ノジコからココヤシ村──ひいてはナミの事情を一通り聞いたウソップ、サンジ、ジンベエの三人。
ウソップは「そういう事か」と納得した様子を見せ、サンジは義憤に駆られてノジコにゲンコツを喰らい、ジンベエはアーロンのやったことに顔色を悪くして頭を抱えていた。
「あの大馬鹿者め……!」
オトヒメ王妃が、フィッシャー・タイガーが、多くの者達が人間と魚人の仲を取り持つために様々な取り組みをしてきた。
だが、こんなことをやっていては魚人を憎む者が増えるばかりだ。
アーロンは、
ジンベエは弟分の行動を嘆き、一つの決断をさせる。
──殺してでも止めねばならない。
「……何はともあれ、まずはタイの兄貴に連絡を入れねばならんか……スマンが、電伝虫を借りたい。どこかに置いておらんか?」
「電伝虫? この島は元々他の島との関わりも少ないし、皆ラジオを買う余裕はない。元々あったものは壊されてるし、そんなものある筈が……」
無い、と言おうとして思い出す。
──「町の生き残りのおじさんたちが政府に上手く連絡を取ったんだ!」と、そう言って海軍の迎えが来たことを喜んでいた子供がいた。
迎えの軍艦は結局、アーロンたちの手で沈められてしまったが……政府と連絡を取ったという事は、少なくともゴサの町に
「……少し前、アーロンたちの手で壊された町の生き残りが、連絡手段を持ってた。壊れてなければまだ使えるはず」
「使わせては貰えんか」
「それはあたしに言ったって無駄さ。親兄弟、子供を殺された奴が大勢いる。どうしてもって言うなら自分で頭を下げな」
「……そうじゃな。それが道理じゃろう。町の場所だけ教えてくれ」
簡単な道順を教わると、ジンベエは立ち上がった。
まだ寝ているゾロと、何か話しているウソップとサンジへ向き直る。
「お前さんらにも世話になったな。アーロンのことは
「何とかって……戦う気なのか?」
「ああ。あの大馬鹿者は、わしが止めねばならん」
強い覚悟を決めた顔で、ジンベエはそう言った。
同じ場所で育った弟分を手にかけねばならないことに、強い忌避感はある。
だがそれ以上に、敬愛する兄貴分の思いを何一つ理解せず、この海でロクでもないことをしでかしている弟分を止めなければという思いが強かった。
「……本気? あのアーロンを何とか出来るの?」
「無論じゃ。わし一人で片を付ける。じゃが、まず先に連絡を入れておかねばならん」
アーロンがこの島で何をやっていたか……包み隠さずタイガーに伝え、後の事を頼んでおかねばならない。
何があっても──最悪、ジンベエがこの島で倒れてもタイガーが止めてくれると信じて。
もちろんジンベエとて倒れるつもりは無いが、世の中に絶対はない。かつては背中を預けた男だ、実力があることは知っている。
あの頃から腕を磨いていれば、ジンベエに匹敵したとて不思議は無いのだ。
「迷惑をかけた」
☆
ウソップ達に背を向け、ジンベエはノジコに教えてもらった通りに進む。
畦道を抜け、ココヤシ村を通り、もう一つ先の町……既にアーロンの手によって壊滅した街へと、足を踏み入れた。
酷い光景だ。
中央の通りは何か巨大な生き物が通ったようにへこんでおり、その両側にある家は軒並みひっくり返っている。
「…………」
まずはこの町の生き残りを探さねばならない。
気配はある。生き残りはいるはずだ。
……もっとも、物陰からジンベエを見る目は冷たい。魚人と言うだけで敵視されているのだろう。
無理もない。彼らは間違いなく、魚人の手で肉親を失い、住む場所を失った。それ以前から金を巻き上げられていたとも聞いたし、恨みつらみは果てしない。
このような光景が現実に起きないように、タイガーは〝殺し〟をタブーとしていたというのに。
ため息を吐きたい気持ちを抑え、ジンベエは町中へと歩みを進めた。
突き刺さるような視線が減ることは無い。
誰かに話しかけないことには始まらないが、この針の筵のような状態で話しかけるのも中々厳しいものがあった。
