カナタの振るった〝村正〟による斬撃が、深々とオクタヴィアの肉体を切り裂く。
如何に怪物的な強さを誇ろうとも、これだけの傷を受けてしまえば命に関わることは明白だった。
何より、この場にオクタヴィアの味方はいない。
「ハァ……ハァ……!」
焼け焦げた左手で槍を握り、それよりはマシな状態の右手で刀を握るカナタ。
仰向けに倒れたオクタヴィアを睨みつけるように視線を向けていたが、立ち上がる気配が無いと悟るとガクリと膝を突いた。
莫大な覇気を消費した事、加えて死力を尽くした戦闘を数時間以上。疲労が無い方がおかしい。
一度は敗北して死にかけたのだ。過去には数日間戦ったこともあったが、あの時とは疲弊の度合いが桁違いだった。
「……出来る事なら、お前一人の力でこそ打ち勝って欲しかったものだが」
「……海賊に卑怯も何もない。お前は──お前たちは、個人の強さをこそ重視するが……私はそうではなかった。それだけだ」
もっとも、カナタは少なくともオクタヴィアと正面からぶつかれる程度には強かった。
地力の差でオクタヴィアが一歩上だっただけで、そこまで独学で鍛え上げたカナタの強さにはオクタヴィアも感服するほどだ。
覇気は強者との戦いでこそ開花する。
オクタヴィアとの戦いを通して、カナタは数段飛ばしで実力を付けたことだろう。
今ならば、誰が相手でも負けはしない。
「
ロックスもまた、個人の武勇で癖の強い海賊たちを纏め上げた豪傑だった。
他者を信頼することなく、己が力こそを絶対とした、その時代における最強最悪の海賊。
オクタヴィアも同様に他者を頼ることなど無かったが……結局、ロックスはロジャーとガープに負けたし、オクタヴィアもカナタに負けた。
何か一つでも違っていれば勝負の行方はわからなかったほどの綱渡りな戦いだったが、結果こそが全てだ。
ロックスのやり方では駄目だと言う明確な結果。
ロックスとオクタヴィアの結末を以てこれを証明して見せた。
「私は私の道を行く。お前たちのようにはならない」
「フフ……それも良かろう。元よりお前を縛るつもりは無い。好きなようにしろ」
雲の大地にオクタヴィアの血が広がっていく。
もはや幾ばくの時間も無い。
最期に必要なことだけを伝えるべく、オクタヴィアは口を開いた。
「……私もお前も、元は〝ワノ国〟を生国とする〝暗月〟と呼ばれる一族だ。あの国にはもう記録など残っていないだろうが……歴史の転換期では〝Dの一族〟と共に戦い続けてきた」
「……それを私に伝えて、どうするつもりだ?」
「どうもしないさ。役目を終えた私は死ぬだけだ……ここから先は、お前が考えることだ」
オクタヴィアの母──カナタの祖母に当たる人物は戦いを選ばなかった。
まだ目的の時代ではないと判断し、全てをオクタヴィアに引き継がせて死んだ。
伝えておくべきことはまだいくらかあるが……今のカナタならば、オクタヴィアの使っていた槍から記憶を読み取ることも出来る。
本人が死んだとしても歴史が潰えることは無い。
「ジーベックの意志はいずれ引き継がれる。お前か、あるいは別の誰かか……私たちの積み上げた過去は無駄ではなかったと、いつか……──」
言葉が途切れた。
出血の多さで意識を保つことすら難しいのだろう。放っておけば死ぬ傷だ。
カナタはゆっくりと立ち上がり、〝村正〟を納刀してオクタヴィアに近付く。
「過去にこだわっても良いことなどない。世界は常に未来へと動いているものだ」
そのために過去を断ち切る。
それが本当に正しい選択なのかどうかは誰にもわからない。あるいは正しい選択など初めから無いのかもしれない。
オクタヴィアにとって、カナタは常に取り零した過去の象徴だった。
カナタにとって、オクタヴィアは常に斬り捨てた過去の象徴だった。
過去は常に追いかけてくるものだ。いくら斬り捨てようとも、いずれまた顔を覗かせることもあるだろう。
「ノ、ウェム──」
オクタヴィアがカナタの事を
それを捨ててしまえば──一度でも〝カナタ〟と呼んでしまえば、オクタヴィアはカナタとの関係性を完全に断たれてしまうと恐れて。
カナタはそれを理解してか、焼け焦げた左腕を見せつけるようにオクタヴィアの前に出す。
雷に打たれ、まるで樹形図のように腕から肩まで広がる図形。
俗に〝リヒテンベルク図形〟と呼ばれる、雷に打たれることで生じる焼け跡だ。
「……この傷は一生残るだろう。私はこの傷を見るたびにお前の顔を思い出すことになる。それでは不満か」
「フフ……それ、なら……悪くは、ない、な……」
オクタヴィアは声にならないほど小さく、彼女の名を呼んで。
彼女は、オクタヴィアの心臓へと槍を突き刺した。
☆
カナタは血に濡れた槍を持ったまま、座り込んだティーチと死にかけているクロの下へと辿り着いた。
