ヒエヒエの実を食べた少女の話   作:泰邦

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第百九話:イヌとネコ

 〝ハチノス〟を出航して数日。

 船は〝ゾウ〟を目指し、特に問題もなく航行を続けていた。

 夜間は海上であっても船を停泊させて監視を置いている。航海士は数名いるが、見通しの悪い夜間に無理に移動することは無いという判断からだ。

 月と星の明かりだけを頼りに〝新世界〟の海を移動するのは熟練の航海士でも命がけになる。嵐が近付いて来ている場合でもない限り、基本は動かない。

 ──そんな夜の帳の降りた船の上で、日和は星明りに照らされた海を眺めていた。

 何が見えるわけでもない。

 ただ、眠れないから。船に揺られながらさざ波の音を聞いて、眠くなるまで過ごそうと思っていた。

 そこへ、騒がしい男がやってきた。

 

「こんな夜中まで起きてる悪い子は食べちゃうぞー! ってな。ヒヒヒ」

「……クロさん」

 

 浅黒い肌に黒い髪。露出している肌の至る所に刺青が見られる男だ。

 普段は上半身裸でいることが多いが、流石に夜の海上で上半身裸は堪えるのか、上着を羽織っている。

 日和も最初は怖がったものだが、本人の陽気な気質を知った後は怖がることも無くなった。

 

「どうした、眠れねェのか?」

 

 見張りのために起きていたのか、手には双眼鏡を持っている。

 しかし何も見えない夜の海はあまり面白くも無いのだろう。クロは日和の隣に陣取り、手摺に肘をついて海を眺める。

 何かを話そうとするわけでは無い。二人とも、ジッと夜の海を見ているだけだ。

 波の音を聞きながらクロが何度目かの欠伸をした時、日和は口を開いた。

 

「クロさんは、誰かを恨んだことはありますか?」

 

 キョトンとした顔で日和の方を見るクロ。

 意外な質問が来た、と言わんばかりの顔だったが……クロは再び海の方へ顔を向け、「そうだなァ」と呟く。

 

「恨んだことは、まァあると言えばあるな」

「今は違うんですか?」

「恨みつらみってのは消えるもんじゃねェよ。でも、オレにとってはもうどうでもいいことになっただけさ」

 

 かつて、クロはとある島で島民全員から虐げられていた。

 悪魔の実を食べたというだけの理由で化け物扱いされ、檻に閉じ込められて悪意をぶつけられ続けた。

 けれど、それはもう過去の話だ。

 

「忘れることは出来ねェけど、乗り越えることが出来るのが人間なのさ」

「乗り越える……私も、いつか乗り越えられるでしょうか」

「さァな。時間が解決することだってあるだろうし、時間をかけても解決出来ねェこともある」

 

 ただ、日和の場合はクロとは少し事情が異なる。

 明確に命を狙ってきている者がいることと、生国を追われたこと。カイドウはどうでもいいと考えているだろうが、オロチは決して逃がしはしないだろう。

 日和はワノ国に戻ってもいいし、戻らなくてもいい。父親を処刑され、母親を殺害されたワノ国に戻ることが正しいこととはクロは思っていない。

 誰かの子供だからとか、何かの一族だからとか、そういう理由でやろうとするのは好きでは無かった。

 

「光月の一族だから、って思ってんだったら止めた方がいいぜ」

「……何故ですか? 私は将軍の娘だから、ワノ国を救わないと……」

「んなモン、カナタにでも任せとけば勝手にやってくれる。お前がやる必要はねェよ」

 

 おでんの事はあまり好きでは無かったが、スキヤキ殿には恩があるからと一度はワノ国に攻め込んだ。

 リンリンとカイドウをどうにかする手筈を整えたなら、再度ワノ国に侵攻することもあるだろう。無理に日和が頑張る必要は無い。

 何より、それは良くないことだ。

 

「いいかい、お嬢ちゃん。絶望の淵にあるものを救おうと思うなら、それは正の感情でなければならない。負の感情は正の感情でなけりゃ打ち消せないからな──悲しみに陥ったものを哀しみで救い上げても、癒されはしないのさ」

 

 義務感や使命感、同情や憐憫の感情で何かを救っても、救われた方は困るだけだ。

 かといって、怒りや憎しみを原動力にしたところで長続きはしない。爆発的な燃料にはなるが、多くの場合はその場限りのものでしかない。

 