町の中を歩いていると、ひっくり返った家からなんとか家財道具などを出そうとしている者たちを見つけた。
「すまん、少し良いか」
「……魚人が、何の用だ」
これもまた、アーロンの支配によるものだろう。
ジンベエを睨みつける目は反抗的だが、拳を握るばかりで決して攻撃しようとはしない。
力の差を知っている。
反抗すれば、今度こそ殺される。
だから力で反抗することは決してしない。
それを見てジンベエは再びアーロンに怒りを抱くが、ここで怒りをあらわにしてもどうにもならない。ひとまずは穏便に行くように、「電伝虫は持っておらんか」と尋ねた。
「そんなものはない」
「あるはずじゃ。アーロンに壊されていなければ」
「っ! ……だったら、何だと言うんだ!」
「貸して欲しい。連絡を取りたい者がおる」
「アーロンパークに行って使えばいいだろう!! 同じ魚人なら、アーロンは快く貸してくれるはずだ!!」
「
「なに!?」
困惑する村人に対し、ジンベエは地面に座り込み、頭を下げる。
周りに隠れている者たちも頭を下げるジンベエに驚いているのがわかった。
アーロンたちならば、下等種族と見下す彼らに対して絶対にそんな真似をしないからだ。
「どうか、頼む。貸しては貰えんじゃろうか」
「……何故、そこまで」
「
ジンベエの言葉を信じても良いのか。
村人の男は悩んだ様子を見せるも、相手は魚人だ、信用するなと言う声が上がる。
今まで散々アーロンに苦しめられてきた彼らが、今更同じ魚人にアーロンを止めたいと言われても果たして信用してくれるのか。一種の賭けではあった。
五分か、あるいは十分か。
いつまでも頭を下げ、頼み続けるジンベエに、男の方が遂に折れた。
「……ついてこい」
「ありがとう」
男の後ろをついて移動した先には、修理されたと思しき電伝虫が一台あった。
機材もそれほどなく、壊れた家からかき集めた部品を代用として使って修理したのだろう。通常の電伝虫に比べて取り付けられている機械がごちゃごちゃで奇妙な形をしている。
最終手段として使ったのだろうと推測するのは容易い。
ジンベエは電伝虫の前に座り込み、番号を入れて発信する。
数度のコールの後に、相手は出た。
フィッシャー・タイガー。名高き〝魚人島の英雄〟である。
『──おれだ』
「わしじゃ、兄貴」
『ジンベエか。アーロンは見つかったのか?』
「見つかった……じゃが、状況はおよそ最悪と言っていいじゃろう」
『……何があった?』
ジンベエはノジコから聞いた話をかいつまんで説明する。
ココヤシ村は元より、村の存在するコノミ諸島全域を支配下に置いている事。
払えなかった者は殺されるか、あるいは町を壊滅させていた事。
事実だけを淡々と、ジンベエは報告していく。
タイガーは口を挟むことなく、静かにジンベエの言葉を聞いていた。
「──以上が、この島と、近隣の島で行われている事じゃ」
『……そうか。あの馬鹿が、そんなことを……』
「これほど大々的にやっておいて海軍が気付かんはずはない。恐らくは癒着しておるじゃろう」
『だろうな。小銭稼ぎのためにつまらねェことをする奴は幾らかいる。海軍にせよ黄昏にせよ、末端まで完全に統制するのは難しい』
「わしは、アーロンを殺してでも止める。後の事は頼んでも構わんか、アニキ」
『お前が負けると?』
「
『
タイガーの言葉にジンベエは眉を顰める。
実際に再会したわけでもない相手に対し、なぜそこまで言い切れるのかと疑問を抱いて。
『あの馬鹿に〝勝てない相手に勝つために鍛え上げる〟なんて発想があれば〝
最弱の海と呼ばれて久しいのが〝
この海の頂に最も近い実力者を、アーロンは知っている。勝てないと悟っているから、わざわざ影響力の少ない〝
タイガーの言葉にジンベエは納得して頷いた。
「じゃが、どのみちわし一人ではアーロンたち全員を連れて〝魚人島〟まで戻る足が無い。船の手配を頼んでええか?」
『お安い御用だ。おれにとっても他人事じゃねェしな』
