「た、退避ーっ!!!」
海兵の一人がそう叫んだ瞬間、敵味方を問わず一斉にその場から離れ始める。
百獣海賊団のギフターズ、ウェイターズ、プレジャーズ。
ビッグマム海賊団のホーミーズ。
海軍の海兵。
等しく必死な様子で、何から逃げているかと言えば──リコリスの生み出した溶解液の津波である。
砂漠のど真ん中で津波と言うのもおかしな話だが、乾ききった砂は締め固められて水分を通しにくい。地面に染み込むよりも先に表面を流れてしまうのだ。
「ぎゃあああああ!!!?」
「い、いてェ!! 誰か、誰か助け……!!」
ホーミーズやウェイターズが呑み込まれ、骨も残らず融かされていく。誰もがその様を見てゾッとしながら、より必死になって足を動かす。
慣れない砂漠に足を取られ、逃げきれない者もそれなりにいる。それでもあんな死に方は嫌だと息せき切って走っていた。
「だ、駄目だ! 逃げきれねェ!」
「諦めるな兄弟! あれに呑み込まれると骨も残らねェぞ!!」
既にこれも何度目か、数えるのも面倒なほどだ。
当初は敵にだけ向けられていた溶解液も、徐々に敵味方を問わず浴びるようになり、遂には両陣営が揃って逃げ出す羽目になっている。
文句の一つも言いたいところだが、当のリコリスは〝将星〟の一人であるクラッカーと正面から戦っている。周りの事まで考える余裕がないと言うのが実情だった。
「どうした、息切れしてるみてェだな!」
「心配されるほどじゃないわよ!」
何度目かも分からない衝突。
互いに覇気を纏った剣と脚をぶつけ合い、連続して互いの体力を削り合う。
リコリスの能力によって生み出された溶解液はクラッカーの鎧を融かすも、すぐさま修復されてダメージとはならない。
濡れることによって鎧が柔くなることは確かだが、元より能力だけに頼って名乗れるほど〝将星〟の座は安くはない。鍛え上げられた剣術と覇気は間違いなくジャックよりも上と言えた。
一つ手を叩けば腕が増え、もう一度叩けば更に腕が増える。剣まで増えているのは不思議だが、これもまた能力で作り出しているのだろう。
ただでさえ追い詰められつつあるというのに、手数を増やされてはたまったものではない。
「一つ叩けば二つに増えて、も一つ叩くと三つに増える──お前に勝ち目などねェ! 勝てない相手がいるという事を知るのも経験だ、小娘!!」
「うるさいわね。そんなことは
〝黄昏〟において、
個々に名を上げて来た女海賊が〝黄昏〟でのし上がろうと挑むこともあれば、九蛇海賊団から選りすぐられた強者がより強くなることを求めて挑むこともある。
狭き関門を潜り抜けた者だけが受けられると言うと高尚なものを想像するが、現実はそんな輝かしいものではない。
相対するだけで分かる絶望的な力の差を見せつけられ、それでもなお強くなるために泥にまみれて奮闘する者達こそが
この広い世界の中でも五指に入る強者と直接相対し、その力を味わったリコリスはクラッカーに言われるまでもなく知っている。
「勝てないなら勝てるように手を尽くすものでしょう? 少なくとも、あなた程度の相手なら」
「言うじゃねェか。だったらその口に見合った実力を見せてみることだ!!」
両腕が三本ずつになり、右手には剣を、左手には盾を持つ。
リコリスの高速の蹴りに合わせて盾で受け、剣で迎撃する堅実な戦い方をしており、溶解液で柔くなった鎧を砕いたところで瞬く間に修復されていく。
クラッカーは強い。
その覇気も能力も、四皇最高幹部として決して見劣りするモノではない。
「これ以上遊んでる暇もねェ。テメェらが海軍にチクったせいでおれの能力もバレてる。隠す意味がねェ以上、本気で行くぞ!」
パンパンと手を叩けば、周りにいくつものビスケットの鎧が作り出されていく。
クラッカーの体力が続く限り無限に湧き出るビスケットの兵隊たちだ。操るクラッカー自身の覇気の強さ、基礎戦闘力の高さも含めれば、総合的な厄介さはビッグマム海賊団で随一と言っても過言では無い。