「やっぱり、助けるならどっちも得になる理由じゃないとな」

 

 カナタは割と感情的な理由で動いているところはあるが、あれはあれでちゃっかり利益を出している。

 今回のワノ国遠征だって、成功していればワノ国の職人を手中に収めていた。技術は一朝一夕で手に入るものではない以上、生み出す利益は莫大なものになっただろう。

 失敗しても何だかんだと色々な方法で金を回収している。強かな女だとクロは思うが、あれくらいでなければこの海で生き残れはしない。

 

「正の感情……?」

「わかりやすいところで行くと愛だな。やっぱ愛は世界を救うぜ」

「愛……」

「ワノ国は好きか?」

 

 こくりと頷く日和。

 両親は死んだが、それでもワノ国そのものが嫌いになったわけでは無い。

 生まれたのはワノ国ではないが、物心ついてからはずっとワノ国に居た。

 得たもの、培ったもの──日和の中の多くはワノ国にいたからこそ生まれたものだ。

 辛いことも、怖いこともあったが……それだけで、ワノ国の全てをどうして否定できようか。

 

「好きだから助けたい。気に入ってるから助けたい。そういう単純な理由でいいのさ。つまらねェ義務感なんざ捨てちまえ」

 

 助けなければ、なんて考えは傲慢だ。

 何に苦しんでも助けるなんて思いは、助けられる側からしても困る。

 問答無用のハッピーエンドを望むなら、共有するのは楽だけでいい。苦楽を共にすれば乗り越えられるなんてのは嘘っぱちだ。

 失い続けた日々を上回る愛と平和は、救い出す本人が笑っていなければ。

 ──かつて。自分の名前すら忘れてしまった男が、一人の少女に差し伸べられた手に救われたように。

 

「ヒヒヒ、まだ難しかったかもな」

「いいえ。なんとなく……少しだけ、わかりました」

「何となくでもわかるなら大したもんだ。さァ、河松もイゾウも心配してるだろう。部屋に戻って休みな。明日には〝ゾウ〟に着く」

 

 もう夜も大分更けた。

 日和に割り振られた仕事は無いが、慣れない船旅は体調を崩しやすい。

 クロに促されて部屋に戻る日和を見送り、こそこそと慌てて移動する護衛の二人に笑みをこぼす。

 一人になり、クロは夜の海へと視線を移す。

 多くのものを見てきた。

 おとぎ話のような冒険を経て、海軍や他の海賊とやり合って、仲間と一緒に様々なものを乗り越えてきた。

 何も知らなかった子供の時からすれば信じられない経験をしたものだと思う。

 そのうち、今度はクロが伝えていくことになるのだろう。

 新しい時代は、いつだって若者が作るものなのだから。

 

 

        ☆

 

 

 〝ゾウ〟は〝象主(ズニーシャ)〟と呼ばれる巨大な象の背中にある国の事を指す。

 生物の背中にあるという特性ゆえ、〝永久指針(エターナルポース)〟で訪れることは出来ず、〝ビブルカード〟によってのみ居場所を掴むことが出来る。

 おでんの家臣であるイヌアラシとネコマムシはこの国の出身であり、おでんが処刑された後に船を手に入れてこの国に戻ってきていた。

 以前訪れた時は素手で〝象主(ズニーシャ)〟の足をよじ登ったり〝月歩〟で移動しなければならなかったが、今回はジョルジュのフワフワの実の力で船ごと上陸出来るので楽なものであった。

 〝ゾウ〟に住むミンク族には一様に驚かれたものだが、これが一番手っ取り早かったので仕方がない。

 

「二人は帰ってきているのか」

「ええ」

 

 ミンク族の中にはカナタの顔を覚えている者も多く、「ガルチュー」と言いながら頬ずりしてくるものもいた。

 これがミンク族式の挨拶なのでカナタも拒否はしないが、ひとまずイヌアラシとネコマムシの話を聞きたいと後回しにしてもらう。

 

「二人は少し前に帰ってきてます。ただ……」

「ただ?」

「その、何というか……以前はとても仲のいい二人だったはずなんですが……」

 

 今や顔を合わせるたびに互いに罵り合い、殺し合いまでやる始末だという。

 おでんの家臣として鍛え上げた二人を止めるのはミンク族の戦士たちも容易ではなく、手を焼いているらしい。

 今も森で戦っている最中のようで、カナタは溜息を一つついた。

 

