カナタとオクタヴィアの二人がエンジェル島で激突していた頃。
とある一人の男が空中に浮かぶ海賊船へと訪れていた。
「ウーム……吾輩、空の騎士と申す」
あごひげをたっぷりと蓄えた壮年の男性はそう名乗り、イゾウが目を見開いた。
銀甲冑を纏うその男性に見覚えがあったからだ。
「ガン・フォール殿! 無事だったのですね!」
「む? 吾輩の事を知るとは……お主等、青海人であろう?」
「青海……? なんだそりゃ」
「青い海。即ち空島の白い海ではない場所で生まれた者たちのことをそう呼ぶ」
「私は以前ここに来たことがあります。ロジャー船長と共に一時滞在していました」
「……なんと、ロジャーの? そう言われてみれば、確かに見覚えがある」
ガン・フォールはあごひげを撫でながらイゾウをじっと見て納得したような顔をする。
ともあれ、現状はそんな悠長にしていられるほど楽観的に見られるものではない。
「あそこでオクタヴィアと戦っているのはお主等の関係者か?」
「うちの船長だ」
「そうか……」
かつてガン・フォールが神の座に就いていた頃、突如として現れたオクタヴィアとその軍勢が有無を言わさず〝スカイピア〟の全てを乗っ取った。
しかし──誰もが想像するような惨劇も、悲劇の一つも起こっていない。
彼女の前に立った者は誰もが倒れ伏した。ガン・フォールも例外ではなく、敵意を持って相対することすら許されなかったのだ。
オクタヴィアが圧政、悪政を敷くのであればこの身を犠牲にしてでも相打つ……などと考えたこともあったが、想像に反してオクタヴィアは随分大人しかった。
カナタが訪れるこの時までは。
「吾輩は彼女が戦っているところを見るのは初めてだ。大抵のことは神官、あるいは神兵たちが解決に動くゆえな」
だが、オクタヴィアの強さを実際目の当たりにしてみると、〝シャンディア〟が神官や神兵たちを突破してオクタヴィアと戦うことが無かったことを幸運に思う。
あれは、人間にどうこう出来る存在ではない。
策を弄して太刀打ちできる次元には思えず、正面から戦ったとしてもなおの事。犬死するのが関の山だ。
「だが、あの二人をこのまま戦わせるのはマズイ」
エンジェル島は既に阿鼻叫喚だ。
二人の攻撃の余波だけで建物が倒壊し、地盤となる雲も焼け焦げたり凍ったりしている。
今のところ被害は建物だけで済んでいるが、人的被害が出るのも時間の問題だろう。
「どうか、お主等に頼みがある──エンジェル島の者たちを助けてほしい。吾輩に出来ることなど、もはやたかが知れているが……出来る事ならば何でもやろう」
船に降り立ったガン・フォールは深々と頭を下げて頼み込む。
一人で救助活動をしても間に合わない。あの二人の戦いは激しさを増すばかりで、未だ犠牲者が出ていないのが不思議なほどだ。
ジョルジュはイゾウと目を合わせ、頭をがりがりとかいてため息を零した。
「……仕方ねェ。カナタも被害が出ねェように戦ってるみてェだしな。おれ達も体張るしかねェだろ」
「そうだな。それに、この方を味方に付けておけばオクタヴィアがいなくなった後の統治も問題ないだろう」
どうあれ、カナタはオクタヴィアを倒すつもりだろう。ならばその後の統治を考えねばならない。
ガン・フォールは元々この国の長だった。同じ地位に返り咲き、後ろ盾としてカナタが名前を貸せば今後何かあっても対処できる。
……今ある危機を乗り越えられれば、と言う話ではあるが。
「そうと決まりゃァ早いうちに動くぞ。おれ達だってオクタヴィアの攻撃に巻き込まれたらひとたまりもねェからな!」
「……感謝する!」
ガン・フォールの指示の下、エンジェル島にいる住人たちを遠く避難させるために動き出した。
☆
そうして、現在。
エンジェル島の住人たちを逃がし、戻ってきたジョルジュたちは上空からカナタとオクタヴィアの戦いを観測し続け、カナタが倒れたその瞬間に三人が飛び出して割り込んでいた。
ジョルジュが止める間も無かった。
「勢い勇んでいきやがって……! フェイユン! 船を降ろす、カナタを治療するから連れて来い!」
