女の話をしよう。
黒曜の如く美しい髪をなびかせ、誰もが振り返るほどの美貌を持つ少女。
聡明で、一つ教えれば十を知る。
理知的で、癇癪一つ起こさない。
大人よりも大人びた少女は完璧で、完成されていた。
ゆえに、彼女は迫害された。
完全完璧。容姿端麗。そういった要素は往々にして理解とは程遠い。
誰も彼女のことを理解しようとはせず。また彼女も誰かのことを理解しようとはしなかった。
それが、全ての始まりだった。
☆
可能性は無数にある。
条理も不条理も、あらゆる可能性は起こり得る事だ。
例えば、そう。
とある島で孤児院の院長を務める男が一人の子供を売り飛ばし、その子供が船室で悪魔の実を食べた直後に海賊船に襲撃されることだって、ありえないわけじゃ無い。
それが、あらゆる海で恐れられる悪名高きロックス海賊団だとしても、だ。
「──……あァ? お前……なんでここに?」
逆立った髪と赤い瞳が特徴的な男だ。
手には一振りの刀があり、男自身は返り血を浴びていないが武器からは血の臭いがする。
男は訝し気な顔をしつつ少女の顔をじろじろと見て、間違いじゃないのかと何度も確認する。やがて本物だと判断すると、少し離れてもう一度少女の方を見た。
「…………おい、オクタヴィア!!」
ジーベックと呼ばれた男が虚空に向かって声をかけると、次の瞬間には男の後ろに一人の女が立っていた。
黒髪の女だ。趣味の悪い金色の髑髏を模した仮面を付けているので顔はわからないが、どことなく不機嫌そうに見える。
「なんだ、うるさいぞジーベック」
「
「藪から棒に何を……」
ジーベックの指差す先を見て、オクタヴィアは言葉を失った。
この女には珍しく、ショックで放心していたのだ。
その間にジーベックは手枷と足枷を壊し、その少女を抱き上げた。
「ノウェム……何故お前がここに……」
オクタヴィアが絞り出すように少女へと問いかける。
何故自分の名前を知っているのか、疑問はあったが……特に隠すことでもないと、少女は端的に答えた。
「売られた。孤児院の院長に」
「──……」
びきり、と船が軋んだ。
表面上は何も変わっていないように見えても、仮面の下では激情が渦を巻いている。どこかで発散させねばすぐにでも暴れかねない雰囲気だった。
ジーベックは呆れたようにため息を吐き、「落ち着けバカ野郎」と諭す。
「お前が信用して預けた結果がこれか。呆れたもんだぜ」
「……ああ、悪いな」
「くく、そういうこともあるだろうよ。だが、まァこうなったからには連れて行くしかねェ。異論はあるか?」
「……いいや」
抱き上げた少女を割れモノを扱う様に丁寧に抱えなおし、奴隷商の船から自分たちの船へと戻る。
その際、船員の誰もが奇妙なものを見るようにノウェムの方を向いていた。
誰もがこの海で名を上げた悪党たちだ。ただの子供には刺激が強いが、ノウェムにとってはそうでもないのか、泣いたりと言った様子は見られない。
やがて略奪が終わって全員が船へ戻ってくると、いの一番に金髪の男が問いかけた。
「で、お頭。何だそのガキは」
「
「…………あァ!!? 娘!!?」
返ってきた答えに、思わず咥えていた葉巻を落とすほどの衝撃を受けていた。
確かに瞳は同じ赤色だ。だがそれだけで、と考えて視線がオクタヴィアの方へと向く。
この女は普段は仮面を被っているが、食事の時は外す。その際に素顔を見たことがあるが、それを極めて幼くしたらこうなるのではないかと思わせた。
つまり、この少女は──。
「……なるほど、そういうことか」
何故あの船にいたのか、という事も気になるが……その辺りは追々聞けばいい。
今聞きたいのは一つだけだ。
「どうすんだ、そのガキ」
「連れて行くさ。不満があるか?」
「ああ、あるね。役立たずのガキなんざ乗せるつもりはねェ。アンタが普段から散々言ってることだぜ。『この船に乗るならおれにその価値を示せ』ってな」
ロックス海賊団は託児所じゃねェんだぜ、と金髪の男──シキは言う。
ガキ一人くらい構わねェだろ、と別の男──ニューゲートが口を挟む。
役に立たねェガキなんて邪魔なだけだろう、とピンク色の髪の女──リンリンが笑う。
「そうだな。役に立たねェなら価値はねェ。だがガキに多くを求めるつもりもねェよ」
そうなると見習いのカイドウをいの一番に追い出さなきゃならねェからな、とロックスが笑った。
