カナタのところにロビンから直通で電話があったのは、まだ日も昇らない早朝のことだった。
あちらこちらにスパイを置いている関係もあり、カナタへ直に連絡を入れられるホットラインは幾つかある。夜中に緊急でかかってくることもゼロでは無いので不寝番を置いているのだが、今回は寝ているカナタを叩き起こしてでも伝えなければならない急ぎだと言うので、カナタは寝ぼけ眼で電話に出ていた。
当初はまた政府と衝突したのかと思っていたが、話を聞くにつれて段々と頭が冴え、最終的にカナタは頭が痛そうに項垂れる羽目になっていた。
「……まさかモリアと鉢合わせしているとはな」
確かに、普段モリアが潜伏している海域は〝ウォーターセブン〟と〝シャボンディ諸島〟を結んだ場所だ。
ルフィたちの航路とモリアの活動海域が一致していることは調べればすぐにわかることだったが、まさか2人が衝突しているとは思っていなかったし、アイリスが事を起こす現場に居合わせる可能性などゼロではないにしても低いハズだった。
運が悪かった、あるいは間が悪かったとしか言いようがない。
カナタの指示通りにやっている以上、アイリスを叱責するのもお門違いである。
「はぁ……まぁこうして連絡が来ただけマシか」
アイリスの実力を考えると、連絡が来ないまま麦わらの一味が全滅していた可能性もある。
モリアを暗殺出来ると判断出来るだけの強さなら、今のルフィたちでは歯が立たない。
……今現在、どうやってアイリスの攻撃をしのいでいるのか気になるところではあるが、それは後でもいいと判断した。
「急ぎだろう。このまま電伝虫を持って現場に行け」
『もう移動しているわ』
「それは結構」
ロビンも判断が早くなったようで何よりだ。
カナタは次に確認するように訊ねた。
「その場にお前たち以外に誰かいるか?」
『七武海のバーソロミュー・くまとローリング海賊団がいるわ』
ロビンの情報に、カナタは思わず顔をしかめた。
同時に、アイリスが手こずっている理由も理解する。くまがその場にいてルフィと共闘しているなら、確かにアイリスでも多少時間がかかるだろう。
七武海は基本的に強さと有名さで選出される。くまの選出理由は他とは少々違うが、その強さは決して他の七武海に劣るものではない。
だが、少し気になるところではある。
「くまがその場にいて逃げていないのか? 奴の能力なら逃走は容易いハズだが」
『理由は分からないけれど、この場に留まって戦っているわ』
「ふむ……」
また妙な博愛精神でも発揮しているのか、とひとりごちる。
元々くまはその生い立ち故か、
老若男女問わずに助けるその精神性は立派だが、それ故に利用されやすい男でもある。モリアのところを訪れていたということは七武海関連、つまり政府からの依頼だろう。
ルフィとドラゴンの関係性をどこまで知っているか定かではないし、五老星の手先として動いている以上、カナタとしてはあまりルフィと近付けておきたくはない男だ。
アイリスを止めるついでに娘のことで脅してモリアのことは口を噤んでもらうことにしよう、とカナタは考える。
それと、もうひとつの海賊団に関しても聞き逃せない。
「くまのことはいい。どうにでもなるからな。ローリング海賊団はどういう経緯でそこにいる?」
『私も詳しいことは知らないけれど……』
モリアとその操るゾンビを倒すためにルフィに協力したとロビンは言う。
「……敵対していればよかったが、味方についたのか」
『何か不都合でもあるの?』
「ああ」
ローリング海賊団の船長、〝求婚〟のローラは〝ビッグマム〟シャーロット・リンリンの娘だ。
つまり四皇の血族である。リンリンの下にいないのは耳に挟んだ結婚騒動のせいだろうが、変なところで繋がりが出来ると後々困ったことになりかねない。
リンリンはロビンの身柄を狙っている。繋がりは無いに越したことはないし、ルフィが海賊王を目指すならいずれ敵対する相手だ。余計な情など抱かぬ方が良かろう。
「リンリンの娘だ。仲良くなろうなどと考えるなよ。子供がどう考えていても、あれは関係なしに利用してお前の身柄を抑えに来るぞ」
『リンリン……って、四皇の!? こんなところで会うなんて……カナタさんは彼女のことを知っているの?』
「リンリンの子供の名前くらいは把握している。なぜそこにいるのかまでは知らんが」
ローラはロキとの結婚騒動で家出している。
あの時は〝ビッグマム海賊団〟とエルバフの巨人たちが和解する可能性があったので、全力で妨害して事なきを得たが……また同じような騒動を起こされても困る。