5体のビスケットの兵隊を操り、連携しながらリコリスへと斬りかかった。
一体が正面から斬りかかり、死角から二体目が、更に逃げ場を塞ぐように三体目と四体目が包囲し、五体目が確実にリコリスの首を落としにかかる。
「くっ……!」
ギリギリでクラッカーの攻撃を回避したリコリスは、生み出した溶解液を槍のように形成して勢いよく投げつける。
投げつけると言っても両手は使わず、脚を振り抜くと同時に飛ばしているのだが。
クラッカーはそれをビスケットの盾で受け止め、グズグズに融けたそれを捨てて新たにビスケットの盾を生み出す。
壊されようが融かされようが、使い物にならなくなったなら新しく作り直せばいい。
通常は難しい対処も、クラッカーの能力なら可能だ。
(……これは、ちょっとまずいかもしれないわね)
食い下がることは出来ているし、時間を稼ぐことも不可能では無い。
だが、援軍が来るまでどれほどの時間が必要なのかは分からないのだ。
〝楽園〟にもそれなりに戦力は残っているはずだが、どういう采配をしているのかは分からない。最悪、ロビンが逃げるまでここで戦い続けることになるかもしれない。
流石にそれは面倒なので援軍が来ることを願うが……カナタの考えは時たま理解出来ないこともある。
どちらにしても、目の前の敵を食い止め続ける必要はあるのだ。
余計なことを考えず、どうやれば殺せるかと思考を研ぎ澄ませるほうがまだしも有意義だと、リコリスは再びクラッカーに集中し始めた。
☆
Mr.1とゾロが、ミス・ダブルフィンガーとナミが、Mr.3ペアとウソップ&チョッパーが戦っている中──アルバーナの宮殿に戻ってきたコブラは、ビビとイガラムに出会った。
ここに来る途中でコブラに扮したMr.2と出会い、ビビがそのまま殺されそうになったが間一髪でサンジがそれを防ぎ、今は残って戦っている。
それ故に一瞬コブラの姿に警戒感を表したが、いきなり空を移動したことでへっぴり腰になっているコブラを見て本物だと確信していた。
「パパ!? どうして外から!?」
「反乱軍を止めようと思ったのだが、上手くはいかないものだ」
「そんな無茶なことを!? 国王様、貴方が倒れてはクロコダイルを利するだけですぞ!?」
「そこは心配していない。優秀な護衛が居たのでな」
ビビとイガラムはジュンシーに視線を向け、コブラは〝黄昏〟が送ってきた精鋭であることを説明する。
「〝黄昏〟の……!?」
「なるほど、確かに見覚えが……カナタさん以外と会うのは数十年ぶりになりますが」
「その辺りは良い。問題は反乱軍が宮殿を目指して進軍していることだ」
町の入り口付近にいた国王軍はなし崩し的に即応することを求められ、迎撃している。コブラが何を言おうと、現場で反乱軍が目の前に迫っている以上は彼らも黙って通すわけにはいかなかった。
ビビもイガラムも、コブラ同様に反乱が始まってしまったことに悔しそうな顔をしている。
クロコダイルの思い通りに事が運んでいるのが腹立たしいのだ。
「どうにか反乱を止めなきゃ……!!」
「それにはまずはチャカとペルに事情を説明せねばならん」
「そうですな。国王軍を動かすなら、あの二人の協力なしには難しい」
宮殿内部へと四人は歩を進め、驚きをもって迎える国王軍の中を突っ切ってチャカとペルの二人を呼ぶように指示を出す。
指示は瞬く間に伝わって行き、二人はあっという間に四人の前に現れた。
驚いた顔をしていたのはコブラが何事もなく戻ってきたからか、あるいはビビとイガラムが一緒だったからか。
どちらにしても喜ばしいことに変わりないと、二人は膝をついて臣下の礼を取る。
「ご無事で何よりです、コブラ様、ビビ様。イガラム隊長も」
「済まない、少々席を空けた」
「私もごめんなさい。長く国を空けてしまって……二人とも無事に戻ってきたわ」
「二人とも、私のいない間よくやってくれました」