ノウェムには帰る場所もない。当面は船に置いて、雑用でも何でもして船に乗せてやってもいいとロックスが思うだけの価値を示すこと。それがシキを納得させる条件だった。
ロックスの実の娘であろうとも無駄飯食らいを置くつもりは無い。
わかったのかわかっていないのか、ノウェムは頷くだけで反論もすることなくその場を収めた。
オクタヴィアだけはシキのことを殺すつもりかと言わんばかりに睨みつけていたが、シキはそれを気にすることも無く。
「ひとまず一週間だ」と期間を定め、ノウェムと同じ赤い瞳の男がニヤリと笑った。
☆
「はい、海王類のステーキ」
一週間後、ノウェムは船の厨房で手際よく調理をしていた。
ロックスは前に出されたそれをじっと見て、手に持ったナイフで素早く切り分ける。肉の焼け具合を確かめて頷き、かぶり付いてまたも頷く。
事前に伝えていた通り、中までしっかり火を通した少し硬いくらいの歯応え。期待以上の出来と言っていい。
添えられた野菜を無視して「野菜も食え」とオクタヴィアに言われつつ、肉だけを食べ終えたロックスはカッと目を見開いた。
「合格!」
「じゃあ私、次の注文あるから」
「ハッハァ! 気にもしてねェって反応だな! もしも船から降ろされるってなったらどうするつもりだったんだ?」
「? 別にどうもする必要は無い。近くの島で降ろされたら適当に働いて金を稼げばいいだろう」
「ほォ……じゃあ海の上で放り出されたらどうするつもりだ?」
「私は海の上を歩ける。この辺りの海図はもう見たから、星の位置を見ながら近くの島まで移動できれば問題なかった」
ノウェムの言葉にロックスは爆笑し、オクタヴィアは訝しげな顔でノウェムの顔を見ていた。
「ま、海賊船で見習いやるよりカタギの方が良いって場合もあらァな」
ひとしきりゲラゲラと笑ったあとで、ロックスはそう言った。
船で数日の距離を歩くつもりだったり、色々と想定が甘いところはあるが……これだけ考えられるならロックスとしては及第点を与えても良かった。調理も出来る。色々と教え込むのも面白そうだ。
しかし、と疑問に思う点が一つ。
「お前、そういう知識をどこで学んだ? 孤児院か?」
「孤児院で教えてくれたのは最低限の文字だけだ。それ以外は何も教えてくれなかった」
「あァ? 調理もか?」
「あそこで私にまともな食事が出たことはない。釣りをしたり、夜中に忍び込んで適当に作って──」
「あー、いや、いい。わかった。それ以上話すと面倒くせェことになりそうだ」
ロックスの横で話を聞いて居たオクタヴィアの怒りのボルテージが凄まじいことになっている。横に座っているロックスも静電気でピリピリし始めたのでノウェムの口を閉じさせた。
どことなく話し方が他人行儀なのも、会話がほとんどなかったことが原因なのだろう。様々な知識を得たのは人と関わる時間が無かったゆえの学習時間の多さか、と考え。
まさか転生しましたとは言えず、ノウェムも色々勝手な想像されているだろうなと思いながらも訂正はしなかった。
まぁいきなり孤児院の院長に売られ、その後海賊に襲われたと思ったら偶然両親だったなど、どんな偶然が重なればそうなるのだと言いたくもなる状況だ。事実は小説より奇なりとよく言ったものだと思うノウェム。
「とりあえず、お前はしばらく船のコックだな。文句はねェだろ、オクタヴィア」
「……ああ。こうなった以上は手に職があった方が他の者も納得するだろう」
色々言いたいことはあったようだが、全てのみ込んで肯定の意を示すオクタヴィア。
その辺りの事をシキ含め、古株の面々に伝えておこうと三人は移動を始める。古株に限定したのは、ロックス海賊団は殺し合いが絶えないために面子の入れ替わりが激しいからだ。
強さだけがこの船で生き残るために必要な物。
強さを持たないのなら、ロックスにとって「必要だ」と思わせるだけの一芸があれば庇護してくれる。
ここは、そういう海賊団だった。
「おお、オクタヴィアと船長の子か。随分めんこい子だねェ。ニキョキョキョキョ!」
ロックスが呼び出した面々が集まり始める中、一人の老婆が笑いながらノウェムに近付いて来た。
老婆──黒炭ひぐらしは、ノウェムの姿を上から下までじっくり見て「そっくりだねェ」と呟きつつ、近づいてくる。
そのままノウェムの頭を撫でようとするひぐらしの手を、オクタヴィアが止めた。
「私の顔を使うことは許可したが、この子の顔を使うことを許可した覚えはないぞ」
