単行本派の方はご注意ください。
「ロックス……だと?」
カナタは訝し気な表情で目の前の男を見る。
ロックスの手配書は既に発行されていない。世の中にバラまかれた手配書を探せば見つかるかもしれないが、そもそも興味も無かったカナタは見たことがないため、ロックスの容姿を知らない。
目の前の男が本当にロックスなのか。
そもそも死んでいるはずのロックスが、なぜここに居るのか……疑問は山ほどある。
「お前がここに居るという事は……私は死んだのか?」
既に死んだ人間と会うとなると、カナタも死んだのかと考えるのは当然の思考だ。
だが、とカナタは違和感を覚える。
黄泉の国。死の世界。彼岸の先はこのような世界では無かった。
もっと暗く、冷たく、どうしようもないほど──。
「……ッ!」
ズキン、と頭痛が走る。
常人に耐えられるものではない。本来、魂にこの
痛む頭を押さえながら、カナタは何度か瞬きをして視線を目の前の男に戻す。
「お前はまだ死んでねェ。死んだ人間に会うのは不可能だ。あるいは、黄泉の国から戻ってくることが出来る能力者なら可能かもしれねェがな」
「……死んでも蘇る人間がいると言うのか?」
「
「ではお前は何なのだ? 私の幻覚か?」
「近いが少し違うな」
答えは
「〝村正〟か?」
「こいつはおれが生前──それこそ死ぬまで使っていた武器だ。いわゆる残留思念のようなものがあったんだろうな。この刀にそういう性質があったのか、あるいはこの刀に
カナタは常に〝村正〟を腰に差している。これまで一度も使ったことは無いが、そんなものがあるとは知らなかった。
持ち主を自ら死地へ向かわせる妖刀。良い武器に逸話は付き物だが、〝村正〟は特にそういう性質があると噂されていた。
焼き付いた思念を再生するなど常識的に考えられないことだが、この不可思議な海であればそういう事もあるのかと考え込む。
「おれが刀を介してお前に映像を見せているわけじゃねェ。お前が触れている刀から情報を引き出しているんだ」
「……私が?」
「覇気とは極限の戦いの中で開花するものだ。これまでの見聞色では読み取れなかったモノも、戦いの中で視える、あるいは聴こえるようになることも珍しくはねェ」
「だから〝村正〟に残った思念を読み取れるようになったと?」
「そうでなけりゃあ、おれは出て来ねェからな」
情報を得ようとしているのはあくまでカナタだ。
この状況はカナタが情報を得るため、無意識に整えた場のようなものに過ぎない。
「時間もねェ。手早く理解しろ──わかっていると思うが、オクタヴィアが使っていた黒い雷は能力によるものじゃねェ。
カナタが自身の能力で作り出した氷に武装色の覇気を流し込めば黒く染まる。
当初はそれと同様にオクタヴィアが自身の能力に武装色の覇気を流し込んだものかと思ったが、〝触れずに〟攻撃する力の説明が出来なかった。
カナタの見聞色ではっきりと視た結果、オクタヴィアが使っていたのは覇王色の覇気を纏ったものだと理解は出来た。
だが、どうやって使っているのかがわからない。
そう言うと、ロックスは馬鹿にするように鼻で笑った。
「ハッ。お前はそれなりに修羅場を潜ってきたはずだが、まだわかってねェのか」
「……何だと」
「
覇気とはすなわち意志の力。
使えると思えば使えるし、使えると思わなければ使えない。それがわかってないとロックスは言う。
「お前は呼吸をするときにどうやればいいのかなんて考えるのか? しねェだろ? それと同じだ」
出来て当たり前だと、そう考えることが重要なのだ。
「やろうと思えば大抵のことは出来るのが覇気って力だ。出来るかもしれない。出来ないかもしれない。そんなつまらねェこと考えてるうちはオクタヴィアに勝てやしねェ」
「……お前もそうだったのか?」
「おれは出来ねェなんざ考えたこともねェよ。いつだっておれならやれると思って生きてきた」
ロックスは常に最強であり続けた。
ロジャーが台頭する一つ前の時代。巨兵海賊団が解散し、海が一時的に平和になったその時期に現れた嵐のような男。
あらゆる海を踏み荒らし、あらゆる海を踏破した稀代の大海賊。
ロジャーとガープに敗北したものの、今なお伝説とされる二人の強さを知っていれば
己の力を一分の隙も無く信じ抜き、全力で戦い続けた男だ。ロジャーとガープに負けたのは……単に
「疑うな。信じ抜け。それが覇気って力の真髄だ」
「自分の力を疑わず、信じ抜く……」
やったことも無いのに出来ると信じ抜けと言われても難しいが、やらねばどのみちオクタヴィアには勝てない。
ロックスは変わらず背を向けたまま、またも顔を見せずにニヤリと笑った。
「お前なら出来るに決まってる。何せ、おれの娘だからな」