「何をやっているんだ、あの二人は……フェイユン、少々手荒にしても構わん。二人を連れてきてくれ」

「はーい」

 

 派手に戦っているようで、居場所は見聞色で探るまでもなくわかる。

 イゾウと河松に「日和の顔は隠しておけ」とフードを被せておき、イヌアラシとネコマムシとはまだ顔を合わせないようにさせた。

 敵か味方かはまだわからないため、念を入れるに越したことは無いだろうと。

 程なくして、フェイユンが両手にそれぞれ掴んで連れてきた。

 ワンワンニャーニャーと騒ぎ立てているが、フェイユンは気にも留めていない。

 

「久しいな、二人とも」

「ニャッ!? カナタさんじゃにゃあか! 久しぶりじゃのう!」

「だが、何故こんな乱暴に……」

「お前たちが顔を合わせるたびに殺し合いをしていると聞いたからな」

 

 大人しくさせるにはこれくらい乱暴にやった方が良い。

 二人はそれに対しては言い分があるのか、互いに自分の意見を主張し始めた。

 

「そりゃコイツがわざわざ敵を思いやるようなことを抜かす不忠者だからじゃ!」

「何を言う! 不利な状況で敵を煽って、結果的におでん様を死なせたのはゆガラだろうが!」

「なんじゃと!?」

「なんだ!?」

 

 目の前で喧嘩を始めた二人に、思わずカナタも呆れて肩をすくめる。

 その辺りの事は二人ですれ違いがあったのだろう。どちらかがスパイで、その証拠を握ったがゆえに……という訳でもなさそうだ。

 ひとまず、カイドウのスパイなのかどうかだけ先にはっきりさせておこうとカナタは二人に質問する。

 

「お前たち、今でも主は光月おでんのままか?」

「何を当たり前のことを!」

「ワシらの忠義は全ておでん様に捧げた! いくらゆガラでも、愚弄するなら許さんぜよ!!」

 

 カナタはフェイユンに視線を向ける。フェイユンは問い質すようなカナタの視線に一つ頷き、「大丈夫です」と答えた。

 

「放してやれ、フェイユン」

 

 イヌアラシとネコマムシをゆっくり降ろした後、フェイユンはカナタの背後に回った。

 話すべきは彼女が話すと判断したからだ。

 「さて」と一息置き、どこから話すべきかと思案する。

 まずはイゾウと河松を呼び、情報のすり合わせから行うべきだろう。そう判断して、まずは二人を呼び寄せる。

 

「イゾウ! それに河松!? 何故ゆガラがここにいる!!」

「無事だったんか、河松!」

 

 イゾウは元よりカナタのところで勉強していたため、共にいても変ではないが……河松がいたことに二人は目を丸くして驚いた。

 カナタは「この二人は大丈夫だ」と断言し、イゾウと河松は再会を喜ぶ。

 

「カッパッパ。会わなかった時間は短かったが、どうにも懐かしく感じるな。お前たちも無事だったようで何よりだ」

「さて、何から話したものか……」

 

 イゾウは少し思案し、まずは〝黄昏〟がワノ国に攻め入った経緯から説明することにした。

 ニュース・クーは〝ゾウ〟にも訪れるため、情報自体は入っているはずだが、二人がここに辿り着いたのは少し前の話だ。まだ情報が行き渡っていないのだろう。

 カイドウは倒せなかったと伝えると二人とも落胆したが、それでも河松とアシュラ童子が生きていることを知ってホッとしていた。

 誰が死んでもおかしくは無かったのだ。生存報告があるだけでもありがたかった。

 

「トキ様の残した言葉をそのまま解釈するなら、20年後に錦えもんたちが戻ってくるという話だが……」

 

 河松は実際にトキから話を聞いて居るため、その辺りも加えて説明すると二人は納得した様子を見せた。

 モモの助は錦えもんたちと共に未来に飛んでいるため、無事ではあるだろうが確認する術はない。

 何かあった場合、ワノ国は指導者を失うことになる。

 しかし、希望はまだあった。

 

「姫様、こちらに」

「……まさか」

「そちらの子は……!?」

「二人とも、無事で何よりです」

 

 フードを外し、素顔を露にする。

 翡翠色の長い髪をなびかせ、トキによく似た顔を見せる日和に、自然とイヌアラシとネコマムシは膝をついていた。

 

