安心かな」
カナタは二人のことを部下にしたくて生かしておいたようだが、それが裏目に出た。
ひとまずどこかの島で物資を補充しなければならない。
いずれシキが戻ってきたときのために、幹部だけでも生き残らねばと考えていた。
……それにしても。
「随分簡単に逃げ出せたな……監視が薄いのは元からだったが、ああも警備がザルとはね」
牢屋の位置も随分港に近かった。
まるで捕まえておく気が無いかのように……そこまで考えて、カナタにはアプス達を逃がす理由が無いのだと無駄な考えを打ち消す。
今はリュシアン達と合流することが先決だ。
まだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。
☆
「……良かったのか、あの二人を逃がして」
「構わない。レランパーゴはともかく、アプスは頭も悪くないからな」
逃げられる状況ならカナタに復讐するよりも逃げることを選択するであろうことは想像できた。
ジュンシーは「そうか」とだけ告げ、カナタの部屋で茶を飲む。
「それに、あの二人のビブルカードは作成済みだ。どこに逃げても見つけられる」
アプスとレランパーゴ、それぞれの名前が書かれたビブルカードをひらひらと見せるカナタ。
殺すつもりは元より無く、このまま飼い殺しにするよりも他で役に立ってもらった方が何かと便利でもあると判断していた。
カナタが一番警戒しているのはシキの脱獄だ。リュシアンとアプスは頭の回転が速いので、現状派手に動くことはないだろう。放置していても障害にはなりえない。
リュシアンやDr.インディゴと合流してくれていれば、カナタとしては十分だ。居場所が掴めないことが一番厄介なのだから。
「シキの脱獄を警戒するのはわかるが、インペルダウンに幽閉されたのだろう? 本当に脱獄するのか?」
「カイドウが何度捕まって脱獄していると思っている。あの馬鹿に出来るならシキに出来ない理由は無いよ」
カイドウは監獄船からの脱出であってインペルダウンに入ったことはないが、あの男なら力づくでも出てくるだろうと考えていた。
シキとてロックスの時代から暴れ回った海賊だ。多少の無茶をしてもいずれ出てくるだろうと言う確信がある。
その時こそ、確実にシキの息の根を止めねばならない。
「ロックスの遺産は全て潰しておかねばな……面倒なものを残してくれたものだ」
会ったこともない男を父親などと認めたくもないが、血が繋がっているのは確かだ。
オクタヴィア共々やってきたことが巡り巡ってカナタに不利益を生じさせている。どうあれ後始末をしておかねば今後も不利益が出るだろう。
ニューゲートも、リンリンも、カイドウも──全員始末をつけねばならない。
何としてでも。
「……儂は強い相手と戦えるなら何でも構わん。次の相手は誰だ?」
「暗殺はしばらく不要だ。時代が勝手に淘汰してくれる」
時折出かけてはカナタにとって邪魔な相手を暗殺するのが、ここ最近のジュンシーの仕事だった。
もっとも、それも今は落ち着きつつある。
ある程度力を持っていてカナタの邪魔をする相手はあらかた消したし、これ以下となると海賊被害で勝手に自滅していく。
海賊被害も多少はあった方が物価が高騰しやすいので、人手を増やして販路を広げるよりも余程簡単に金を稼げる。七武海になって他の海賊への抑止力となっては自分の首を絞めるようなものだ。
悪辣と言えば悪辣だが、海賊にそれを言っても仕方がない。
「金だけ稼いでも仕方がないが、有って困るものでもないからな」
「確かに。プールした資金は何に使ってるんだ?」
「ここ最近はカテリーナが次から次に研究費として持って行く。その分良い物も作っているようだが……うん?」
電伝虫が鳴り始めた。
この部屋に直通で電話はかかってこない。一度別室で対応してから繋がるようになっている。
「私だ」
『お忙しいところすみません。その、世界政府から連絡が来ていますが……』
「ああ、繋いでくれ」
事務から連絡が来て、カナタは簡素に返答する。
五老星からなら七武海についての件だろうが、結果は見えている。手早く終わらせようと椅子にもたれかかった。
『私だ』
「五老星か。七武海の件だな」
『ああ──喜びたまえ。条件付きではあるが、マリージョアの通行を許可することが決定した』
「は?」
カナタにしては珍しく、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
この条件なら相手も飲むはずないし、交渉決裂だな!ヨシ!
↓
何を見てヨシって言ったんですか?
来週はお休みです