もっとも、魚人による被害を受けた場所に魚人が行けば無用な軋轢を生む可能性はある。
タイガーはその辺りをわかっているだろうし、そもそも魚人島からコノミ諸島まで移動するには時間がかかりすぎるため、別の手段を用意しなければならない。
いつまでもココヤシ村で捕らえておくわけにもいかないだろうし、海軍も信用できない。
となれば当然、タイガーの所属する〝黄昏〟に頼むことになる。
『アーロンの事は頼んだぞ、ジンベエ。ぶん殴ってでも止めてくれ』
「任せてくれ、タイのアニキ。ふんじばってでも連れて帰るわい」
ジンベエは頷き、受話器を置く。
近くで聞いていた村人の男へ向き直り、もう一度礼を言う。
「使わせてくれてありがとう。助かったわい」
「ああ……あんた、アーロンを何とか出来るのか?」
「もちろんじゃ」
断言するジンベエ。
村人の男は目を丸くしており、その後複雑な顔をした。
魚人の手によって支配されていた島が、魚人の手で解放される。良いことではあるが、彼らにとっては既に魚人は信用出来ない種族に成り下がってしまっている。
感謝はされないだろう。
アーロンを野放しにしたことを罵られるかもしれない。
それでも、ジンベエはやらねばならぬと奮起して立ち上がった。
ゴサの町で海に面した場所から島の外縁部を泳いで移動すればすぐにアーロンパークへ着く。少しでも早い方が良いだろうと、ジンベエは何かが這いずり上がったような巨大な痕から海へ飛び込んだ。
☆
程なく、アーロンパークを示す門が見える。
門の下をくぐり、中へ入ればそこはもうアーロンの居場所で──。
「ん?」
門をくぐろうとしたジンベエの視界に妙なものが映った。
海底付近から海上へ向かって斜めに何かが伸びている。海底付近をよく見れば、ノジコが何かをしているようだった。
「おうい。お主、何をしておる?」
海中で人間は喋れないが、ノジコは僅かに動いてその全貌を見せようとしてくる。
足首までコンクリートに埋まった人の体だ。その
思わず人体と海上の間を視線が数度行ったり来たりするほど驚いたが、ノジコが何かを指差していることに気付いた。
足がコンクリートに埋まっている……と言うより、コンクリートの割れ目に足を突っ込んで抜けなくなっているように見える。
何をしたのか知らないが、これのせいで海の底に沈んでいるらしい。
妙に見覚えのある服だが、ひとまずノジコがジェスチャーで何かを伝えようとしているのでそちらに集中する。
「壊せばええのか?」
こくり、とノジコが頷いた。
ジンベエはコンクリートを破壊すると、自由になった体は首に引っ張られて海上へと向かっていく。
何らかの能力者なのだろうが、上で支えるほうも大変だろう。奇妙な風景にそんな感想さえ浮かんでくる。
アーロンパークの外側へ首を伸ばして気付かれないようにしていたらしい。
ノジコと共に一旦海上へ上がると、一人の男が気付いた。
「ぷはっ! ハァ、ハァ……助かったよ、あたしじゃあの石壊せなくて」
「何、あれくらいならばお安い御用じゃ」
「ノジコ! そいつ、魚人だろう!?」
「ああ、ゲンさん。この人は大丈夫よ。あの麦わらの子と一緒にこの島に来たらしいし」
「あの小僧と?」
ゲンさん、と呼ばれた男性はジンベエの方へと視線を移す。
ジンベエはここで何をしているのかと問うた。当たり前だ、ここはアーロンの居城。下手なことをすればアーロンに攻撃を受けるかもしれない場所なのだ。
そんな危険地帯に、わざわざ入り込んでまで何を、と。
「話せば長くなるから、説明は後で。さっき解放された麦わらの子に水を吐かせなきゃ」
「麦わらの……もしや、ルフィ君か!?」
道理で見覚えのある服だと思った。
ゴム人間だと言う彼は勢いよく上空に飛んで行ったが、全身ゴムなので当然地面に叩きつけられてもダメージは無い。
ジンベエは数多くの能力者を見てきたが、いつ見ても不可思議な存在だと感想が漏れてしまう。
ゲンゾウが必死に水を吐かせようと圧迫していた。