今の〝黄昏の海賊団〟にはカナタに太刀打ちできる人物はいない。
即ち、カナタに打ち勝ったオクタヴィアに太刀打ちできる人物も存在しないのだ。
それでも飛び出したのは、それだけカナタのことを心配しての事だろうが…あまりに状況が悪い。
オクタヴィアに相対するティーチ、カイエ、イゾウ、フェイユンの四人を尻目に、全身にやけどを負って重傷のカナタの手当てをする。
「とにかく、一分一秒でも多く時間を稼げ!」
四人がかりでオクタヴィアの相手をしてカナタの治療のための時間を稼ぐ。カナタの治療には医務室でカテリーナが請け負っており、助手に数人の船医の手を借りて治療を始めていた。
カナタが目覚めるまでどれくらいかかるかわからない。
だが、それでもやるしかなかった。
「姉貴を渡すつもりはねェ! 諦めな、オクタヴィア!」
「──残念だ」
ティーチの煽りを受けてか、オクタヴィアは黒い雷を槍に纏った。
咄嗟に構えた四人は横薙ぎに振るわれる槍によってほぼ同時に弾き飛ばされ、オクタヴィアは船目掛けて跳躍する。
弾き飛ばされた中でいち早く復帰したカイエが獣形態へと変化し、上空へと飛んだオクタヴィアを尻尾で叩き落す。
ティーチがカイエの壁になるような位置取りをしていたのだ。
「行かせません!」
「小癪な」
巨人族にも匹敵する巨躯を誇るカイエに対し、オクタヴィアはバリバリと右腕に雷を留めて狙いを定める。
放出する雷は空気を引き裂き、カイエの巨体を薙ぎ倒した。
「〝
「オラァ!!」
カイエが吹き飛ばされる横でイゾウとティーチがオクタヴィアに攻撃を仕掛ける。一人一人の実力ではオクタヴィアに及ばずとも、意識を一人に絞らせなければ攻撃を当てること自体は難しくない。
「効いてねェのか!?」
「ぬるい攻撃だ。この程度で私に挑もうなど、笑わせてくれる」
武装色の覇気の強度が桁違いだ。
ティーチの覇気を纏った拳も、イゾウの覇気を込めた弾丸も、皮膚に到達することすらなく停止している。
黒い雷はオクタヴィアの肩から指先へと走り、握り込んだ拳を振るうと同時に雷鳴を響かせてティーチを吹き飛ばす。
両腕でガードはしたものの、あまりの威力にエンジェル島の果てまで吹き飛ばされている。戻ってくるのにも時間がかかるだろう。
片手間にイゾウへと左手の指先を向け、雷を走らせて迎撃する。銃を使って遠距離から意識を向けさせるつもりだろうが、遠距離戦ならばむしろオクタヴィアの独壇場と言ってもいい。彼女の力の前では距離など無意味だった。
「──ッ!」
視界を奪うほどの巨大な掌が横薙ぎに振るわれ、オクタヴィアは思わず防御に移る。
普通の巨人族よりも遥かに巨大なフェイユンが、普通の巨人族とは比較にならない速度で動く。それだけで通常は脅威となり得るが、オクタヴィアにとって驚愕することはあっても脅威にはなりえない。
ダメージは無いが船から離された。徹底的にオクタヴィアを遠ざけるつもりのようだ。
「カナタさんの治療の邪魔はさせません!」
「巨人族の能力者か。あの子も珍しい部下を持ったものだ」
巨人族は種族柄、悪魔の実を手に入れようとするよりも自身の技術だったり力だったりを鍛える方向に向くことが多い。
もちろんゼロでは無いが、どちらかと言えば能力者になるのは少数派だった。
「この巨体にこの速度。なるほど、並の兵士相手ならば薙ぎ払えよう」
だがオクタヴィアには無意味だ。
叩き潰そうと振り下ろされたフェイユンの拳を片手で受け止め、もう片方の手で持った槍を振るって飛ぶ斬撃を放つ。
間一髪でそれを躱すフェイユンだが、攻撃の手が緩めば当然ながらオクタヴィアも攻撃に移る。
「8億
瞬く間に立ち込める暗雲から雷が降り注ぎ、幾条もの閃光がフェイユンの体を焼き焦がす。
如何に頑丈であってもこれだけの雷を一身に受けたのでは立ち続けることも難しい。倒れ伏したフェイユンを尻目に船へ向かおうとしたオクタヴィアに対し、人獣形態になったカイエが強襲した。
「幻獣種か。ノウェムの船には珍しい能力者ばかりいるな」
