海風が頬を撫でる。
日は中天に高く昇り、じりじりと肌を焼く日差しが照り付けている。しかしそれも時期的に気にするほどではなかった。
夏島とは言え、長時間風に当たっていれば体を冷やす。片手に持った竿を揺らしながら「ボチボチ戻るか」と考えつつ、その男はあくびを噛み殺した。
アロハシャツに短パン、草履とラフな格好で釣りを楽しんでいたその男──レインは、釣果の入ったバケツをちらりと見る。
「3匹か……ま、ここじゃこんなもんかね」
ハチノスの周りでは潮の匂いがしない。匂いの元である植物プランクトンが少ないためで、これはつまり魚の栄養分となるものが少ないという事である。
3匹も釣れれば上等と言えた。
とは言え、あと一匹くらいは釣りてェもんだとぼんやり考えながら、レインは竿を揺らす。
そうしていると、見知った顔が近付いて来るのに気付いた。
大股で岩場を歩く大柄の男は、笑いながら片手を上げる。
「よォレイン! 久しぶりだな、ゼハハハ!!」
「ティーチか。何か用か?」
「用ってほどでもねェが、バレットの野郎がテメェを探してたんでな! あんまり放置しておくと面倒だから、おれが探しに来てやったのよ」
「……荒々しい〝声〟が聞こえると思ってたら、あの野郎か。師匠はどうしたんだよ? あいつの目的は大体師匠と戦う事だろーが」
「忙しいから準備が出来るまでテメェと遊んでろ、だってよ」
「はあああ……面倒事を気軽にぶん投げてくれるぜ、まったく」
釣りでのんびりして心地よくなっていた気分があっという間に地の底だ。
ため息をこぼし、レインは竿を振って糸を引き上げる。
立ち上がったレインは首の後ろで一纏めにした青い髪をなびかせ、竿とバケツを手に軽く背伸びをしてバキバキと骨を鳴らす。
身長はティーチとそれほど変わらないが、でっぷりと腹の出たティーチと違って細く筋肉質な肢体をしている。
「ま、言われちまったものは仕方がねェ。久々に全力でやれそうだし、準備してくるか」
「急げよ。あの野郎、テメェがいねェとわかった途端に相手を選ばずケンカ吹っ掛けまくってやがる」
「ラグネルの奴がいただろ」
「あいつは別件でさっき島を出たんだとよ」
「忙しないね、あいつも」
肩をすくめ、レインは岩場をポンポンと飛び移って島の中心部へ向かう。
ティーチもそれに続き、途中で訓練場の方へと向きを変えた。
「おれァ先に行ってるぜ」
「おう、待ってろ。すぐに着替えてからそっちに行く」
釣った魚を食堂にいるコックたちに渡し、釣り道具を自室に仕舞ってから、レインは手早く動きやすい格好に着替える。
手には身の丈ほどの槍を持ち、軽く体をストレッチしてから部屋を出て、真っ直ぐに訓練場へと。
☆
およそ3年から4年ほど前のこと。
当時のルーキーたちが揃って同盟を組み、〝ハチノス〟へと攻め込んできたことがあった。
懸賞金は1億に少しばかり届かない程度の連中ばかりではあったが、それでも数が揃えば厄介な相手になる。
カナタを除く有名どころの幹部であるフェイユン、ジュンシー、ゼンの3人がいない時を狙って襲ってきた彼らは、当時の〝
〝
〝
敵は総勢500に届こうかと言う数に対し、〝
それでも勝てたのは、トップの4人が途轍もなく強かったからだ。
──もっとも、ルーキーたちを焚きつけて〝ハチノス〟襲撃を画策した〝王直〟相手では、4人がかりでも撃退が関の山だったのだが。
☆
訓練場にはいつも通り多くの人が詰めかけていた。
カナタに教えを受け、それを糧としてより強くなろうとする者。
悪魔の実を食べ、似た系統の能力者に教えを請うて理解を深めようとしている者。
純粋に自身の技量と覇気をぶつけあって、より強くなるためのきっかけを掴もうとしている者。
〝
そんな彼ら彼女らが、