「この子の仲間が、アーロン一味の幹部を二人やっつけてる。あとはこの子が何とか水を吐いて意識を取り戻せれば……!」
「……そうか、彼の仲間に……」
海底から海上まで伸ばした首の分、水を吐き出させる距離があったので時間がかかった。
だが既に体は海上にある。水を吐かせるのはすぐだろう。
しかし、アーロンに関してまでルフィに任せるわけにはいかなかった。
「これはわしの問題でもある。彼には悪いが、あやつはわしが──」
ブーッ!! と勢いよく水を吐き出し、ルフィが意識を取り戻す。
「ぶはァ!!! ゼェ、ゼェ……!!」
「意識を取り戻したか! 良かった……!」
しばらく荒い呼吸が続くと、ルフィはその場の三人に気付く。
「あれ、おっさんにナミの姉ちゃんにジンベエ、なんでここに?」
「お前さんが海の底に沈んだからと、そこの二人が何とか助け出してくれたんじゃ」
「そうか、ありがとう、二人とも!」
「最終的に助けたのはそっちの魚人だよ。あたしらじゃ石を壊せなかったからね」
ゲンゾウとノジコは、一安心したように腰を落ち着ける。
ジンベエだけは立ったまま、アーロンパークの門を見据えている。
「よし! じゃ、おれはあのギザっ鼻を──!」
「待て、ルフィ君!!」
「なんだよ、おれ急いでんだ」
「アーロンはわしがやる」
「なんでだ?」
「あの男はわしの弟分じゃ。弟分が迷惑をかけた以上、あの馬鹿を止めるのは兄貴分であるわしのやるべきこと。手出しは無用じゃ!」
「…………」
ルフィにも兄がいる。
何があっても味方でいてくれて、頼りになる兄が。
彼もきっと、ルフィが何をやっても味方でいてくれるだろう。だがそれでも、ジンベエのように兄弟で敵になることがあるかもしれない。
兄弟であっても、時にはぶつかることはある。
しかし。
「
ルフィはジンベエの言葉を理解した上でそう言った。
「嫌じゃと? お前さんの意見は聞いておらん。あの男はわしが倒す。お前さんは見ておれ、そう言っておる!!」
「いやだ!! あいつはうちの航海士を泣かせたんだ、落とし前付けるのはおれのやることだ!!」
「この分からず屋めが……!」
「
「……!!」
二人は互いにジッと睨み合い、最終的にジンベエが折れた。
少なくとも、先にアーロンに手を出したのはルフィだ。他人の喧嘩にずかずかと入り込む気は無かった。
どかりと胡坐をかいて座り込むジンベエ。
「好きにせェ。ただし、お前さんが負ければ次はわしじゃ」
「おう!」
腕を伸ばし、アーロンパークの門に手をかけて中へと飛んで行った。
直後に傷だらけのゾロが代わりに飛んで来たので、ジンベエがすぐに助けに行くことになったが。
アーロンにやられたのか、あるいは〝鷹の目〟にやられた傷が開いたか……どちらにしても酷い傷であることにかわりはない。
ジンベエは応急手当てをしながら、「無茶な男じゃ」と呆れたように零す。
「こんな傷で、よう戦おうと思うたもんじゃ」
「うるせェな。おれの勝手だ……」
死にかけの状態で吼えられても怖くもなんともない。ノジコはすぐに医者を呼びに行き、ゾロとジンベエ、ゲンゾウだけがこの場に残された。
ゲンゾウは今も、警戒を怠らずにジンベエを見ている。
「ジンベエ……聞いた名だと思ったが、七武海の……」
「ああ」
「そんな男が、どうしてこの島に?」
「先も言ったように、アーロンの馬鹿を止めるためにな……もっとも、ルフィ君に機会を奪われてしもうたが」
一足遅かったな、とゾロが言う。
タイガーに連絡を入れず、話を聞いた直後にアーロンを倒しに行っていれば良かったが……もしもの話など意味がない。
実際に戦っているのはルフィで、蚊帳の外に置かれたのがジンベエだ。
迷惑をかけて、その汚名を雪ぐ機会も得られないとなると、本当に何をしに来たのかわからない。
ルフィが負ければジンベエにお鉢が回ってくるだろうが、きっと負けることは無い。
今なお過去にばかり目を向け、逃げた結果この海に来たアーロン。
〝海賊王〟を夢見て〝
勝敗など、初めから明白だった。