近くにはジョルジュが降ろした船がある。エンジェル島は今やどこもかしこも吹雪と落雷に見舞われる危険地帯だが、不思議とこの周辺だけは気候が安定していたためだ。
遠目にバタバタと治療器具を移動させているカテリーナの姿が見えるが、カナタは気にすることなくクロの横にそっと腰を下ろす。
「……終わったのか?」
「ああ。過去の因縁には全てケリを付けた……お前を死なせるつもりは無かったのだがな」
「ヒヒ……気にすんな」
もはや痛みも無いのか、最低限の止血こそされてはいるが痛みに顔を歪めることも無い。
「オレは死ぬが、お前の旅はまだ続く。その旅の果てを見れねェのは残念だが……」
「……満足か?」
「満足さ。オレは元々あの島で死ぬつもりだった」
一人きりで誰に看取られることもなく、罵声を浴びせ続けられて死ぬだけの男だった。
それを連れ出して、多くのものを見せてくれたカナタに感謝こそすれ、それ以外の感情を抱くことは無い。
「ティーチも悪ィな。外れクジ引かせちまって」
「ゼハハハハ!! 水くせェこと言ってんじゃねェよ! 男が覚悟決めたなら、その意志を汲んでやるのは当然だろ!?」
「ヒヒヒ、お前らしいな」
オクタヴィアと戦ってそれなりに傷を負ったはずだが、ティーチはそれを感じさせないほど陽気に笑う。
クロも小さく笑い、最期にカナタへと視線を向けた。
「カナタ」
「どうした?」
「お前は過去を斬り捨てて未来を目指すが、過去は追いかけてくる。誰しもがオレみてェにすっぱり斬り捨てられるモンじゃねェからな」
クロの関係性は生まれた島だけで閉じていたからこそ、全ての過去は島から出るだけで清算出来た。
だが、カナタはそうはいかない。
血筋、両親、これまでの行動……世界規模で影響をもたらすことになる。そう簡単に過去を捨てられはしない。
拒否するだけでは、カナタが生きづらくなるだけだ。
「その
「……ああ、そうだな」
かつて、自分の名前すら忘れてしまった男がいた。
彼を救い出したのは、年端も行かない少女の差し伸べた手で……その光景はきっと、地獄に落ちても鮮明に思い出せるものだったのだろう。
彼はもう、彼女の背中を支えてやることは出来ないけれど。
彼女の未来に幾ばくかの幸あれと願うばかりだった。
「──そろそろか」
もう視界すらぼやけてきた。耳もよく聞こえず、小さくなっていく自分の鼓動さえわからなくなりそうだ。
そんな中で、冷たくなっていく手を握る誰かのぬくもりだけが、まだ自分が生きていると感じる唯一のもので。
誰かが自分の名前を呼ぶ声さえ小さくなっていく。
彼女はきっとクロが死ぬことで落ち込むだろうし、泣くかもしれないけれど。
それも乗り越えて未来へ踏み出せると、誰よりもクロ自身が信じているから。
「……元気でやれよ」
「ああ……お前が羨むくらいに、多くの土産話を用意しておくとも」
「ヒヒ……そりゃ、結構だ……」
最期に彼は笑って。
そうして、意識は途絶えた。
☆
「クロ……」
ジョルジュが呆然と立ち尽くす。
カテリーナはまだ何とかしようと準備をしていたが、カナタは「もう十分だ」とそれを止めた。
「眠らせてやれ」
「でも! だけど……っ!」
「やめとけ。この怪我じゃどのみち助かりゃしねェんだ」
カナタとティーチの言葉を受け、カテリーナは悲痛な顔をしてクロの怪我を診る。
オクタヴィアに心臓を貫かれている。この状態でよく即死しなかったものだと思えるほどだ。
カナタはティーチに槍を預け、クロの遺体を抱き上げる。
「おい姉貴、その腕でやるのか? おれがやっても……」
「いいんだ。私が運ぶ」
ティーチの制止を振り切り、カナタはクロの遺体を抱き上げたまま船へと向かう。
カテリーナとティーチもその後ろに続き、ジョルジュはカナタの隣に並んだ。
「ジョルジュ。あっちにオクタヴィアの遺体がある。〝ゴロゴロの実〟の回収は任せた」
「ああ、そうだな……任せとけ」
あれだけ厄介な能力だ。カナタの手元に置いておく方が望ましいだろう。
誰に食べさせるかは後々考えればいい。将来有望な部下か、あるいは忠実な傘下の海賊団か。どちらにしても時間は必要だ。
……それに、クロの能力も考えねばならない。
「姉貴。〝ヤミヤミの実〟だが、良かったらおれにくれねェか?」
「お前が食べるのか?」
「ああ」
ヤミヤミの実についても同様に後回しにする予定だったが、ティーチが「自分が食べる」と言い出した。
カナタは視線をティーチの方に向け、真意を探る。
野心、高揚、残念……そういった感情がない交ぜになっているが、悪意だけはどうしても感じ取れなかった。
フェイユンは随分気にしていたが、カナタはティーチの事は嫌いではない。クロと仲が良かったこともあるし、食べたいというのならくれてやっても良かった。