「いえ、それほどの事は……」
無事に帰って来てくれたことそれ自体がとても喜ばしい。だが、再会を喜ぶのは後でいい。
今はまだ反乱が起きている最中だ。これをなんとかしなければ国が滅んでもおかしくはない。
全員で何か案を出そうと頭を悩ませると、ビビは覚悟を決めた顔で告げた。
「宮殿を爆破しましょう」
本気かと誰もが目を丸くした。
長い歴史の積み重なった、由緒ある宮殿だ。これを爆破するなど信じられないが……同時に、これ以上無いほどに目を引くことが出来るのもまた確かだった。
その間にビビの姿を見せ、説得すればきっと止まる──そう信じるビビに、コブラは成長を感じて思わず口元が緩む。
良い顔をするようになった。穏やかながらも、強い意思を持った子に。
「……良かろう。それで反乱軍が止まる見込みがあるのなら」
「本気ですか!? この宮殿を爆破すると!?」
「イガラム、私がいつも言っているだろう?」
「……国とは人、ですか……わかりました」
悩ましい顔をしながらも、イガラムは最終的に首を縦に振った。
この人の判断ならば、きっと大丈夫だと信じて。
☆
そうして、ありったけの爆薬を宮殿中に仕掛けている最中に、その男は現れた。
「困るねェ、ミス・ウェンズデー……ここはおれの家になる予定だってのに」
「クロコダイル……!!」
通すまいと立ち塞がった国王軍を斬り捨て、悠々と現れたクロコダイル。
この場にコブラとビビがいることを想定し、邪魔になるであろう麦わらの一味は既にばらけていることは把握している。〝黄昏〟の刺客だけが不安要素だったが、クロコダイルにはもう後がない。
打って出るしか無かったのだ。
もっとも──流石に送られてきたのがジュンシーだとは思っていなかったようだが。
「久しいな、クロコダイル。随分腕も落ちたようだ」
「ジュンシー……! まさかテメェが来ているとはな。老いぼれらしくとっとと引退すればいいものを」
「呵々、そう言ってくれるな。儂は生涯現役のつもりだぞ」
かつて、七武海と言う枠組みが出来るより以前に二人は戦ったことがある。
結果はクロコダイルをはね返したジュンシーの勝利と言っても良かったが、当時のクロコダイルは勝つために挑むのではなく〝新世界〟での力試しを兼ねてひと当てしたに過ぎなかった。
今ぶつかればどうなるかは考えるまでもなく明白である。
「厄介な野郎がいたもんだぜ」
「お互い様だ。お主の頭の良さには手を焼いている」
この場に現れた以上は決着をつけることも出来る。ジュンシーなら他の誰かを狙われようとも、それより早くクロコダイルに致命傷を叩き込むことも出来るだろう。
とは言え、それは確実性の無い賭けだ。
護衛としてこの場にいる以上、コブラの身を守ることを最優先にしなければならない。
極限の緊張状態ではあるが、ひとまず互いに手出しをする気が無い、あるいは出来ない状況にあった。
「……ひとまずテメェに用はねェ。用があるのはコブラ王の方だ」
「私に? 一体何の用があるというのかね」
「〝
その場の誰もが何のことだと眉根を顰める中、コブラだけが目を見開いて驚きを露にした。
「何故、その名を……!?」
「何故知っているか。どこで知ったのかか……そんなことはどうでもいい。どこにあるかを教えろ」
普段のクロコダイルからは考えられないほど余裕のない態度だ。
この国に攻め込んできている四皇の軍勢。それと相対する連合部隊。
世界政府にもクロコダイルの所業は既にバレているだろう。地位の剥奪もそう遠くない。
ここでプルトンを手に入れなければ、全てを失って終わるだけだ。長い時間をかけて準備したこともそうだが、ここで失敗など出来ないと考えていた。
「生憎だが、私は知らん。その在処はもちろんのこと、この国に実在するのかどうかも定かではない」
「チッ……」
その可能性は十分にあるとクロコダイルも想定はしていた。だが、嫌な方の想定が当たってしまったことに思わず舌打ちが漏れる。