ビリビリと覇気を発しながら威圧するオクタヴィアに、思わずひぐらしの腰が引ける。
「た、ただ頭を撫でようとしただけさ」としどろもどろになりながら言い訳して後退し、脱兎の如く逃げ出した。
入れ違いでシキやニューゲートが部屋を訪れたが、逃げるひぐらしを見ても特に気にした様子はない。
ひぐらしの実力そのものは大したことがない。強さを至上とするロックス海賊団においては軽んじられている存在なのだろう。
ロックスはそう思っていないようだが。
「で、おれ達を呼び出したのはどういう訳だ?」
「ノウェムの役割が決まった。厨房でコックをやらせる」
「あァ? ガキにおれ達の飯を作らせるってのか? ままごとやらせるにしてももう少しマシな役職を与えてやれよ」
使い物になる訳がねェ、と言わんばかりの様子で肩をすくめるシキ。
妙に反抗的だが、この海賊団は仮にもロックスの下に自ら集った海賊たちで作り上げられたものではないのか。自分が上に立ちたいなら自分で海賊団を立ち上げればいい。
その疑問に気付いたのか、ロックスはノウェムに説明を始めた。
「まァ
「正式な〝ロックス海賊団〟は私とジーベックの二人だけだ。あとはほぼ全員、
〝デービーバックファイト〟と呼ばれるゲームがある。
古代の強欲な海賊、デービー・ジョーンズにちなんで行われるゲームだ。参加は双方の船長の合意によってのみ決定され、敗者は船員や海賊旗を奪われる。
ロックスとオクタヴィアはひたすら他の海賊団にこれを持ち掛け、船員を奪い取り続けて今に至る。
ごく少数、ロックスが何かしらの理由で船に乗せている者もいるらしい。
「〝デービーバックファイト〟は絶対だ。双方の船長の合意が取れている以上、それを覆すことは海賊として約束一つ守れねェゴミってことを公言することになる」
当たり前の話だが、ロックスもオクタヴィアも実力はトップクラス。この二人がいる以上、どんなゲームでもほぼ負けなしだった。
有名になった海賊団にゲームを仕掛けて素質のある者を奪い、時たま見かける海賊団にもゲームを持ち掛けて気紛れに船員を奪う。
だからこの船に於いて船員同士の仲はひたすらに悪く、殺し合いに発展することも決して珍しくはない。死んで頭数が減ったならまたゲームで奪えばいいのだから、船員殺しも気軽に行われている。
だが、この二人なら普通に仲間を集めてもそれなりに集まりそうなものだが……と疑問を浮かべると、心を読んだかのようにロックスがニヤリと笑った。
「このゲームで奪い取った船員はな、勝ち取った船長に対して絶対服従なんだ。そういうゲームだからな。全員自分で集めるとおれの指示に従わねェゴミを使う羽目になるだろう?」
「敗者は大人しく勝者に忠誠を誓うものだ。海賊同士のルールでも通すべき仁義はあるからな」
そういうものか、と思う。
様々な海賊団から実力のある者たちだけを集めたオールスターの海賊団。ロックスが目指すのは〝強い〟海賊団である以上、他の船員に殺されるような雑魚に用はない、という事らしい。
しかし、自発的に船に乗ったなら船のルールに納得して乗っているはず。それならば普通は船長の指示に従うものではないのか。
ノウェムの疑問はオクタヴィアの言葉で解消された。
「ジーベックに対して絶対服従。守れない奴は存外多い──奴隷のように扱うからな、この男は」
「オクタヴィアに対してそんなことしたら反抗するからやらねェがな」
この二人の会話を聞いて居ると、ロックスにとって部下とはオクタヴィアだけでよく、オクタヴィアにとって仲間とはロックスだけでいいと考えているのだろうか、とノウェムは思った。
仮に二人が負けていれば、この二人が部下になった海賊団が誕生していたのだろう。
そんな姿は想像すらできないが。
「おい、おれ達はテメェらの雑談に付き合うために呼び出されたのか?」
「おっと、忘れてたぜ。シキ、お前がグダグダと文句を言うからこうしておれのガキに仕事をさせてんだ。満足か?」
「不味い飯作ったら即刻海に叩き落してやるよ」
「口だけは達者だな、荷物持ち風情が」
びきり、とシキの額に青筋が浮かんだ。
シキの視線がオクタヴィアの方に向き、一触即発と言わんばかりの剣呑な雰囲気に包まれていく。
シキの後ろにいたリンリンがオクタヴィアの言葉に肩を震わせて笑っており、シキは即座に剣を抜いてリンリンの首へと走らせた。
「おっと」
リンリンはそれに素早く反応し、いつの間にか手に持っていた刀で受け止める。