視線を前に戻し、船に向けてまた歩き続ける。
「それと……一つ聞きてェことがある」
「つまらんことなら後にしろ」
「重要なことさ、おれにとってはな……アンタ、〝ノウェム〟って呼ばれてたが、ありゃどういうことだ?」
「……過去に捨てた名前だ。今となっては他にその名前を知る者はいない」
かつて住んでいた島の孤児院も原因不明の災害で壊滅したと報道されている。
オクタヴィアを殺した今、ノウェムという名前を知る者はカナタ以外にいない。
「そんなものを聞いてどうする」
「いや……姉貴の本当の名前を知っておきたかった。さっき、アンタとオクタヴィアの会話も聞こえてたからな」
「名前を知って何になる。誰も知らない、価値の無い名前だ」
「いいや、価値ならあるぜ──姉貴はロックスの娘なんだろ?」
カナタの動きがぴたりと止まった。
オクタヴィアがジーベックと親し気に呼んでいたことから推測したのだろう。
ロックスは多くの場合名前で呼ばれることは無いが、手配書も一時期出回っていた。本名を知っている者がいてもおかしくはない。
「だったらおれに姉貴を
「裏切るつもりだったのか」
「ヤミヤミの実が欲しかったのさ。だが、食べた人間から取り出す方法なんざおれは知らねェ。いずれチャンスが回ってくると思って待ってたんだ……クロと親友だったのは本当だぜ? あっちがどう思ってたのかは知らねェが、少なくともおれは親友だと思ってた」
ティーチは饒舌に語るが、カナタは一つため息を吐いただけだった。
腹の内を明かすのはカナタを信頼しての事だろうが、この状況で聞かされることではない。
「その辺りは後で問い詰める。カイエは無事か? あの子もやり方は知っているはずだ。ヤミヤミの実に関してはあの子に任せる」
「え? あ、うん、無事だよ。怪我はあるけど……他の人たちに比べればだいぶマシかな」
落ち込んだ顔をしていたカテリーナは、カナタに話を振られると慌てた様子で返答した。
カナタとティーチの会話にはついていけていないようだったが、クロの死が随分ショックだったのだろう。
船の中に遺体の安置所を用意し、クロの遺体はそこに保管する。葬儀は諸々が落ち着いてからでいいだろうと判断し。
「……デイビットは無事か?」
「……デイビットは……」
オクタヴィアに背中から貫かれ、大怪我を負っていた。カナタがオクタヴィアに勝てたのは彼の奮闘もあったからだ。
カテリーナは難しい顔で口を開き、「今はまだ生きてるけど……」と言葉を濁す。
「大動脈をやられてる。何とか手術で繋ぎはしたけど、肺も潰れてて……多分、今夜が山だと思う」
「……そうか」
デイビットのために用意された集中治療室で治療中のデイビットの下へと向かい、デイビットを見る。
多くのチューブを体につなげて何とか生命を保っている状態だ。
オペオペの実があれば何かしら助かる手段があったのかもしれないが、未だその存在は見つかっていない。
……デイビットは生き残れないだろう。致命傷を受けて何とか生命を繋いでいるだけの状態から、現在の医療技術で助かるとは到底思えない。
あるいはカナタの力で未来へ冷凍保存すればとも思うが、それに耐えられるほどデイビットは強くもない。
カナタに出来るのは、せめて彼の無念が残らないようにしてやることだけだ。
額に手を当て、デイビットの思念を読み取る。
「子供と妻か……お前が死んでも、苦しい生活を送ることが無いようにしよう。〝ボムボムの実〟もお前の子供のものだ」
貴重な悪魔の実ではあるが、カナタにとってデイビットは重要な役割を果たしてくれた男だ。ケチなことを言うつもりは無かった。
生きて再会できるならそれに越したことは無いが、きっと難しいだろう。
デイビットにはカナタの声が聞こえない。意識を失ったまま、ただ家族の下へ帰るんだという意志だけで命を保っている。
治療室から出たカナタは、部屋の前で待っていたカテリーナとティーチに連れられて、そのまま怪我の治療をするために別の医務室へと向かうことになった。
亡くなったクロや瀕死のデイビットの次くらいには重傷なのだ。当たり前と言えば当たり前で……カナタは医務室に入るや否や、ばたりと倒れて医療班は大騒ぎになった。
☆
治療のためにスクラが必要という事もあり、オクタヴィアの遺体も回収して一度〝ハチノス〟へ戻ることになった。
エンジェル島は既に人が住める状態ではなくなっているので、一時的に〝アッパーヤード〟に原住民たちの住居を用意することになり、〝黄昏〟からもある程度の人数を残すことになった。
幹部たちは軒並み治療中なので下っ端ばかりだが、それでも空島の戦士たちに容易く負ける程弱くはない。
ひとまず元〝神〟のガン・フォールに後を任せて島を出立した、その日の夜。
デイビットが静かに息を引き取った。