「貴女と違って、あの人は人望がありますから」
挑発するようなカイエの物言いにオクタヴィアは目を細め、逃げ場を塞ぐように広範囲に雷が広がった。
カイエは人形態に戻って隙間を縫うように回避し、再び獣形態となって蛇の形を取った髪からレーザーを放つ。
オクタヴィアはそれを槍で弾き、フェイユンと同じように幾条もの雷で沈めようと狙いを定めた。
しかし、集中するオクタヴィアの気を逸らすようにイゾウが再び弾丸を撃ち込む。
「ハァッ!!」
蛇の形に象った髪を武装色で硬化させ、空中のオクタヴィアへと襲い掛かるカイエ。
しかしオクタヴィアはそれをひらひらと紙一重で避けていき、黒い雷を纏わせた槍をカイエへと叩きつける。
攻撃を防ぎきれずにカイエは島へと叩き落され、そちらを心配して僅か一瞬だけ目を逸らしたイゾウの目の前にオクタヴィアが現れる。
「くっ──!」
至近距離で撃った弾丸を避け、オクタヴィアは拳で数発打撃を入れてイゾウの動きを止めた。
「侍か。ワノ国の外にいる侍は珍しいな」
「ぐ、ごほっ……!」
抵抗出来ないようにイゾウの銃を弾き、槍を喉元に突きつけた。
「うちにも昔いたよ、ワノ国の奴が。名前は確か──
「黒炭……だと……!?」
「ああ。ワノ国に復讐をしたいと言って船を降りた。随分前の話だが……光月がどうなろうと私の知ったことではないしな。
「貴様らの、せいで……!」
直接的にオクタヴィアがワノ国へ害をもたらしたわけでは無い。
しかし、煽るようなオクタヴィアの言葉にイゾウは怒りを抑えられなかった。
銃は無くとも腰に下げた刀はまだある。抜刀して斬りかかろうとしたイゾウに対し、オクタヴィアはつまらなさそうに雷を走らせた。
「その様子だと上手く行ったらしいな。光月も結局は滅びる定めだったか」
オクタヴィアは光月家の誰かと会ったことは無いが、自らの一族との関係性はある程度伝え聞いている。
その辺りを踏まえて、好きにはなれないだろうと判断してひぐらしに好きにさせたのだ。既に袂を分かった一族だ。生きるも死ぬも知ったことではない。
〝黄昏〟の中でも指折りの実力者たちを次々に落としたオクタヴィアは、随分距離を取った船へと視線を向ける。
オクタヴィアはその能力の性質上、雷の速度を出すことが出来る。多少の距離があったところで時間稼ぎにもなりはしなかった。
空気を引き裂いて船へと乗り込み、カナタのいる医務室へ行こうとして〝木枯し〟を構えたジョルジュと相対した。
「止めておけ。お前が気絶すればこの船も落ちるのだろう。大人しくあの子を渡すがいい」
「ハイそうですかって訳にゃァいかねェだろ。あいつらだってあれだけ体張ったんだ! おれだって無抵抗で渡すつもりはねェ!!」
啖呵を切るジョルジュを笑い、オクタヴィアは指先を向ける。
「では力を見せてみろ。出来なければお前の命を貰うまで」
バチバチと雷鳴が弾ける音がして、ジョルジュは冷や汗を流して死を覚悟する。
──刹那、横から割り込む声があった。
「──〝
奇襲を仕掛けたのはクロだ。
能力者の実体を正確に吸い寄せる力は、相手が能力者であれば強弱に関係なく平等に作用する。
驚愕に目を見開くオクタヴィアに対し、クロはにやりと笑ってオクタヴィアの右腕を掴む。
オクタヴィアは
「オレはヤミヤミの実を喰った能力者でな──触れている間、能力は使えねェ!」
高速で斬りかかったジョルジュに左手の槍一本で対処し、クロに対しては腕力に物を言わせて振り払い、顔面に拳を叩き込んだ。
能力は有用でも能力者本人の強さがこの程度では宝の持ち腐れだ。もう一度オクタヴィアの能力を封じようと手を伸ばしたクロへ、オクタヴィアは手刀でクロの左腕を切り落とす。
「が、アアアァァァァッ!!!」
「クロ!」
鮮血に塗れるクロを尻目にオクタヴィアはジョルジュへと向き直り、黒い雷を纏った槍を振るって船の外まで吹き飛ばす。
周りには船員たちがまだいるが、実力差を理解しているのか手出しはしてこない。
カナタの気配を辿って船の内部へ向かおうとすると、船の外からティーチが這い上がってきた。