「カハハハハハ!! どうしたテメェら!! もっと気合入れてかかって来やがれ!!!」
〝鬼の跡目〟ダグラス・バレット。
〝赤髪〟に並ぶ〝海賊王〟の元
「おーおー、派手にやってんな」
レインが訓練場に辿り着いた時には、既に死屍累々の有様であった。
バレットの名を聞けば一目散に逃げ出す者さえ多い中、ほぼ全員が真正面から立ち向かっている光景はある種異様とさえ言えるが……バレットは笑いながら立ち向かってくる者たちを叩き潰している。死んではいないだろうが、しばらく訓練場は閑散とするだろうな、とレインは肩をすくめる。
立ち向かっていない者たちの中にティーチを見つけると、その横に見慣れない者たちがいることに気付く。
「ティーチ、何だそいつらは。新入りか?」
「ああ、おれが各地を回って集めて来た仲間だ。小紫の奴が持ってる独立分隊みてェなもんさ。気にすんな」
「お前はそういうのに興味がないと思ってたぜ。おれはレインだ。ま、よろしくな」
バージェスたちと気さくに挨拶を交わすレイン。
訓練場は能力者によるものであったり覇気を纏わせた武器の衝突であったりでボロボロになっており、最低限の見栄えすらない状態だ。
ひとまず倒れている連中を回収するべきかと考えていると、ティーチが「それくらいならやってやるよ」と笑う。
もっとも、回収するのはティーチの近くにいた仲間たちがやっていたが。
当のティーチは酒瓶片手に観戦モードらしく、バレットがタガを外して暴れ出さない程度には見張っているつもりのようだった。
「精々気張れよ、レイン!」
「言われなくてもやってやるさ」
軽く肩を動かし、槍を振って調子を確かめるレイン。
相対するバレットはと言えば、他の連中を相手しているときに体が温まったのか、軽く汗をかいている。
カナタの代わりとして出てきたとはいえ、今回の本命である。バレットとしても期待しているようで、顔には期待の色が浮かんでいた。
「カナタの弟子の1人か。テメェとは初めてか?」
「いいや、過去に何度か戦ったことがある。あの時はまだ未熟だったから、アンタは覚えちゃいないだろうが」
「カハハ、素直な野郎だ。だったら今度は──おれの記憶に残る程度には踏ん張りやがれ!!」
両手に武装色の覇気を纏い、高速で接近するバレット。
対するレインは槍に武装色の覇気を纏わせ、穂先をバレットに向けてピタリと制止する。
上から振り下ろされる右の拳を半身になって交わし、続く左の拳を槍を振って上へと弾く。
攻撃は見えているし、
「ほォ……」
卓越した覇気使いは数秒先の未来さえ見通す。
それは僅かコンマ数秒を争う戦闘において絶大なアドバンテージとなり得るものだが、互いに未来を見通すのならば条件は五分。
では武装色はどれほどのものか。
バレットはわざと大振りに拳を放ち、分かりやすく隙を作る。
舐めているのか、と睨みつけるレインだが、バレットは笑って「来てみろ」と挑発するのみ。
「だったら、お望みの通りにしてやるよ!! オラァッ!!!」
武装色を纏ったレインの足が高速で振るわれ、バレットの胴体へと叩き込まれる。
鋼鉄がぶつかり合ったような巨大な音が響き、2人の覇気の衝突で白い稲妻が走った。
バレットは片手でレインの蹴りを受け止めており、その一撃の重さと覇気の強さに期待以上の物を感じ取る。
「悪くねェ! アラバスタで戦った連中よりは余程期待出来るじゃねェか!!」
レインの強さを肌で感じ取ったバレットは、テンションを上げて覇気を漲らせる。
コンパクトに腕を振ってジャブを放つと、レインの回避先目掛けて本命のストレートを打ち込んだ。
レインはそれをわかっていながらも回避しきれず、しかし受け止めるのではなく槍の側面を滑らせるように受け流して、バレットの腹へと渾身の蹴りを叩き込む。