「おいおい。おれは笑っただけだろうが。言ったのはあっちだよ、
「止めてやれ、リンリン。そいつは自分より弱い奴にしか噛みつけないのだからな」
オクタヴィアの言葉に、今度はリンリンの額に青筋が浮かんだ。
「……そりゃあ、おれがコイツより弱ェって言いてェのか?」
「それ以外にどう聞こえるんだ? 菓子ばかり食べて頭に栄養が足りていないと見える」
三者の発する覇気で船が軋み始める。
ロックスはにやにやと笑いながらも、流石に船内でこの三人を暴れさせると面倒だと思ったのか、「戦うなら表でやれ」と誘導する。
剣呑な雰囲気なまま三人は部屋の外に出ていき、その直後に轟音が連続して部屋の中まで響いて来た。
「……あいつらは、まったく」
「フフハハハハ! オクタヴィアの口も随分達者になったもんだ! おれと初めて会ったときは無言で殺そうとしてきたもんだが!」
「興味ねェよ、そんなこと」
ニューゲートはガリガリと頭を掻き、ため息を一つ吐いた。
流石にあの三人の喧嘩を止めるのはニューゲート程の実力者でも骨が折れる。唯一止められるであろうロックスに止める気が無い以上、この喧嘩はしばらく続くだろう。
船が壊れないことだけは祈っておくべきかもしれない。
そんなことをノウェムが考えていると、ニューゲートに妙に同情的な視線を寄せられていることに気付く。
「……何か言いたいことがあるのか?」
「……いや、ねェよ」
何か言いたそうに口を何度か開くが、結局言葉にすることは無く部屋を出ていく。
何だったんだとノウェムは視線で背中を追うが、ニューゲートは振り返ることも無かった。
☆
「あら、随分可愛い新入りが増えているのね」
オクタヴィアは黒焦げになったシキとリンリンを片手にそれぞれ持ち、引きずりながらノウェムを連れて医務室を訪れていた。
部屋にはタバコを吸いながら暇そうに新聞を持つ女性が一人。彼女はシキとリンリンをいつものことだと言わんばかりに受け取ってベッドに乗せ、慣れた様子で「程々にね」とオクタヴィアに言うと、その後ろにいるノウェムに気付いた。
彼女はしゃがんでノウェムに視線を合わせると、ニコニコ笑いながら話しかける。
「私はシャクヤク。この船の船医をやってるわ」
本職は船医じゃないんだけど、と笑う。
「ノウェム。今日からこの船でコックをすることになった。よろしく」
「あら、そうなの。子供を拾うなんて珍しいのね、オクタヴィア」
「私の子だ」
「そう、貴女の子……子供!?」
流石に驚いたのか、ギョッとした顔でノウェムの顔を二度見する。
オクタヴィアはいつも趣味の悪い金色の髑髏の仮面を付けているので、咄嗟にどんな顔だったか出てこない。
ぼんやり思い出してノウェムと見比べてみれば、確かに顔立ちはよく似ている。瞳の色だけは違うようだが。
「……瞳の色、赤いのね」
何かを察した様子で、シャクヤクはちらりとオクタヴィアの方を見て立ち上がった。
二人は何かを話していたようだが、ノウェムは特に興味もなく消毒液の臭いがする部屋を見回す。
普通の医務室だが、ベッドの大きさは普通サイズから巨人が使うのかと思うようなサイズまで様々だ。ニューゲートなどは5メートルほどもあるし、リンリンだって10メートル近いので、普通のベッドでは入らないのだろう。
その辺りは意外と考えられているらしかった。
「ノウェム」
オクタヴィアが自身を呼ぶ声を聞いて振り返った。
手招きをするオクタヴィアの下へと近付き、彼女はシャクヤクを指さす。
「困ったらこの女を頼れ。いつも私がいる訳では無いからな」
「滅多に頼み事なんてしないオクタヴィアの頼みだし、助けてほしいことがあったら貸しってことで請け負ってあげるわ」
いつも船にいる訳ではないオクタヴィアは、シャクヤクに自分がいない時のことを頼んだらしい。
オクタヴィアに勝てないならとノウェムを狙う可能性がある者に心当たりがあるらしく、それを聞いてノウェムは非常に嫌な予感がしていた。
ロックスに頼れないものかと思ったが、あの男は自分の子供でも多少の事では助けてくれないらしい。
もちろん、一度価値を示した以上は庇護下にあると考えていいが……味方は多いに越したことは無いとオクタヴィアは判断したのだろう。
貸しを作るような事態にならなければいいが、などと肩をすくめ、ノウェムは思った以上に危険が多い船に辟易した。
いいぞ…好きなだけ書け…