「クソ、派手に吹き飛ばしてくれやがって!」
「もう戻ってきたのか。頑丈だな、貴様──いや、
ティーチ一人を見つめ、オクタヴィアはそう言う。
周りの者はどういうことかわからない顔をしているが、ティーチだけはにやりと笑みを浮かべて拳を構える。
「どうでもいいことさ。おめェにゃ関係ねェからな」
「そうだな。私も興味は無い」
ティーチが覇気を纏って振るった拳を片手で受け止め、同じように拳で攻撃するオクタヴィア。
覇気そのものの練度が違うためか、ティーチの攻撃はほとんど通じず、オクタヴィアの攻撃でティーチはどんどん消耗していた。
これまでにティーチが戦ってきたどんな敵よりも強く、鋭い攻撃にさしものティーチも顔から笑みが消えていた。
「ハァ……ハァ……どんな体してやがんだ、テメェ……!」
「お前とは生きてきた年数が違う。私を倒したければ、もっと腕を磨くことだな」
「このババア、ふざけ──ホブッ!!」
ティーチの顔面にオクタヴィアの拳が突き刺さり、遂に仰向けに倒された。
「〝
そのまま船へ入ろうとするオクタヴィアを、片腕となったクロが止める。
呆れたようにオクタヴィアは片手でクロの首を掴んで持ち上げ、止めを刺そうと構えた。
「クロさん!」
「良い、大丈夫だ」
「何が大丈夫なんだ? 先程から面倒なことばかりして、私を怒らせたいのか?」
「デイビットたちは戦わなくても、カナタがお前を倒してくれるってことだよ」
「……あの子は既に私が倒した。しばらく起きることは無い」
「ヒヒヒ。カナタの母ちゃんよ、アンタ何もわかってねェな」
死にかけのボロボロだと言うのに、それでもクロは笑みを浮かべていた。
「あいつは必ず戻ってきてアンタを倒すぜ」
「……根拠も何もない言葉だな。お前が何を知っている」
「少なくともアンタよりはあいつのことを知ってるつもりだぜ。何せ、
クロの挑発にビキリと青筋を浮かべ、オクタヴィアはクロの腹部へと槍を突き刺した。
血反吐を吐くクロだが、その眼はまだ死んでいない。
何かを狙っているのかと探ってみるも、クロ自身の強さはそれこそ取るに足らないものだ。覇気も使えず、能力も大したことは無い。これ以上何も出来はしない。
だと言うのに、まだ諦めていなかった。
「不愉快だ」
このまま船の外にでも投げ出してやれば、もうどうにも出来はしないだろう。
そう考え──しかしその直前に、オクタヴィア目掛けて誰かが突進してきた。
デイビットだ。
「私に挑む勇気は認めよう。だが、力の差は埋まらんぞ」
オクタヴィアの見聞色はカナタに及ばずとも、指折りの強者であることに変わりはない。
相手の強さも、行動も感じ取ることは容易く……デイビットの強さも当然感じ取れていた。
覇気を纏っている様子もなく、海楼石の武器を持つわけでもない。何をしようと
だが。しかし。
「ヒヒ。忘れてねェか、オレのことをよ」
何をしようと流体の体にダメージは無いとデイビットの事を無視したオクタヴィア。
その背後に迫ったデイビットが全身を爆弾として起爆しようとしたその刹那──クロはそう言って笑う。
クロはヤミヤミの実を食べた能力者。
「何──!?」
それに気付いたオクタヴィアが振り向いた瞬間、周りを巻き込むようにデイビットが大爆発を起こしてオクタヴィアを船の外へと弾き出した。
☆
──黄昏に染まる海に、一隻の船が浮かんでいる。
見覚えのない船だ。カナタは誰も乗っていない帆船の中から甲板に出ると、一人の男が立っていた。男は沈みゆく太陽を見ており、その眩しさにカナタは手で影を作る。
背はそれほど高くはない。カナタよりも多少高いくらいで、逆立った髪が特徴的な男だ。
腰には刀が下げられており、見覚えのある意匠に目を細くする。
「──お前は誰だ?」
カナタに対して背を向けたままの男は腕組みをし、どこかで聞き覚えのある声で答えた。
「おれはロックス──ロックス・D・ジーベックさ」
カナタからでは顔は見えないはずなのに、どうしてか男がニヤリと笑ったことがわかった。