ロックスは自分の力を疑うことは無い。
同様に背中を預けていたオクタヴィアの強さを疑うことも無い。
ならば、その二人の血を受け継いでいる
カナタは何とも言えない表情をしてため息を吐き、嫌々ながらも目の前の男の娘であることを自覚する。
「……私はお前と会ったことは無いが」
「お前が生まれた時に顔を合わせた。おれの顔を見ることが出来ねェのはお前がぼんやりとしか覚えてねェからだ」
「そうか」
その辺りの事に興味は無い。
話はそれだけかと、背を向けてどうにか目覚めようとするカナタへロックスは声をかけた。
「ああ、そうだ。もう一つ──無自覚とはいえ〝村正〟に宿ったおれの〝声〟が聞こえたんなら素質はあるんだろう。教えておくことがある」
「まだ何かあるのか?」
「お前、見聞色を人間の感情を読み取るだけの力だと思ってねェか?」
ぴたりとカナタの動きが止まる。
顔だけ振り向き、先を促すように視線を強める。
「〝声〟とは〝万物〟に宿るもの。人間に限らず、あらゆるものに〝声〟は宿る。理解できるか?」
かつて、ロジャーと話したことがある。
あの男は人間以外の〝声〟を聞くことが出来た。〝
すんなり受け入れたことにロックスは笑い、「ロジャーの野郎が真偽を見極める例になってんのは文句の一つも言いてェところだが」と言いつつ、それは本題とは関係ないのか話を続ける。
「〝万物〟に〝声〟が宿るとは言ったが、誰も彼もがこれを聞けるわけじゃねェ。才能、練度──これらは言うに及ばず、意識の変革でより多くの〝声〟が聞こえるようになる」
「意識の変革だと? また信じろ、疑うなとでも言うのか?」
「それは前提条件だ。この場合はもう一歩先に進んだ意識──あらゆるものに〝声〟が宿ることを理解しておけばいい」
そこに〝声〟があることを知らなければ聞こうともしないが、存在を知っていれば耳を傾けることも出来る。
存在を知っているかどうかは大きな分水嶺となり得るのだ。
これ以上話すことは無いのか、ロックスは腕組みをしたままカナタに背を向けて仁王立ちをしている。
カナタもまた、これ以上聞くことは無いと背を向けて目を瞑る。
ここはカナタの意識の深層。〝村正〟の内に宿る〝声〟を聞くために無意識のうちに生み出された場所に過ぎない。
戻ろうと思えばいつでも戻れる場所だ。
そうして、意識を浮上させようとした刹那──。
「──ノウェム」
最後に、ロックスから声がかかった。
「力だけを求めればオクタヴィアに勝つのは容易い。他人と共感する見聞色なんぞ最低限に削ぎ落して、その分武装色を鍛え上げればいいんだからな。おれが選んだ道だ、やり方は教えてやれるぜ?」
「それで勝てたとしても、それは私のやり方ではない。
「フフハハハハハ!!! 言うじゃねェか!! ──だが、それでこそだ。人を従える覇王の素質を持った奴が、用意された道を歩むことに何の意味がある」
ニィ、と。
ロックスは僅かに口角を上げ、意識を浮上させるカナタを見送った。
「お前はお前だ。好きにやれよ、
☆
船を揺るがす大爆発が起き、轟音と揺れで船員の誰もが甲板にしがみつくように身を伏せる。
爆発によって押し出されたオクタヴィアとクロ、それに爆発を起こしたデイビットのみが船から空へとダイビングしていた。
「ぐ……!」
まさかの攻撃に虚を突かれたオクタヴィア。
普段なら意識せずとも受け流す攻撃だけに、意識の外側から来た攻撃で想定外のダメージを負っていた。
間一髪で気付いたのでダメージそのものは最小限に抑えられたが、掴んでいたクロは放してしまった。
「あの男……」
片腕を失い、腹部に槍で穴を空けられているクロ。放っておいても死ぬだろうが、能力者を吸い寄せる力と触れた相手の能力を封じ込める力は厄介極まりない。
邪魔をされないうちに殺しておくべきだと判断し、空中で槍を構える。
既に瀕死だ。もう一発食らわせれば生きてはいないだろうと考え──横合いから凄まじい速度で何かがクロの方へと飛んでいくのを見た。
「だああらっしゃあああああ!!!」
デイビットだ。
空中で足を爆発させて推進力を得ているらしく、連続して爆発する音が響いている。
そのままクロを掴んでオクタヴィアから距離を取ろうとしているらしく、見る見るうちに遠ざかっていく。
「アンタは死なせねェ! 絶対に……絶対に!!!」
クロが人一倍弱いから、ではない。
〝黄昏〟の古株で先輩だから、でもない。
ここで仲間を見捨てるような自分なら、過去に自身の無力のせいで失った仲間に顔向けできないからだ。
「おれは、もう! 目の前で仲間を失うことはしねェ!!」
「随分威勢がいいな」