なるべくならここで消しておきたい。
……ルフィの味方をした以上、ここで手を出すと反感を買うので秘密裏にやる必要があるが。
ロジャーと似た気質のルフィのことは何となくわかる。あれは予想もしていなかったトラブルを巻き起こして余計に事態をこじれさせたりするタイプだ。現場に居合わせないように誘導しておいた方がいい。
「まだ時間がかかるか?」
『もう少しよ!』
息せき切って走っているのは電伝虫の様子からもわかる。
ただ、アイリスがどれだけ暴れているのかまでは電伝虫ではわからない。
カナタ個人としては麦わらの一味が生きてさえいればセーフといったところだが、どうなるかは運次第だ。
……取り返しのつかない事態にさえならなければいいが、と願わずにはいられなかった。
☆
ロビンが電伝虫を抱えて戻って来た時には、広場は壊滅状態だった。
死んでこそいないが疲労困憊のまま動けない麦わらの一味。
ボロボロになりながらもアイリスと戦い続けるくま。
そしてそこらに倒れて動けなくなっている死体から影を抜き取ってルフィの下へと運ぶローリング海賊団の面々と、影を入れられて再び強化されたルフィ。
「きゃあっ!!」
アイリスとナイトメア・ルフィの衝突の余波だけで木々が揺れる。
卓越した覇気使いを相手に、ただ暴力的なまでの身体能力で追いすがるルフィ。
ひたすら強靭な肉体を自在に操る能力者を相手に、卓越した覇気で状況を引っ繰り返させないアイリス。
「カゲカゲの能力に、こんな使い方があるとは……っ!! あの巨人を倒したその状態、あなたの能力ではなかったんですね!!」
「そうだ!!!」
暗に自分の力で倒したわけではないと言われているのに気付かず、ルフィは力強く断言する。
この状態とて長く続くわけではない。最低でも五分まで持って行けなければ、この後疲労でルフィはまともに動けなくなる。
何としてもここで倒すと気合を入れるルフィに対し、アイリスは冷静に、しかし見聞色による予測の追いつかない速度に冷や汗を流しながら対応していた。
この状態でくまの相手までしていられないと、影を切り離してくまの相手をさせているが……くまはその能力でアイリスの影を振り切って死角から攻撃出来る。
見聞色をルフィひとりに集中させなければ対応が難しい中、くまにまで割く余力などない。
そしてついに、ルフィの一撃がアイリスを捉えた。
「ゴムゴムのォ──〝バズーカ〟!!!」
武装色による防御の上から叩き込まれた強烈な一撃は、それでもなおアイリスを吹き飛ばして余りある威力だった。
建物を倒壊させ、土埃が舞い上がる。
「ハッ、ハッ……!」
息もつかせぬほどの怒涛の攻撃に、ルフィもまた息切れしていた。
影を注入することによる強化時間はわずか10分ほど。一撃で倒れてくれるほどアイリスは優しい相手ではないと判断し。ルフィは油断なく拳を構える。
「……たお、せた?」
『なんだ、アイリスが負けたのか?』
ロビンが目を丸くしていると、手に抱えた電伝虫からカナタの問いが飛んで来た。
まだ倒せたと決まったわけではないが、あれを食らってダメージなしとはいかないだろう。
頭に血が上ると止めるのが難しくなるが、そんなことを言っていられる状況ではなかったのだ。
『油断はしないことだ。本職は暗殺だからな。闇に乗じて殺しに来るぞ』
カナタの言葉にハッとして土埃が収まるのを見ていると、足元を黒い線が走っていくのが見えた。
思わずロビンはそれを避けたが、その黒い線はロビンに構わずどこかへと伸びていく。
大元はおそらくアイリスだろう。彼女から放射線状にいくつもの黒い線がどこかへと伸びていき、僅かな間を置いて何かがその黒い線に飲み込まれるようにアイリスの下へ集まっていく。
「……まさか」
黒い線が伸びているのは、先程動けないように処置したゾンビたちだ。
今はもう動くこともない。
彼ら、あるいは彼女らに入っていた影は次々に飲み込まれ、アイリスの下へと集まっているのだ。
ルフィにそうしたように、己に影を入れるために。
「〝
少女の肉体が一回り大きくなり、大人びた風貌になる。
肌は青く、しかしルフィのように肉体が大きく変わるようなことはなく、代わりに側頭部からねじれた角が生えていた。
100、200と取り込んだ影が多くなるほどに肉体はより強靭になる。
これはマズいとルフィが動くも、その時には既に強化されたルフィを遥かに上回る強さを手にしていた。