カナタの弟子は数多くいるが、最も薫陶を受けたであろう小紫は槍使いではなく剣士だ。槍使いとして最もその技を叩き込まれたのは、小紫ではなくレインである。
(当たり前だが、あの女の技が随所に見えるな。おれの拳を流すなんざ、並の度胸と技量じゃ出来ねェ)
失敗すれば普通に防ぐよりも余程甚大なダメージを受ける。技に自信がなければ出来る事ではない。
そして、これはこの訓練場にいた者たちや〝ミズガルズ〟で戦ったカイエにも通じることだが──格上との戦いに慣れている。
仮想敵をカナタとして、どうすれば生存できるのか、どうやれば攻撃を当てられるのかを研鑽してきたが故だろう。通常なら格上との戦いなど死を覚悟して臨むもので、一生のうちに何度も経験出来るものでは無い。
バレットを相手に臆することなく挑んできたのも、そう言った経験の積み重ねがあってのことだろう。
「……面白れェ」
「ハッ、ようやくエンジンかかって来たか? こっちも体が温まってきたところだ、ガンガン行くぜ!!」
「やってみやがれ!!」
今度は互いに避けることなく、真っ向からの勝負。
バリバリと纏った覇気がぶつかり合って火花を散らし、戦いはより速度を増していく。
☆
数時間後、互いに傷だらけでボロボロになったバレットとレインは、そろそろいい時間だと切り上げることにした。
酒瓶片手に観戦していたティーチはすっかり出来上がっており、顔を赤くして酒臭い息を吐きながらも足取りはしっかりと食堂の方へ向かっていった。まだ飲むつもりなのだろう。
存分に戦えて満足したのか、バレットも上機嫌なままレインに話しかけて来た。
「中々やるじゃねェか。槍使いとしちゃ、カナタの一番弟子か?」
「おれは大体なんでも使えるぜ。剣でも弓でもな。本業は槍なワケだが……ま、この海賊団の中でおれより強い槍使いは師匠以外いねェのは確かだな」
「ハ、一丁前に吼えるじゃねェか」
バレットには傷こそあるものの、表面的なものばかりで深いダメージを与えた痕跡はない。
対してレインは傷こそ少ないが、疲労度合いで言えばかなりのものだった。
長く続けていても、最終的にはバレットが押し勝っていただろう。
「お前、悪魔の実は食ってねェのか?」
「食ってねェ。おれは槍と覇気だけで十分だからな」
「強さをより確かなものにするのが悪魔の実ってモンだが……ロジャーの野郎も能力者じゃなかった。悪魔の実の能力なんざ、結局は強さの内の一要素でしかねェ」
遠い日を思い出すように、バレットは空を見上げる。
勝ちたかった相手に勝ち逃げされ、思うところは色々あるが……今は四皇を全員倒すことを目標に力を付けている。
カナタを相手に勝てれば四皇にだって勝てるだろうと全力でぶちのめしにかかっているが、今日にいたるまで勝ったことはない。純粋に彼女自身の技量と覇気がバレットを凌駕しているためだ。
それを打ち崩すために、弟子と戦うことで得られるものがあればと思ったが──そこまで上手くはいっていない。
「〝黄昏〟にテメェより強い奴はいねェのか?」
「ああ? そりゃまあ……師匠に、小紫はちと厳しいか。ゼンの爺さんとジュンシーの爺さんにはもう負けねェしな……」
「小紫ってやつが強ェのか?」
「まーな。だが小紫はここしばらく姿を見てねェ。どっか行ってんだろ……あとはティーチに……ユイシーズは勝ち越してるが強いぜ」
「ティーチか。あの野郎は飄々としてやがるが、何となく隠してるのは分かるぜ。で、そのユイシーズって奴はどこだ」
あー、とレインは思案し、思い出した。
「あいつもいねえわ。確か〝バナロ島〟に仕事ついでに遊びに行ってんだ」
END 巨獣城塞商圏ミズガルズ/魔眼持つ蛇
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