「日和様……!」

「姫様……よくぞ、ご無事で……!」

 

 感極まった様子で涙をにじませる二人に、日和は小さく笑った。

 喧嘩こそしていたものの、この二人は昔と変わらない。日和やモモの助を大事に考えてくれている昔のままだ。

 話したいことはまだあったが、イゾウは先に話すべきことを話そうと考えて前に出る。

 

「正直なところ、私はお前たちを疑っていた。疑いたくなくとも、河松から聞いた状況から察するに間者が入り込んでいてもおかしくなかったからだ」

「拙者とイゾウ、それにアシュラ童子はカナタ殿から潔白の証明をして貰った」

 

 日和を保護したことも含め、カイドウの手先を内側に入れるわけにはいかないという理由もある。現状ではカナタに身の潔白を証明して貰うのが一番信用出来る要素だ。

 先程の問いかけにはそういう意味があったのかと思うも、イヌアラシは疑問を口に出した。

 

「もしもスパイなら、口からでまかせを言えば誤魔化せるのではないか? 言葉によって証明は難しいように思うが……」

「お前たちが嘘をついているかどうかくらい、見聞色の覇気で感じ取れる。フェイユンもその手の悪意には敏感だ。もし嘘を吐いていれば──」

 

 スパイとして持つ情報の全てを吐かせることになるだろう。

 そうなった時のことを想像すると、イヌアラシとネコマムシは背筋をゾッとさせていた。

 カナタは広い海でも最上位の実力者の一人だ。イヌアラシとネコマムシの二人で反抗してもすぐさま鎮圧されることだろう。

 潔白を証明出来て良かったと安堵し、この時代に残っているはずのもう一人の家臣の事を思い出す。

 

「傳ジローはどうした? あの男は一緒ではないのか?」

「……今、傳ジローは行方不明だ。ワノ国でも噂は聞かなかったし、アシュラ童子が捜索しているが情報は無い」

 

 現状、この時代に残っているおでんの家臣で最も怪しいのが傳ジローだ。

 アシュラ童子には見つけても下手に接触せず監視に留めろと伝えてある。

 おでんの家臣同士、実力は伯仲している。仮に敵だった場合、アシュラ童子も無事では済まない可能性が高いからだ。

 

「傳ジローがスパイ……可能性はあるにしても、ワシはそう思えんが」

「そうだな。あの男は錦えもんと同じで最初からおでん様と一緒だった」

「ゴロニャニャニャ。ありゃ情に厚い男ぜよ」

 

 イヌアラシとネコマムシは傳ジローをそう評するが、憶測だけで判断するべきではないだろう。

 敵であれ味方であれ、まずは見つけねばどうにもならない。

 未来へ飛んだ者たちは戻ってきたときに判断すればいいので今は放置だ。

 

「イヌアラシ、ネコマムシ。お前たちも喧嘩している場合ではないぞ。これから20年後に向けて準備をしなければならない!」

「しかし、あの時ネコが余計なことを言わなければ……!」

「なんじゃイヌ! 敵の事を気遣ってやる必要がどこにあった! やはりゆガラがカイドウの……!」

 

 再びピリピリと敵意をぶつけ始めた二人に、どうしたものかと河松とイゾウは目を合わせる。

 困っている二人の間を抜け、日和が前へと出てきた。

 

「止めて、二人とも」

「日和様!」

「しかし……!」

「あんなに仲の良かった二人が、喧嘩ばかりしていては父上も悲しみます。だから、お願い……喧嘩しないで」

 

 日和の泣きそうな顔を見て、イヌアラシとネコマムシは即座に土下座して謝罪をした。

 

「申し訳ありません!!!」

「日和様!! お恥ずかしいぜよ!!」

 

 主君の娘にこうまで言わせては臣下の恥だ。

 おでんが処刑されてからまだ日が浅い。日和の中でもまだ消化出来ていないだろうに、余計なことに手を煩わせてしまった。

 こうなれば四の五の言っていられない。

 

「ネコ」

「言うな、イヌ。わかっとるきに」

 

 言外に〝休戦〟だと相互に確認し、日和のためにも協力することを約束した。

 未だ幼い主君の娘のためでもある。

 せめてこの子には……あの戦場となったワノ国から離れ、笑っていて欲しいと思うがゆえに。




おでんもモモの助もあれだったので多分日和も声は聞こえてるんだろうなーとは思います。

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