「これだけ強くなるなら、確かに有用です。あなたがどれほどの影を取り込んだのかは知りませんけど、もう私の敵じゃあないですね」
オーズさえ吹き飛ばすパンチを軽々と片手で受け止め、アイリスは逆にルフィを蹴り飛ばす。
地面を滑り、木々を圧し折って吹き飛ばされたルフィ。
ロビンはそれを見て焦った様子でカナタを呼ぶ。
「カナタさん! 急いで彼女を止めて!!」
『ふむ、状況がわからんが……聞くに、生きている人間に影を入れると強化されるのか?』
「そうみたい……だけど、それどころじゃ──」
『影の持ち主の実力がそのまま入れられた者の強さにプラスされるのか? それならかなり有用だが……今回の作戦に使うには検証の時間が足りんか』
「カナタさん!!」
『ああ、悪い悪い』
ロビンの悲鳴のような呼び声に、悪びれた様子もなくカナタは返答する。
映像が無いのでカナタは聞こえてくる情報だけで色々と判断しているためか、いまいち緊迫感が伝わっていない気がしている。
それでも止める気はあるようで、カナタはアイリスの名を呼んだ。
『アイリス!! 止まれ!!』
「……今度は三文芝居で私を止めようとでも? 舐めているんですか?」
『残念だが本人だ。モリアの件に関する仕事が終わったなら、そのままそこで数日程待機しておけ』
「…………コードを」
アイリスの質問に、カナタは淀みなく答えを返す。
本人だと確定したためか、非常に嫌そうな顔でロビンの持つ電伝虫を見るアイリス。
戯言だと切って捨てたら本当に上司から連絡が来たのだ、胸中は穏やかではいられない。
もっとも、カナタにはその件で叱責するつもりもないためか、特にとやかく言うことはなかった。
『当初の目的は果たしたんだ。麦わらの一味とローリング海賊団に関しては追って指示を出す』
「……バーソロミュー・くまはどうしますか?」
『そこにいるのか?』
「ああ、ここにいる。先日ぶりだな」
アイリスに手酷くやられたのか、くまは体中傷だらけだった。とはいえ、生来頑丈な上に今は肉体改造までされている。多少痛みはあってもそれほど支障があるわけではないらしい。
『今回の件、五老星に報告するつもりか?』
「……アンタには恩もあるが、モリアとの連絡は五老星からの指示だ。どうあれ話さないわけにはいかないだろう」
『そうか。頼み込むのは時間のムダだな──海賊らしく力づくで言うことを聞かせるしかないようだ』
「何をする気だ?」
『
警戒するように眉を寄せたくまに対し、カナタはくまにとって特級の地雷を踏み抜いた。
くまはその言葉に怒りの表情を浮かべると、温厚な彼にしては珍しく強い口調で詰問し始めた。
「ボニーを捕らえたのか!? 何のつもりだ!!?」
『人聞きの悪いことを言うものじゃない。お前の娘はお前を探すために海に出たと言っていたぞ。いつまで経っても誰かさんが会いに来てくれないから、とな。うちの部下を傍に付けているだけだ』
それでも、カナタの指示ひとつでボニーの命を奪うのは容易い状況下にある。
自分が原因の一角を占めていることに苦虫を嚙み潰したような顔をするくまだが、僅かに考え込んだ後でハッとした。
少なくともカナタの部下がいる間は何かトラブルがあっても解決することは難しくない。その上、ボニーを引き合いに出したということは、くまはカナタの指示に従わざるを得なかったという大義名分を得られる。
くまが五老星の指示で動くのはボニーの存在ありきだ。その首根っこをカナタに押さえられたのなら、カナタの言うとおりに動くしかない。
これなら、五老星とくまの間にある契約に違反することはない。……少々強引ではあるが。
「……わかった。すまない」
『理解したなら良い』
くまはその能力で時間を掛けずにあちらこちらを飛び回れるし、電伝虫で状況を報告出来る。先んじてそれを潰しておかねばならないが、麦わらの一味とローリング海賊団に関してはそれは無い。
しばらく黙っていろ、喋れば殺しに行くと少々脅しかける程度である。
どうせ長くは騙せない。本当に今だけ凌げれば十分なのだ。
「じゃあ最後に……影、返してもらえるかしら?」
「……仕方ありませんね」
もう朝日が昇りかけている。
影を取られたサンジ、ゾロ、ルフィの三人やローリング海賊団の面々は命の危機だ。
アイリスの手で影は解放され、曙光の中で影たちは持ち主の下へと帰っていく。
──これにて一件落着、である。
警備に穴を開けたり脱出用の船を秘密裏に用意したりと、ローラが乗り気でないのを良いことに全力で妨害した事実をしれっとした顔で隠すカナタの図