オクタヴィアは文字通りの雷速を誇る。
空中でどれだけ推進力を得ようと、彼女から逃げることは並大抵の力では不可能だ。
離したはずの距離を一瞬で詰められ、咄嗟にクロを庇う様にデイビットは体を割り込ませる。
容赦なく飛来する雷に打たれ、体を焼け焦がしながらエンジェル島へと落下する二人。
固い地面ではなく柔らかい雲の大地であったがゆえに、二人は落下の衝撃にも耐えて何とか生き残れたが……オクタヴィアは未だすぐ近くにいる。
「クソ……絶対に、死なせるわけにはいかねェ……!」
ここで一人逃げれば、あるいはデイビットだけは助かるかもしれない。
オクタヴィアが危険視しているのはあくまでクロ一人。彼女にとってデイビットは覇気も使えない有象無象の一人だ。
だけど。でも。
ここで逃げるわけにはいかない。
逃げてしまえば、かつて失った仲間にも、新しく得た仲間にも、家族にも──誰にも顔向けが出来なくなる。
そんな情けない自分にはなりたくない。
デイビットは痛む体で這いずるようにクロの下へ向かい、彼の動きを止めるようにオクタヴィアが背中を踏みつけた。
「テメェ……!!」
「お前のようなゴミに用はない。覇気も使えないような軟弱さで、よく私に歯向かおうと思ったものだ」
この手の海賊は腐るほど見てきた。
威勢だけは一丁前で、しかし何かのきっかけで心が折れて自分の力を信じきれなくなった者たち。
自分の力に疑いを抱くという事は、覇気が使えないことと同義だ。一度折れた心を修復するのは並大抵の努力で出来ることではない。
デイビットが覇気を使えないのは例に漏れずそういう理由なのだろうと当たりを付け、オクタヴィアは興味もなさそうにデイビットの背中に槍を突き立てた。
強烈な痛みに悲鳴を上げるも、オクタヴィアはそれを気にすることなく槍を引き抜いてクロの下へと向かう。
「デイビット……!」
「……腕を失い、腹に穴を空け、あの爆発を至近距離から食らっておいてまだ意識があるのか。随分頑丈だな」
多少鍛えてはいるのだろうが、覇気も使えないのにこの頑丈さは些か奇妙にも映る。
ヤミヤミの実は
「やはりお前はここで殺しておくべきだな。放っておいても死ぬだろうが、また邪魔をされては困る」
オクタヴィアはクロに向けて槍を振り上げ、今度こそその心臓目がけて突き立てようとする。
しかし、クロはなおも不敵な笑みを崩さずにオクタヴィアを嘲笑った。
「オレにかまけてていいのかよ?
何を言っている、と。
オクタヴィアが疑問を抱くと同時に、その背後に誰かが降り立った。
咄嗟に反転して斬りつけるも、降り立った人物──カナタは
迸る
「触れてねェ……」
クロは目を丸くしてカナタの攻撃を見ており、カナタはすぐさまクロを抱き上げて声をかけた。
「大丈夫か、クロ。まだ息はあるな?」
「いてェよ、心配しなくてもオレは人より頑丈だからな……それより、勝てそうか?」
「ああ。心配するな」
ジョルジュがカナタの後ろに降り立ち、瀕死のデイビットを担ぎ上げて船へと戻ろうとしていた。
オクタヴィアの一撃を受けたとはいえ、ジョルジュもそれなりに修羅場を通ってきている。一撃で気絶させられるほどでは無かった。
「ジョルジュ、二人を頼む」
「わかってる……大丈夫、なんだよな?」
「大丈夫だ」
急いで飛び出してきたので愛用の槍は無い。
だが、その腰には〝村正〟がある。
カナタは初めて〝村正〟を引き抜き、黒い刀身に黒い稲妻を纏わせた。
「もう、負けはしない」
傷が治ったわけではなく、消耗した体力も回復したわけではない。
しかし、〝村正〟を構えて立つカナタは今までになく大きく見えた。
ジョルジュはすぐに離脱し、倒れているフェイユンやカイエたちもフワフワの実の力を使って間接的に船まで運んでいた。
戦いの邪魔になるものは無い。
今度こそ、オクタヴィアを打ち倒す。
「──悪くない一撃だ」
カナタからの奇襲を受けたものの、オクタヴィアに大きなダメージは無い。
仮面に僅かな亀裂が入っている以外は代わり映えもなく、槍を片手にカナタと相対する。
「しばらく立ち上がれない程度には痛めつけたつもりだが、まだ甘かったようだな」
「部下があれだけ踏ん張ってくれたのだ。私一人寝ているわけにはいかない」
どうあれ、オクタヴィアに匹敵する実力を持つのはカナタを措いて他にいない。
二人は互いに得物に黒い稲妻を纏わせ、空気を引き裂く雷鳴を轟かせ始めた。
「──来い。力の使い方を教えてやろう」
「──言われるまでもない。今度こそお前を打ち倒す」
爆発が起きた。
互いの武器は触れることなく衝突する。
退くことのない覇気のぶつかり合い。激突する覇王色の覇気は空島全土に響き渡る開戦の合図となった。