プルトンが無ければ何も状況を変えられないのだ。コブラが在処を知っていれば話は早かったが……世の中そううまく行きはしない。
「その可能性もあるとは思っていたが……」
「年貢の納め時だ、クロコダイル。諦めて投降する気はあるか?」
「ハッ、隙を見せれば殺すつもりで居やがる癖に、投降を勧めるのか? まだ諦めねェ。おれはまだ諦めねェぞ」
知らないのならそれで構わない。生かしておく価値が無くなったというだけの話だ。
邪魔をする国王軍も、これから邪魔になる反乱軍もまとめて始末した後で国中探し回る他にない。
〝
もはや虱潰しに探すしか選択肢は残っていないのだ。
「儂がそう易々と逃がすと思うか?」
「やれるもんならやってみりゃあいいさ──だが、そうだな。今まさに反乱軍が乗り込んできた宮前広場。今日の午後4時30分、あそこに特製の砲弾を撃ち込む手筈になっている」
「なんだと?」
ただ吹き飛ばすだけなら教えてやる必要は無い。だが、時間は既に迫りつつある中でこのカードを切ったのは、それを探すために手をつくさせるためだろう。
たとえ死に瀕したとしても、クロコダイルは場所を割ることは無い。そういう男だ。
コブラは絶句したままクロコダイルに問いかけた。
「正気か貴様……!?」
「正気さ。直径5㎞を吹き飛ばす特製弾だ、ここから見える景色も一変するだろう」
「直径5キロ!? そんなことをしたら……!!」
「嬉しかろう? お前は散々反乱軍を止めようと、色々手を尽くしていたようだからな……もっとも、それらは全て無駄だったわけだが」
「アンタは……!! どうしてそんなことが出来るの!? あの人たちが一体何をしたって言うのよ!!?」
「つまらねェ質問だな。そんなことを聞いて何になる。邪魔なものは消すのが一番だろうが」
「っ!! クロコダイル……!!!」
「ビビ様、いけません!!」
ビビを嘲笑するようにクロコダイルは言い放ち、怒りのままに踏み出そうとするビビをペルとイガラムが止める。
コブラも強く睨みつけるようにクロコダイルを見ており、チャカなど今にも攻撃を仕掛けそうなほど強く剣を握りしめていた。
その中で、ジュンシーは一歩前に出る。
「御託は良い。かかってくる気はあるのか?」
「テメェの相手なんぞする気はねェよ。おれァ忙しいんでな」
「ほう? あるかどうかも分からないものをせっせと探すつもりか。自分の力では及ばぬ相手に、誰が作ったかもわからぬ古代の兵器を持ち出そうとは。
「……何?」
ピクリとクロコダイルが反応する。
どうしても、それだけは聞き逃せない言葉だったらしい。
「今、何と言いやがった」
「聞こえなかったか? 負け犬の考えそうなことだ、と言ったのだ。一度の戦いで仲間を失い、心を折られ、挙句この国でせせこましく古代兵器を探している。これをみっともないと言わずしてなんと言う」
「テメェ……!!」
挑発だとわかっている。
だがそれでも、これだけ言われて牙を剥かないのは腰抜けだと笑われても仕方のないことだ。
海賊として、一人の男として。プライドとメンツを何よりも重視するタイプの人種にとって、ジュンシーの言葉は聞き流して良いものでは無かった。
「それだけの大口叩いたんだ。死ぬ覚悟は出来てんだろうな、老いぼれがァ!!」
「呵々、まだまだ若いものには負けんとも」
圧縮した砂の刃を武装色を纏った拳で弾き、即座にクロコダイルの懐へと肉薄する。
咄嗟に砂を手繰って鎧替わりにした判断は良かったが、ジュンシーは踏み込みと同時にその鎧を貫通するほどの衝撃を与えてクロコダイルを吹き飛ばした。
「──ふむ。今の一撃で決めるつもりだったが……儂も鍛錬が足りておらんな」
未だ意識を残すクロコダイルを見て、ジュンシーはそう零したのちに再び拳を構えた。
来週は映画のFILM REDで情緒が滅茶苦茶にされる(予定)のでお休みです。
次の更新は8/15の予定。